『エリック・サティ 覚え書き』秋山邦晴

その5

【音楽のなかの言葉】


サティは一時期「バラ十字教団」に入っていたが、ペラダンの専横に我慢がならず、すぐに脱会した。それでもペラダンには依然として敬意を抱いていたようだ。

─サティによれば「宗教が大衆に語りかけるための芸術となるように、芸術もまた少数の人間に語りかける宗教とならねばならぬという。これはペラダンがつねに語っていたことでもあった。

と秋山氏は言う。

また、
─午後一時を十三時などと、合理的な精神や便宜主義で“時間 “ をとらえようとする現代人の習慣。サティ自身は、この表示につねにいらだっていたという。

これはサティの気質や考えを知るうえでなかなか面白い逸話。

─サティの音楽の構造は、初期から晩年にいたるまで、一貫して非機能和声的な構造である。              
─音楽は音だけで存在するのではない。ことばをくわえることもできる。そしてことばをくわえることで、音楽の知らなかった世界の力をうみだすことが可能なことがある。そのことをひとり静かにこころみ、楽しんでいたのがサティではなかったろうか。

─サティ自身は、ルイス・キャロルとアンデルセンというこのふたりの作家を愛好し、愛読していたらしい。

アンデルセンはともかく、ルイス・キャロルの遊び心に富んだナンセンスの世界と、サティがつけた不可思議な曲名とは、確かに平仄があっている。