おすすめの本・3 検証「食品」の闇
おすすめの本・2
リヨン社 小藪浩二郎著 検証「食品」の闇 -初めて明かされる食品添加物の真実―
1300円+税
合成着色料、合成保存料などの問題点に触れた本は多いが、この本は、検査や表示の盲点が書かれているのが特色である。
例1 合成デンプン
デンプンなんてのは化学式が決まった1種類のものだと思い込んでいたが、天然のデンプンに化学反応を加えていろいろなデンプンを作っているのである。
ブドウ糖がたくさんつながったものに、他の化合物が結びつく場所が3通りあり、何種類ものデンプンができる。よく使われるのが主に11種類。表示義務もない。
例2 添加物自体の安全検査は割と厳しいが・・・・
添加物の安全審査はかなり厳しいらしい。
が、添加物を合成する過程で、他の化合物もいろいろできるのに、こちらが審査されていない。また、添加物と食品が合わさって何かが合成されたり、調理過程で別の化合物ができる可能性があるのに、こちらは審査されていない。
水道水と塩素から発がん性のトリハロメタンができることがあるが、これと同じように、添加物そのものが安全でも、それが食品や調理法の影響で新たな物質を生む可能性がある。
例3 表示の盲点
いろいろな添加物をひっくるめて「乳化剤」「香料」「軟化剤」などとして数を少なく見せかける。このような一括表示が14種類も認められているのが問題。
他に、「タンパク加水分解物」「トランス脂肪酸」の話など。
ついでに化学の勉強にもなる。おすすめ。読みやすい。
オタクのコーナー
ゼウスという名前のプロレスラーが、自分の胸にフライパンを押し当て、フライパンをつぶしてしまうというデモンストレーションをやっている。
私もやってみた。
あれ?これ、多分私にもできるぞ。
「多分」とあいまいな書き方をしたのはなぜか。
やってみたら、あまり力を入れないうちに割とすぐフライパンが曲がり始め、「これ以上
やったらフライパンがつかえなくなってもったいない」と思ってやめてしまった。
というわけで最後まではつぶさなかったが、感触では98%の自信で、私でもできる。
売国奴宣言 日本人選手よどんどん減点されてしまえ
北京オリンピック柔道男子100キロ級で初戦敗退となった鈴木桂治(28)が18日、自身のブログにて現..........≪続きを読む≫
日本国内の柔道を見ていると格闘家として腹が立つ。
ものすごく広い試合場でも返し技を恐れてすぐ場外ギリギリのところへ行き、返しようがないくらいのバカみたいに低い背負い投げをやっては、失敗したら場外に逃げる。
柔道の本を読むと、最初の方には、「柔道は強くなることが目的ではなく、修練によって心身を鍛えることを目的とし・・」とか偉そうに書いているが、上記のようなやり方からは武道家精神もスポーツマンシップも感じない。結局試合に勝つためのせこいテクニックしか感じない。
組み手争いも醜いばかり。
こんなやり方に慣れた日本の選手なんぞ、消極的行為でどんどん減点されるが良い。
裁判所は憲法判断から逃げるな+爆乳・京娘
はじめに、こんなことを考えてほしい。
わが子がいじめられている。いじめの首謀者は、一流校への進学が期待されている優秀な生徒である。
「ここで学校側に訴えても、学校側は加害者の一流校への進学に期待し、また、学校の体面のためもあって、‘調べたけれどわが校にいじめはありませんでした‘と言うだろうから、そんな判断をされてしまうくらいなら、判断をしないで良い」と考えるだろうか。
これが今回に関係あるテーマである。
裁判所はすぐに憲法に関する判断を避ける。逃げる。
「逃げずにちゃんと判断しろ」というのが私の意見だ。
平和陣営=ハト派陣営=左翼陣営は、憲法9条の問題について裁判所が阿部四郎レフェリー並に反則をとらないことに怒っていて私の考えに大賛成か・・・というとそうではない。
大体は次の意見である。
「今のところ、最高裁判所は、自衛隊や安保の問題について、違憲だとも言わないが、合憲だとも言っていない。逃げずに憲法判断をしろ、ということになったら、今度は合憲判断をされてしまうだろう」
こうして左翼からも仲間外れにされる私である。
塩浜から反論
裁判所が判断を避ければ、結局現状が続くのである。実質、合憲判決と同じではないか。
プロレスにたとえればこうだ。
あなたが、悪党レスラーと戦っており、レフェリーも悪党レスラーの味方ばかりしている。
で、悪党レスラーが凶器を出したとき、あなたは「レフェリー、あいつが凶器を持って反則しているぞ」と抗議しないだろうか。当然するだろう。
「ここで抗議をしても、どうせレフェリーは向こうをひいきしているから、凶器なんか持っていない、と判断するだろう。その判断を確定されてしまうくらいなら、抗議しないほうがマシだ」
合憲判決を恐れて判断を避けるのもやむなしとするのは、これと同じようにおかしい。
レフェリーが判断しなければ、相手の反則攻撃は続くのである。
確かに現状では、裁判所、特に最高裁判所は、体制側に都合の良い判決をすることが多い。だからと言って、「ならば判断をしない方がマシ」とはどういうことか。判断を避けるのは、結局現状が続くからこちらの負けと実質的には同じし、もしかしたら意外や、こちらが勝つかも知れないではないか。
アントニオ猪木ならばこう言って、ビンタをするところだ。
「やる前から負けること言う奴がどこにいる!出て行け」
「高度に政治的なことについては憲法判断しません」という理論を「統治行為論」という。
この理論を道いて憲法違反かも知れないことについて裁判所が見て見ぬふりをすることがある。このことの悪口を言いつづけてきた。
この理論を支える理由の1つとして、「裁判官は法律の専門家かも知れないが、政治の専門家ではない。だから、あまりドロドロした政治上の争いに巻き込まれないよう、統治行為論もやむなし」というものがある。
私から反論。
「これは高度な政治性を持つから黙っていよう」ということこそ、もっとも政治的な判断ではないか。矛盾もいいところだ。
たとえば、「自衛隊は憲法違反です」と言ったら、政治的には相当な混乱が起きるだろう。
