『エリック・サティ 覚え書』 秋山邦晴

その7



【右と左に見たもの(眼鏡なしで)の思想】

自身の楽曲に奇妙な題名をつけるサティであったから、当時の急進的な芸術運動・ダダやシュールレアリスムと精神的に通低していくのは自然の流れであった。著者は言う。

─アンリ・ベアールは『ダダ・シュールレアリスム演劇史』のなかで、サティ自身が台本を書き、音楽も作曲した演劇的な小品、一幕九場のこの音楽喜劇《メドゥーサの罠》を「ダダ運動に数年間先だって、サティはダダの根本的テーマのひとつを掲げている。それは言語の告発である」とのべて評価し、この本のなかで一章をあてて詳細に紹介している。

ただし、サティとダダ・シュールレアリスム運動とは、いつも折り合いがよかったわけではない。

─ダダの詩人リブモン=デセーニュは「音楽はダダイストのためには存在しないもののように考えられていた」という。

─リブモン=デセーニュによれば、「アンドレ・ブルトンも音楽については、いつも最も容赦のない軽蔑を感じていたようだ」という。ことに、サティの音楽は、ブルトンやアラゴンといったパリ・ダダの連中からは、かなりひどい評価を受けていた。




要するにダダ・シュールレアリスムの運動を主導する連中は、音楽には冷淡だったということらしく、秋山邦晴氏は、かれ(アンドレ・ブルトン)は「あらゆる音楽を嫌悪していた」という、作曲家のプーランクの証言を引用している。