カウンセラーterubo86

カウンセラーterubo86

カウンセリングを通して、日々感じることなどをお伝えします。
実は私「キャンサーサバイバー」でもあります。治療を通して感じたことなどもお伝えしていければと思っています。

 

今日は、抗がん剤治療の影響で清潔隔離されたときのことを

書いていきます。
terubo86の、なかなか情けないジタバタぶりをお楽しみください。

 

第1回目の抗がん剤治療は、比較的順調に進んでいました。
吐き気も少しずつ落ち着き、食事もようやく口にできるようになってきた、治療開始から3週目のことです。

 

その日の血液検査の結果を見た主治医が、

淡々とこう言いました。

「teruboさん、白血球が基準値を下回っています。

感染しやすい状態なので、今からクリーンルームに

移動してもらいます」

 

元気になってきた実感があっただけに、

頭の中は「え?」でいっぱいでした。

 

数分後、「部屋の準備ができました」と、

看護師さんが数人やってきました。

入院道具一式が台に乗せられ、私もろとも移動です。

 

案内されたのは、クリーンルームと呼ばれる個室。
トイレ、バス、空調完備。
ベッドは頭元から清浄な風が吹き出す、ちょっと大きめサイズ。
……寝相が悪くても、さすがに落ちそうにありません。

 

荷物を適材適所に配置すると、看護師さんたちは一斉に

部屋を出ていきました。

 

広い病室に、私ひとり。

さっきまで感じていた病室の温かさは、どこにもありません。
ポツンと取り残された感覚でした。

 

「体は回復してるし、元気なんだけどな……」

そんな、いかにも素人なことを考えていると、

担当の看護師さんがやってきました。

マスク、帽子、手袋、エプロン。完全装備です。

 

「あ……本当に隔離されたんだ」

 

そう思った瞬間、じわっと寂しさが押し寄せました。

 

入室したのは10時過ぎ。

検温が終わると、看護師さんは必要な時以外入ってきません。
病棟の端にある部屋なので、人の気配もなく、とにかく静か。

 

「誰か来ないかな……」

少し期待してみましたが、誰も来ません。


じゃあ昼寝でも、と思うのですが、静かすぎて眠れない。
落ち着かない時間だけが過ぎていきます。

 

昼食の時間になり、配膳されました。
ごはんに煮物、そして――

「あっ! フルーツ付きだ!!」

リンゴです。


どれから食べようかと考え、「リンゴは最後のお楽しみ」

と決めて箸を進めていると、

 

ガラッ。

 

「teruboさん! よかった~! まだ食べていませんでしたね」

看護師さんがそう言うなり、リンゴの皿をスッと持ち上げました。

 

「あ……やっぱりね」
「先に食べときゃよかった……」

 

そう。
白血球が下がり、感染しやすい状態の私は、生もの禁止。

 

運び出されていくリンゴを見送りながら、心の中でつぶやきました。

「せめて、コンポートとか……ないのか?」

 

楽しみを一つ奪われ、ひとりで食べる昼食は、いつも以上に味気なく感じました。

 

そこから夕食までの時間が、とにかく長い。
いつもなら、あーだこうだと他愛もない話をして笑っていた

先輩方がいません。

 

昼寝しようとしても、やっぱり眠れない。
静かすぎるのです。

 

「誰かが一緒にいる」

それが、どれだけありがたいことかを、しみじみ感じました。

 

ところでこのクリーンベッド、頭元から足元に向かって

清浄な空気が流れる仕組みなのですが、これがまた冷たい。


最初は「気持ちいいな」と思ったのですが、横になると体温を奪われる感じがします。

頭が冷える。肩も冷える。寒い~!

 

午後の検温時に看護師さんに相談しましたが、

特にこれといった解決策はありませんでした。

 

こうして迎えた、隔離初日の午後。
人とほとんど会うこともなく、心細さだけが募っていきます。

「これが1週間続くのか……」

正直、気が萎えました。

 

やがて夕食の時間。
ガラガラと配膳車の音が近づきます。

 

トントントン。

「お食事です」

 

……あれ?
どこかで聞いたことのある声。

くすくすと笑い声も聞こえます。

 

ドアが開くと、そこにはお膳を持った看護師さん。
 

その後ろに――複数の人影。

先輩方が、看護師さんの後ろで手を振っていました。

 

「うれしい」

 

そう思った瞬間、視界がにじみました。

 

看護師さんが言いました。

「直接お話ししない、という約束で、皆さんをお連れしました。
しっかり食べて、血液データ改善しましょうね」

 

看護師さんが退室し、ドアが閉まるまで、

先輩方は無言で手を振ってくれていました。


そして、ドアが閉まった瞬間、

「頑張って!」
「早く戻ってきて!」

口々にエールが飛んできます。

 

それまで「一人で耐えられるかな……」と

弱気になっていた気持ちが、一気に吹き飛びました。

 

元気と勇気が、胸の奥から湧いてくるのを感じました。

「早く戻ろう」

そう、心に決めました。

 

そして三日後。
血液データは改善し、無事に元の部屋へ戻ることができました。

 

先輩方が「おかえり~!」「はやく帰れたね。」と声をかけてくれました。

私の心と体は、一瞬にして温かさに包まれました。

 

隔離生活は短いものでしたが、

「一人になることのつらさ」と「人の存在のありがたさ」が、

強く心に残る出来事でした。

 

___とはいえ、これはまだ始まりにすぎません。

 

抗がん剤治療は、この後第2回戦、第3回戦と続きます。

そして、心も体も想像していなかった展開を見せていくことになります。

 

第8章では「第2回戦から第3回戦」のできごとについて、書いていきます。

 

 

🕊️ teruboのひとこと

今、不安や迷いの中にいるあなたへ。

どうか自分を責めずに、
「ジタバタしている自分も悪くない」
そう思ってください。

そのジタバタこそ、あなたが“生きようとしている”証です🌈

 

生命力を改善する方法

 晴れ太陽の光を浴びる。

  朝起きたら3分間窓際で、朝日を浴び深呼吸しましょう。

  曇っていてもカーテンを開け、朝の光を感じましょう!