しかし、「じゃあ、国家の防衛はどうするんだ」と言われようが、「自衛隊員の今後の生活はどうしてくれる」と言われようが、「そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ」と言い、「とにかく憲法9条を純粋に法律的に解釈したまでです。うちは法律の専門家ですから。後のことは政治家の仕事なのでそちらによろしく」というのが、「政治的判断」を入れない、法律の専門家としての態度ではないのか。
「高度な政治性があるので判断しません」と言っている時点で、実はものすごく政治的影響を考えているのではないか。
プロレスで言えば、片方のレスラーが凶器か何か持ち出して反則をやっているようなのである。ここでレフェリーが「判断しません」というのは、結局その反則に加担しているようなものなのである。
なお、レフェリーを変えたほうが良いという問題はもちろんある。
裁判官の人事の問題についても是非書きたい。
オタクのコーナー
「神さまあず」という番組に35人のアイドルが出てきたが、なんと、この私が、1人しか名前がわからなかった。最近忙しくてあまりイベントに行かなくっているうちに、大分入れ替わってしまったのだろうか。浦島太郎の心境である。
白い水着に帽子をかぶっていたのが、「爆乳・京娘」立花かんなさんであることだけはわかった。
もう1人の爆乳・京娘=崎田まやさんもよろしく。
原発をなくそう
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利きすぎる冷房を控えめにして、危険な原子力発電を無くそう。
「原子力発電に反対する人は原始時代に戻れというのか」などと極論を言う人がいるが、夏のピーク時の電力消費を少し落とせば、原発は要らなくなるのである。
以下、過去のブログの再放送。
さて、環境と言えば、原子力発電。
第1に事故が起きると危険。その害たるや、火力発電の比ではない。
第2に、廃棄物の処理方法が確立されていない。本格的な処理方法が確立されるまで地下深く埋めればいつか何とかなるだろうという、無責任な話である。
1・2に鑑みて、原子力発電が二酸化炭素を出さないので「環境に優しい」なんてのはとんでもない話である。
さて、一般中立の市民は「原発が絶対に安全だなんて思わないが、これがなくなると今の水準の暮らしを維持できないのだろう」と思っているだろう。
原発による電力「供給」は4割。これを「需要」の4割と勘違いしている人が多い。原発がなくなったら、使える電気が4割減ると誤解しているのだ。
発電はガスの弱火強火みたいな調整がしづらいのが特色で1番電気が必要な真夏の昼間に合わせている。ほかのときには原発なしでも余裕で余っている。通常は原発なしでの供給量でさえ、需要量をはるかに上回っているのだ。
はい、これ重要。知らなかった人は覚えておこう。
原発が必要とされているのは、真夏の昼間のピークのためだけなのである。これだけのために危険なものをつくり膨大な努力をし、時に被害を出しているのだ。
電力会社側の資料が正しいとして、真夏のピークの需要をほんのちょっと減らせば、原発などという危険なものは不要になる。寒すぎる冷房、異常に乱立する自動販売機、ちょっと減らすことはいくらでもできそうだ。
それだけではない。実は、ピーク時ですら、原発は要らないのではないか、と思われる。
2003年、東京電力が暑い時期に点検のため原発を17基止めた。覚えている人もいるだろう。停電になりましたか、生活が不便になりましたか。
「原子力発電反対派なんて、無責任に感情だけあおりやがって、原発なくして原始時代に戻れというのか」という人がいますが、感情だけあおっている のはそっちだろが。原発をなくしても、原始時代には戻らない。冷蔵庫も止まらない。ピーク時の電力を、みんなで協力してちょっと減らせば、危険な原発をな くすことができるのである。
オタクのコーナー
今売られているプレイボーイ誌の安めぐみさんのグラビアが萌えー。
8月19日は大好きなアイドル、崎田まや様の誕生日。
原発についての過去の日記
環境を守ろう15・原発2(番号どこかでずれた)
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環境を守ろう16・原発3
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環境を守ろう17・原発4
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環境を守ろう18・原発5
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環境を守ろう・19・熱源と電気
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塩浜の紙上講演会・6+撮影会終了
塩浜の紙上講演会・5
皆さん、本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。
塩浜党の党首、アトラス塩浜です。
私は、政治について、運転手を変えるシステムに加えて、一定の署名が集まった場合には直接ブレーキを踏むシステムを作るべきだということを主張しています。
これについて今回は皆さんからよく寄せられる質問にお答えしましょう。
1.国民が政策に対して直接投票をする制度では、国民の知識や関心の低さを考えると危険ではないでしょうか。
これについては、第3回講演で詳しく述べました。↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=877489525&owner_id=2663509
「国民が政策を選ぶ力はない。だから議員に任せろ」と言うのが私への主要な反論なのですが、その議員を選ぶのは、国民なのですよ。
