「買い物する脳」(早川書房2008年10月刊)という一冊に興味津々です。
マーチン・リンストローム教授の五感マーケティングで指摘された理論ですね。
人間の行動の85%は「無意識」のうちに行われるという指摘。この潜在意識を調べることなくして購買心理は解明されないというのが氏の理論の問題意識です。
生活者の購買行動の研究は、長くアンケート調査に代表される定量的な手法やグループインタビューや深層心理手法などの定性的な手法が代表的なものでした。
しかし氏は、こうした手法では、人間の行動原理の根本にある「無意識」に到達することはできないとして、MRIやSSTなどの脳の活動を計測する道具を使って、いわば人間の本音を調べていく手法が採用されるわけです。
インタビューでは答えない人間の本当の心を、脳の活性の波動によって探り当てようという方法ですが、これは生活者一人ひとりを対象にして商品開発や広告宣伝をする担当者にとっては興味深い実験だといえるでしょうね。
しかし、仮に、この色が好きだ! と回答した人が、実はその色そのものではなく、色に纏わる様々な経験と絡み合わせて好き嫌いを表現しているに過ぎない場合、脳の反応だけでそれを読み解くことが可能なのかどうか‥そのあたりは分かりませんね。
脳の研究とマーケティングへの応用は、当然、人々の潜在欲求に働きかける戦略に結びついていくのでしょうが、既存の心理調査の検証に活用するという複合的な活用の方法を考えないと、大きなしっぺ返しをくらう可能性があることも事実でしょう。
何故なら、自分が何が欲しいのか、それは自分でも分からないのですから‥‥。
私はモノを捨てられない性格なので、自分の部屋にはモノが溢れかえっている。
曰く、貧乏性。
駄菓子のようなモノから高級な柘植のパイプまで、特に略脈もなく、マニアックに同じジャンルのモノが集積されているわけでもなく、関係性からみれば支離滅裂なものばかりが溢れかえっています。
他人はこれらのモノを「ゴミ」と呼び、私はこれらのモノを「アイデンティティ」と呼ぶ。
保存すべき必然性のないモノはガラクタであり、確保しておくことに意味はなく、だから「捨てる」べきだと周囲は主張する。しかし、私にとってそれらのモノ達は、仮に使用価値がほとんどないものであっても、私の心の中では絶対価値となって存在しているのだ。つまり「記憶」を引き出す重要なオブジェなのですね。
そんな中、大不況時代になって、世の中ではシェアリングなどという手法が話題になるようになった。例えば車を自分で所有するのではなく、幼稚園の送り迎えなどで使う車は必要な人達でシェアしようという考え方だ。
買って捨てる‥というモノに対する価値観が、大不況のお陰でモノを大切にする、使用価値を共有するという合理性が重視れるようになったのですね。
モノを大切にする、もったいない、こういう価値観は、大量消費社会の中にどっぷり使っていた日本人がしばらく忘れていた価値観ですね。復活すべきは、こうしたモノに対する価値意識の変換なのですね。
私の部屋のモノ達が、ようやく晴れ舞台に立てる日が近づいたと喜んでいるようで嬉しくなってしまいます。とはいえ、本当に私の記憶にとって、モノが残されていることが幸福なのかどうか‥‥それは何とも言い難いのも事実ですが‥‥。
曰く、貧乏性。
駄菓子のようなモノから高級な柘植のパイプまで、特に略脈もなく、マニアックに同じジャンルのモノが集積されているわけでもなく、関係性からみれば支離滅裂なものばかりが溢れかえっています。
他人はこれらのモノを「ゴミ」と呼び、私はこれらのモノを「アイデンティティ」と呼ぶ。
