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Ternod Official blog

哲学思想研究、文人画。 反緊縮行動(Anti-Austerity Action)〔生ー政治(Bio-politique)に抵抗する自律労働者(Autonomia Operaia)〕。 ブラック・ミュージックをこよなく愛す。レコード/CD店、古本屋、美術館などで出没することが多いです。

最近、ディスクール(言説、論説)の比重が多くなっています。

ブログでもそういう記事をアップしていますし、美大のデザイン科で学んだのち、批評活動をしていたことがあります。

その後、大学の人文系学科に入り直し、卒論は哲学で学位を得ています。大学院は講義単位をほとんど取った後、研究計画書とカネの問題で小休止していますが、やはり修士論文を書いて修了したいと思っています。

ゆえに、今年はディスクールの活動を増やしたいと思っています。

 

 

さて、今日のランチは炒飯とスープ餃子です。

炒飯は具がねぎと玉子だけの清蛋炒飯ですが、塩や白胡椒のほかに創味シャンタン、醤油、オイスターソースを加えていますので、コクがあります。

 

 

実はジャポニカ米でつくる炒飯は、私にとって最も苦手な料理で、とにかく神経を使います。

炒めている時はうまく出来たと思いましたが、食べる前に少し間を置いただけで、少しベタっとしてきます。

もっとも、中華料理店で出て来る炒飯も,似たようなものです。

ジャポニカ米でつくっている以上、仕方がないですね。

インディカ米でつくると簡単にパラパラに仕上がります。

 

あと、創味シャンタンやウェイパーを入れると、中華料理店の炒飯の味になります。

 

 

スープ餃子は、珉珉食品のチルドです。

具は白菜と長ねぎ,味付けは添付のスープです。

 

※本文と写真は関係ありません。

 

最近、ハリウッド映画界でプロデューサーによる女優に対するセクハラへの告発の声が上がり、「#Metoo」という動きが起きています。

 

それに対して、フランスで異なる動きがあることについて、『ハフィントンポスト日本版』に次の記事が掲載されて話題を呼んでいます。

 

カトリーヌ・ドヌーヴのセクハラ告発非難に物議

ドヌーヴは「男性への憎悪を掻き立てている」と訴えていました。

Marina Fang

 2018年01月10日 14時13分 JST | 更新 2018年01月10日 15時03分 JST

http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/09/catherine-deneuve-metoo_a_23329271/?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

 

この『ハフィントンポスト日本版』の記事に引用された書簡ですが、このように翻訳引用されています。

 

「「男性たちは制裁を受け、辞職を迫られている。彼らがやった悪事といえば、膝を触ったり、唇を奪ったり、仕事がらみの食事の場で性的関係を求めたり、好意を持っていない女性に性的なニュアンスのメッセージを送ったりといったことでしかない」と、書簡には書かれている」。

http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/09/catherine-deneuve-metoo_a_23329271/?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

 

すでに指摘している方がいますが、これは完全に誤訳です。

初級文法修了レベルのフランス語の語学力があれば、こんな読み間違いはしません。

フランス語の出来ない人が辞書を引きながら訳したか、あるいは意図的に間違った訳文にしたとしか思えません。

 

『ル・モンド』紙の記事の該当箇所は、このように書かれています。

 

「Cette justice expéditive a déjà ses victimes, des hommes sanctionnés dans l’exercice de leur métier, contraints à la démission, etc., alors qu’ils n’ont eu pour seul tort que d’avoir touché un genou, tenté de voler un baiser, parlé de choses « intimes » lors d’un dîner professionnel ou d’avoir envoyé des messages à connotation sexuelle à une femme chez qui l’attirance n’était pas réciproque.」

http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html#1BrpW3QvUsvpw7w2.99

 

私の方で、ざっと抄訳してみました。

「この一方的な迅速裁判は、すでに犠牲者を出しています。相手から魅力を持たれていなかったのに、その女性に性的な含意のあるメッセージを送ったり、仕事上の夕食の時に《私的な》ことを口にしたり、キスを試みたり、膝に触ったというだけの間違いを犯しただけで、職場で処分を受けたり、辞職を余儀なくさせられるなどした男性たちのことです」。

http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html#1BrpW3QvUsvpw7w2.99

