シュールなブログの書き方 | 考える道具を考える

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私の友人でいくつものSNSやブログをやっている人がいる。
そんなに沢山のネットワークをやっていて、頭が混乱しないのか? そもそもそんなに書くことがあるのか? などと心配するのをよそに、どのサイトでもしっかりと文章を書き込んでいるのには驚きます。

ただ、時々じっくり文章を読んでみると、この文章の書き方は、ある意味肉体派? 的文章なのだと気がつきました。「書きたい脳」という専門書がありましたが、ある事故を契機に、書かないと死んでしまうという病気?の人がいるという症例が紹介されていましたが、そのイメージに近い書きっぷりなのですね。

恐らく、書く 推敲する 直す 書き加える 推敲する 直す…といった手順はほとんどなく、衝動的に文章が噴出するがごとくに書きなぐっていく。そんな感じなのです。

こういう書き方をシュールレアリストの実験、オートマチスムに近いものといえるのかもしれませんね。
自動筆記にたとえては怒られるかもしれませんが、それに近い衝動で書いている。



私の場合は、これとは反対ですね。
言葉のひとつひとつに拘って、何度も見直しを続けないと気が済まないタイプなので、こういう人の書く行為にはただ驚くばかりなのですね。

フランスの文学評論家モーリス・プランショは、ある本でこんなことを言っています。

 …書くということは生きることだ。
  だから書く行為は、永遠の推敲と同じなのだ。
  文章が書き終わるということは、自己の内なるピリオドではなく、
  締切り、催促などの外部要因によってふいに訪れるだけだ。

正確な文章ではありませんが、こんなプランショの言葉に、私は共感します。

とすると、このブログの文章は、何をもって文章の終わりといえばいいのでしょうか?