私が勤める会社の中で、部門によっては、
何故かFM放送をかけっぱなしで仕事をしている部隊がいる。
普段は、緊張感あふれる空気がないと、
私はどちらかというと落ち着かないふるいタイプなのだが、
その空間に足を踏み入れた時、
ビートルズの代表作「ヘルプ」が流れていて、一瞬足を止めてしまった。
その音楽の新鮮さ。
これが1965年頃の作品とは思えない。
Help! I need somebody
Help! Not just anybody
Help! You know I need someone Help!
誰か!私を助けて!
いきなりこんな歌詞で始まる歌を、何故に記憶に留めておくのだろう?
あるいは、既に、どの歌よりも強烈に、身体化してしまっているのかもしれませんね。
かつては、どんなことでも、他人の助けなんかいらなかった!
でも、今は、心の扉を開いたのさ!だから、助けがほしい!
こんな意味の歌詞が続きます。だからヘルプなのですね。
そしてはっとします。
もしかすると、今の私も、ヘルプ!と叫び続けているのかもしれない。
Not just anybody 誰でも良いってわけじゃない
私はあなたに、ヘルプと叫んでいるのです。
実に悲しい物語でした。
戦争の最期。ほとんど戦局は決していた状況の中で、自らの命を差し出して特攻隊は飛び立っていったのでしたね。情報がない中で、まだ、日本の勝利を疑わず、20歳前後の若者が太平洋に散っていった。その最期のひと時を、影で支えた「なでしこ隊」の証言には、重みがありました。
歴史の運命に翻弄された人々が、
戦後60年以上の月日が過ぎても、
その時の衝撃を抱えて生きていること。
この同時代に、その時の記憶と、その時の出来事を、
しっかりと「伝える」ために、生きて語っていることに共感しない人はいませんね。
まだ、そんな昔のことではない戦争の体験。
私達は、戦後の僅かな時間の流れの中で、
何を忘れ、何を伝えなければならないのか、
しっかりと考えなければならないのでしょう。
ありがとうございました。
戦争の最期。ほとんど戦局は決していた状況の中で、自らの命を差し出して特攻隊は飛び立っていったのでしたね。情報がない中で、まだ、日本の勝利を疑わず、20歳前後の若者が太平洋に散っていった。その最期のひと時を、影で支えた「なでしこ隊」の証言には、重みがありました。
歴史の運命に翻弄された人々が、
戦後60年以上の月日が過ぎても、
その時の衝撃を抱えて生きていること。
この同時代に、その時の記憶と、その時の出来事を、
しっかりと「伝える」ために、生きて語っていることに共感しない人はいませんね。
まだ、そんな昔のことではない戦争の体験。
私達は、戦後の僅かな時間の流れの中で、
何を忘れ、何を伝えなければならないのか、
しっかりと考えなければならないのでしょう。
ありがとうございました。
リーマン・ブラザーズ証券破綻のニュースは世界に衝撃を与えましたね。
そしてニュースの映像を見ていて最も印象的だったのは、リーマンの本社前の路上を、リーマンの社員達が自分の荷物を持ってぞろぞろと出てくるシーンでした。
アメリカ映画ではよく見かけるシーンですが、
‥君はもう首だ! たった今、この部屋から出てってくれ!
こんな台詞の後のシーンは、自分のオフィス内の部屋で、自分の荷物を纏めるシーンが続き、そして、同僚の何人かと挨拶するとそこから出て行く。一人の企業戦士のその会社での終わりは、こんな風に簡単に、淡々と(本当は違うでしょうが‥)終わっていくというシーンですね。
それが現実となると、アメリカの企業で働くということの合理性、哀れみのない合理性が浮き出ていたように思えます。ぞろぞろと自分の荷物を持って出てくるリーマンの社員達。
日本の企業の破綻では、そうですね、あの有名な山一證券の破綻記者会見での社長の慟哭のシーンが思い浮かびます。涙ながらに‥
‥社員は悪くない!
と叫びました。日本のメディアは、山一の社員がビルから自分の荷物を持って出てくるシーンは一度も映していない。
これがアメリカと日本の企業と組織と人との関係の違いといえるのでしょうか?