 

ちなみに日本ではキスやボディタッチは性的な関係がある者同士で行われますが、欧米社会ではキスやボディタッチは日常的なコミュニケーションであることに留意して読むべきです。

 

また、はてなダイヤリーのブログに、匿名で全訳がアップされています。

 

[翻訳] ドヌーヴ「女性を口説く権利」 全訳

https://anond.hatelabo.jp/touch/20180111072916?mode=amp&__twitter_impression=true 

 

「このスピード審理は被害者を生んでいる。膝に触ったり、軽いキスをしようとしたり、仕事の打ち合わせの夕食の場で「私的」なことに触れたり、相手からは好かれていないのに性的なほのめかしをするメッセージを送ったりといった、それだけのあやまちで、職場で懲戒処分を受けたり、辞職を強いられたりなどした男性たちだ」。

 

日本語の訳し方の違いはありますが、文意はだいたい同じでしょう。

 

ただ、「l’attirance n’était pas réciproque」は「相手からは好かれていないのに」というよりは、「相手から魅力を持たれていなかったのに」という意味だろうと思います。

 

また、上記の『ル・モンド』紙の記事や、はてなダイヤリーでの匿名の翻訳記事には、ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されているバルトゥスの絵画《夢見るテレーズ(Therese Dreaming)》に対する撤去要求の署名運動が起きた事件ロマン・ポランスキーの回顧展に対する抗議行動ロンドンの地下鉄の駅に掲示されたエゴン・シーレのヌード画のポスターに修正が加えられたこと

 

「いかがわしい」バルテュス作品、展示に非難で署名9000人 NY

2017年12月6日 19:48

発信地:ニューヨーク/米国

http://www.afpbb.com/articles/-/3154396

 

パリでポランスキー監督の回顧展、性的暴力抗議の女性が乱入

2017年10月31日 / 13:16

https://jp.reuters.com/article/polanski-idJPKBN1D00DB

 

100年経っても「大胆すぎ」、シーレのヌード画ポスターに修正

2017年11月17日 14:06

発信地:ウィーン/オーストリア 

http://www.afpbb.com/articles/-/3151050

 

バルテュスの絵画《夢見るテレーズ(Therese Dreaming)》は、下着が見えている少女の絵に、ネコがミルクを舐めている姿が描かれていますが、これを性的な表象と受け取るのは、「まなざしの表象」または「Male Gaze」という文化表象による見方によるものです。

批評的実践としてはミルクを舐めるネコを性的なメタファーとみなす解釈は成立するでしょう。

だがそれは、エドゥアール・マネの《オランピア》の右端に描かれた黒猫を性的なメタファーというのと同じような意味で「性的」というべきでしょう。

そして、表象と実体には距離があり、混同すべきではありません。

 

また人物と作品にも距離があるとみるべきです。

たとえば永山則夫の小説は、彼が殺人犯であるという前提で読まなければならないのでしょうか?

あるいは石原慎太郎の小説は、のちに彼が政治家になり、東京都知事になったことをふまえて読むべきなのでしょうか?

 

ある芸術作品の制作者の人間性と、その人物が制作した作品を混同するのは、文化理解力の劣化現象でしかないと思います。

 

 

ジェンダー論について書いた論考を 『ハッピーキャンパス』にて公開しました。

 

以下の資料は、もともとは社会人学生として大学在学中だった2011年に、「ジェンダー社会学」の課題として執筆した小論文です。

一般的なジェンダー論とは異なり、哲学的な探究を含む独自の視点から書いたものとして、公開することにしました。 ぜひご一読いただければ幸いです。 

 

