『花のかたち 日本人と桜』は万葉学の大家・中西進先生が、古代から近代まで連綿とつらなってきた日本人と桜の密接なかかわりを文学方面から語った上下二冊の本である。今は本を整理しているさいちゅうで、上巻の【古代】編は部屋のどこか片隅に眠っているので、今回は下巻の【近代】だけを紹介してみたい。花のかたち、と題されてはいるものの、この花は桜だけをさす。
まず、この書物の先駆けとして登場するのは『明星』派の重要な閨秀歌人・山川登美子。
後生(ごせ)は猶今生(こんじょう)だにも願はざるわがふところにさくら来てちる
後生といい、今生といい、この歌には、生と死のイメージが濃厚に立ち込めている。中西氏の説明によると、
─桜は危険である。ある面から言えば、豪奢な美を尽くす奔放な生き方へのそそのかしのように見える。
また、
─これは明らかに諦念を強いるものとしての落花である。奔放の生を願いながら、なお諦念をさそいつつ落花がふところに入ってくるのである。
こんな艶めいた歌もある。
木屋町は火かげ祇園は花のかげ小雨に暮るゝ京やはらかき
木屋町や祇園という地名を耳にしただけで、我々日本人はたちまち艶っぽく情趣に満ちたイメージを呼び起こされる。昔日本人は歌によって《國誉め》をおこなった。地名はただの名前以上の力を持つ。それは海外においても違わないだろう。この歌には喜びが認められるが、それも長くは続かなかった。
やがて登美子は病を得た。
静かなる胸や花みぬさびしさにものおぢ巣くむ小鳥にも似る
─桜を見ると寂寥にせめられ、見ないと小鳥はように巣ごもる体を、登美子はもった。安らぎも痛みも与えるものが桜だったらしい。
─登美子はもう体が桜と一体化してしまったから、花を離れては生きがたい。
─(山川登美子には)死をめぐる歌うたにも秀歌が多く、それらにとり囲まれて、桜の歌が存在するのである。