日本の文化政策と国家戦略について思うこと | Ternod Official blog

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哲学思想研究、文人画。 反緊縮行動(Anti-Austerity Action)〔生ー政治(Bio-politique)に抵抗する自律労働者(Autonomia Operaia)〕。 ブラック・ミュージックをこよなく愛す。レコード/CD店、古本屋、美術館などで出没することが多いです。

 

画像は京都国立博物館です。

 

数日前、2018年の文化庁予算案が大幅増額とのニュースが飛び込んできました。

 

 

2018年の文化庁予算案が大幅増額

2018年1月5日 6時0分

http://news.livedoor.com/article/detail/14116493/

 

文化予算の大幅増額については、長年にわたる悲願であり、それ自体はよい傾向だと思います。

次に、内閣官房と文化庁による特別チームの設置と文化経済戦略という動きは、文化芸術の活性化を国の施策に位置づけるということであり、国家の文化戦略という動きが日本の政府や政治の側から出て来たことは注目すべきことだと思います。

その内容の詳細については手放しで称賛しうるものというよりは、言いたいこともあります。

だが、過去には文化行政といえばハコモノ建設が中心であり、2000年代以降も伝統芸能とサブカルチャーに偏っていたことから比べれば、ソフトウェア重視で、かつ国家の文化戦略としての体裁を整えて来たとは思えます。

 

ここで、日本の文化予算が主要国の中でもきわめて小規模であることを示す国際比較を示したいと思います。

 

平成 24 年度 文化庁委託事業

諸外国の文化政策に関する調査研究 (平成 26 年度一部改訂)

諸外国の文化予算に関する調査報告書

(株式会社野村総合研究所発行、2015年)

http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/pdf/h24_hokoku_2.pdf

 

上記の調査報告書によれば。2015年の文化予算比較では、日本の文化予算は1,038億円で、フランスの4,640億円の4分の1にも満たないどころか、韓国、イギリス、ドイツ、アメリカ、中国よりも低い予算にとどまっています。

 

次に国家予算に占める文化予算の比率では、日本はわずか0.11%であり、韓国の0.99%、フランスの0.87%、そしてドイツ、中国、イギリスよりも低い比率となっています。

 

ここで、国家を代表する中央博物館の予算規模を、フランスと日本で比べてみます。

フランスのルーヴル美術館の予算規模は作品購入価格を除いて2001年度で約114億円、しかも作品購入費用に予算の枠が存在しません。

つまり、いくらでも使えるということです。

それに対して同年の東京国立博物館の予算総額は15億7354万円であり、作品購入費用がその内訳として4億6000万円と定められています(注1)

作品購入費用を除いた予算規模では、ルーヴル美術館114億円に対して東京国立博物館は11億1354万円と、なんと10分の1以下です。

 

明らかに日本は文化に対して軽視し、冷遇してきたかお分かりだろうと思います。

 

次に文化と国家戦略について述べたいと思います。

まず、フランスをはじめ主要国における文化予算の規模が大きい理由は、それが国家戦略であるからです。

たとえばフランス共和国が多額の文化予算を投じる理由は、美において世界の優位に立つという国家戦略によります。そして、その表象装置としてルーブル美術館とそこに収蔵された世界的な文化財や第一級の歴史的な芸術作品があります。

これだけでは抽象的に思えるかもしれませんが、このことは観光はもちろん、デザイン、ファッション、化粧品、建築など様々な文化産業がフランスの主要産業たりうることとも関わっています。

 

他方、アメリカ合衆国は、第二次大戦後、経済的にも政治的にも超大国となっていく中で、文化芸術においても世界のヘゲモニーを確立する戦略を取って来ました。

 

実は1960年代前半ごろまで、前衛芸術といえばパリを拠点に活動するピカソやジャコメッティであり、新しい流れとしてアンフォルメルなどが注目されていました。

だが現在では、戦後美術といえば、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニング、バーネット・ニューマンら「ニューヨーク・スクール」と呼ばれる一連の抽象画家ら、いわゆる抽象表現主義の作品が「正史」に位置づけられています。

 

そこにはヴォイス・オブ・アメリカをはじめアメリカが国家的な宣伝活動を行ったこと、美術評論家クレメント・グリーンバーグによる美術批評によって、抽象表現主義を西洋絵画の正統的継承者とすることに成功した経緯があります。

 

クレメント・グリーンバーグによる美術批評を簡単に要約すると、まず西洋絵画の歴史をスイスの美術史家ハインリッヒ・ヴェルフリンによるルネサンスからバロック絵画の対比のうち、線的(リニア)なものと絵画的(ペインタリー)なものとの対比を進歩史観的にとらえ、フランス近代絵画の歴史を平面性と筆触というメディウムを軸に絵画史を構成し、マティスやピカソを経たフランス近代絵画の後継に「ニューヨーク・スクール」と呼ばれる抽象表現主義の画家らの作品を擁護していくという批評です。

しかもグリーンバーグは、批評活動をはじめた当初はトロツキスト系の左翼であり、ファシズムとスターリニズムという全体主義に対する芸術の自律性を擁護して、大衆社会が生み出した全体主義により芸術はキッチュ(まがい物、通俗的な文化)によって凌駕されるという立場を取り、その後にニューディール・プロジェクトの中で画業をはじめた「ニューヨーク・スクール」の画家たちを擁護するようになった経緯があります(注2)

つまり、「芸術の自律性」の立場を取っていながら、芸術文化の国家戦略に組み込まれることになるわけです。

のちにグリーンバーグの批評はジョセフ・コスースをはじめとするコンセプチュアル・アーティストらによって非難されることとなりますが、それでもグリーンバーグの批評が遺した影響力の大きさは軽視できないでしょう。

 

話が脱線しましたが、ドイツはフランスに対するヨーロッパのヘゲモニーという意識がつねにあり、またドクメンタ展、ヨーゼフ・ヴォイス、クリスト、ハンス・ハーケといった、世界的にも知られる現代美術家に活動の場を提供してきました。

そして、現代美術におけるアメリカの「一強」に対抗してきました。

 

このように考えても、文化と国家戦略については不可分の関係にあり、そのことをいちがいに称賛したり、卑下したりするのはどちらも間違いです。

まずは、これまで政治や行政による文化芸術に対する見方が、目先の採算性に走りがちであった経緯があります。とくにネオリベラリズムや行政改革の動きの中で、公立美術館は指定管理者制度という方で実質的に民営化され、企画展示の入場者数による採算性ばかりが言われて来ました。そして作品の購入を止め、東京都現代美術館のようにイベント会場として使われるほどになった館まであったほどです。

また2009年に誕生した民主党政権は、「事業仕分け」によって様々な芸術文化に対する助成制度をはじめとする文化予算を削減し、芸術関係者の多くが民主党政権に期待するのをやめました。むしろ予算削減に反対する署名を拡散するなど、反対する運動を展開しました。

そうした文化緊縮的な動きを終わらせ、長期的な文化育成という視点に立った文化政策を要求して行く必要があります。

次に、文化芸術に対する援助が国家戦略として展開する中で、芸術の自律性と社会性といったものがどこまで可能であるかをきちんと追求していく必要があります。

 

(注1)岡部あおみ監修青木正弘他著『ミュゼオロジー実践編』(武蔵野美術大学出版局、2003年)参照。

(注2)クレメント・グリーンバーグ著・藤枝晃雄編訳『グリーンバーグ批評選集』(勁草書房、2005年)参照。