【以下、資料より】

「性別(セックス)は生物学的性差であるのに対し、ジェンダーとは社会的/文化的な性差である。かつてプラトンは『饗宴』の中で、男女とも「完全な身体」から分かれた相補的な存在という見方を呈示したが、アリストテレス以降、女性を「不完全な男性」とする見方が西欧の伝統となった。  近代以降も、フロイトの「去勢コンプレックス」のように、女性を「欠如した存在」とみなす見方は継承された。あるいはフランス近代文学を確立した…(つづく)」 

 

【続きをお読みになりたい方は、下記サイトへ】

 

「ジェンダーの社会学」

 http://www.happycampus.co.jp/docs/931873843025@hc18/132206/

 

※論文執筆で引用の際は、正当な学術引用の範囲でご利用ください。

執筆者名は輝野洪瑞、資料名は「ジェンダーの社会学」、そしてアドレス(http://www.happycampus.co.jp/docs/931873843025@hc18/132206/)を明記の上、カギカッコ等でくくって引用箇所が分かるようにしてください。

 

またジェンダー論についは、本ブログ2016-03-30 20:31:39 の投稿「母性神話とセクシュアリティ−バダンテールとルソーから−」(https://ameblo.jp/ternod/entry-12144883498.html)もあわせてお読みいただければ、と思います。

 

画像は京都国立博物館です。

 

数日前、2018年の文化庁予算案が大幅増額とのニュースが飛び込んできました。

 

 

2018年の文化庁予算案が大幅増額

2018年1月5日 6時0分

http://news.livedoor.com/article/detail/14116493/

 

文化予算の大幅増額については、長年にわたる悲願であり、それ自体はよい傾向だと思います。

次に、内閣官房と文化庁による特別チームの設置と文化経済戦略という動きは、文化芸術の活性化を国の施策に位置づけるということであり、国家の文化戦略という動きが日本の政府や政治の側から出て来たことは注目すべきことだと思います。

その内容の詳細については手放しで称賛しうるものというよりは、言いたいこともあります。

だが、過去には文化行政といえばハコモノ建設が中心であり、2000年代以降も伝統芸能とサブカルチャーに偏っていたことから比べれば、ソフトウェア重視で、かつ国家の文化戦略としての体裁を整えて来たとは思えます。

 

ここで、日本の文化予算が主要国の中でもきわめて小規模であることを示す国際比較を示したいと思います。

 

平成 24 年度 文化庁委託事業

諸外国の文化政策に関する調査研究 (平成 26 年度一部改訂)

諸外国の文化予算に関する調査報告書

(株式会社野村総合研究所発行、2015年)

http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/pdf/h24_hokoku_2.pdf

 

上記の調査報告書によれば。2015年の文化予算比較では、日本の文化予算は1,038億円で、フランスの4,640億円の4分の1にも満たないどころか、韓国、イギリス、ドイツ、アメリカ、中国よりも低い予算にとどまっています。

 

次に国家予算に占める文化予算の比率では、日本はわずか0.11%であり、韓国の0.99%、フランスの0.87%、そしてドイツ、中国、イギリスよりも低い比率となっています。

 

ここで、国家を代表する中央博物館の予算規模を、フランスと日本で比べてみます。

フランスのルーヴル美術館の予算規模は作品購入価格を除いて2001年度で約114億円、しかも作品購入費用に予算の枠が存在しません。

つまり、いくらでも使えるということです。

それに対して同年の東京国立博物館の予算総額は15億7354万円であり、作品購入費用がその内訳として4億6000万円と定められています(注1)

作品購入費用を除いた予算規模では、ルーヴル美術館114億円に対して東京国立博物館は11億1354万円と、なんと10分の1以下です。

 

明らかに日本は文化に対して軽視し、冷遇してきたかお分かりだろうと思います。

 

次に文化と国家戦略について述べたいと思います。

まず、フランスをはじめ主要国における文化予算の規模が大きい理由は、それが国家戦略であるからです。

たとえばフランス共和国が多額の文化予算を投じる理由は、美において世界の優位に立つという国家戦略によります。そして、その表象装置としてルーブル美術館とそこに収蔵された世界的な文化財や第一級の歴史的な芸術作品があります。