国民は「良い政策を選ぶ」ことはできないのに、選挙の時だけ突如賢くなって、「良い政策を公約し、しかもそれを実行してくれる議員」を選ぶ力だけはあるというのでしょうか。
それに、直接投票というのは、いきなり抜き打ちテストみたいに行われるわけではありません。他人と相談しても良いのです。
現在の間接民主主義、選挙の時にも、「人を選ぶ」ことは必要なのです。「人を選ぶ」力があるならば、よく人と相談して決めれば良いのです。「人を選ぶ」力も「政策を選ぶ」力もないのならば、直接民主主義でも間接民主主義でもどっちみちだめですから同じことです。
民主主義の中では、「良い政策を選びしかもそれを実行できる人」を選ぶ、しかも「複数の争点を1票で決める」という間接民主主義よりも、「良い政策を選べば良い」直接民主主義の方がよほど簡単です。
国民が知識も関心もないというならば、ますます直接民主主義を取り入れた方が安心です。
2.それならば民主主義以外の手段ではどうでしょうか
「直接でも間接でも民主主義は衆愚政治に陥るからだめ」などと言う人がいます。プラトンは、すぐれた哲人に任せる方が良いと言っていますが、その哲人を誰がどうやって選ぶのですか。
くじびきで神に聞くのですか、武力で支配した者に任せるのですか、テストをして決めるならば、そのテスト問題や基準を決める人は誰ですか。
結局これは何も言っていないのと同じです。
結局こうして考えると民主主義しか考えられません。
それでも哲人政治にあこがれる人、ぜひ私に5年間くらい独裁権限を与えてください。5年後不満があったら、みんなで投票して、結果が悪かったら死刑ということでどうでしょう。
このような「期間限定委任独裁+結果が悪ければ死刑」という案を民主主義の代替案として一応掲げておきます。私は死刑にされても良いので、ぜひやってみたいです。皆さんを幸せにしてみせます。
ただし、現実にはもっとひどい人が選ばれると思いますので、こんな制度よりも民主主義をすすめます。
3.国民はメディア報道などで誘導されて危険なのではないでしょうか。
直接民主主義にも短所はいろいろあります。
しかし、直接民主主義の短所は、間接民主主義ではカバーできないのです。いや、関節民主主義ではもっと被害が拡大します。だから私の言うシステムの方が現状よりずっと良いのです。
間接民主主義というか、現状の制度でも、メディア報道による誘導の危険性はあります。
2005年9月11日の選挙にあたって、いわゆる刺客騒ぎはどうですか。
野田聖子さんと佐藤ゆかりさんの「女の戦い」や、亀井静香さん対ホリエモンの戦いは、政治に疎い私の母親でも知っていました。
では、この2つの選挙区にいた民主党の候補者の名前はご存知ですか?
よほどのマニアでなければわからないでしょう。腐っても民主党と言えば2番目に大きな政党です。この候補をろくに報道せず、自民対元自民の対決ばかり報道していたのです。
いくら頼りなくても下手糞でも、東京全25選挙区の中で菅直人さん以外民主党候補が全滅って、報道がまともならありえないことです。
別に民主党の肩ばかり持つわけではありません。2007年の参議院選挙で、赤城農林水産大臣のバンソウコウばかり、あんなに何度も何度も映さなくても良いでしょう。
自民党と民主党が接戦だった地域なんか、赤城大臣のバンソウコウがあんなに何度も映らなければ、6,7人自民党の当選者が増えたと思いますよ。
ということで、メディアの誘導に気をつけないといけないのはどちらの制度でも同じです。
で、間違っちゃったとしましょう。
直接投票で間違っても、1つの政策だけの問題です。
しかし、選挙で間違っておかしな議員を選んだり、おかしな政党に政権を持たせると、次の選挙までたくさんの政策でひどい目に遭うのです。
たとえれば、直接投票というのは、食べ物など商品を1つ1つ選ぶ仕組みです。たまには間違って損な買い物もするでしょう。
が、現状の間接民主主義は、「店を決めたら4年間、ずっとその店の物を買え」という仕組みです。店を選び損ねたらずっと変な商品を押し付けられるのです。
どちらの仕組みが良いでしょうか。
(つづく)
オタクのコーナー
友人がアイドルイベントの会社を作った関係で、撮影会に協力、17日に無事終えた。
ビジネスとして
前々日には予約で満杯になり、キャンセル待ちも出たにも関わらず、8月14日のブログで述べた理由により↓赤字。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=901521867&owner_id=2663509
撮影会の運営自体はそれほど難しくないが、撮影会が次々つぶれていくのは、スタジオ代+モデルさんへのギャラを参加費×人数で埋めるのが結構難しいことによるのであろう。
趣味として行う分には、赤字分は他の撮影会参加費よりは安いので、安い金でより自分の趣味に近い形(ブルマー+スクール水着+パンチラなんてのは他ではやっていない)にできて楽しいのだが、私はビジネスを起こして財政難の世界連邦運動を救うという野望があるので、そのためにはまだまだ修行が必要である。
黒字にするには
1.安いスタジオを探す
2。参加する客を増やす
3.参加費を高くする
のいずれかである。実際は以上を混ぜる形となろう。
1は探してみる。
2はあまりやりすぎると、1人あたりに目線が来る時間が少なくなって客から不満が生じるから限度がある。
3も4000円のところ、5000円にするのがせいぜいで限度がある。もっと高くするなら手ブラありとか、Tバックありとか、日テレフォトジェニック受賞者を呼ぶなどのネタが必要だが、そうなるとギャラも高くなる。中々大変である。
2部、3部構成にすれば、費用は相対的に割安になるが、絶対的には高くなる。このあたりも難しい。
今回はモデルが固定ファンを持っているので、少し費用がかかってでも2部にするなり、広い場所にした方が良さそうだった。参加者3名のうち、2名は「2部あれば2部とも参加する」と言っていた。
進行
かなり手際よく進み、最後に10分1000円での制服+パンチラコーナーが20分になった。
