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考える道具を考える

The instrument which I think

考える道具を考える-ホワイト22007年にグラフィック社から発刊された「編集デザインの発想法」(ヤン・V・ホワイト著 大竹左紀斗氏監修・訳)は、実に楽しいデザイン書だ。

一冊の書物を創る。

そのクリエイティブな感性を養うのに、こんなに豊かな入門書はない。すでに欧米では編集デザインの基礎講座の定番なのだそうです。

サブタイトルは「動的レイアウトのコツとツボ」とあります。
570の項目に分解された編集デザインのコツが様々な法則によって紹介されています。



特に私が関心を持ったのが「ページネーション」の技術ですね。

考える道具を考える-ページネーション


この絵は、本著の中に紹介されているページの流れを示した絵です。本著の巻末で、ブックデザイナーの鈴木一志さんがこんな風に書いています。

  ‥‥雑誌や書籍は、読者の「めくる」行為によって成り立っている。
    読者は「めくる」ことでページに参加している。
    「めくる」運動を通じて、「めくるめく」読書の世界が出現する。

ネットの世界と書籍の世界の最大の差異は、この「めくる」という行為が存在するかどうかにあると私は考えています。ページをめくる行為は、人間の自由性を最大に楽しむことができる行為ですからね。どのページを開いてもいい、どこから読んでもいい。ページの角を折って、自分の思考の現在関心項目を記してもいい。

「ページネーション」は、「宇宙の収縮と膨張のあいだを自在に行き来する。」(前出鈴木氏)

だから情報をデザインする力が必要なのですね。文字を並べるだけで情報が伝わることは少ない。効果的な「見せ方」「伝え方」の方法自体に、魅力を感じてならないのです。

キムタクと脳科学。
現代ドラマの着想としては、最も視聴率の取れる組み合わせではありますね。
(既にゲームにも同名のソフトが展開されている)

番組の出来栄えや感想は、様々にあるでしょう。
登場人物が全て「アヤシイ」雰囲気であるとか、ストーリィ性に不自然さがあるとか‥恐らく、この番組のもう一つの要素は「漫画的」(キャラが濃いという意味で‥)であるということでもあるのでしょうね。

元ホスト(らしい)のキムタク演ずる九十九さんは、事故で前頭前野を損傷。その後回復の過程である特殊な能力を身に付けていくことになる(らしい)。。(それが警察庁の科研に人材として求められた理由?)


東北大学の川島隆太先生の「脳を育て、夢をかなえる」という著作から要約すると、前頭前野の働きにはこんなものがあるらしい。(表現や項目数は私が要約した言葉です)

 1 推察力。顔の表情や声の様子から、人の気持ちを推測する働き。
 2 記憶力。
 3 意欲。やる気、挑戦意欲の醸成。
 4 自己意識コントロール力。喜怒哀楽の自己制御意識。
 5 発明、発見力。
 6 集中力。
 7 考える力。アイデア発想力。
 8 聞く力、運動能力。

人間の行為のかなりの部分をコントロールしている「司令塔」であることは確かですね。

キムタクさんは、事故でこの能力に外部からの刺激が加えられたわけです。番組の台詞のそこここに、これらの能力を披露するシーンが満載されています。

おそらくこの番組は、こうした能力(脳力)が、犯罪などの事件解明の手掛かりとなっていくシーンが描かれるのでしょう。そして様々な人間の可能性について描いていくことになるのでしょう。それも興味深い豪華キャストを迎えて‥。キムタクさんの脳の中の出来事を、より分りやすくするためには、視聴者の脳に刺激が与えられなければならない。だから、登場人物は、キャラが濃い必要がある。分りやすくするためですね。

あまり細かいことは言わず、大いに楽しみたいですね。所詮、テレビドラマなんですから‥。



考える道具を考える-桂歌若笑点の司会で有名な桂歌丸さんのお弟子さん桂歌若さんが纏めた「一話3分 落語ネタ入門」(朝日新聞出版 2009年5月30日刊)は、文字通り落語のネタを題材にした落語入門書としてとても面白い。

古典落語80話を上席、中席、下席の全三部に分け、一つのテーマについてきっちり新書版3頁を使って解説している。実に几帳面な本なのです。内容は落語ネタのあらすじと読み方指南が書かれているといえばいいでしょうか。

全80話の中には、一般的な作品も多く取り上げられていて親しみやすい。古典落語と言えば主に江戸時代から近代初期までの庶民の暮らしを題材にした噺が多いのですが、本著の優れたところは、古典と言われる時代の中での庶民の暮らしと現代の暮らしを結びつけて、比較文化的な視点で書いているところです。