これだけでは抽象的に思えるかもしれませんが、このことは観光はもちろん、デザイン、ファッション、化粧品、建築など様々な文化産業がフランスの主要産業たりうることとも関わっています。

 

他方、アメリカ合衆国は、第二次大戦後、経済的にも政治的にも超大国となっていく中で、文化芸術においても世界のヘゲモニーを確立する戦略を取って来ました。

 

実は1960年代前半ごろまで、前衛芸術といえばパリを拠点に活動するピカソやジャコメッティであり、新しい流れとしてアンフォルメルなどが注目されていました。

だが現在では、戦後美術といえば、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニング、バーネット・ニューマンら「ニューヨーク・スクール」と呼ばれる一連の抽象画家ら、いわゆる抽象表現主義の作品が「正史」に位置づけられています。

 

そこにはヴォイス・オブ・アメリカをはじめアメリカが国家的な宣伝活動を行ったこと、美術評論家クレメント・グリーンバーグによる美術批評によって、抽象表現主義を西洋絵画の正統的継承者とすることに成功した経緯があります。

 

クレメント・グリーンバーグによる美術批評を簡単に要約すると、まず西洋絵画の歴史をスイスの美術史家ハインリッヒ・ヴェルフリンによるルネサンスからバロック絵画の対比のうち、線的(リニア)なものと絵画的(ペインタリー)なものとの対比を進歩史観的にとらえ、フランス近代絵画の歴史を平面性と筆触というメディウムを軸に絵画史を構成し、マティスやピカソを経たフランス近代絵画の後継に「ニューヨーク・スクール」と呼ばれる抽象表現主義の画家らの作品を擁護していくという批評です。

しかもグリーンバーグは、批評活動をはじめた当初はトロツキスト系の左翼であり、ファシズムとスターリニズムという全体主義に対する芸術の自律性を擁護して、大衆社会が生み出した全体主義により芸術はキッチュ(まがい物、通俗的な文化)によって凌駕されるという立場を取り、その後にニューディール・プロジェクトの中で画業をはじめた「ニューヨーク・スクール」の画家たちを擁護するようになった経緯があります(注2)

つまり、「芸術の自律性」の立場を取っていながら、芸術文化の国家戦略に組み込まれることになるわけです。

のちにグリーンバーグの批評はジョセフ・コスースをはじめとするコンセプチュアル・アーティストらによって非難されることとなりますが、それでもグリーンバーグの批評が遺した影響力の大きさは軽視できないでしょう。

 

話が脱線しましたが、ドイツはフランスに対するヨーロッパのヘゲモニーという意識がつねにあり、またドクメンタ展、ヨーゼフ・ヴォイス、クリスト、ハンス・ハーケといった、世界的にも知られる現代美術家に活動の場を提供してきました。

そして、現代美術におけるアメリカの「一強」に対抗してきました。

 

このように考えても、文化と国家戦略については不可分の関係にあり、そのことをいちがいに称賛したり、卑下したりするのはどちらも間違いです。

まずは、これまで政治や行政による文化芸術に対する見方が、目先の採算性に走りがちであった経緯があります。とくにネオリベラリズムや行政改革の動きの中で、公立美術館は指定管理者制度という方で実質的に民営化され、企画展示の入場者数による採算性ばかりが言われて来ました。そして作品の購入を止め、東京都現代美術館のようにイベント会場として使われるほどになった館まであったほどです。

また2009年に誕生した民主党政権は、「事業仕分け」によって様々な芸術文化に対する助成制度をはじめとする文化予算を削減し、芸術関係者の多くが民主党政権に期待するのをやめました。むしろ予算削減に反対する署名を拡散するなど、反対する運動を展開しました。

そうした文化緊縮的な動きを終わらせ、長期的な文化育成という視点に立った文化政策を要求して行く必要があります。

次に、文化芸術に対する援助が国家戦略として展開する中で、芸術の自律性と社会性といったものがどこまで可能であるかをきちんと追求していく必要があります。

 