これはモデルのにいなさくやさんが、過去見たモデルの中で一番着替えが手際良かったおかげである。普通はこうはいかないはずである。
道がわからず遅れた人を迎えに行くというハプニングがあったが、対処できた。
参加者から言われたこと
会場までの地図をもっと詳しく作り、建物の概観の地図をホームページに載せてほしい。
フラッシュを使って良いのかどうか、ルールがよくわからなかった。
照明器具のワット数、バックの布の有無、小道具の有無など事前に知らせてほしい。
以上は次回生かす予定。
満足度
モデルも参加者も満足そうだった。
実際、私もこの条件なら客として参加したい。
政府は最強のやくざである(再)とてつもなく小さな政府・13
やくざは麻薬やポルノの販売も行っているが、防衛・警察にあたるサービスも行っている。
彼らはパチンコ店、風俗店などから「みかじめ料」というものをとり、代わりにガラの悪い客その他からの警察・防衛サービスを供給している。
政府は国民から「税金」というものをとり、代わりに警察・防衛サービスを供給している。
やっていることはそっくりである。
対価を払わない人間に対する行動もそっくりである。
やくざは対価を払わない人間に徹底的に嫌がらせする。
政府は税務署・警察などの権力を用いて税金を払わない人間のところに踏み込み、財産を差し押さえ、逮捕・拘留・刑罰など、やくざよりもはるかに本格的な嫌がらせをする。
おそらく、皆さんは言うだろう。
「やくざのやっていることは違法であり、政府のやっていることは合法である」と。
それがどれほどの違いであろうか。
やくざの場合にたとえればこうなる。
みかじめ料と、払わなかった場合の嫌がらせの程度につき、商店街から代表を出して決めることができる。しかし、98%はやくざが作った原案の通り に決まる。商店街の代表は、3,4年に1度の選挙で入れかえることができる。しかし、実際は、代表もやくざからの接待などでやくざの言いなりである。
しかも、恐ろしいことに、今度は「代表を出して決めているのだから、みかじめ料も嫌がらせも完全に合法で、逆らうことができない」とする。
これが政府である。
政府こそは最強のやくざであり、時々代表を出すことができるのだから・・・という理屈で、逆らうことすらできない存在になっているのだ。
やくざに対するみかじめ料を、毅然として断る人もいる。
この戦いは大変ではあるが、やくざの行動は違法とされており、やりすぎればやくざは捕まる。だからこの戦いは一般国民にも勝ち目はある。
しかし、最強やくざ=政府は合法であり、逆らえばこっちが逮捕され、刑罰を受けるのである。なんと恐ろしいことか。
私たちは、自らの判断でほしいものは買い、ほしくないものは買わない。それが本来の筋ではないか。(今回は、警察・防衛など、形のないものも「もの」と呼ぶことにする。)
ほしくもないものを買わせるにつき、「暴力」という「力」を用いるのか、「権力」という「力」を用いるのかの違いであって、やくざも政府もほしくもないものを無理やり買わせる点は差がないのである。
合法か違法かということはそれほど重要ではない。
「ほしくもないものを買わされるということはできるだけあってはならない」
この当たり前の認識から「とてつもなく小さな政府」論は出発する。
注1 やくざも政府もほしいものを供給してくることがある。民間で買うよりも政府がやった方が効率よく供給できるもののみ政府に供給させれば良いのである。それは現在の1割にも満たないであろうが。
注2 福祉については別に詳しく触れたいが、「生まれながらにハンディを負い、働きたくても働けない」など特別の場合を除き、基本的には民間の保険や寄付で賄うべきである。
たとえば、「老人になって働きたくても働けなくなる」というような、事前に当然予測できる事態については各自が自己責任で対処すべきである。
注3 それにしても「とてつもなく小さな政府」論を語るたびに福祉政策の面からの反論が相次ぐが、現状の予算のうち、本当に困っている人への保障など、どの程度のものであろうか。
私は福祉「にも」メスを入れるが、真っ先にメスを入れるべきところ、削るべきところは他にたくさんある。小さな政府と聞けばすぐ「福祉が切り捨てられる」と思う人は官僚の悪知恵に洗脳されてはいまいか。
オタクのコーナー
アイドルの歌を応援する方法が近年急速に進化しており、リズム感のない私には難しくなってきた。
手拍子でも左右にはげしく体をねじりながらやるのが主流となっている。これを何十分かやっていたら腹筋が痛くなった。
また、「ロマンス」と言って、両手を左2回、右2回、左1右1、左2回・・・というように振る動作がある。テレビで私は、腕を伸ばしたままで、た だ左右に激しく振っているが、あれは間違いで、本当はいったん振って伸ばした腕をグッと縮めて1動作である。だが、そのような正しい動きをすると、私は必 ずリズムが狂う。
反福祉国家 とてつもなく小さな政府・14
福祉国家を叫ぶと社会的弱者のことを考えた優しい人だと思われ、「とてつもなく小さな政府」を叫ぶと社会的弱者を切り捨てる冷たい人に見られがちである。
が、本当にそうなのであろうか。
社会的弱者を救いたいならば、まず自分が寄付するのが筋だろう。自分の金ではとうてい足りないだろうから、更には募金活動をして寄付を募るのも良かろう。
しかし、政府という権力を使ってやってもらうということの本質はどこにあるか。それは、払いたくない人からも、その意思に反して金を強奪するということに他ならない。民間と公権力の差はそこにある。
今調子よく稼いでいる成功者、社会的強者だって、いつ何時事故その他不運な目に遭い、社会的弱者の側になるかわからない。
また、今成功者・強者の側にいるのも、たとえ自分1人の努力のつもりでいても、よく考えればいろいろな人に支えられて今日の自分があることに気付くであろう。
そういうことも考えて、世の中持ちつ持たれつ、ゆとりのある人は寄付をして、助け合う世の中を作っておこう・・・とまあ、そういうことを言って一生懸命説得すれば良い。私も非強制的説得である限り、こういう考え方に賛成だ。
