『エリック・サティ覚え書き』秋山邦晴

その3


【音楽のなかの言葉】

─作品に題名をつけようとするとき、誰もが詩人になる。こういったのは、たしかジュール・ルナールではなかったろうか。いや、もしかしたら、ほかの詩人だったかもしれない。
エリック・サティの風変わりな曲名をみるとき、ぼくはこのことばを思い出さずにはいられない。

─音楽作品における標題は、作曲家にとっては必ずしも本源的な重要性をもっているとはかぎらない。たんに作品一番と作品十二番との違いを示すだけの役割で名称をつける場合もある。しかし、いったんその標題がつけられると、第三者あるいは聴衆には、その作品と標題のあいだにある種の意味作用の電流が流れだして変貌していくのが感じられる。だいぶぶんの作品は、そういったふたつの要素の不思議な結合として、ぼくらに提示される。だからこそ、作曲家もまた、標題をつけるときには、詩人とならざるをえないわけである。
ことに、このことが音楽の世界で重要性をもつようになったのはドビュッシーをはじめとする印象主義の音楽からだった。

として、秋山邦晴氏は、ドビュッシーの曲名を出す。《音と香りは夕べの大気のなかを漂う》《西風のみたもの》《そして月は廃寺にかかる》《葉ずえを渡る鐘の音》《月の光がふりそそぐテラス》
これらはまた、なんともサティの書いた曲の標題と対照的であろう。
そして、秋山氏はサティの《梨の形をした3つの小品》という曲名が出来た、有名なエピソードを紹介する。

─1903年(サティ37歳)のころ、彼はしばしばドビュッシーの家を訪れては昼食や晩飯をご馳走になったり、ピアノを弾かせてもらったりしていた。
そんなある日のことだった。ドビュッシーはサティに向かって忠告した。「きみは、もうすこしフォルムの感覚をもつべきじゃないかね……。」
それを微笑を浮かべながら黙ってきいていたサティは、しばらくたったある日、ドビュッシーのところへ新曲をもって現れた。それがこの《梨の形をした3つの小品》であったという。

ただし、この逸話が事実かどうかはわからないらしい。サティは後に語っている。
「……いや、あの曲名はだね、ともかく、あのような曲名をつければ、誰だってこの曲にフォルムがないとは言わないだろうと思ったからなんだよ……」

さらにこの曲は《3つの小品》といいながら、じつは7曲から成り立っているというオチまでついている。

─詩人コクトーによれば、サティのこうした突飛な曲名は「崇高さというものに征服されてしまっているひとびとから、かれの作品を保護する」役割をもっているという。そのいっぽうでは「気取った曲名を濫用したドビュッシーという存在」への批判であり、ユーモアによる皮肉な悪戯だという。