(注1)岡部あおみ監修青木正弘他著『ミュゼオロジー実践編』(武蔵野美術大学出版局、2003年)参照。

(注2)クレメント・グリーンバーグ著・藤枝晃雄編訳『グリーンバーグ批評選集』(勁草書房、2005年)参照。

 

今夜は、昨日つくった肉包(豚まん)に焼売、花椒辣醤を乗せた豆腐、白菜のスープによる飲茶風の食事です。

 

ちなみに焼売は、黒豚焼売ではなく安いものにしたら、明らかに味が落ちます(笑)

味にコクがない。

チルド焼売も味に違いがありますね。

東京に行った際は、帰りの新幹線の中で崎陽軒のシウマイ弁当を食べますが、

崎陽軒のシウマイは干し貝柱を練り込んであり、冷えても十分美味しいです。

 

この画像は、所得の再分配を「パイの分け前」ということから、タルトを切っているところです。フランスのタルト・タタンです。

 

その上で、いきなり結論から言います。

政府の財政政策を規定した法律である財政法の第4条は改正すべきです。

 

財政法第4条には、こう書かれています。
「第四条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。」

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000034&openerCode=1#11

 

つまり、国による国債の発行は原則として禁止されており、公共事業や部分的な財源のみ例外的に認めているということです。

具体的には建設国債や復興債は認められていますが、教育予算、文化予算、社会保障財源を国債で賄うことは禁じられているということです。

それどころか、この条文は、本来は公債の発行そのものを否定しています。だが公共事業については、おそらくは戦災で都市やインフラが破壊されて焼け野原になり、戦後復興の必要性から特例として認めたというものでしょう。

つまり政府に対して緊縮財政を規定した条項というべきです。

 

この問題は、社会保障や教育、文化の「財源」に悪影響をもたらしています。

たとえば安倍政権下ではアベノミクスによって400兆円の国債が日銀によって買い支えられています。そしてアベノミクス第一の矢は金融緩和、第二の矢は財政出動ですが、その財政出動は公共事業であり、それも当初年度に支出された後は緊縮傾向となっています。

そして教育無償化の財源は消費税10%増税による「消費税の使途変更」でした。

アベノミクスで国債を大量に発行したのに、なぜ教育無償化の財源に緩和マネーを利用できないのかというと、この財政法の問題に行き当たります。

 

ヨーロッパ諸国では、福祉財源は公債の発行で賄って来た歴史があります。

税と社会保障の負担については、日本での負担も厳しいものがありますし、負担率は日本もヨーロッパ諸国とほとんど違いがないとの統計結果もあります。

それにもかかわらず、ヨーロッパ諸国では福祉国家で、日本が低福祉で教育予算も文化予算も先進国で最低レベルにあるのはなぜかといえば、この財政法の問題に行き当たります。

 

英国労働党のジェレミー・コービン党首は「反緊縮」政策として労働者福祉の拡大、鉄道の再国有化による公共事業の財源として、富裕増税に加えて「人民の量的緩和」を掲げています。

またフランスで新自由主義者マクロン政権に対して果敢にたたかっている急進左派「不服従のフランス(La France insoumise)」の代表で、2017年のフランス大統領選でも注目されたジャン=リュック・メランションさんは、フランスをはじめEU加盟国の公的債務を欧州中央銀行(ECB)が買い取るよう再交渉し、それによってインフレ目標を達成することを主張していました(※1)

 

では財政法第4条を改正して、教育、福祉、文化にも公債を財源として使えるようにしたい。

だが、それには以下の問題にぶつかります。

 

まずは日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』には、次のような記事が掲載されています。

 

公債発行を禁じた財政法の規定はなぜできたの?