また、民間の保険業が、こういう持ちつ持たれつ助け合いの世の中を作り出すことに役立つ。
つまり、自らの意思によって、掛け金を多くすることも少なくすることもできる。掛け金を多くしていると、その金は社会的弱者のために使われるわけであるが、万一自らが事故などで社会的弱者の側に回ると、掛け金が多い人はいざという時に多くの金を受け取ることができる。
いわば民間の保険システムは「高福祉高負担」でも「低福祉低負担」でも自分で自由に選べるのである。もちろん、掛け金を多く払っていたのにいざと いう時がないまま掛け捨てということもあろうが、それはそれで、誰かの役に立っているのである。まさか、「くそう、損した。事故でも起きて体が不自由にな れば良かったのに損したぜ。どうして自分には事故が起きなかったのだ。なんて不運なのだ」とは思わないだろう。
「何もなくて良かった。そして自分の掛け金は、どこかの不運な人のために使われたのだ」とニコニコしていれば良い。
成年に達する前に既にハンディなどを負い、働きたくても働けない人もいる。この場合は、いざという時のために保険料をかけておくことはできず、最初からいざという時である。この場合は保険システムではうまくいかない。
私個人はこの場合でも非強制的な寄付、NPOによる支援でも乗り切れると思ってはいるのだが(注)、まあ、これについては税金による公的支援でも良かろう。ここへの税金投入については恐らくは全員に近いくらいの国民的合意があると思う。
さて、先に書いたように、世の中持ちつ持たれつだよ・・・と説得してもなお、「おれは他人の世話をしたくないし、逆にいざという時でも他人の世話になるつもりもない。」という人生観の人もいるだろう。
それも1つの生き方ではないか。
勝手に自分がいつまでも強者の側にいるつもりで何も備えず、他人からも恨みばかり買い、いざという時には何もないということになるかも知れないが、それも1つの生き方だ。
こういう考えの人に、「社会的弱者を助けるべきだ」という個人的信条を勝手に押し付けて良いのか。そこまで福祉とは絶対的正義なのか。
私はそうは思わない。
ここで整理しよう。
1 いざというときでも他人の世話にはなりたくないし、他人の世話もしたくない。
(一匹狼タイプ)
2 いざというときでも他人の世話にはなりたくないが、他人の世話はしたい。
(ボランティアタイプ)
3 いざというときには他人の世話になりたいが、他人の世話はしたくない。(ヒモタイプ)
4 いざというときには他人の世話にはなりたいし、他人の世話もしたい。
(凡人タイプ)
まず2のタイプは寄付をするとともに、募金を呼びかければ良い。
4のタイプは保険に入ろう。
3のようなタイプは通用するものではない。ただし、福祉国家かつ制度に穴があると3のタイプに利用される。
1のタイプについては、いざとなってから悔やむかも知れないが、そのあたりも説明した上で、非強制的に説得するしかなかろう。福祉国家の名の下、1のタイプの意思を無視して強制的に金をふんだくるのは横暴である。
1のつもりでいたら「いざという時」が来て、急に4のような考えに変わる人もいるだろうが、それは事実上3である。自らの選択により野たれ死ぬこ とになる。それも1つの人生だ。それが怖い人は保険に入ったり、日頃からみんなから愛されるように行動しておいたりした方が良かろう。
しかし、そのあたりを十分説明しておけば、通常は何らかの備えをするものである。
以上、とてつもなく小さな政府+民間の保険+寄付で十分であるし、このやり方こそが自由意思も尊重され、また、税金の無駄遣いも避けることができる。
注 成年までの段階でハンディを負い、働きたくても働けないという人は少ないはずである。仮に1000人の健常者に対して1人こういうハンディを 負った人がいたとしよう。その場合、1000人が毎月100円寄付すればこの人に10万円、毎月200円ならば20万円が寄付される。月1000円寄付す ればかなりのことができる。中央省庁に資料を集中してあれこれやるから無駄が出るのであって、厚生労働省など廃止し、みんなが互助の精神で月1000円く らい寄付するような世の中になることが私の理想である。現状よりよっぽど安上がりでかつ充実した福祉が実現するであろう。
オタクのコーナー
マイミクへのコメントに書いたネタだが、こちらにも書いておこう。
「怪獣の名前はなぜガギグゲゴか」という本がある。
私も数えてみたが、それほどガギグゲゴは多くはない。
たとえば、ウルトラセブンの1から10話で言うと
クール、ウインダム、ワイアール、ピット、ミクラス、ビラ、キュラソ、メトロン、チブル、イカルスにガギグゲゴがつかず、
わずかにエレキング、ゴドラ、ペガッサにだけガギグゲゴがつく。
ガメラとゴジラだけ考えて思いつきで書いたとしか思えない。
ラドン・モスラなどの大物にガギグゲゴがついていないのだけ
プロレスバカ1代・1
高校の体育大会の騎馬戦での出来事である。
「その男」は、普段から理屈っぽく、生意気だったため、騎馬戦で、ここぞとばかり上級生に囲まれ、集中攻撃を受けた。
この高校 -新潟県立高田高校― では、「鉢巻をとられたら終わり」などという、軟弱なルールではなく、激しくぶつかり合って、騎馬をつぶすということになっていた。それだけに攻撃方法もすさまじい。
しかし、「その男」は攻撃されるほど、「燃えてきたぜー」と言いながら嬉しそうに笑っていた。
本人が頑張っても、騎馬戦では下の騎馬が崩れたらどうしようもない。
「その男」の騎馬が崩れ、もうこれまで、という所で、「その男」は、騎馬の上から急に飛んでいった。
「ドラゴン・ロケットーッ!!!」
と叫びながら。
男は敵の1人と同体となりながら、地上に落下していった。
「最後に道連れにしてやったぜ」
と「その男」は嬉しそうに笑った。
そして、自分の鼻から血が出ていることに気付くと、「その男」は更に嬉しそうな顔をして言った。
「おっとー、流血だ。誰か写真撮ってくれないかな」
その男の名前は塩浜修(私)。
読者諸君!この男は実在する!!