 爆  笑1日3回以上笑いましょう。

  できれば、声を上げて笑いましょう。

  笑えない時は、鏡を見ながら笑顔を作ってみてください!

 


📖これまでの記事
🩺 第1章:告知の日、心が止まったあの日
💧 第2章:手術に向けて、涙と覚悟のあいだで
🌸 第3章:退院の日、思わぬ“自由”の重さ
🔥 第4章:抗がん剤治療に向かうジタバタな日々
🌈 第5章:抗がん剤治療開始の日。心の中で起きた小さな変 

        化

おばけくん  第6章:抗がん剤治療が始まる     カーテンの向こうから聞  

       こえたエール

びっくり  第7章抗がん剤治療中、隔離される(←今ここ)

 


 

次回は
👉
「2回戦から第3回戦までの、ジタバタteruboのお話

  をお届けします。どうぞお楽しみに💖

第6章では、私が抗がん剤治療の中で経験した “心の変化”について書いていきます。

 


治療開始までのカウントダウン

ついに、初めての抗がん剤治療の日がやってきました。
これから1回/月 × 4セット の治療が始まります。

いつものように洗面をして、朝ごはんを待つ。
けれど緊張のせいか、ご飯粒が喉に引っかかりそう。

「帰りたい…」と内心ジタバタしているところへ、

お姉さん(同室の先輩患者さん)が近づいてきました。

 

「teruboさん、朝はしっかり食べるのよ!」
そう言って自家製の梅干しをくれたのです。
思いがけないその優しさが、胸にしみました。

 

食事を終え歯磨きをして日課の朝ドラを見るが、

話が頭に入ってこない。


ぼーっと画面を眺めていると、

主治医と看護師さんがやってきました。

 

「逃げ損ねたわ…」と思った瞬間、
お姉さんがカーテンをスッと引きながら言いました。


「今日はteruboさん笑えないからね。みんなで静かに笑うわよ。」

 

「アッ、わたしだけ隔離された・・・。」
なんだか少し、心細い気持ちになりました。

 

バイタルチェックが済み、まずは普通の点滴から。
ここまではいつも通り。


そしていよいよ、主治医が抗がん剤のビンをセットしました。

カーテンの向こうから、小さな声で
「がんばって。」
と聞こえました。

 


 

◆“7秒後”に起きたこと

 

薬が入って、ほんの7秒ほど。
突然、身体の奥からせり上がるような吐き気が襲ってきました。

 

「?!」「うわ〜〜💦気持ち悪い…!」

我慢しようとしてもどうにもならない。
嘔吐が止まらず、声にならない唸りが漏れる。

 

カーテンの向こうで、みんなが小さく
「がんばれ…」
とつぶやいているのが聞こえる。

 

お姉さんは落ち着いた声で言いました。
「大丈夫、大丈夫。死にはしないからね。」


そしてもう一言。


「今日はteruboさんの分まで、みんなで笑うよ。

みんなで免疫力上げていこうね!」

 

くすくすとした笑い声が、カーテン越しに広がる。
「みんないてくれてるんだ・・・。」
その声は、不思議なほど優しく、心地よく耳に届きました。

 

予定通りその日の投与は終了しましたが、吐き気はなかなか

おさまらず。
夜中もえずき続け、その状態が数日続きました。

 


 

後半戦、そして“気づき”

 

ようやく落ち着いた頃、1回目の後半戦がやってきました。


薬の種類は違い、量も少なめ。

それなら少しは楽かも…と思っていましたが、

その威力は想像以上でした。

 

「あと3回、これをやるのか…」
そう思うと、気が重くて仕方ない。
とても耐えられないように感じました。

 

そんな私の様子を見て、諸先輩方が声をかけてくれました。

「大丈夫よ。治るからね。」
「みんなも通ってきた道だよ。一緒に頑張ろうね。」

 

そのとき、私は初めて気づいたのです。

私は“病気を治すのは自分自身だ”とどこかで思い込んでいました。


でも実際は——
患者自身の生命力だけではなく、周りにいる人たちの生命力も、

同じように大切だったのだ と。

 

あのカーテンの向こうからの小さな声、

くすくす笑いながら応援してくれた人たち。
あの人たちの存在が、どれほど自分を支えてくれていたのか。
今になって、胸がじんわり温かくなるほど感じています。

 

 

💬 読者の皆さまへ

今日も読んでくださって、本当にありがとうございます🍀

もしあなたにも、
「初めての治療の日」「怖かったけれど前に進めた日」
そんな思い出があれば、ぜひコメント欄で教えてください。

あなたの一言が、きっと誰かの勇気になります🌈
一緒に“ジタバタ”しながら、少しずつ前へ進んでいきましょう🌷

 


🕊️ teruboのひとこと

今、不安や迷いの中にいるあなたへ。

どうか自分を責めずに、
「ジタバタしている自分も悪くない」
そう思ってください。

そのジタバタこそ、あなたが“生きようとしている”証です🌈

 

生命力を改善する方法

 晴れ太陽の光を浴びる。

  朝起きたら3分間窓際で、朝日を浴び深呼吸しましょう。

  曇っていてもカーテンを開け、朝の光を感じましょう!

