相手の感情を察知する力 | 考える道具を考える

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日々、コミュニケーション。

この最も人間的な営為に関心のない人はいないでしょうね。

コミュニケーションの様々なスキルの中で、最近は特に、人間の感情のありようを察知する力の大切さが論じられることが多くなった。

コミュニケーションの構造は「論理」と「情緒」。
論理的な考え方や説明は、日本人にとって少し苦手な分野ではあるものの、国際社会の中においては無視できないスキルではあります。ロジカルシンキングなどのブームは今まで欠けていた論理的構造を体得しようという試みなのでしょう。

しかし、他人を説得し、他者を動かす力は、最終的には「情緒」あるいは「感情」の側面が大きいと指摘されているのも事実です。理屈ぬきで本音で語るその姿勢に、特に日本人は共感することが多いわけですね。

では、その場合、相手の「感情」をどのように察知するのか?
相手の表情、話し方、態度、眼線、息遣い‥言葉を除くノンバーバルな態度表現の中に察知しようとするのが一般的ですね。いわば「空気を読む」ということでしょうか?

確かに人間の喜怒哀楽は対面している場合は、ある程度推察できます。暗く沈んだような顔をしている時は、何か悲しいことがあったのか?と思いますし、笑顔が絶えない場合は、とても素敵なことがあったんだなって思います。

しかし、しかし。
たとえ笑顔であっても、その人の感情は、そのまま「楽しい」とは限りませんね。周囲に気遣いをするタイプの人は、その笑顔は自分に課した義務みたいなもので、実は家に帰ってから泣いていたりするのかもしれません。態度や表情だけで、果たして他者の感情の本当が分るのか? 疑問を感じることも少なくありません。

感情を推察し、相手の心情を察知する力。
これは、別のメソッドが必要なのではないかと思い始めています。
何か、効果的な方法は、あるのでしょうか?

‥‥と、まぁ、こんな風に、「感情」のことについて「論理的」に考えようとしている自分は、相手の心情など分る筈もありませんね?(本日は、これでお勘定です!)