というわけで、プロレス・格闘ネタを「オタクのコーナー」から独立・格上げ。高校時代は格闘技ネタの文章ばかり書いていたものである。
政治の話が出てこないが、それはそれで別の文章でお楽しみください。
それでは、時々梶原一騎先生のパロディも織り込みつつ、このシリーズを始める。
ただし、主観面も書くために、「私」という書き方に戻す。
大学4年の時に、「昼休みプロレス」というものを始めようと思い、宣伝したところ、さっそく問い合わせがあった。
「流星」北城祐二選手である。
結果的に1番強い人がいきなり来てしまった。
少々説明したが、こういうのは言葉でわかるものではないので、
「じゃあ、試しにやってみますか」
と、いきなり中庭の芝生の上で戦った。
こちらは、打ち合わせを兼ねて、軽く実力を試すつもりだったが、中庭で戦っていたら、どんどん通行人が集まってきた。
しかも、それほどの大技を出さなくとも、足払いでスパーンと倒すだけでも、ウオーッとどよめきが起こる。結構これは快感。
確かに、マットを引いたリングの上での大技よりも、通行人と同じ目線のところで、マットなしの場所で投げたほうが迫力があるのだ。
足払いとか、背負い投げのような小技でも随分迫力がある。
まして、スープレックスとかブレンバスターとかバックドロップなどの大技が決まった時には、そこでやられた側がぐったり、「ワン・ツー・スリー」となって試合終了になっても十分説得力があった。
偶然から発見したことであったが、以後、獨協大学では、マットをひかずに戦うスタイルが定着し、いつの間にか「中庭プロレス」と言われるようになった。
リングを組み立てないので、昼休みにすぐ始めることができる。他の大学では学園祭などの特別の時にしか試合しないのとは大きな違いだ。
さて、北城選手との戦いに戻そう。
この時点では、互いの得意技はよくわからない。
とは言え、私は受身には自信あったし、できるだけいろいろな技を食らって実力を診断しようと思った。
北城選手の体が宙に浮いた。
(ドロップキックか。胸の筋肉は鍛えてあるからよけなくても大丈夫だ)
と思っていたら、次の瞬間、凄い衝撃が来た。
痛いとかそういう感覚ではない。
脳味噌の左半分が、奥のほうから熱くなった。
「待った」と言いたかったが、口がうまく動かない。
目の前がよく見えない。
なんだ、この感覚は?
オレはここで死ぬのか?
「こんなバカなことで死にたくない」と思った。
(つづく)
和と民主主義の違い 中学歴史4+撮影会赤字確定
塾を作ろう実践編
中学歴史・4
和と民主主義の違い
今日から聖徳太子の話に入ります。
後藤久美子というアイドルがいまして、あだ名はゴクミと言ったのですが、それと同じゴクミ、593年に摂政になり、冠位十二階、十七条の憲法、法隆寺を作り、小野妹子を隋に派遣しました。
この人のせいで随分覚えることが増えてしまいました。
607年 小野妹子を隋に派遣
覚え方 ム、おんな(607)じゃないのか、小野妹子。
さて、十七条の憲法の最初は、「和をもって尊しとなす」です。
「和」も「民主主義」も、「争いはしないで、よく話し合いましょう」というものですが、「和」と「民主主義」はどこが違うのでしょうか。
1.激しい議論も嫌う「和」
よく、「何でも反対の野党」「数で押し切る与党」などと言いますが、私が国会を長年観察した印象は全然違います。
95%以上の法案は、自民党から共産党まで全会一致で通ります。
衆議院本会議は火曜日と木曜日の午後1時から始まります。議事課というところに問い合わせると、本会議の予定を教えてくれます。
「明日は1時5分には終わりますね」
急に反対する人がいて長引かないのかと思うでしょうが、もう先に大体決まっているのです。
ごくまれに、与党はどうしても通したいが、野党がどうしても飲めない法案があり、そういう時だけニュースになるから、「何でも反対の野党」「数で押し切る与党」という印象がつくだけなのです。本当は1人でも強く反対する人がいたら、あまり事を荒立てたくない、それが和の国日本のやり方なのです。
民主主義には、「殴り合いをするよりは、激しく議論しよう」という考えが根底にあります。
ところが、和の国日本は、人前で激しく議論をすることも嫌いなのです。
そんなことをするとしこりが残る。そこで、あらかじめ大勢がいないところでそっとやりとりをします。これを「根回し」といいます。
国会も根回しの時間が異様に長くて、本会議は短いのです。私はこれを逆にすべきだと思います。
2.多数決も選挙も嫌い
政党の党首や総裁の選挙の時期が近くなりますと、「選挙をするとしこりが残り、他の政党につけこまれるから、選挙をせずに話し合いで決めたい」などという声が上がります。
このあたりは民主主義と大きく異なる部分です。
私も日本が「世界連邦実現の探究を行うべし」という決議を行うについて事務局で頑張ったのですが、340名の議員の賛成署名があったのに、本会議の中々かけてもらえず、困りました。
衆議院議員は480名ですから、340名と言えば、過半数どころか3分の2以上です。本会議にかけてさえもらえれば圧倒的多数の賛成で通ることが確実なのです。
しかし、裏側での根回しの段階で文句を言う人がいますと、しこりが残らないようにあれこれやり取りするわけです。
こちら側も「60年間待たされた。もうこれ以上待つことはできない」と粘って押し切りましたが、60年目という切れ目がなければ、3分の2以上の賛成を伴っているこちらが譲ることになったかも知れません。
実際、2000年に提出した時には、本会議にかけられないまま会期切れ、驚いたのは、公式には「提出」されていないことになっていたのでした。
「え、だって、国会法56条にそって、きっちり提出したぞ。私はこの目で見た」
と思ったのですが、その提出は和の国日本では提出ではないのです。
議院運営委員会の理事会で先に話し合い、「唐突だ」なんて声が出たので、「じゃあ、またいずれということで・・・」で闇に葬られました。