 爆  笑1日3回以上笑いましょう。

   声を上げて笑いましょう。

  笑えない時は、鏡を見ながら作り笑顔をしてみましょう!

 


📖これまでの記事
🩺 第1章:告知の日、心が止まったあの日
💧 第2章:手術に向けて、涙と覚悟のあいだで
🌸 第3章:退院の日、思わぬ“自由”の重さ
🔥 第4章:抗がん剤治療に向かうジタバタな日々
🌈 第5章:抗がん剤治療開始の日。心の中で起きた小さな変 

        化

おばけくん  第6章:抗がん剤治療が始まる     カーテンの向こうから聞  

       こえたエール(←今ここ)


次回は
👉「本当に隔離されてしまった、ジタバタteruboのお話」
  をお届けします。どうぞお楽しみに💖

 

今日も読みに来てくださって、ありがとうございます。
あなたは「初めて治療に向かった日」のこと、覚えていますか?
怖かったり、不安だったり、それでも前に進もうとしていた自分――。

今日の第5章では、私が抗がん剤治療を前に感じた
“小さな心の変化”について書いていきます。

 

 

入院初日――閉ざしていた私の心

抗がん剤治療のために入院するその日、私はひとつ決めていました。

「自分のことは誰にも話さない。治療が終わったら、すぐ前に進む。」

そんな思いで病棟に案内され、「お世話になります」とだけ言い、荷物をほどきました。

一息つこうとしたそのとき、ひとりの女性が勢いよく近づいてきました。

 


突然の問い――“死”を突きつける声

 

彼女は開口一番、切羽詰まったような声で言いました。

「あなた、何の病気? ガンよね? どこのガン?」

あまりに突然の質問に、私は返事ができませんでした。

その後の3日間、彼女は新しい患者が来るたび、同じ質問を繰り返していました。
怒っているような、悲しんでいるような――複雑な目で。

そしてまた新しい患者が来たとき、彼女が同じ質問を浴びせかけた瞬間。
私の中で、張りつめていた糸が切れました。

 


抑えていた感情があふれた瞬間

 

気づけば私は声を荒らげていました。

「ガンだからって、必ず死ぬとは限りません!
“死ぬ、死ぬ”と言っていたら、本当に死んでしまいますよ!
私は生きて帰りたいから、もうやめてください!」

言い終えた瞬間、彼女の目がきらりと光り、
私は胸の奥で「しまった」と息をのみました。

 


「生きたい」――初めて聞いた彼女の本音

 

「あなた、なんでそんなこと言うの? 私たち……死ぬのよ。あなたもね!」

彼女の言葉には、強さと同時に、押し殺された不安がにじんでいました。

「私はまだ死にません。生きるために治療に来たんです。
治療して元気になった人は、たくさんいます。」

そう伝えると、彼女の表情が少しやわらかくなりました。

「本当なの……? あなた、どうしてそんなふうに言えるの?」

「私は看護師です。そういう人たちをたくさん見てきました。」

いつの間にか彼女は、私の目の前に立っていました。

そして震える声で言ったのです。

「どうしたらいいの……?
教えて……。
私、まだ死にたくない。生きたいの。」

その言葉に、私は思わず息をのみました。

 


病室に広がった“光”

私が知っていることを静かに話し始めると、
いつの間にか同室の皆さんが耳を傾けていました。

すると彼女が突然、皆を見渡して宣言しました。

「いい? 今日から免疫力上げるわよ!
1日3回は笑うの! ご飯もしっかり食べるのよ!」

皆が「そうしよう」とうなずいているのがわかりました。

あのとき初めて気づいたのです。
――みんな、がんと告げられてから“死に向かって生きていた”のだ、と。

病室の空気は、まるで光が差し込んだように明るくなりました。

 


私の中で芽生えた“小さな変化”

翌朝の治療を控えていた私に、彼女は言いました。

「明日の朝までに、しっかり食べておくのよ。
治療のあとしばらくは食べられなくなるから。頑張ってね。」

その言葉を聞いた瞬間、
これで私は生き延びられる”――そう直感しました。

振り返れば、あのときの私は
「自分だけでも生きたい」
そんな必死の思いを抱えていたのかもしれません。

けれどその日から、私たちの入院生活は一変しました。

くだらないことで笑い合い、しっかり食事をとり、
お互いを励まし合う毎日。

一人で闘っているつもりだった私は、
気づけば「みんなで支え合う」場所の中にいました。

そして私の心の中でも、小さなけれど確かな変化が芽生えていたのです。

 


💬 読者の皆さまへ

今日も読んでくださって、本当にありがとうございます🍀

もしあなたにも、
「初めての治療の日」「怖かったけれど前に進めた日」
そんな思い出があれば、ぜひコメント欄で教えてください。

あなたの一言が、きっと誰かの勇気になります🌈
一緒に“ジタバタ”しながら、少しずつ前へ進んでいきましょう🌷

 