桜の花見見物やお酒の噺。人間の知ったかぶりの可笑しさ。丁稚奉公や江戸時代の働き方などの描写は、落語入門書でありながら時代の暮らしから見た人間の本質に迫った「物語」の充実ぶりが読み取れます。

とはいえ落語ネタと書いてはありますが、落語の台本の解説ではありません。そもそも落語に台本やシナリオなど存在しないのです。あくまでもネタという言い方での落語の聞き方入門と考えればいいでしょう。

それにしても、立川談春、志らく、桂歌若と、落語家さんの文章は、どうしてこうも上手なんでしょうね?
私の予測では、落語家という商売は、常に噺の「オチ(落ち)」を考えている人達だから、「落ち着いて」読めるということでしょうか?(おあとがよろしいようで‥)
私の友人でいくつものSNSやブログをやっている人がいる。
そんなに沢山のネットワークをやっていて、頭が混乱しないのか? そもそもそんなに書くことがあるのか? などと心配するのをよそに、どのサイトでもしっかりと文章を書き込んでいるのには驚きます。

ただ、時々じっくり文章を読んでみると、この文章の書き方は、ある意味肉体派? 的文章なのだと気がつきました。「書きたい脳」という専門書がありましたが、ある事故を契機に、書かないと死んでしまうという病気?の人がいるという症例が紹介されていましたが、そのイメージに近い書きっぷりなのですね。

恐らく、書く 推敲する 直す 書き加える 推敲する 直す…といった手順はほとんどなく、衝動的に文章が噴出するがごとくに書きなぐっていく。そんな感じなのです。

こういう書き方をシュールレアリストの実験、オートマチスムに近いものといえるのかもしれませんね。
自動筆記にたとえては怒られるかもしれませんが、それに近い衝動で書いている。



私の場合は、これとは反対ですね。
言葉のひとつひとつに拘って、何度も見直しを続けないと気が済まないタイプなので、こういう人の書く行為にはただ驚くばかりなのですね。

フランスの文学評論家モーリス・プランショは、ある本でこんなことを言っています。

 …書くということは生きることだ。
  だから書く行為は、永遠の推敲と同じなのだ。
  文章が書き終わるということは、自己の内なるピリオドではなく、
  締切り、催促などの外部要因によってふいに訪れるだけだ。

正確な文章ではありませんが、こんなプランショの言葉に、私は共感します。

とすると、このブログの文章は、何をもって文章の終わりといえばいいのでしょうか?


日々、コミュニケーション。

この最も人間的な営為に関心のない人はいないでしょうね。

コミュニケーションの様々なスキルの中で、最近は特に、人間の感情のありようを察知する力の大切さが論じられることが多くなった。

コミュニケーションの構造は「論理」と「情緒」。
論理的な考え方や説明は、日本人にとって少し苦手な分野ではあるものの、国際社会の中においては無視できないスキルではあります。ロジカルシンキングなどのブームは今まで欠けていた論理的構造を体得しようという試みなのでしょう。

しかし、他人を説得し、他者を動かす力は、最終的には「情緒」あるいは「感情」の側面が大きいと指摘されているのも事実です。理屈ぬきで本音で語るその姿勢に、特に日本人は共感することが多いわけですね。

では、その場合、相手の「感情」をどのように察知するのか?
相手の表情、話し方、態度、眼線、息遣い‥言葉を除くノンバーバルな態度表現の中に察知しようとするのが一般的ですね。いわば「空気を読む」ということでしょうか?

確かに人間の喜怒哀楽は対面している場合は、ある程度推察できます。暗く沈んだような顔をしている時は、何か悲しいことがあったのか?と思いますし、笑顔が絶えない場合は、とても素敵なことがあったんだなって思います。

しかし、しかし。
たとえ笑顔であっても、その人の感情は、そのまま「楽しい」とは限りませんね。周囲に気遣いをするタイプの人は、その笑顔は自分に課した義務みたいなもので、実は家に帰ってから泣いていたりするのかもしれません。態度や表情だけで、果たして他者の感情の本当が分るのか? 疑問を感じることも少なくありません。

感情を推察し、相手の心情を察知する力。
これは、別のメソッドが必要なのではないかと思い始めています。
何か、効果的な方法は、あるのでしょうか?

‥‥と、まぁ、こんな風に、「感情」のことについて「論理的」に考えようとしている自分は、相手の心情など分る筈もありませんね?(本日は、これでお勘定です!)