サンケイ新聞報道によれば、「唐突だ」と言ったのは共産党議員ということですが、「議院運営委員会」そのものではなく、その「理事会」の話し合いなので記録もありません。取材された議員が共産党に責任を押し付けただけかも知れません。
自民党4役をはじめ、各政党の党首・幹部クラスが賛成していたのですが、そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ。
それでも「提出した」という記録だけは残っていると思ったのです。
この年の秋に事務局長が入院し、私が後を継いだのですが、私はこの年の活動報告で間違ってしまいました。
先に議院運営委員会の理事会で話し合い、「どの政党も問題ないですね」ということになって、そこで「提出」なのです。
手で持っていって提出したから「提出」だ・・ということにはなっていないのです。
根回しで「本会議で通りそうだな」と思ったら「提出」。
「提出」したものが否決されるなんてことがあってはならないというのが和の国日本。
否決されそうなものは提出されていないことにしてしまう。
私などは、闇に葬られるよりも、本会議で否決してもらった方が気持ちよいのですが、私が変わっているのでしょうか。
政治家が悪いことをして、「わが政党の恥だ」という時にどうするか。
「辞職勧告」というのをします。
「やめると言ってくれないか」というものです。
それでも「絶対やめない」というと、政党の方でやめさせてしまいます。
やめるように頼んでおいて、頼みを聞いてもらえないと、次に無理やりやめさせてしまうわけです。それなら、そんな2段階を踏まずに最初から無理やりやめさせてしまえば良いと思うのですが、「話し合いで自分からやめてもらった」というのが和の国日本なのです。
スサノオの跡継ぎが、出雲の国島根県をアマテラスの子孫に話し合いで譲ったという話をしました。話し合いで無事解決したことにするのが大好きなのです。裏側で何があろうとも。
刑事裁判では99.96%くらいが有罪という判決です。
このあきれるような有罪率の裏側にはいろいろ問題があり、公民の時間に詳しく話そうと思いますが、「和」の国としての理由もあります。
裁判というみんなの目の前に出しておいて無罪になっちゃったということは避けたがるのです。
ちょっとでも無罪になりそうだと思ったら、裁判にかけない。つまり、起訴しない。逮捕しておいて裁判にかけないというのは、何だったのだ、と思うのですが、ここで「おい、おれを逮捕した以上はちゃんと裁判にかけろ。」と言う物好きはほとんどいません。
裁判に持ち込まれた場合、裁判官は、「わざわざ起訴してきた以上は自信を持っているだろう」という思い込み、先入観があるかも知れません。
以上、民主主義と和の違いをさまざまな例を使ってお話しました。
では、この「和」というやり方で、どういう問題が生じるか、次回お話しましょう。
オタクのコーナー
8月17日午後4時20分に秋葉原でブルマー+スクール水着撮影会を行います。詳しくはこちら↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=893214450&owner_id=2663509
後2名だけです。
次回は値上げします。・・・などというと、「本日限りの大特価」と毎日言っているインチキ業者みたいで嫌なのですが、次のような事情です。
次回のための自問自答を兼ねて書きます。
他の撮影会が、モデルさん2人いて6000円くらい、少し有名なアイドルの時は8000円くらい。となると、モデルさんが1名のこちらはせいぜい4000円と考えて設定。
参加者が7名以上いれば黒字だが、まあ、最初は赤字もやむなし。
と思ったら、初歩的なミスなのですが、
会場はスタッフも入れて6名しか入れない!!
スタッフが3名なので、客は3名まで。アントニオ猪木に「やる前から負けること言う奴がどこにいる」と言われそうですが、やる前に、満杯でも赤字ということが確定してしまいました。
塾作りや選挙のことで偉そうにほざいている私ですが、「こんなことも確認しなかったのか」てなものです。我ながらバカですねえ。
単価を高くするか、時間を短くするか(これも実質的値上げ。ただし、人数が少ないので、お客さん1人あたりに目線が来る回数はそれでも普通の撮影会より多いはず)もっと安い会場を探すかしかありません。
さて、今回はブルマー+スクール水着に加えて、希望者はプラス1000円で制服+パンチラ撮影あり。こういった。他の撮影会にないアイディアを次々出していきたい。
また、こちらのアイディアを他の撮影会がパクるのは大歓迎である。
こちらがやる動機は、他の撮影会がやってくれないことをやるためなのだ。
ブルマーの色は赤、上は「ときめきメモリアル」のもの(私はよくわからない)だそうです。こういう情報もなるたけ事前にお知らせしたいと思います。
私は水着でも柄がついていないなるたけ黒だけとか白だけとか赤だけという一色だけのものが好きですが、撮影会では事前にどんな水着かわからないのが不満でした。
特に白い水着は頭の中で下着と思い込んで盛り上がるのが好き。
農相失言+ママドル+世界平和と日本国憲法・終
ニュースのコーナー
ここのところ、農林水産大臣は、なんとか還元水とか下手な言い訳したあげく自殺する人、参議院選挙の前にバンソウコウつけてきて、この人のおかげで自民党の当選者が5,6人は減ったのではないかという人(ただし、個人的にはすごくいい人です)、大臣になったとたんスキャンダル発覚して「だからやりたくなかった」とか、まあ呪いでもかかっているかのような状況だ。
太田誠一さんは私と誕生日が同じが、まあそれは良いとして、「集団暴行する人は元気があってまだ良い」という問題発言に次いでまたやった。
更に言うと、中曽根さんや渡部美智雄さんや、西村真吾さんの場合、面白く、わかりやすく話そうとする中でつい口がすべることが多い。これは私もそういう面があるし、叩かれるのを見て少し同情もするのだが、太田誠一さんのは、面白くないのである。
中曽根さん、渡部ミッチー、西村真吾さんなどは、政治家でなく私のような塾の先生とかお笑いタレントとしては使えそうだが、太田誠一さんはそちらにも使えそうもない。