アメリカの方々が、組織に対する帰属意識が薄いのは、組織そのものが帰属意識を要求していないからかもしれませんね。そしてそのことは雇う側も雇われる側も了解事項なので心理的な問題は大きくは起きない。
一方、日本の企業は、組織そのものが帰属意識で成立している。正確にはしていた。帰属意識のない社員の合理性は日本の伝統的企業では排除される傾向はまだある。しかし、日本の企業の体質も、アメリカのそれのように変貌しつつある。企業を存続させるためのリストラは、まだまだ続いているからだ。とはいえ
‥日本の企業で働く日本人は、
組織から抜け出た時の対処法を持っていない。
それが悲劇を生まないわけはないのですね。
一つの組織から離れた時は、自分の才能をまた別の会社で伸ばせばいいと考えられるアメリカ人と、途方に暮れる日本人の意識の差は、大きいよな‥‥。
そしてニュースの映像を見ていて最も印象的だったのは、リーマンの本社前の路上を、リーマンの社員達が自分の荷物を持ってぞろぞろと出てくるシーンでした。
アメリカ映画ではよく見かけるシーンですが、
‥君はもう首だ! たった今、この部屋から出てってくれ!
こんな台詞の後のシーンは、自分のオフィス内の部屋で、自分の荷物を纏めるシーンが続き、そして、同僚の何人かと挨拶するとそこから出て行く。一人の企業戦士のその会社での終わりは、こんな風に簡単に、淡々と(本当は違うでしょうが‥)終わっていくというシーンですね。
それが現実となると、アメリカの企業で働くということの合理性、哀れみのない合理性が浮き出ていたように思えます。ぞろぞろと自分の荷物を持って出てくるリーマンの社員達。
日本の企業の破綻では、そうですね、あの有名な山一證券の破綻記者会見での社長の慟哭のシーンが思い浮かびます。涙ながらに‥
‥社員は悪くない!
と叫びました。日本のメディアは、山一の社員がビルから自分の荷物を持って出てくるシーンは一度も映していない。
これがアメリカと日本の企業と組織と人との関係の違いといえるのでしょうか?
アメリカの方々が、組織に対する帰属意識が薄いのは、組織そのものが帰属意識を要求していないからかもしれませんね。そしてそのことは雇う側も雇われる側も了解事項なので心理的な問題は大きくは起きない。
一方、日本の企業は、組織そのものが帰属意識で成立している。正確にはしていた。帰属意識のない社員の合理性は日本の伝統的企業では排除される傾向はまだある。しかし、日本の企業の体質も、アメリカのそれのように変貌しつつある。企業を存続させるためのリストラは、まだまだ続いているからだ。とはいえ
‥日本の企業で働く日本人は、
組織から抜け出た時の対処法を持っていない。
それが悲劇を生まないわけはないのですね。
一つの組織から離れた時は、自分の才能をまた別の会社で伸ばせばいいと考えられるアメリカ人と、途方に暮れる日本人の意識の差は、大きいよな‥‥。
舞台演出家として世界に羽ばたく蜷川幸雄さんが、第3作目の映画「蛇とピアス」を撮った。
明日、9月20日から全国ロードショーが始まる。
舞台づくりでは、年間10作品以上の上演をこなす蜷川さんが、何故、映画なのか?
テレビのインタビューに応えて蜷川さんは言う。
‥映画に対する嫉妬があるんだよ!
芥川賞作品のこの映画。一般的に言えば、小説の映画化は、作家のイメージを映像に落とした段階で、作家から遠く離れるのが普通だ。文字を編んでつくり上げる小説は、作家の脳の中の世界に一つの確固としたイメージがある。そこには自分のイメージの中の映像があり、音楽があり、臭いがあり、味がある。
小説はまた、読者が、言葉を読んでいくことによってつくり上げるイメージがある。そのイメージは、きっと、作家のそれとも、またどの読者のそれとも違う一人の読者としてのイメージが存在する。
だから、小説を映画化する、あるいは舞台として上演するというのは、既に、まったく違った作品が誕生するということでもあるのでしょうね。
20世紀少年を見て、漫画の世界との違和感を感じる人が多いように、蜷川映画の世界は、蜷川映画の独自性に溢れた新しい作品としてのイメージが広がります。
‥今日のような、行き場のない、まったりした若者達の心を描く
多分、そんな衝動が演出家蜷川さんの心を、映画に向けたのだと思います。
とても楽しみです。
明日、9月20日から全国ロードショーが始まる。
舞台づくりでは、年間10作品以上の上演をこなす蜷川さんが、何故、映画なのか?