🕊️ teruboのひとこと

今、不安や迷いの中にいるあなたへ。

どうか自分を責めずに、
「ジタバタしている自分も悪くない」
そう思ってください。

そのジタバタこそ、あなたが“生きようとしている”証です🌈

 


📖これまでの記事
🩺 第1章:告知の日、心が止まったあの日
💧 第2章:手術に向けて、涙と覚悟のあいだで
🌸 第3章:退院の日、思わぬ“自由”の重さ
🔥 第4章:抗がん剤治療に向かうジタバタな日々
🌈 第5章:抗がん剤治療開始の日。心の中で起きた小さな変化(←今ここ)


次回は
👉「副作用との付き合い方。そして“私らしい日常”を取り戻すまで」
をお届けします。どうぞお楽しみに💖

 

第4章「抗がん剤治療 に向かうジタバタな日々」

 

1.抗がん剤治療に向けて心が揺れ動く時間

 

  手術を終え少しホッとしたのも束の間。

  私は次に待ち受けている“抗がん剤治療”に、静かにおびえてい 

  ました。

  

  子ども達の前では冷静さを装っていましたが、内心ジタバタ。  

  どうしても落ち着けない自分がいました。

 

  terubo流リハビリ計画・第2弾!発動!!

  目 標:体力を温存、もしくはできれば増強して、抗がん剤治 

      療の副作用を最小限に抑えること

  日々のスケジュール

  ・今まで通り家事をする

  ・一日一回、一時間外を歩く

  ・タンパク質と野菜類中心に三食しっかり食べる

  ・八時間以上の睡眠。足りない時は昼寝で補う

  ・オーバーワークにならないよう気を付ける

 

  完璧にこなしていたつもりでした。

  でも、気づかないうちに「ジタバタterubo」が目を覚まして

  いたのです。

 

  手術後の経過はすこぶる順調で、少し早めに退院した私。               

  ところが、退院と同時に次のステップ“抗がん剤治療”への不安 

  が押し寄せました。

  これまで、抗がん剤治療を受けた患者さんと接してきた経験が

  あったため、その効果も副作用の厳しさも知っていました。

 

  「強い吐き気、嘔吐、体力の消耗、脱毛・・・・・どうするどう 

  する・・・・・」

 

  元々注射嫌いの私は、点滴と聞くだけでも気が萎えてしまう。

  退院前からすでにソワソワ。

  退院してからは、ますます気持ちが落ち着かなくなっていきま

  した。

 

  「高濃度ビタミンC療法」にすがってみた私

  *ここに書くのはあくまで個人の体験です。 治療法を推奨する  

  ものではありません。

 

  そんな時、以前から気になっていた「高濃度ビタミンC療法」を  

  思い出しました。

 

  なんと運のいいことに、車で行ける所にそのクリニックはあり 

  ました。

 

  待合室には、がんや難病と闘う患者さんたちの姿がありまし 

  た。

 

  問診の後

  「副作用はなく、抗がん剤の副作用も軽減できるでしょう。」と 

  説明を受け、10回の投与計画が立てられました。

  「これで副作用も半減できるかも!」

  そんな希望を胸に、私は治療をスタートさせました。

 

  点滴が入り始めて間もなく鼻の奥に薬品臭を感じましたが、

  「いつものこと。大丈夫。これくらいなら耐えられる・・・。」 

  と前のめりでした。

 

  ところが、5回目の投与を受けている時「体が拒否しているよ  

  うな感覚」が。

 

  それでも「あと少し…」と自分に言い聞かせて臨んだ6回目。

  点滴が始まりいつもの薬品臭を感じていたら、突然吐き気が襲 

  ってきました。

 

  点滴架台をひっ掴みトイレめがけて突進。籠ること15分。

 

  少し落ち着いたのでベッドに戻りましたが、吐き気は収まら 

  ず・・・。

 

  点滴はまだ半分以上残っていました。

  「もったいない・・・高額なのに・・・」そんな思いもよぎりま 

  したが、意を決して伝えました。

 

  「点滴、抜いてください。」

 

  治療は中断。

  帰り際に「少し考えて連絡します。」と告げましたが、

  数日後「治療の再開は難しいです」と電話を入れました。

 

  期待して受けた治療を中断したことで、私は途方に暮れまし 

  た。

 

  そして「どうするどうする・・・そうだ!!・・・ウィッグを 

  買わなきゃ!!」

  「ジタバタterubo」は、地元の有名百貨店でウィッグを調達し、 

  迫りくる入院の日に備えました。

 

  今、振り返って思うこと

 

  あの時の私は「できることは全部やりたい!!やらなきゃ!!」 

  という思いでいっぱいでした。

  それはがんや抗がん剤治療への「恐れ」であると同時に、“生き 

  たい。生き延びるぞ”という強い思いの表れだったと思います。

 

  「思い通りにならないことがあっても、それでいい。

  試して、失敗して、気づいて、また次に進めばいい。」

 

  あのジタバタな日々は、そう教えてくれました。

  そして私を少しだけ強くしてくれて、今の私も支えてくれている 

  と感じます。

 

 

  次回予告

 

  次回は、抗がん剤治療の日々のジタバタについて書いていきま  

  す。Teruboのジタバタぶりをお楽しみに💖

 

  ~お読みくださったあなたへ~

 

  ここまで読んで下さり、ありがとうございます。

 

  もしあなたにも似たような経験や思いがあれば、ぜひコメント 

  欄で教えてください。

 

  「私もそうだった。」「こんな時どうしたの?」そんな一言でも構 

  いません。

  お一人お一人の言葉が、このブログを通して誰かの力になると 

  思っています。

 

              では、また次回お会いしましょう。

第3章 手術直後のハリキリ

 

手術が終わった直後、私は“生きている実感”よりも、
「ここはどこ?」というぼんやりした感覚に包まれていました。
けれど、家族の声、温かさ、そして医療の力に支えられながら、
次第に「もう一度立ち上がれる」と感じ始めます。

痛みに弱い私が、なぜ“ハリキリ患者”になれたのか。
そこには、身体の回復だけでなく――
生命力”という心のエネルギーが、静かに動き出した瞬間がありました。

 

麻酔からの覚醒

なんだか、まわりがざわついている。
誰かが呼んでいる……ここはどこ?

