政府は最強のやくざである(再)とてつもなく小さな政府・13
とてつもなく小さな政府
やくざは麻薬やポルノの販売も行っているが、防衛・警察にあたるサービスも行っている。
彼らはパチンコ店、風俗店などから「みかじめ料」というものをとり、代わりにガラの悪い客その他からの警察・防衛サービスを供給している。
政府は国民から「税金」というものをとり、代わりに警察・防衛サービスを供給している。
やっていることはそっくりである。
対価を払わない人間に対する行動もそっくりである。
やくざは対価を払わない人間に徹底的に嫌がらせする。
政府は税務署・警察などの権力を用いて税金を払わない人間のところに踏み込み、財産を差し押さえ、逮捕・拘留・刑罰など、やくざよりもはるかに本格的な嫌がらせをする。
おそらく、皆さんは言うだろう。
「やくざのやっていることは違法であり、政府のやっていることは合法である」と。
それがどれほどの違いであろうか。
やくざの場合にたとえればこうなる。
みかじめ料と、払わなかった場合の嫌がらせの程度につき、商店街から代表を出して決めることができる。しかし、98%はやくざが作った原案の通り に決まる。商店街の代表は、3,4年に1度の選挙で入れかえることができる。しかし、実際は、代表もやくざからの接待などでやくざの言いなりである。
しかも、恐ろしいことに、今度は「代表を出して決めているのだから、みかじめ料も嫌がらせも完全に合法で、逆らうことができない」とする。
これが政府である。
政府こそは最強のやくざであり、時々代表を出すことができるのだから・・・という理屈で、逆らうことすらできない存在になっているのだ。
やくざに対するみかじめ料を、毅然として断る人もいる。
この戦いは大変ではあるが、やくざの行動は違法とされており、やりすぎればやくざは捕まる。だからこの戦いは一般国民にも勝ち目はある。
しかし、最強やくざ=政府は合法であり、逆らえばこっちが逮捕され、刑罰を受けるのである。なんと恐ろしいことか。
私たちは、自らの判断でほしいものは買い、ほしくないものは買わない。それが本来の筋ではないか。(今回は、警察・防衛など、形のないものも「もの」と呼ぶことにする。)
ほしくもないものを買わせるにつき、「暴力」という「力」を用いるのか、「権力」という「力」を用いるのかの違いであって、やくざも政府もほしくもないものを無理やり買わせる点は差がないのである。
合法か違法かということはそれほど重要ではない。
「ほしくもないものを買わされるということはできるだけあってはならない」
この当たり前の認識から「とてつもなく小さな政府」論は出発する。
注1 やくざも政府もほしいものを供給してくることがある。民間で買うよりも政府がやった方が効率よく供給できるもののみ政府に供給させれば良いのである。それは現在の1割にも満たないであろうが。
注2 福祉については別に詳しく触れたいが、「生まれながらにハンディを負い、働きたくても働けない」など特別の場合を除き、基本的には民間の保険や寄付で賄うべきである。
たとえば、「老人になって働きたくても働けなくなる」というような、事前に当然予測できる事態については各自が自己責任で対処すべきである。
注3 それにしても「とてつもなく小さな政府」論を語るたびに福祉政策の面からの反論が相次ぐが、現状の予算のうち、本当に困っている人への保障など、どの程度のものであろうか。
私は福祉「にも」メスを入れるが、真っ先にメスを入れるべきところ、削るべきところは他にたくさんある。小さな政府と聞けばすぐ「福祉が切り捨てられる」と思う人は官僚の悪知恵に洗脳されてはいまいか。
オタクのコーナー
アイドルの歌を応援する方法が近年急速に進化しており、リズム感のない私には難しくなってきた。
手拍子でも左右にはげしく体をねじりながらやるのが主流となっている。これを何十分かやっていたら腹筋が痛くなった。
また、「ロマンス」と言って、両手を左2回、右2回、左1右1、左2回・・・というように振る動作がある。テレビで私は、腕を伸ばしたままで、た だ左右に激しく振っているが、あれは間違いで、本当はいったん振って伸ばした腕をグッと縮めて1動作である。だが、そのような正しい動きをすると、私は必 ずリズムが狂う。
