物語は人間の脳にとって大いなる刺激となることが実証されてきている。
物語は、それを語る人も聞く人も、自分のイメージの中で仮想の現実と向き合うきっかけを作ってくれる。仮想の中で初めて見えてくる事実に、現実より一層リアルな事実と向き合うのが、物語の利点ですね。
今、私が担当しているある企業のコンサルの仕事で、「物語編集会議」という会議体を設けてさまざまな仮説検証をしているプロジェクトがある。
何でもいいのだが、心温まるエピソードを文章化し、全員に披露し、そして評価する。そのプロセスで、組織人としてのあるべき姿やお客様との対応について、極めて客観的な「気づき」が生まれる。
はっとする瞬間。それが気づきだとすると、物語の中での発見は、自分を客観的に評価できる利点がある。まるで他人事のように自分の問題を発見する体験は、結構面白い効果があるのですね。
いわば、鏡。
そこに写っている顔は、誰なんでしょうね?
最近、ブログを沢山書いている友人との会話の中でふと感じた違和感があった。
彼は言う。「最近、日記を書かなくなったね‥‥」
ブログは日記だと言う。
しかし、日記は本来自分のための自分に向けた記録であって、誰かに読んでもらうためのものではない、筈ですね。日記には自分の本音が書かれ、本音は概して公開されることを拒む。
その意味から言うと、ブログが本来の「日記」とは対極にある「見せるための記録」であり、昔から記録されてきた内向きの記録の様式とは異なる文化であることは確かなようです。友人の漏らした言葉には、ブログと日記との違いの指摘があったように思えました。
ブログはコミュニケーションへの欲求を底辺に隠し、日記風の記録を媒介にして様々な未知の人々との交流を積極的に成し遂げる道具であると定義すると、ブログに書かれていることは、自分の内面の混沌を、自らの言葉で明瞭にしている行為というより、自分の客観的な記述を通して、他者の視線を感じ取ることに意味があると考えてよさそうです。
全ての事象は、言葉によって記録されない限り、時間の流れと共に消失していく。
その記録は、任意の「誰か」に読んでもらうことによって世界に定着する。そこから新しいコミュニケーションが成立し、交流が始まるかどうかは問題ではない。ブログは記述しアップした瞬間から「読まれない手紙」ではないのだから、これは「日記」とはいえない。個人が発信する多様なメッセージだと解釈したほうがよさそうだ。
そこで、私は、ブログの良さは残しておいて、手書きの「日記帳」を用意することとした。
誰にも読まれることのない本来の「日記」は、未来への夢の実現に向けた自分自身へのメッセージに溢れていることを知った。
そして改めて知ったことは、「書く」という行為は、それ自体が自己客観の世界であるということだった。自分の生きることの記録を、淡々と毎日続けていくことの意味が、ここにあると思った。
‥書くことは、すなわち生きることだ!
誰かがこんな言葉を言っていたのを思い出します。
彼は言う。「最近、日記を書かなくなったね‥‥」
ブログは日記だと言う。
しかし、日記は本来自分のための自分に向けた記録であって、誰かに読んでもらうためのものではない、筈ですね。日記には自分の本音が書かれ、本音は概して公開されることを拒む。
その意味から言うと、ブログが本来の「日記」とは対極にある「見せるための記録」であり、昔から記録されてきた内向きの記録の様式とは異なる文化であることは確かなようです。友人の漏らした言葉には、ブログと日記との違いの指摘があったように思えました。
ブログはコミュニケーションへの欲求を底辺に隠し、日記風の記録を媒介にして様々な未知の人々との交流を積極的に成し遂げる道具であると定義すると、ブログに書かれていることは、自分の内面の混沌を、自らの言葉で明瞭にしている行為というより、自分の客観的な記述を通して、他者の視線を感じ取ることに意味があると考えてよさそうです。
全ての事象は、言葉によって記録されない限り、時間の流れと共に消失していく。
その記録は、任意の「誰か」に読んでもらうことによって世界に定着する。そこから新しいコミュニケーションが成立し、交流が始まるかどうかは問題ではない。ブログは記述しアップした瞬間から「読まれない手紙」ではないのだから、これは「日記」とはいえない。個人が発信する多様なメッセージだと解釈したほうがよさそうだ。
そこで、私は、ブログの良さは残しておいて、手書きの「日記帳」を用意することとした。
誰にも読まれることのない本来の「日記」は、未来への夢の実現に向けた自分自身へのメッセージに溢れていることを知った。
そして改めて知ったことは、「書く」という行為は、それ自体が自己客観の世界であるということだった。自分の生きることの記録を、淡々と毎日続けていくことの意味が、ここにあると思った。
‥書くことは、すなわち生きることだ!