保存すべき必然性のないモノはガラクタであり、確保しておくことに意味はなく、だから「捨てる」べきだと周囲は主張する。しかし、私にとってそれらのモノ達は、仮に使用価値がほとんどないものであっても、私の心の中では絶対価値となって存在しているのだ。つまり「記憶」を引き出す重要なオブジェなのですね。
そんな中、大不況時代になって、世の中ではシェアリングなどという手法が話題になるようになった。例えば車を自分で所有するのではなく、幼稚園の送り迎えなどで使う車は必要な人達でシェアしようという考え方だ。
買って捨てる‥というモノに対する価値観が、大不況のお陰でモノを大切にする、使用価値を共有するという合理性が重視れるようになったのですね。
モノを大切にする、もったいない、こういう価値観は、大量消費社会の中にどっぷり使っていた日本人がしばらく忘れていた価値観ですね。復活すべきは、こうしたモノに対する価値意識の変換なのですね。
私の部屋のモノ達が、ようやく晴れ舞台に立てる日が近づいたと喜んでいるようで嬉しくなってしまいます。とはいえ、本当に私の記憶にとって、モノが残されていることが幸福なのかどうか‥‥それは何とも言い難いのも事実ですが‥‥。
草食系男子が急増しているという。
Wikipediaによると、
「2006年10月に深澤真紀のウェブ連載「U35男子マーケティング図鑑」(2007年に『平成男子図鑑』として単行本化)で、「草食男子」として命名された」としている。
実に分かりやすく、的を付いたネーミングだと感心したのを憶えているが、またまた、この種の傾向が強まっているというのですね。
草食系男子の主な特長をWikipediaではこんな風に定義しています。
○外出より部屋にいる方が好き
○繊細である
○性風俗を無駄なことと思い、お金を使わない
○女性に誘われれば旅行やショッピングに同行するが、恋愛に発展しないことが多い
○恋愛に積極的でない
オタクやトランスジェンダーとは意味合いが若干異なる。
この種の傾向を代表する有名人は、羽生善治、馬場裕之(ロバート 、藤森慎吾(オリエンタルラジオ)、瑛太、田中卓志(アンガールズ)、中村俊輔と書かれているが、どうもこの人選には異論がありそうですね。
将棋の羽生名人が草食系であることは、まずない。外見からは判断できないでしょう。将棋は頭脳と体力の格闘技ですから、草食系の意味するタイプとはまったく違うと断じることができますね。サッカーの中村俊輔さんも、肉食系の持つイメージとは異なりますが、ゴリラのような欧米のサッカー選手とフィジカルで劣らずに戦っている肉体は鋼のようであります。
そしてふと思うのですね。
この草食系男子のルーツは、団塊の世代の男子が潜在的に持っていたタイプなのではないかと‥。自由を求めて既成の価値の転換を求めた若き団塊の世代は、ある意味、攻撃的で競争社会に勝ち抜こうとする激烈な世界で育ったように見えますが、実は、全体的には部屋の中での読書を愛し、繊細で、単なる欲望の捌け口として性風俗の世界に入っていくことはなかった。
知的世界観を重視し、自ら考えることで個性を生み出そうとしたした団塊の世代男子は、他者との関係性に心を配り、その適切な距離感を民主的とでもいうように測ることで対人関係を構築しようとしたのですね。
既に、団塊の世代男子が20代のころに創造した男子のあり方を、その後の子供世代や孫の世代が体現しているといったら大袈裟になりますか?
それにしても草食系男子が悪いとは、どう考えても思えないのですが、どうでしょうか?