「teruboさ~ん、手術終わりましたよ~。お部屋に帰ってきましたよ~。家族の方も来られていますよ~。」

……えっ? 何? 何だっけ?
頭がボーっとして、現実感がつかめない。

「teruboさ~ん、目を開けてくださ~い。」

その声にうながされ、ゆっくり目を開けた瞬間、
「うわっ、まぶしい!」

光の向こうに、ぼんやりと人の顔らしきもの。
数回まばたきをすると、
「母ちゃん、目をぱちぱちしよる!」と夫の声。

子どもたちが、手を握ってくれている。
「お母さん分かる? 痛くない?」「大丈夫?」
やっと、終わったんだ……。
言葉にはならなかったけれど、笑ったつもりだった。

身体はベッドと一体化したように重く、
「私は元気だから、もう帰っていいよ」と心で念じながら目を閉じた。

 

 

術後の回復に向けて

翌朝9時前、主治医が病室に現れた。
「経過良好だね。もう歩いていいからね。おしっこの管もすぐ抜けるよ。」

「えっ、本当に?!」
運動も行けるんじゃ……と聞くと、
「今日はまだ用心して歩いてくださいね。」と。

 

まもなくおしっこの管が抜かれた。

痛かった!!ものすごく…
でも――あれ? 手術したところ、痛くない。
違和感はあるけれど、“痛み”がない。

「手術したよね…」

胸腔ドレーン(肺切除術後「胸腔にたまる血液や水を体外に排出する」ための処置)の管を入れているところも、違和感はあるけれど“痛み”がない。

 

そうだった!!

手術直前に背中から入れた“硬膜外麻酔(エピ)”が効いているのだ。
「エピ、すごい! これなら動ける!」

トイレ歩行を皮切りに、私は“terubo流リハビリ計画”を始動した。

 

terubo流リハビリ計画

目的:早期家庭復帰と抗がん剤治療へ備える

〈1日目〉
・トイレ歩行
・病棟内の廊下を往復(数回)

〈2日目〉
・午前:屋上の偵察
・午後:屋上を数周回る

〈3日目以降〉
・体調に合わせて屋上ウォーキング

 

 

手術後2日目、「散歩してきまーす」と看護師に伝え、
吸引機の台をヨッコラショと抱えて屋上へ出た。

「うわ〜気持ちいい! 風が吹いてる!」

周りには誰もいない。
日焼け防止に帽子をかぶり、ゆっくり1周。

屋上のコンクリート床から吸引機台を押す手に、

ゴロゴロガタガタと振動が伝わる。
「よし、これならいける。」

その日、屋上を5周。

翌日は、午前午後各10周。
午後は反対回りも追加。完全に“ハリキリ患者”だった。

午後、屋上を歩いていると、後ろから声がした。
「teruboさん! 何してるんですか?!」

振り向くと主治医が目を丸くして立っている。
「運動です……。」
笑いをこらえた先生が一言。
「まさか屋上までとは。転ばないように気をつけてくださいね。」

病棟に戻ると看護師さんたちにも、「何周したんですか?」と笑われた。
でも私は得意げだった。
「エピ」のおかげで、痛みがなく動ける――それが嬉しかった。

 

痛みのないリハビリ、そして感謝

翌日、麻酔科医から「明日エピを抜きます」と告げられた。
心の中で「困ったなぁ」と思いつつ、
「午後にしてもらっていいですか?」とお願いすると、
「屋上の運動ですね?」とニヤリ。交渉成立!

 

3日目も快適にリハビリを続けられ、夕方エピと一緒に吸引用のチューブも抜けた。

リハビリに拍車がかかったが、
痛みが出ることなく、予定より早く退院できた。

 

ハリキリ”の裏にあった想い

麻酔から覚めたとき、私はもっと冷静に家族と話せると思っていた。
でも、麻酔の力にはかなわず、ただ微笑むことしかできなかった。

そして私は改めて気づいた。
痛みに弱い自分だからこそ、「痛みのない時間」の尊さが分かるということ。

「エピ」に助けられた私は、
医療の進歩と、支えてくれた人たちに心から感謝した。

“痛みゼロのハリキリ患者”terubo――
この瞬間から、私の中の生命力が静かに動き出した。

 

 

次回予告

第4章「抗がん剤治療 ― ジタバタな日々再び」へ続く。
身体の回復とともに、心が揺れ動く時間。
「生命力カウンセリング」の原点が、少しずつ形を取り始めます。

🌿あとがき:生命力カウンセリングのはじまり

この「ハリキリ体験」は、私にとって単なる術後リハビリではなく、
自分の中の生命力”を自覚した最初の瞬間でした。

痛みを恐れながらも、前へ進もうとする心。
支えてくれた家族・医療スタッフへの感謝。
――それらすべてが、後に「生命力カウンセリング」を生み出す原動力になりました。

