お宝映画・番組私的見聞録 -156ページ目

コント55号の冠番組 その3

70年に入るとコント55号は完全に勢いを失い、いくつもの打ち切り番組を生み出していた。
「コント55号の世界は笑う」(68~70年)は、55号の冠番組の中でも、かなり有名な部類に入ると思うが、この番組が放送されていたのは土曜の夜8時。つまり、裏番組として69年より「8時だヨ!全員集合」がスタートしたのである。もまなく、人気で抜かれてしまい番組は終焉を迎えることとなった。
「世界は笑う」はリニューアルされ、翌週から放送されたのが「コント55号のやるぞみてくれ!」(70年)である。しかし、同じ55号メインで、巻き返せるわけもなく、番組はわずか9回で打ち切りとなっている。ちなみに、その2回目のゲストを見てみると、「指圧の心、母心」の浪越徳冶郎、「ピンポンパン」の坂本新兵、マルトタレント水垣洋子といったところが出演していたようだ。
同じ70年、「コント・カチョ~ン」は55号と月亭可朝、そしてチャンバラトリオの3組をレギュラーとした公開番組であったが、やはり人気が出ず、3カ月で「コント・デ・勝負」と改題し、可朝は降板する。残ったチャンバラトリオやゲスト歌手とのミニコント番組だったようだが、やはりこれも3カ月と短命に終わっている。
「コント55号のなんでそうなるの」(73~76年)が、割合人気があり、長く続いたので意外に感じるが、絶頂期自体はこの頃すでに終わっていたといえる。
話は変わるが、80年代の「ザ・コント55号」(84年)と言う番組を覚えているだろうか。かなり久々の55番組だったわけだが、人気はあがらずこれも2ヶ月でリニューアルとなる。そば屋の店員役だった野咲たみこ(当時18歳)を主役にした「たみちゃん」というタイトルになり、55号は脇役へ降格されるという憂き目にあった。しかも視聴率も上昇するという結果に。
結果的にこれが最後の55号の冠番組(単発を除く)となってしまったのである。

コント55号の冠番組 その2

前回の続きだが、「やっちゃおう!コント55号」が終了し、NETの55号番組は水曜から木曜へ移動する。翌週からではなく、その週から、つまり「やっちゃおう!」の翌日からスタートしたのが「コント55号60分一本勝負」(70年4月~9月)である。
タイトルどおり30分から60分になり、バラエティ仕立てのドラマとして放送された。脚本は萩本が毎回書き下ろしていたという。
たとえば第2回は「青森行鈍行列車は行く」というタイトルで、江夏夕子や東山明美がゲストだったようである。結局、裏番組が強力だったこともあり、あまり人気を得られず、半年で終了し、元の水曜日30分枠に戻ることになる。その裏番組とは「ふるさとの歌まつり」(NHK)や「ありがとう」(TBS)であった。少し前に同じことを書いた気がすると思ったら、この「60分一本勝負」の後番組が、先日取り上げたクレージーキャッツの「ハイ!やりました」だったのである。クレージーもコント55号もこれらの番組にはかなわなかったということである。
次に始まったのは「スパルタ!55号」(70年10月~71年3月)。レギュラーは55号の他に、スパルタ・ガールズなるアシスタントがいたらしい。
内容はスポーツなどあらゆるジャンルのプロに55号が挑戦するというもの。たとえば、プロレス(アントニオ猪木)やボクシング(ファイティング原田)からスタントカー、アクロバット、バナナの叩き売りなどといったものに挑戦したようだ。
その次が「コント55号笑ってたまるか」(71年4月~9月)。これまでの公開形式ではなく、全編野外ロケを行い、様々な催しを行ったりしたらしい。たとえば「団地パンチ!」というサブタイトルの回では、大島団地の主婦1000名で何かをやったらしい(詳細不明)。
すでに人気もピークを過ぎていたこともあってか、やはり視聴率も振るわず、NETでの55号番組はこれにて一旦終了となったのである。ちなみに、翌週からこの枠でスタートしたのはアニメ「アパッチ野球軍」であった。