テレビのインタビューに応えて蜷川さんは言う。
‥映画に対する嫉妬があるんだよ!
芥川賞作品のこの映画。一般的に言えば、小説の映画化は、作家のイメージを映像に落とした段階で、作家から遠く離れるのが普通だ。文字を編んでつくり上げる小説は、作家の脳の中の世界に一つの確固としたイメージがある。そこには自分のイメージの中の映像があり、音楽があり、臭いがあり、味がある。
小説はまた、読者が、言葉を読んでいくことによってつくり上げるイメージがある。そのイメージは、きっと、作家のそれとも、またどの読者のそれとも違う一人の読者としてのイメージが存在する。
だから、小説を映画化する、あるいは舞台として上演するというのは、既に、まったく違った作品が誕生するということでもあるのでしょうね。
20世紀少年を見て、漫画の世界との違和感を感じる人が多いように、蜷川映画の世界は、蜷川映画の独自性に溢れた新しい作品としてのイメージが広がります。
‥今日のような、行き場のない、まったりした若者達の心を描く
多分、そんな衝動が演出家蜷川さんの心を、映画に向けたのだと思います。
とても楽しみです。

商売は粉もの屋に学べ!
という副題がついている「勝間式利益の方程式」(東洋経済新報社 2008年4月初版刊)を読んだ。
話題の方なので、一度は読んでおかなければならないと思っていたのですが、ようやく手に取ったわけです。
今、マスコミで引っ張りだこの勝間和代さんは、現在は経済評論家で公認会計士。19歳で公認会計士の二次試験を突破し、監査法人を皮切りにアンダーセン、マッキンゼー、チェース銀行、JPモルガン証券と世界的巨大外資系企業に勤め独立とあります。
いわば事業経営におけるコンサルタントのお仕事とお金のお仕事を十分に体験し独立されたという経歴の持ち主なのですね。これだけ聞いても凄いのですが、著作を読んでみて、実に分かりやすい内容に再度驚きました。
結構難しい内容のテーマですが、そしてある意味、実に当り前の公式を基盤にしているのですが、不思議と抵抗なく読めました。
一番記憶に残っているのは、
‥利益=顧客当たり単価-顧客当たり獲得コスト-顧客当たり原価
それに顧客数を掛け算する
という公式でした。この公式を厳守していれば、利益がでない事業はない。‥確かに‥
しかし‥‥実際の仕事は、公式どおりにはいかない。
毎日のように単価の引き下げ要求はやってきます。継続顧客との関係は、コスト削減競争にどのように勝つか‥にありますから、獲得コストと原価を差し引くと、ほとんど赤字になるプロジェクトが多い。とすると、どのように努力するか? あるいは、そういうプロジェクトは止めてしまうか?
そして、その対策のための様々な方法論も提示されています。‥が、どうでしょうか? いろいろやっているけどなーーーと思ってしまう方法も多いのですが、中々成果には簡単に繋がってくれないのが実情ですね。
だからでしょうか? 改めて公式に当て嵌め評価するということが重要なのだということもわかります。それが本著の凄いところでしょうか? 料理やレストランの引用も主婦感覚らしく分かるといえば分かりますが‥。(利益を上げるという公式が栄養のバランスに例えられているので、粉もの屋なのかと思っていましたが‥)
そして、
‥儲けというのは、顧客の感謝の表れなのです。
という言葉が印象に残ります。
その他の著作も一気に読んだのですが‥それはまた次の機会に‥
ありがとうございました。