2008年4月24日(木)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-24/ftp20080424faq12_01_0.html

 

日本共産党は財政法第4条を、戦前の戦時国債の反省にもとづくもので、日本国憲法の平和主義に照応するものとして擁護しています。

 

「この規定は、戦前、天皇制政府がおこなった無謀な侵略戦争が、膨大な戦時国債の発行があってはじめて可能であったという反省にもとづいて、財政法制定にさいして設けられたもので、憲法の前文および第9条の平和主義に照応するものです」。

 

そればかりか、赤字国債を「将来世代にツケをまわし大変な危機をまねく」という、財務省やマスコミと同じ見解を披露してもいます。

 

「赤字国債をふやすことが将来世代にツケをまわし大変な危機をまねくことはわかっていながら財界の要求にこたえて、“あとは野となれ山となれ式”に公共事業費、軍事費をふくれあがらせてきた政権政党の責任が改めて問われます」。

 

ヨーロッパ諸国の左派とは違い、日本では左派が自民党の公共事業や赤字国債の発行を「国の借金を増やす」と批判してきた経緯、そして社会保障政策を掲げながらも、その財源は国の歳出削減や、法人税の引き上げや富裕税しか言えない。つまり「縮小均衡分配」しか言えない事情はこの歴史性にもとづくもとであることが分かります。

これは共産党だけでなく、社民党、旧民主党系の各党、その他の左派全体に共通する問題だと思います。

 

『日本経済新聞』も、戦費調達のための国債発行という教訓にもとづいて出来たと、財政法第4条を擁護しています。

 

風化する財政法4条、戦前の教訓どこへ
2017/3/9 2:00

https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS07H13_Y7A300C1000000/

 

だが防衛費を公債で賄うことについては、もっと詳細な禁止規定を設ければ良いだけです。

そもそも左派やリベラル派で「赤字国債の発行は将来世代にツケを回して財政均衡が乱れて危機を招く」などと言っている人たちの何人が、財政法と戦時国債について理解しているのか疑問です。知っている人がいたとしても、ごくわずかでしょう。

むしろ、理由も分からずに「タブー」としてひとり歩きしているのが実情でしょう。

 

それに戦費調達を防止するために財政法第4条が必要だといういうなら、酒税法はどうでしょう?

酒税法は日露戦争の戦費調達を目的に制定されました。しかも個人の酒造も禁止して、農村でのどぶろく醸造などの文化を絶滅に追いやりました。

戦費調達の防止をいうのなら、酒税法を廃止して酒の値段を安くして、誰でも自由に酒を醸造できるようにすべきでしょう(笑)

 

私は、教育無償化の財源は、将来世代への投資は無形資産とする解釈で建設国債によってまかない、消費税10%増税は中止すべきです。その上で財政法第4条は改正すべきです。

 

そして繰り返しになりますが、

財政法第4条を擁護する人たちは、なぜ西欧諸国が福祉国家なのに日本が低福祉なのか(税負担率では西欧も日本も大きな違いはありません)、なぜ民主党政権はマニフェストを転換して失敗したのかを考えた方がよいでしょう(※2)

 

※1 フランスの日刊紙『ル・フィガロ』(2017年4月10日)に掲載された記事より。

Dette publique: Mélenchon fait le pari de l'inflation

Par Journaliste Figaro Guillaume Poingt

Publié le 10/04/2017 à 13:06

http://www.lefigaro.fr/conjoncture/2017/04/10/20002-20170410ARTFIG00145-dette-publique-melenchon-fait-le-pari-de-l-inflation.php?redirect_premium

 

※2 あるいは民主党の小沢マニフェストは、政策実現の財源は行財政改革と特別会計の積立金、「霞ヶ関埋蔵金」でした。そして、いざ政権を取ったら早々に行き詰まり、「事業仕分け」で文教予算や福祉予算まで削られ対立を生み出し、鳩山政権の退陣と菅直人政権によってすぐにマニフェストは撤回され消費税増税が打ち出されました。

そして民主党が人事同意をした日銀の白川総裁は、リーマンショック後の不況を引きずっていたにもかかわらず、金融緩和にはきわめて消極的で小出しの金融緩和しか行わず、デフレと不況が深刻化しました。