コント55号の冠番組 その1

今回の震災で掻き消されてしまったものの1つに「坂上二郎死去」がある。通常なら追悼番組が放送されたり、数日間は偲ばれるものだが、地震の前日だったため、それどころではなくなってしまった。
そこで、この欄らしく、かなりマイナーな部類であろうコント55号の番組を取り上げてみたい(数年前にもやっているけれども)。68年から71年あたりまで、映画もそうだがテレビでもコント55号の冠番組がいくつも存在した。しかし、そのほとんどは誰も覚えていないような番組である。
その中から、NET(現・テレビ朝日)で69年から71年まで、ほぼ途切れることなく続いた55号番組をピックアップしていくとする。
まずは「ウォー!コント55号」(69年7月~12月)。NET初の55号番組で、萩本欽一が殿様、坂上二郎が家老に扮した公開形式のまげものコメディであった。他にも水森亜土が若殿、横山ノックが学者、桂米丸、春風亭柳朝、三笑亭夢楽の落語家トリオが側用人、赤塚不二夫が絵師の役でレギュラーだったようである。水森はテレビに出始めた頃のようで、一緒に出演している赤塚原作の「ひみつのアッコちゃん」のED(すきすきソング)を歌ったのもこの年である。ちなみに中村玉緒と同じ年である(71歳)。しかし、佐久間良子も同じ年で、浅丘ルリ子が一つ下というと若いように思えてしまう。桂米丸は今も現役で、落語界では最高齢(85歳)の噺家である。
続く後番組が「やっちゃおう!コント55号」(70年1月~4月)。三ヶ月で終了したこともあり、詳しい実体はよくわからないが、舞台の上で出来る範囲なら、何でもやろうという番組だったらしい。55号二人だけの公開番組だったのでは、と予想される。
とりあえず、次回に続く。

新どぶ川学級

もう一つ日活児童映画からなのだが、「新どぶ川学級」(76年)という作品がある。
「どぶ川学級」というのは、ようするに主人公が自分の勤める会社の子供たちを集めて開いた勉強会のことを言っているようなのだが(多少違うかも)、内容はさておき、出演者は結構豪華なメンバーが揃っている。
主演は森次晃嗣で、この「どぶ川学級」の先生である。後、先生と名のつくのが、丘みつ子、夏純子、そして先日、東映チャンネルでやってる「特別機動捜査隊」についに登場した三船主任こと青木義朗だ。まあ未見なので、この「どぶ川」の先生かホントの学校の先生なのかよくわからんのだが。
その生徒役がデビューまもないアイドル歌手だった山本由香里や「バロム1」高野浩幸などである。どうしても、セブンとバロム1の共演などと思ってしまうのだが、高野は6歳の頃、その「ウルトラセブン」にゲスト出演しているので(ペロリンガ星人の回)すでに共演はしていたのである。
他にも山本圭、そして森次の姉役で吉永小百合が出演している。まあ実際は森次の方が年上だけれども。ポスターで一番目立つのは吉永と山本の美女二人である。
約2時間あり児童映画としては長すぎる気もするが、つい先日も上映会が開かれていたようである。
しかしタイトルに「新」がついているということは、当然。「新」のつかない「どぶ川学級」(72年)という作品もある。こちらは日活ではなく独立プロで撮られた作品だが、出演者には有名俳優が並んでいる。主演は山本亘。前述の山本圭の弟で、長兄・学を含めた山本三兄弟では一番影が薄いと思われる。役名は森次と同じ須藤である。
他には地井武男、田村高廣、井川比佐志、伊藤孝雄、加藤武、花澤徳衛といった渋い俳優が並んでいる。

日活児童映画

東映児童映画について描いたが、日活にも児童映画というものが存在する。
製作開始が72年から。つまり日活ロマンポルノ時代に突入してからの話で、ロマンポルノの一方でこうした作品が制作されていたのである。上映時間も短編ではなく、普通に90分程度のものが多いようである。個人的には、おそらくどれも見たことはないと思われる。
その第1作は詳細はよくわからんが「大地の冬のなかまたち」(72年)という作品で、第2作は「ともだち」(74年)という作品。これは主役を演じるのは阿部仁志、鈴木典子という子役だが、デビューまもない松田優作や下川辰平、地井武男といった「太陽にほえろ」の面々や、牟田悌三、高原駿雄などが出演している。
「アフリカの鳥」(75年)という作品は、五人組の少年少女が主人公だが、「人造人間キカイダー」の神谷政浩、「3年B組金八先生(第1シリーズ)」の生徒だった茂木政則や、そして紅一点が当時11歳の戸川京子であった。ご存知のとおり02年に37歳で自殺してしまったが、こういっては何だが、姉(戸川純)の間違いではないのかと一瞬思ってしまったものだ(戸川純も自殺未遂歴がある)。他の出演者は加藤嘉、荒谷公之、北村総一郎、「手をあげて横断歩道を渡りましょう」の松崎真、そして神谷の母役で八千草薫が出演している。
本日より計画停電が始まる。落ち着かない日々はしばらく続きそうだが、我慢である。

風の又三郎(57年版)