これから書き進める章では、治療、回復、そして心の再生を通して、
“人はどんな状況からでも、もう一度立ち上がれる”という確信をお伝えしていきます。

🌼 あなたの中にも、きっと眠っている「生命力」。
その力を思い出すためのヒントを、今後の章で少しずつお届けします。

 

15年前「肺腺癌と肺切除術の適応」を言い渡された私。

手術までの2週間「腫瘍を切り取り、早期回復、早期家庭復帰するぞ!!」と、妙に張り切っていました。

「このまま死ねない」「まだ終われない」その思いだけで、毎日を必死に動かしていた気がします。

今振り返ると、あの時の私は心のケア"を完全に置き去りにしていました。そんな私の「ジタバタ」な手術直前2週間を少し振返ります。

 

 

手術を2週間後に控えた私は毎日家事を早くすませ、体力維持のために3Km走り、からだの循環が良くなるようにとストレッチをしたりしていました。早期回復のために、出来ることは全部やって手術に臨もうと思っていました。

 

また、子どものことも心配だったので、近所のママ友二人にだけ事情を話し「何かあったら、子どもの対応よろしくね。他言無用でお願いね。」と自分勝手なお願いをしていました。(子どもの為にしたことは、これだけです。)

 

この時期の記憶は、あまり残っていません。

日々気持ちがフワフワしているような、地に足がついていない感覚がありました。

 

きっと「初めてのがん宣告、入院、手術」で不安がいっぱいだったのだと思います。「これから先何が起こるのか」という漠然とした不安と闘っていたのかもしれません。

 

この時学んでいたカウンセリングを思い出しセルフケアをしていたら、もっと穏やかに過ごし子ども達の子ども達のために心と時間を使えていたかも・・・と反省します。

 

セルフケアといっても、そんなに難しいことではありません。

 ・朝起きたら朝日を浴びる。そして数回深呼吸し、

  光を全身にいきわたらせるイメージを作る。

 ・顔を洗う時、鏡を見て笑顔を作る。

 

たったこれだけの事なのに、やらないどころか思い出しもしなかった。15年前の私には、そんな余裕は微塵もありませんでした。

それほど「がんの恐怖と不安が強かった」のだと思います。

 

「生き延びなければ」の思いを強くすることにとらわれてしまい、自分の中にある「生きる力」を信じることが出来なかったのだと

思います。

 

この時はまだ「生命力カウンセリング」という考えに至らず、

頭の中は「自分のことだけで、いっぱいいっぱい」でした。

 

手術日が一日一日近づくごとに、高まる緊張感も感じていました。

そんな中、一ヶ月ほど先の抗がん剤治療のことも考えていました。

「副作用強いよね。吐き気がしたり、吐いたりするんだよね。」「髪、抜けるよね」・・・・・と。

 

当時のことは、「現実には対応しているようだけど先々のことも気になり不安で、実際何から手を付けたらいいのかも判断できていなかった」と振り返ります。

ちゃんとセルフケアをし心を落ち着かせることが出来ていたら、子ども達のためにもっとできることがあっただろうと思います。

 

そうこうするうちに、入院日当日。

私は夫に送ってもらい、呼吸器外科病棟に入院しました。入院生活・手術に関するオリエンテーション、最終の採血等の検査をうけ、翌日の手術に備えました。

 

「眠れるかな・・・」と思いながら、消灯。

 

「teruboさんお早うございます。」の声に「だれ・・・?」と目を開けると、看護師が朝の検温に。

どうやら消灯を合図に、眠りについていたようです。

しかも、大いびきで。

看護師の笑いをこらえた顔が、物語っていました。

 

その後着々と手術に向けての準備が、進められました。

私は今更抵抗することもできず「うわ~乗っちゃったよ・・・本当に痛くないんだろうね・・・」と思いながら、定刻に手術台に上がりました。

ほどなくして麻酔科の先生が、麻酔のマスクを私に当てながら「深呼吸しますよ~。」と言われました。

これが手術直前の最後の記憶です。

 

「結局ジタバタしていたなぁ・・・。2週間もあったのに・・・。」が、この時期を振り返っての感想です。

 

この時のジタバタは、まさに「生きるためのジタバタ期間」でした。「不安と緊張の中で必死にもがいたこのジタバタ」は、「生命力」という考えにつながったのかもしれません。

 

 

次章では、手術後の回復期についてお話しします。

次はどんなジタバタを展開するか・・・お楽しみに。

 

 

気がつけば、もう10月も後半。

ついこの前まで「暑い…暑い…」とぼやいていたのに、季節は秋。
サンダルから靴下に履き替えたあたりで「ああ、夏が本当に終わったな」と実感しました。

そんな中、7月から始めた「おうちカウンセリング」勉強会も、

気づけば4回を終えました。
この勉強会は、家庭や職場、地域など日常の場面で「聴くことを大切にできる人が増えたらいいな」という思いから始めた取り組みです。

 

第2回勉強会が・・・まさかの失敗

 

第2回の勉強会。

雰囲気よく進み、みなさん笑顔で帰って行かれました。
「よし、成功!」と胸をなでおろしたものの、私の心には小さな“もや玉”が残りました。

 

進行がまずかった?
説明が足りなかった?
……うーん、でも何か違う。

 