 

今日は、肉包(豚まん)をつくりました。

パンを焼いたことはありませんが、豚まんや花巻は何度かつくったことがあります。

 

予定では、手持ちの材料だけで花巻をつくろうと思っていました。

だが、ドライイーストが予備醗酵をせず困ったことに……。

ドライイーストの箱を見ると、賞味期限が半年前で切れていました。

そのため、雨の中外出をして、慌ててをイーストを買って来ました。

 

ついでに豚ひき肉など豚まんの材料も買って来ました。

 

新しいドライイーストで予備醗酵をしましたが、それでも醗酵に時間がかかります。

部屋の温度を見たら、なんと10℃でした。

やはり冬は、難しいですね。

 

 

なんとかイーストの予備醗酵に成功して、小麦粉を練ってまとめたところです。

 

 

こねた粉の一次醗酵は、最初はストーブに近いので、ネットに繋いでいるMacの隣に置いていました。

だがレシピサイトを見て、一次醗酵は、鍋にぬるま湯を張って蒸し器を置いて、その上にこねた粉を入れたボウルを置きました。

この方が確実なようです。

 

 

一次醗酵でセットした蒸し器でそのまま蒸しています。

豚まんの底に敷くものは、竹の皮や薄い木の板、グラシン紙などは手に入らないので、アルミホイルを小さく切って使っています。

アルミホイルだと、蒸し上がって食べる時にきれいに剥がれるので楽です。

 

 

蒸し上がりました。

手作りで、しかも蒸し上がったばかり。

美味いです。 

 

具は、鹿児島県産茶美豚の豚ひき肉、ゆで卵、玉ねぎみじん切り、生姜のみじん切り、辛子高菜です。

味付けは塩、黒胡椒、五香粉、創味シャンタン、醤油、オイスターソースです。

 

ちなみに上の画像の豚まんは、皮が小さくてゆで卵が入らなかったものです。

これを試食しました。

 

豚ひき肉のコク、玉ねぎの甘味、辛子高菜のピリ辛で乳酸の酸味の効いた味、そこへ創味シャンタンとオイスターソースの旨味が重なった、独特の味になりました。

 

ちなみに豚まんの大きさは、老祥記の豚まんと同じくらいの小振りなものです。

 

 

黒豚焼売、白菜のスープとともに食べました。

花椒辣醤を添えた醤油は、黒豚焼売のためのものです。

豚まんは、しっかり味付けをしてありますので、そのまま食べられます。

 

 

本日のブランチは、京風お揚げさんでつくったカレー丼です。

野菜は青ねぎ、たまねぎ、白菜と、昨夜の厚揚げ丼と同じです。

片栗粉でとろみをつけたので、ちょっと熱かったですが、身体も暖まりました。

 

 

今夜は厚揚げ丼です。

むかし京都で湯豆腐を食べた時に付いて来た丼物が厚揚げ丼で、その味を再現しています。

野菜は長ねぎ、玉ねぎ、白菜で、味付けは白だしと塩が基本ですが、香り付けに醤油とみりんを色が変わらない程度に入れています。

 

右上にあるのは、総菜のひじき煮です。

 

厚揚げ丼は、味見をした時には味加減がいい塩梅でしたが、食べすすむにつれて味が薄くなってきました。

ただしみそ汁とひじき煮はともに味付けがやや濃いめなので、バランスは取れていたと思います(笑)

 

 

昨日、地元のコープ神戸にて、無添加ベーコンが安かったので買っておきました。

そして今夜は、キャベツとベーコンのスパゲティです。

 

材料はニンニク、玉ねぎ、ベーコン、キャベツで、炒めながら白ワインと塩、黒胡椒、アンチョビ代わりのナムプラーで味付けをして、パルメザンチーズとホットソースを加えたところに、ゆで上がったスパゲティをからめて水分を飛ばして出来上がりです。

 

シンプルな味だけに、火加減や調味の塩梅が問われて来ます。

もちろん、美味しかったですよ。