誰かがこんな言葉を言っていたのを思い出します。
将棋は本当に面白い。
最近は特に「詰将棋」に凝っている。
詰将棋を解く鍵は、「意外性の一手」を発想する力にありますね。
つまり、一手一手で設定された駒の配置から相手の王様を詰めるプロセスで、必ず「意外性」のある駒の使い方を要求してくるのが詰将棋のポイントなのですが、正解を得るコツが「意外性」にあるのですね。
その意外性の発想力がないと、どこまで駒を動かしても、詰まない仕掛けにはまってしまう。
‥
ビジネス交渉術に例えていえば、ごくごく常識的なアイデアを相手にぶつけても、今日の情報社会ではみんな「知って」いることで意外性が感じられない。アイデアにサプライズがないと交渉や提案も魅力がないということになってしまいますね。
相手を詰ませるという目的達成のために、自分の持ち駒の「金額の高い駒」を大胆に捨て去る‥とか、思いもよらない場所に「価値ある駒を打ち込んでいく」‥とかのアイデアが詰将棋には必須のスキルとなるわけですが、ビジネスでも同様に、相手がドキッとするような捨て駒の活用を提示した時、ある種の突破口が見えてくるように思えるのですね。
将棋に興味のない方には、何を言っているか分らない文章でした。ごめんなさい。
最近は特に「詰将棋」に凝っている。
詰将棋を解く鍵は、「意外性の一手」を発想する力にありますね。
つまり、一手一手で設定された駒の配置から相手の王様を詰めるプロセスで、必ず「意外性」のある駒の使い方を要求してくるのが詰将棋のポイントなのですが、正解を得るコツが「意外性」にあるのですね。
その意外性の発想力がないと、どこまで駒を動かしても、詰まない仕掛けにはまってしまう。
‥
ビジネス交渉術に例えていえば、ごくごく常識的なアイデアを相手にぶつけても、今日の情報社会ではみんな「知って」いることで意外性が感じられない。アイデアにサプライズがないと交渉や提案も魅力がないということになってしまいますね。
相手を詰ませるという目的達成のために、自分の持ち駒の「金額の高い駒」を大胆に捨て去る‥とか、思いもよらない場所に「価値ある駒を打ち込んでいく」‥とかのアイデアが詰将棋には必須のスキルとなるわけですが、ビジネスでも同様に、相手がドキッとするような捨て駒の活用を提示した時、ある種の突破口が見えてくるように思えるのですね。
将棋に興味のない方には、何を言っているか分らない文章でした。ごめんなさい。
米在住の映画評論家で現代アメリカを語る第一人者である町山智浩氏が、海外ドキュメンタリー映画を厳選し、特に日本で未公開の映像を紹介する番組「未公開映画を観るTV」は、実に興味深い映像体験をもたらしてくれる。オセロの松嶋尚美さんが素人の一般人眼線で質問する、そのはずし方も面白い。
昨夜のテーマは、
‥‥Maxed Out(後編)「貸しまくる人々~カード地獄USA~」
実に恐ろしいアメリカの借金地獄の現状が報告されている。
この番組は、2006年に公開されたもので、借金の対象はカード、それも普通のクレジットカードの深刻さをドキュメンタリーで追究したもの。サブプライムローンと同じ構造で、支払能力のない個人に対して次々とカードを発行し、返済が滞った人に対する容赦ない督促の現状が浮き彫りにされていた。
この時期は、サブプライムの衝撃の前段階の現象ではあったものの、そこに登場してくる実在の人物の家族の嘆き悲しみ(カード地獄に陥った人の多くが自殺している)は見るに耐えないものだった。
アメリカの巨大消費によって、一部に巨万の富を得た人がいるかと思えば、アメリカ市民の大半は一般の人で、この消費の罠に掛かって命を落としていってしまう。
その後の住宅ローン地獄は、さらに深刻であり、この衝撃が現在の世界各国に波及しているのは皆さん知っていることではあります。
少し前までの日本の好景気もまた、実需からはほど遠いこのアメリカの幻想に乗っかって、拡大路線をとってしまった。そのツケの大きさに驚くばかりです。
そして、もっと大きな衝撃は、日本の国家が600兆円ともいわれる負債を抱えて破綻寸前なのに比較して、アメリカはさらに大きな負債を抱え(1000兆円?)、既に経済学的には国が破綻している状況だと聞くと、果たしてこれからの世界はどうなってしまうのか? と考えざるをえませんね。
こういう深刻な映像を紹介する町山氏は、しかし終始一貫笑顔。
もう笑っちゃうしかないのか? この笑顔で支えられたシリアスなコミック性は、人間に残された最後の知の対抗策なのかもしれないなどと思ってしまったのですが‥。
昨夜のテーマは、