考えること2週間。

ようやく気づいたのです。

そう、肝心の私が“傾聴”できていなかったことに。

 

「傾聴を学ぶ場」であるのに、講師の私が傾聴せず自分の思いで会を進めてしまったのです。
これはもう、笑えないコントでした。

 

失敗を話してみたら

 

隠しても仕方がないと腹を決め、第4回の勉強会で正直に打ち明けました。

 

「実は第2回でこういう失敗をしました」と話し、本来やるべきだった進め方を解説し、謝罪しました。

 

すると、参加者の方から意外な言葉が。

「Teruboさんでもそんなことあるんですね。気づきませんでした。
でも説明を聞いて、なんだかホッとしました。失敗したらいけないと思っていたので。」

 

あれ!?失敗って、ちゃんと話せば安心に変わる?
そのとき初めて、そう思いました。

 

まとめると

 

私の失敗は、参加者に「人間らしさ」を伝える時間になったのかもしれません。
傾聴って、技術だけじゃなく「自分も完璧じゃなくていい」と思える安心感も大事なんですね。

 

というわけで――勉強会はまだまだ試行錯誤中です。
私自身が“聴けない講師”になる日もあるかもしれません。

そのときは皆さんからのつっこみをうけて、失敗もネタにしながら一緒に学んでいけたらいいなと思っています。

失敗ネタの投稿もこれからしていこうと思います。

 

まとめ(リンク)

 

十五年前の春、私は一枚の紹介状を手に、

○○医療センターの外来受付に立っていました。
「この検査データを持っていけば、すぐに診断がつく」と思っていた私は、どこか落ち着いた気持ちで呼び出しを待っていました。
まさか、この日から自分の人生が大きく変わるとは、まだ思いもしませんでした。

 

 

診察室に入ると、S先生は紹介状を読みながら穏やかにうなずき、「詳しく調べましょう」と言いました。
血液検査、CT、気管支鏡検査──。

検査日程が次々に決まっていきます。

私は内心、「もう結果は出ているはずなのに」と、少し拍子抜けしていました。

 

そして数日後、すべての結果が出揃った日。
S先生はやわらかい声で、まるで「春風が吹いたね~」というように言いました。

「肺がんだねえ。」

あまりに穏やかだったその言葉に、私は一瞬「大したことはないのかな」と錯覚しました。


しかし、先生の口から続いた説明は現実そのものでした。
「右下葉S6の原発の肺腺癌です。手術と抗がん剤の併用で治療を行いましょう。」

転移の可能性についても話されましたが、頭にはほとんど入ってきませんでした。

耳で聞いているのに、頭に入ってこない。心がついてこない──そんな感覚でした。

 

会計を待っている時、S先生がパンフレットを持って足早にやってきました。
「これ、読んでおいてね。病気のこと、治療の事しっかり書いてあるから。びっくりしたよね。でも大丈夫。ぼくに任せて。」

告知後の私の反応のなさに、心配されたのかもしれません。

その言葉に、私は少しだけ心が緩みました。

 

帰り道今日の出来事を振り返り、考えました。
どうやって家族に伝えようか。特に子どもたちに。
「事実を淡々と、できるだけ分かりやすく伝えよう。質問には全部答えよう。」
そう決めて家に帰りました。

 

夕食後、家族を前に話を切り出しました。
「今日、肺がんだと診断されました。」

少しの沈黙のあと、長男が言いました。
「お母さん、タバコ吸いよったと?」
「吸ってないよ。タバコ吸わなくてもなるんだって。」
「へえ~、そうなんだ・・・。」と長男。

長女が小さな声で続けました。

「治療すれば治るんだよね。なら大丈夫だね。」

子どもたちなりに受け止めようとしているのが伝わり、私は胸がいっぱいになりました。


その夜、私はようやく「母親として強くあらねば」と思い始めました。そして、二週間後の手術を前に、私は家の片づけをし、体力を維持するために散歩をし、子どもたちの動揺を和らげるよう努めました。

 

表面上は前向きに見えたかもしれません。
けれど本当は、心の中でずっと問い続けていました。
「本当に治るのだろうか。これからどうなるのだろう。」
答えのない不安を抱えたまま、私は日々を整えることで気持ちを保っていました。

 

今振り返ると、あのときの私はまだ「生命力」という言葉の意味を知りませんでした。
ただ、“生きるために動く”ことしかできなかったのです。
けれど、あの不安な二週間があったからこそ、私は後に「心の力」「生命力」という概念に出会うことになります。

 

次章では、手術の日の出来事、そして“生きる”という言葉の重みを描いていきたいと思います。

私が「生命力カウンセリング」という考えに出会ったのは、
この経験を経た後のことでした。
この方法が、あなたや大切な方の“生きる力”を取り戻すきっかけになれば──そう願っています。


病気を通して見えてきた“人の強さ”と“あたたかさ”を、これからも綴っていきます。
どうぞ見守ってくださいね。

                カウンセラーterubo86 (園田照子)

 

 

 

肺がんが見つかったきっかけは、勤務先の病院で受けた2泊3日の人間ドックでした。

健康診断の最終日に、胸のレントゲンに「小さな影」があると指摘されたのです。

 

退院時には「一カ月後に胸部CTを」と言われましたが、当時の私は、毎日3㎞走るのが日課の健康自慢。
喫煙歴もなく、食欲も旺盛、体調不良なんて感じたこともありませんでした。だからこそ、「まさか自分が」という気持ちが強く、正直、少し油断していたのだと思います。