地震で大騒ぎの中何だが、更新できる時に更新させて頂きたいと思う。
前回、東映児童映画を取り上げたが、気になったのは「風の又三郎」(57年)だ。無論、原作は宮沢賢治の小説だが、個人的には読んだことがあるようなないような、ようするにその内容については忘れていた。
何度か映画化されているが、有名なのは一番古い40年の作品のようである。前述の気になったというのは出演者についてである。主人公である三郎少年に扮するのは久保賢。こういうとピンとこないかもしれないが、この5年後には日活に入社し山内賢となる。当時13か14歳のはずだが、パッと見、山内賢とはわからないくらい幼く見える。兄は東宝の久保明で、デビュー作の「あすなろ物語」(55年)では、その7つ上の兄の少年時代を演じている。
他の子役では石川竜二、松山省次、伊藤隆などの名がある。
石川竜二はこの7年後には「忍者部隊月光」の月輪として活躍するが、どの少年かはよくわからなかった。
松山省次はもちろん=省二=政路のことである。彼だけは見てすぐにわかった。当時10歳だが、青年時と変わらない顔であった。
伊藤隆は=伊藤高かどうかわからなかった。ちなみに伊藤高は伊藤雄之助の息子で、年齢的(48年生)には出演していてもおかしくはない。「青い太陽」(68年)では、小林幸子や渡辺篤史とともに高校生役をやっていた。まあ、別人かもしれんが。
先生役など大人の出演者は加藤嘉、左卜全、宇佐美諄(淳也)などである。

すばらしい松おじさん/ふろたき大将

今、東映チャンネルで東映児童映画の世界という特集をやっている。小学校時代、視聴覚室などで上映したりするあれである(と思う)。個人的にはどんな作品が上映されたかは全く記憶はないのだが、その児童映画にハナ肇が出ていたとは全く知らなかった。「すばらしい松おじさん」(73年)という約45分くらいの作品がそれで、ハナはもちろんその「松おじさん」を演じている。クレージーからはもう一人・安田伸も(いつもどおり)ちょこっと出演。他に浮田佐武郎、福田トヨ、そして少年役は土屋信之。土屋はドラマ「1・2・3と4・5・ロク」で四郎少年を演じていた子役である。73年だとぎりぎり見ていた可能性はあるが、前述のとおり記憶にないところをみると、まあ見てはいなかったのだろう。以上。
で、終わってしまうと短すぎるので、もう一つ東映児童映画から、少しここでも触れたことのある「ふろたき大将」(55年)を。
時代が時代なので、戦災孤児の集まった学校が舞台となっている。その校長が神田隆で、「警視庁物語」の捜査主任役とか60年代半ばくらいまでは善人の役がほとんどだった。教師の一人が梅津栄だが、顔はわかるのだが、体形がびっくりするくらいスマートなことに驚く。主人公の母親役である原ひさ子はまだお婆ちゃんではなかった。そして、その主役の少年が石橋蓮こと石橋蓮司、当時14歳である。60年代の初めくらいまでは蓮司ではなく蓮であった。ともかく子供の頃からあの顔なのに驚く。宮脇康之とか金子吉延のような可愛い系の子役より、蓮司を筆頭に根岸一正とか市川好郎のような可愛くない顔の子役の方が結局は悪役として長持ちしたといえる。そんな蓮司ももうすぐ70歳である。

銭形平次捕物控 夜のえんま帳

唐突に思うかもしれないが「銭形平次捕物控 夜のえんま帳」(61年)である。決して唐突ではなく、結論からいえば本作にはクレージキャッツの面々が出演しているのである。
「銭形平次捕物控」シリーズは、この欄ではほぼ取り上げたことのない長谷川一夫が51年から11年に渡って続けていたシリーズであり、「夜のえんま帳」は全17作のうち16作目にあたる。長谷川は、49年新東宝の「平次八百屋八町」でも平次を演じており、それをカウントにいれ18作としているケースもある。
クレージーキャッツといえば、やはり本格的ブレイクといえるのは翌62年からであり、東宝のクレージー映画はもちろん、大映で撮られた2本のクレージー映画(主役ではないが)も62年の作品だ。
しかし、ハナ肇だけはこの時点で映画で大役を演じた経験があり、本作では平次の子分八五郎を演じている。ちなみにこのソリーズで八五郎は花菱アチャコ、堺駿二、三木のり平、船越英二などが演じている。植木等はその八五郎の下っ引き役で、谷啓は平次のライバル的存在である万七役、犬塚弘はその下っ引きという割合大きな役柄を得ている。ちなみに安田伸と桜井センリは町人の役(石橋エータローは病気休業中)。冒頭、橋の上で会話をするだけで以降は出てこない。クレジット的にはハナは中村玉緒と並んで二列目で、他の五人はラストに出ているので扱いは大きかったのである。
平次の女房のお静には元新東宝女優の宇治みさ子、メインゲストは前述のように中村玉緒と林成年。つまり長谷川、林の親子共演である(二人が一緒のシーンも多い)。
悪役の旗本軍団は田崎潤をリーダーに、千葉敏郎、丹羽又三郎、伊達三郎といった大映お馴染みの悪役陣が演じている。
クレージー出演の平次はこれ一作のみ。このシリーズ自体も次が最終作となっている。長谷川は当時53歳とまだ老け込む年ではなかったが、動きは鈍く見えた。