‥‥Maxed Out(後編)「貸しまくる人々~カード地獄USA~」
実に恐ろしいアメリカの借金地獄の現状が報告されている。
この番組は、2006年に公開されたもので、借金の対象はカード、それも普通のクレジットカードの深刻さをドキュメンタリーで追究したもの。サブプライムローンと同じ構造で、支払能力のない個人に対して次々とカードを発行し、返済が滞った人に対する容赦ない督促の現状が浮き彫りにされていた。
この時期は、サブプライムの衝撃の前段階の現象ではあったものの、そこに登場してくる実在の人物の家族の嘆き悲しみ(カード地獄に陥った人の多くが自殺している)は見るに耐えないものだった。
アメリカの巨大消費によって、一部に巨万の富を得た人がいるかと思えば、アメリカ市民の大半は一般の人で、この消費の罠に掛かって命を落としていってしまう。
その後の住宅ローン地獄は、さらに深刻であり、この衝撃が現在の世界各国に波及しているのは皆さん知っていることではあります。
少し前までの日本の好景気もまた、実需からはほど遠いこのアメリカの幻想に乗っかって、拡大路線をとってしまった。そのツケの大きさに驚くばかりです。
そして、もっと大きな衝撃は、日本の国家が600兆円ともいわれる負債を抱えて破綻寸前なのに比較して、アメリカはさらに大きな負債を抱え(1000兆円?)、既に経済学的には国が破綻している状況だと聞くと、果たしてこれからの世界はどうなってしまうのか? と考えざるをえませんね。
こういう深刻な映像を紹介する町山氏は、しかし終始一貫笑顔。
もう笑っちゃうしかないのか? この笑顔で支えられたシリアスなコミック性は、人間に残された最後の知の対抗策なのかもしれないなどと思ってしまったのですが‥。
仕事で提案書を書くことが多いので、どうしても図解を試みる。
様々な事業のアイデアは、今では単独の仕事は少なく、多くの関与者とのコラボレーションによって進められることが多い。その場合、図で関係を示すのが最もわかりやすく、また、それぞれの関与者の立ち位置も理解しやすい。
また、事業プランを図式化して、事業アイデアが持つビジネスモデルの優位性を示すのにはとても便利ではありますが、図式化することが目的化してしまうと、その解釈に大きな開きが出てくるのもまた事実なのですね。
一時期、何でもかんでも図式化するあまり、説明者によって同じ図がまったく反対の意見となって現れるなどという現象まで起した図解の技術。また図の作成に凝るあまり、複雑すぎてかえって意味不明になってしまう場合も少なくありません。
私は、そんなことで、図解に関する書籍を参考にしたり、ネットで探索することがよくあるのですが、実は、コミュニケーションの方法として最も理 解しやすい図解は、最も単純でシンプルな図なんだということが、だんだん分ってきました。
マルとマルを繋ぐ一本の矢印。
方向を示すこの記号は、絵が単純になれりばなるほど、意味する度合いが深くなっていくように思います。
パワーポイントというアプリケーションの進化のお陰で、日本人のドキュメントの表現力は日々高度化していますが、最もシンプルな図解こそ、最も多くを語るという原則を理解した上で活用することが大切なのだと思いますね。
様々な事業のアイデアは、今では単独の仕事は少なく、多くの関与者とのコラボレーションによって進められることが多い。その場合、図で関係を示すのが最もわかりやすく、また、それぞれの関与者の立ち位置も理解しやすい。
また、事業プランを図式化して、事業アイデアが持つビジネスモデルの優位性を示すのにはとても便利ではありますが、図式化することが目的化してしまうと、その解釈に大きな開きが出てくるのもまた事実なのですね。
一時期、何でもかんでも図式化するあまり、説明者によって同じ図がまったく反対の意見となって現れるなどという現象まで起した図解の技術。また図の作成に凝るあまり、複雑すぎてかえって意味不明になってしまう場合も少なくありません。
私は、そんなことで、図解に関する書籍を参考にしたり、ネットで探索することがよくあるのですが、実は、コミュニケーションの方法として最も理 解しやすい図解は、最も単純でシンプルな図なんだということが、だんだん分ってきました。
マルとマルを繋ぐ一本の矢印。
方向を示すこの記号は、絵が単純になれりばなるほど、意味する度合いが深くなっていくように思います。
パワーポイントというアプリケーションの進化のお陰で、日本人のドキュメントの表現力は日々高度化していますが、最もシンプルな図解こそ、最も多くを語るという原則を理解した上で活用することが大切なのだと思いますね。