Wikipediaによると、
「2006年10月に深澤真紀のウェブ連載「U35男子マーケティング図鑑」(2007年に『平成男子図鑑』として単行本化)で、「草食男子」として命名された」としている。
実に分かりやすく、的を付いたネーミングだと感心したのを憶えているが、またまた、この種の傾向が強まっているというのですね。
草食系男子の主な特長をWikipediaではこんな風に定義しています。
○外出より部屋にいる方が好き
○繊細である
○性風俗を無駄なことと思い、お金を使わない
○女性に誘われれば旅行やショッピングに同行するが、恋愛に発展しないことが多い
○恋愛に積極的でない
オタクやトランスジェンダーとは意味合いが若干異なる。
この種の傾向を代表する有名人は、羽生善治、馬場裕之(ロバート 、藤森慎吾(オリエンタルラジオ)、瑛太、田中卓志(アンガールズ)、中村俊輔と書かれているが、どうもこの人選には異論がありそうですね。
将棋の羽生名人が草食系であることは、まずない。外見からは判断できないでしょう。将棋は頭脳と体力の格闘技ですから、草食系の意味するタイプとはまったく違うと断じることができますね。サッカーの中村俊輔さんも、肉食系の持つイメージとは異なりますが、ゴリラのような欧米のサッカー選手とフィジカルで劣らずに戦っている肉体は鋼のようであります。
そしてふと思うのですね。
この草食系男子のルーツは、団塊の世代の男子が潜在的に持っていたタイプなのではないかと‥。自由を求めて既成の価値の転換を求めた若き団塊の世代は、ある意味、攻撃的で競争社会に勝ち抜こうとする激烈な世界で育ったように見えますが、実は、全体的には部屋の中での読書を愛し、繊細で、単なる欲望の捌け口として性風俗の世界に入っていくことはなかった。
知的世界観を重視し、自ら考えることで個性を生み出そうとしたした団塊の世代男子は、他者との関係性に心を配り、その適切な距離感を民主的とでもいうように測ることで対人関係を構築しようとしたのですね。
既に、団塊の世代男子が20代のころに創造した男子のあり方を、その後の子供世代や孫の世代が体現しているといったら大袈裟になりますか?
それにしても草食系男子が悪いとは、どう考えても思えないのですが、どうでしょうか?
大不況。
2008年10月から12月のGDPの落ち込みが12%以上とバブル崩壊時と同じくらいの深刻な状況が発表された。何だかんだといっても今回の大不況の発信源のアメリカが3%台の落ち込みなのに、何故、日本はこんなに大きな波をかぶってしまうのか?
日本の経済は、海外への輸出依存によって成り立っている。
これは誰もが知っている基本的構造。だから、アメリカへの直接的な輸出だけでなく、アジアでの生産を促進する日本の製品がアメリカに輸出されていることで成立する間接的構造も影響を受けたという解説もある。(そこで儲かった利益で中国と日本はアメリカの国債を買っているのだから、お金は天下の回りものだといえるかもしれませんが‥)
いずれにしても、日本はアメリカのバブルに完全に乗っかっての好景気であったことは確かで、その大元が止まってしまえば影響が大きいのは当り前 か‥。
そして思うのですね。
今までは、売っていたのではなく、売れていただけだということ。
本当に世界各国の人々のニーズを掘り起こして、本当に必要なものを売ってきたのか疑わしいといわなければならないのでしょう。本当の勝負は、これから‥。
売るということは、相手が必要とするものを提供すること。
これも当り前ですが、相手が何を必要としているか、本当に知ることに「投資」する時代がやってきたのだともいえるでしょうね。
私達はまだ、何もわかっていない。
2008年10月から12月のGDPの落ち込みが12%以上とバブル崩壊時と同じくらいの深刻な状況が発表された。何だかんだといっても今回の大不況の発信源のアメリカが3%台の落ち込みなのに、何故、日本はこんなに大きな波をかぶってしまうのか?