 

毎年、春から初夏にかけて“夏風邪”をひくのが恒例でした。
その年も人間ドックのあとに少し咳が出て、「また風邪ね」と思い込み、内科で薬をもらって済ませていました。


3回目の夏風邪のときにようやく「そういえばCT検査を」と思い出し、受けてみることにしたのです。

 

体調はすこぶる良好だったのですが、なんと胸の影は前回の2倍に大きくなっていたのです。CTにもはっきり影が写っていました。

主治医は「感染症の可能性がある」と判断。
「隔離入院です」と言われ、家にも戻れないまま特別室へ。

何が起こっているのか分かりませんでした。

 

入院初日は着替えと共に届けてもらった宮部みゆきさんの小説を3冊読み、
「極楽極楽……たまにはこんな時間もいいよね」とのんびり過ごしていました。

 

でも、2日目の朝、ふと心の中に違和感が浮かびました。

「咳はあるけど、痰も熱も出ていない。これ、感染症じゃないかもしれない……」
そんな考えが浮かぶと、不安が次々と押し寄せました。

 

「これがもし、別の病気だったら……?」
「息子(高1)と娘(中1)に、まだ伝えていないこと・伝えたいことがたくさんあるのに……」

 

検査結果も出ていないのに、頭の中では最悪のシナリオがぐるぐる回り、眠れない夜を過ごしました。

 

入院3日目の夕方、主治医が言いました。
「検査の結果、感染症の菌は見つかりませんでした。隔離は解除です。退院していいですよ。」

 

「やった! じゃあ咳の原因は――?」
と聞く私に、先生は少し言葉を濁して、
「僕は呼吸器専門ではないので、○○医療センターを受診してください」と紹介状を渡しました。

その瞬間、なんとなく悟りました。


“先生は本当のことをまだ言っていない”。

 

退院はしたけれど家族には何も話せず、ただ「明日○○医療センター受診する」とだけ伝えました。「受診後の結果が出てから、ちゃんと説明しよう」と自分に言い聞かせました。
気持ちは整理できていなかったけれど、「まずは事実を知ること、受け止めること」から始めようと思いました。


 

🌸今、振り返って思うこと

あれから15年。
当時のことをこうして書きながら振り返ると、あの時の感情が昨日のことのようによみがえってきます。
不安、戸惑い、恐れ――でもそのすべての中に、“生きたい”という強い衝動が確かにありました。

 

カウンセリングを学んでいたにもかかわらず、あの時はセルフケアのことなどすっかり忘れ、自分の身に起こった出来事を受け入れるのに精一杯でした。


それでも、後になって気づいたのです。
あの混乱と向き合う過程こそが、“生命力”を呼び覚ます最初の一歩だったのだと。


 

あのとき、私の中で確かに何かが動き始めました。
それは「病気と闘う」というよりも、「自分の中の“生きる力”と再び出会う」感覚でした。

この経験をきっかけに、私は「生命力」という言葉の意味を深く考えるようになりました。


心と体のつながり、思考と感情の関係、そして“自分を生かす力”――。
これらを探究していく中で、「生命力カウンセリング」という形が生まれていきました。

 

次回は、診断を受けたその後の心の変化、そしてどのようにして“生命力”を取り戻していったのかについてお話ししたいと思います。

気づけば季節は秋。

ぼーっと過ごしていたわけでもありませんが、

なんともう、9月の末です💦

 

そしてなんと! 「肺腺癌の宣告」を受けてから、

丸15年が経ちました!! 7月に・・・💦

 

はじめの頃は「肺腺癌になって何ヶ月目・・・何年目・・・」と、月日を数え「大丈夫かな」「いくつまで生きられるかな・・・」と、自分の命の期限を気にしながら過ごしていました。

 

しかし5年を過ぎたころから「いつまで・・・」と考えなくなり、今に至っている気がします。

前にもまして「元気にパワフルに過ごしている私」を、家族が気遣う気配もなくなりました。

「年なんだから、無理するな~」という言葉はかけてくれますが・・・💦

 

とはいっても、たまに「念のための大きな検査」を受けたり

「風邪のような症状」が出たりすると「もしかしたら・・・」と

不安になる事もあります。

 

でも、一年のうち360日くらいは「キャンサーサバイ婆ー」

であることを忘れて過ごせています。

 

多分それは、私の中で

「医学的な治療の成果とカウンセリングの組み合わせで

『生命力は活性化できる』」と確信したからだと思います。

 

もしかしたら、ガンなどの難病になり大きく落胆したり、「生きることをあきらめなければ」と感じている人がおられるかもしれませんね。

 

そんな方の一つの参考にして頂けるよう、

「15年の病歴や人生64年の振り返りブログ」

をこれから書いていこうと思います。

 

時系列で書いていこうと思うので、読まれる方

お一人お一人のタイムリーな内容にはならないと思います。

 

「今これを知りたい!!」と思われることがあれば、

コメント欄やホームページ、ランディングページから

お問い合わせくだされば、お話しさせて頂きたいと思います。

 

これからの投稿予定

l   肺腺癌発覚から治療までの経緯

l   治療中に感じたこと・考えたこと

l   サバイバー生活で得た学びや心の変化

l   家族や周囲の支えについて

l   これからの目標やチャレンジ

 

 

など思い出しながら、少しずつ更新していく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。