社会人大学院が流行する訳は? | 考える道具を考える

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研究活動の関係で大学の先生方とお話しする機会が多い。

ここ数年は、「社会人大学院の生徒になりそうな人はいないか?」という紹介の依頼が結構ある。社会人大学院の生徒は、当然サラリーマンが中心だから、ビジネスの世界で学習意欲がある人が、より専門の教育を受けに行こうというものだが、年間50万円から100万円の授業料を払える裕福なサラリーマンがぞろぞろいるとは考えにくい。

かつて大企業では、会社の予算を使ってMBA取得者を輩出するために海外に留学する機会を作っていた。数年間の海外修行で優秀なビジネスマンが増えたが、一方で、その資格を持った人は独立してしまうことも少なくなかった。予算を出してくれた会社にちゃんと恩返ししたのかどうかはしらないけれど、そういう高度な学習機会が、日本の大学でも得られる機会が増えたのはいいことだと思う。

日本人は学生時代は遊びに明け暮れ、社会人になってからはじめて勉強する。
といわれてきた。企業がこれほどに自社の社員教育に力を入れる国も珍しいだろう。結局日本人は、学校の教育から社会人の教育まで、誰かがレールを引いてくれているという教育基盤の強さがあったのだということに気づくべきでしょうね。

しかし、昨今の大不況の時代になると、さすがに教育予算にも限界が見えている。

その意味で、誰かに依存せずに、本当の勉強の時代がやってきたのだと考えてたほうがいい。本当の学習とは、見返りを期待しない純粋学問のことを言うのだから、本来はお金儲けとはかけ離れた位置にいるのが本筋なんでしょう。

漢字検定協会の儲けすぎを見ていて、ブームとしての教育は長続きしないのだということを肝に銘じておきたいですね。