講演録のコーナー
世界連邦運動協会東京都連合会主催講演 2007年6月30日 伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長・伊藤真氏
「世界平和と日本国憲法」 ―憲法9条は世界の宝―
過去2回の記録はこちら。↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=524338667&owner_id=2663509
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=526314399&owner_id=2663509
憲法20条の「政教分離」に関して、新憲法草案では「社会的儀礼…を超える」という条件にしています。つまり、社会的儀礼の範囲ならば靖国神社に公式参拝しても憲法違反ではないということを認めさせようとしているのです。
憲法22条は「職業選択の自由」ですが、ここには当然に「営業活動の自由」も含まれていると解釈されています。(塩浜補足:職業の選択だけ自由で、その後の活動について自由が保障されないのでは意味がないからである)
新憲法草案の22条では「公共の福祉」という言葉がなくなっているのが注目されます。(塩浜補足:ほとんどの場合、現行憲法よりも改正草案の方が自由・権利を小さくしているのに、ここだけ逆に制約を減らし、自由を大きくしているのは珍しい)
「公共の福祉」という言葉は現行憲法に4回出て来ます。12条、13条、22条、29条です。12条・13条は人権全体にかかる部分で、ここで言う「公共の福祉」とは「他人に迷惑をかけてはいけません」というような意味です。(内在的制約)
12条・13条が全体にかかるのに、22条と29条でもう1回「公共の福祉」という制約が出てくるのには特別な意味があります。ここの「公共の福
祉」は、「他人に迷惑をかけてはいけません」という意味とは別に、「経済的強者があまり自由にやると経済的弱者がみんなつぶされてしまうから、経済的強者
は少し我慢して下さい」という意味を持っています。
例えば、大型スーパーなどが自由に活動すると周囲の小さな店がみんなつぶされてしまいます。そこで、大型スーパーは少し遠慮して下さいというの
が、22条の「公共の福祉」の意味です。これが新憲法草案ではなくなっています。こうなると、経済的強者がどんどん経済的弱者をつぶす、弱肉強食の世の中
となってしまいます。倒産や失業も増えるでしょう。若者の失業が増えると、それに軍隊という受け皿が与えられるということになっていくのかも知れません。
日本国憲法では、「個人の尊重」を最大の価値としています。「個人の尊重」について定めた13条が日本国憲法の中で一番大事な条文です。「一人ひ
とりがかけがえのない価値を持つ」ということです。どんな人であっても生まれてこなければよかった人なんていない。人間として生きる価値がある点ではみな
同じだということです。憲法9条もここから導かれます。戦争はいかなる目的でも正当化されません。人の命は道具ではないからです。
そして、個人の尊重のもう一つの意味は、人はみな違いがあってよいということです。価値観を押し付けようとすると紛争が起きます。違いを受け入れ、その中で共通点を見出していくことが必要です。
そのためには知性を磨く必要があります。考え方が違っても、「同じ会社の仲間じゃないか」という共通点があるから話し合えます。これをもっと広げていきましょう。「会社が違っても同じ日本人じゃないか」「国が違っても同じアジア人じゃないか」「同じ人類じゃないか」と。
共通点を見出す知恵があれば、違いを認める余裕が出てきます。私たちの憲法は全世界の平和を望むということを高らかにうたっています。この憲法の素晴らしさを知り、伝えていくことが今求められていると思います。ご静聴ありがとうございました。
オタクのコーナー
今発売中のプレイボーイ増刊アール(増刊号です。お間違いなく)の26ページ(ただし、最初の方のカラーグラビアにはページ数が出ていない。以前から思っているが、グラビアページにもページ数を書いてほしい。アイドルのグラビアを探している時にアダルトビデオ女優の裸が出てくると恥ずかしい。どこが違うと思う人もいるだろうが、裸と水着は軍隊と自衛隊以上に違うのだ)から、××アイドルの大特集がある。
ロボドル、画家ドル、焼き鳥ドル、落語ドルなど、総勢24組。
人をイライラさせる「イラドル」山下若菜さんや「萌えドル」りりあんさんが出ていないのが気に入らないが、まあよく集めたものだ。多分、過半数は、勝手に言い張っているだけだと思う。
前にも書いたが、「尻ドル」佐藤舞沙さんは、なぜ尻ドルなのかよくわからぬまま、「オシリーナ」秋山莉奈さんに地位を奪われた。
一番のおすすめは、「ママグラドル」我妻さおりさんだ。
見開きページの真ん中に一番大きく出ている。さすがだ。
人妻なのに、一番かわいい。
写真だとよくわからないが、実物に見つめられるとたまりませんぞ。
表情の作り方も80年代全盛期のアイドルのようだ。
最近のアイドルは胸の寄せ方などはうまいが、表情はあまりうまくない。
我妻さおりさんと、鈴木まりえさんの写真を見ていただければ、大体私の好みはわかると思う。
鈴木まりえさんは、伊藤つかささんとガチャピンを足して2で割ったような外見である。こちらも表情の作り方がうまい。
8月10日は、鈴木まりえさんのライブが、私が好きな会場=浅草花やしきであった。しかも、猛暑日の中、この日は比較的涼しく、マリエックスジャンプをやっても熱中症で死なずに済みそうだった。
が、ここで、世界連邦から外務省への提言書を、予定より一日早く10日のうちに完成させねばならないことになった。しかも、世界連邦会員は高齢者が多いので、10日の夜中に送るのは多分反則。夕方までには送らねばならない。
ということで、割と良い条件がそろっていたにも関わらず、チャンスを逃した。
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