やくざは麻薬やポルノの販売も行っているが、防衛・警察にあたるサービスも行っている。
彼らはパチンコ店、風俗店などから「みかじめ料」というものをとり、代わりにガラの悪い客その他からの警察・防衛サービスを供給している。
政府は国民から「税金」というものをとり、代わりに警察・防衛サービスを供給している。
やっていることはそっくりである。
対価を払わない人間に対する行動もそっくりである。
やくざは対価を払わない人間に徹底的に嫌がらせする。
政府は税務署・警察などの権力を用いて税金を払わない人間のところに踏み込み、財産を差し押さえ、逮捕・拘留・刑罰など、やくざよりもはるかに本格的な嫌がらせをする。
おそらく、皆さんは言うだろう。
「やくざのやっていることは違法であり、政府のやっていることは合法である」と。
それがどれほどの違いであろうか。
やくざの場合にたとえればこうなる。
みかじめ料と、払わなかった場合の嫌がらせの程度につき、商店街から代表を出して決めることができる。しかし、98%はやくざが作った原案の通り に決まる。商店街の代表は、3,4年に1度の選挙で入れかえることができる。しかし、実際は、代表もやくざからの接待などでやくざの言いなりである。
しかも、恐ろしいことに、今度は「代表を出して決めているのだから、みかじめ料も嫌がらせも完全に合法で、逆らうことができない」とする。
これが政府である。
政府こそは最強のやくざであり、時々代表を出すことができるのだから・・・という理屈で、逆らうことすらできない存在になっているのだ。
やくざに対するみかじめ料を、毅然として断る人もいる。
この戦いは大変ではあるが、やくざの行動は違法とされており、やりすぎればやくざは捕まる。だからこの戦いは一般国民にも勝ち目はある。
しかし、最強やくざ=政府は合法であり、逆らえばこっちが逮捕され、刑罰を受けるのである。なんと恐ろしいことか。
私たちは、自らの判断でほしいものは買い、ほしくないものは買わない。それが本来の筋ではないか。(今回は、警察・防衛など、形のないものも「もの」と呼ぶことにする。)
ほしくもないものを買わせるにつき、「暴力」という「力」を用いるのか、「権力」という「力」を用いるのかの違いであって、やくざも政府もほしくもないものを無理やり買わせる点は差がないのである。
合法か違法かということはそれほど重要ではない。
「ほしくもないものを買わされるということはできるだけあってはならない」
この当たり前の認識から「とてつもなく小さな政府」論は出発する。
注1 やくざも政府もほしいものを供給してくることがある。民間で買うよりも政府がやった方が効率よく供給できるもののみ政府に供給させれば良いのである。それは現在の1割にも満たないであろうが。
注2 福祉については別に詳しく触れたいが、「生まれながらにハンディを負い、働きたくても働けない」など特別の場合を除き、基本的には民間の保険や寄付で賄うべきである。
たとえば、「老人になって働きたくても働けなくなる」というような、事前に当然予測できる事態については各自が自己責任で対処すべきである。
注3 それにしても「とてつもなく小さな政府」論を語るたびに福祉政策の面からの反論が相次ぐが、現状の予算のうち、本当に困っている人への保障など、どの程度のものであろうか。
私は福祉「にも」メスを入れるが、真っ先にメスを入れるべきところ、削るべきところは他にたくさんある。小さな政府と聞けばすぐ「福祉が切り捨てられる」と思う人は官僚の悪知恵に洗脳されてはいまいか。
オタクのコーナー
アイドルの歌を応援する方法が近年急速に進化しており、リズム感のない私には難しくなってきた。
手拍子でも左右にはげしく体をねじりながらやるのが主流となっている。これを何十分かやっていたら腹筋が痛くなった。
また、「ロマンス」と言って、両手を左2回、右2回、左1右1、左2回・・・というように振る動作がある。テレビで私は、腕を伸ばしたままで、た だ左右に激しく振っているが、あれは間違いで、本当はいったん振って伸ばした腕をグッと縮めて1動作である。だが、そのような正しい動きをすると、私は必 ずリズムが狂う。