日本の経済は、海外への輸出依存によって成り立っている。
これは誰もが知っている基本的構造。だから、アメリカへの直接的な輸出だけでなく、アジアでの生産を促進する日本の製品がアメリカに輸出されていることで成立する間接的構造も影響を受けたという解説もある。(そこで儲かった利益で中国と日本はアメリカの国債を買っているのだから、お金は天下の回りものだといえるかもしれませんが‥)
いずれにしても、日本はアメリカのバブルに完全に乗っかっての好景気であったことは確かで、その大元が止まってしまえば影響が大きいのは当り前 か‥。
そして思うのですね。
今までは、売っていたのではなく、売れていただけだということ。
本当に世界各国の人々のニーズを掘り起こして、本当に必要なものを売ってきたのか疑わしいといわなければならないのでしょう。本当の勝負は、これから‥。
売るということは、相手が必要とするものを提供すること。
これも当り前ですが、相手が何を必要としているか、本当に知ることに「投資」する時代がやってきたのだともいえるでしょうね。
私達はまだ、何もわかっていない。
研究活動の関係で大学の先生方とお話しする機会が多い。
ここ数年は、「社会人大学院の生徒になりそうな人はいないか?」という紹介の依頼が結構ある。社会人大学院の生徒は、当然サラリーマンが中心だから、ビジネスの世界で学習意欲がある人が、より専門の教育を受けに行こうというものだが、年間50万円から100万円の授業料を払える裕福なサラリーマンがぞろぞろいるとは考えにくい。
かつて大企業では、会社の予算を使ってMBA取得者を輩出するために海外に留学する機会を作っていた。数年間の海外修行で優秀なビジネスマンが増えたが、一方で、その資格を持った人は独立してしまうことも少なくなかった。予算を出してくれた会社にちゃんと恩返ししたのかどうかはしらないけれど、そういう高度な学習機会が、日本の大学でも得られる機会が増えたのはいいことだと思う。
日本人は学生時代は遊びに明け暮れ、社会人になってからはじめて勉強する。
といわれてきた。企業がこれほどに自社の社員教育に力を入れる国も珍しいだろう。結局日本人は、学校の教育から社会人の教育まで、誰かがレールを引いてくれているという教育基盤の強さがあったのだということに気づくべきでしょうね。
しかし、昨今の大不況の時代になると、さすがに教育予算にも限界が見えている。
その意味で、誰かに依存せずに、本当の勉強の時代がやってきたのだと考えてたほうがいい。本当の学習とは、見返りを期待しない純粋学問のことを言うのだから、本来はお金儲けとはかけ離れた位置にいるのが本筋なんでしょう。
漢字検定協会の儲けすぎを見ていて、ブームとしての教育は長続きしないのだということを肝に銘じておきたいですね。
ここ数年は、「社会人大学院の生徒になりそうな人はいないか?」という紹介の依頼が結構ある。社会人大学院の生徒は、当然サラリーマンが中心だから、ビジネスの世界で学習意欲がある人が、より専門の教育を受けに行こうというものだが、年間50万円から100万円の授業料を払える裕福なサラリーマンがぞろぞろいるとは考えにくい。
かつて大企業では、会社の予算を使ってMBA取得者を輩出するために海外に留学する機会を作っていた。数年間の海外修行で優秀なビジネスマンが増えたが、一方で、その資格を持った人は独立してしまうことも少なくなかった。予算を出してくれた会社にちゃんと恩返ししたのかどうかはしらないけれど、そういう高度な学習機会が、日本の大学でも得られる機会が増えたのはいいことだと思う。
日本人は学生時代は遊びに明け暮れ、社会人になってからはじめて勉強する。
といわれてきた。企業がこれほどに自社の社員教育に力を入れる国も珍しいだろう。結局日本人は、学校の教育から社会人の教育まで、誰かがレールを引いてくれているという教育基盤の強さがあったのだということに気づくべきでしょうね。
しかし、昨今の大不況の時代になると、さすがに教育予算にも限界が見えている。
その意味で、誰かに依存せずに、本当の勉強の時代がやってきたのだと考えてたほうがいい。本当の学習とは、見返りを期待しない純粋学問のことを言うのだから、本来はお金儲けとはかけ離れた位置にいるのが本筋なんでしょう。
漢字検定協会の儲けすぎを見ていて、ブームとしての教育は長続きしないのだということを肝に銘じておきたいですね。