植木等ショー(2期)

まず今月の更新についてだが、不定期で回数も少なくなりそうなので、そのつもりでよろしく。なるべく更新するようにはしたいと思ってはいるのだが。
さて、前回は「植木等ショー」の1期の方をやったので、今回は半年後にスタートした2期(68年)の方を。
1期のラストゲストは日活の看板女優の一人浅丘ルリ子だったが、2期第1回のゲストはやはり日活の看板女優・吉永小百合であった。植木とはこの時点で共演など直接的な接点はなかったと思われる。
第2回のゲストがドリフターズの4人。4人というのは、いかりや長介が欠けていたのである。「進め!ドリフターズ」(68年)のコントでいかりやが肋骨を骨折してしまい入院となったため、やむなく番組は打ち切りとなった。これはその2日後の放送で、渡辺晋の依頼だったという。いかりやの代理ということで何故か多々良純が出演しており、一緒に歌って踊ったようだ。ドリフは、この2ヶ月後は、いかりやも含めた5人で再登場した。
第3回には松竹の看板女優だった倍賞千恵子。植木ではなくハナ肇との共演が多かった頃である。この回には子役として人気のあった穂積ペペ(当時10歳)も出演している。
鶴田浩二は1期に続き、2期には2度出演、他にも西郷輝彦、加山雄三、ジェリー藤尾、越路吹雪、森光子、牟田悌三なんかもゲストで登場した。
やはり1期に続きスパイダースが出演しているが、同じ回にストレンジャーズというグループも出演している。おそらくGSではないかと思うのだが、全く実体がつかめない。ナベプロのGSだったアウト・キャスト(水谷公生・穂口雄右を輩出した)に在籍したメンバーがいたらしいのだが…。
レギュラーでは、フォーク・ウエキヤンズという番組内ユニットが登場する。スクールメイツのメンバーで構成され、この翌年トワ・エ・モアを組む白鳥英美子もその一員であった。
最終回のゲストは植木のホームグラウンドである東宝から浜美枝が登場。映画でも散々共演しており植木の指名だったそうである。

植木等ショー(1期)

ここ数回の参考資料にさせてもらった「植木等ショー!クレージーTV大全」という本には、タイトル「植木等ショー」についてそれはもう詳しく載っているのである。他に思いつかないので、「植木等ショー」について取り上げさせてもらいたい。
この番組は2期に分かれており、1期は67年に26回、半年間をおいて2期は翌68年に25回放送されている。内容は簡単に言えば、植木がホストとなって、毎回ゲストを迎え、唄、トーク、コントなどを繰り広げるというもの。
注目なのは、やはりゲストだ。第1回は江利チエミだが、第2回は伊吹聡太郎、大山克巳、真田健一郎、そして緒形拳という新国劇の面々である。緒形は当時すでにNHK大河の主役(太閤記)などを経験し売り出し中であった。緒形はバラエティにほとんど出演することがなかったので、貴重かもしれない。新国劇を退団するのは翌年のことである。ちなみに、真田は「鬼平犯科帳」、伊吹は時代劇の悪役、大山はチオビタドリンクのCMのイメージだろうか。
第8回にはエノケンこと榎本健一が登場している。この頃は既に片足が義足で、亡くなるのはこの三年後である。
第11回は鶴田浩二。歌番組に登場するのは珍しくはないが、バラエティはやはり珍しいだろう。コントらしいこともやったらしい。鶴田は植木のファンだったらしく、二期のほうと合わせて三度もゲスト出演している。
第20回には堺駿二、左とん平、世志凡太といった喜劇役者が出演。堺駿二の息子、マチャアキもこの番組にはスパイダースとして登場している。堺駿二はこの9ヶ月後に急死した。
他に目をひくところでは、第9回の清川虹子、丹下キヨ子、宮城千賀子のおばさんトリオ、第12回の青島幸男、前田武彦、大橋巨泉の放送作家トリオ、第16回の引田天功(初代)といったところ。もちろん、他のクレージーのメンバーやドリフも登場している。
そして1期の最終回のゲストが浅丘ルリ子。ちょうどこの時、浅丘は初めて東宝作品に出演した。それが植木主演の「日本一の男の中の男」なのである。丁度、正月映画として公開されていた時のゲスト出演であった。これにて、約半年の充電期間に入り2期がスタートするのである。