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考える道具を考える

The instrument which I think

日経ビジネスオンラインに5月から間歇的に連載されていた「特別対談 上野千鶴子×深澤真紀 “おひとりさま”の人生メンテナンス術」が終了した。

ジェンダーの神様上野先生が『おひとりさまの老後』を上梓されたのが2007年。そして『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』は、師弟関係にあるお弟子さんの深澤真紀さんが書いた新しい平成時代の若者の生き方を示した作品。2009年4月刊。

日経ビジネスオンラインでは、この二冊の作品を根底に置きながら、二人の自由な対話を掲載していました。


特に私が興味深く感じたのは、自分探しという強迫観念から逃げ出して、自分が嫌いなことリストを作る事が大切という指摘でした。

「機嫌よく生きるには、逃げ方も大事」(上野)という考え方から、「「自分探しをしない」という考え方もいいですね。自分というのは他人との関係の中にしかないのだから、探しても見つからないのは当たり前です。フカサワも苦労したんだなと思うのは、「他人とどう関わっていくかを考えろ」と書いたすぐ後に、「あるいは、関わらないようにすることを考える」と書いていること。「逃げ方」についても触れているところがうまいですね」‥‥という部分ですね。

さらに自分探しの強迫観念を捨てて、「自分取材」が大切だと指摘しつつ、こんなことを言っています。

「「自分探しではなく自分取材をしよう」というところ。自分取材で知るべきこととして、「嫌いなこと」「やりたくないこと」「できないこと」「求められていないこと」と、ネガティブリストを出したのも卓見だと思いました。 」

なるほど。自分を取材することは、つまりは自分を客観的に見つめ直そうという視点が必要ですが、その場合の評価基準は「何かを探さなければ!」という焦りではなく、「何を捨てるべきか?」という視点に立つこと。ものの考え方の逆からの発想ですね。


そして、捨て去った後に、なお、そこに存在する自分。

これは禅の考え方そのものではないかと、ふと思ったのでした。


様々な情報収集の方法がある。

かつては4大メディアと言われた新聞、雑誌、テレビ、ラジオ。
これらの媒体に掲載されている記事を丹念に追っかけていくことで、自分の目標達成のための「情報収集」が実現できる手掛かりが得られた。

今。
これらのメディアに変わって、情報収集の最大の媒体は、インターネットでしょうね。
これだけ検索エンジンが世界的に発達した現代では、ネット検索が最も効果的な情報収集の手段になっています。新聞や雑誌の情報も、この検索エンジンでカバーできてしまうわけですからね。

さて、しかしながらこれらの検索行為で、はたしてどこまで本当に必要な情報に辿り着けるか? これがまた、なかなか難関なようです。

情報は、自らが「視点」と「仮説」を持たないと「情報化」しないといわれています。目の前を通り過ぎる情報は自分にとって役に立たない場合は、「雑情報」とかいわれて、どこかに消えていってしまうのです。情報収集の方法は、検索エンジンで瞬時に、知りたい情報の周辺にまで到達することはできますが、もっと大切なことは、この「仮説力」にありということなのでしょう。

ところでアイデアのヒントは、生活や仕事の周辺に様々に転がっていることも確かですね。
一般的には、メディアの情報のほか、街の中、移動中の電車の中、施設の中‥どこにでも溢れています。

しかし、最近私は特に、人情報に最も大きなヒントがあると、つくづく思うようになりました。

人情報とは、友人、ビジネスパートナー、家族など様々な人が保有している情報。特に、人脈などといわれるように、人の価値観は人に聴け! というように、どのメディアよりも多くの情報を人は持っているということを改めて発見したのでした。

人のつながり。

自分の友人は、きっと自分の何かを埋めてくれる人。
自分の友人は、自分に何かを期待している人。

その心の中の動機は、アイデアのヒントに満ちているのだということなんですね。

やっぱり、友人を大切にしなけりゃ‥いかんね。



村上龍さんがコーディネートするテレビ東京の番組「カンブリア宮殿」。
6月8日放送の番組に、家庭教師派遣のトライ専務取締役 森山真有氏が登場した。

番組の中で興味深い映像が流れたのは、大阪府と協同で実現した前代未聞の? 学校教育との連携のシーンだった。東京杉並でも実験的に行われている課外授業に民間の教育機関から招かれた教師?による特別講座。

「おおさか・まなび舎」の事業への講師派遣によって、子供達が学習に興味を示し、これまで在り得なかった意欲を示すというシーンだ。右脳を活用した記憶力への刺激によって、「薔薇」という文字をすらすら書いていく子供達。(大人でもこの文字は正確には書けないぞ?)

‥‥

結局、受験のための学習法が徹底されている現代の学校教育では、どんなにゆとりだの何だのと言っても、勉強は楽しくないという事実はある。そんな中に登場し、ゲームのように知を記憶していくこの楽しさを体験させる授業は効果的でないはずはない。

新しい知識を吸収することは、人間の快感を強く刺激する。
勉強ではなく学習なのだから、本来的な意味で知的欲求を充足させる学習の目的から考えれば、当然といえば当然。ましてや、どうやら人間の脳は、14歳くらいまでは、文句なく新しい知識をインプットするのに最も効果的な年齢で、つまりは中学までの学習体験は大きな刺激となって、その後の人生を決定ずけるとも思いましたね。

学習の方法は、たえず変化していい。
いや変化したほうがいい。

そんなことを考えさせてくれた番組でした。
そして、ふとこんなことを思ったのでした。

  ‥これからは、高齢者に対しても、
   家庭教師を差し向ける時代が来るのではないか?

そう、どの年齢になっても知的欲求は低下することはない。高齢者という言い方で括られる高い年齢の人だって知的欲求を失ってしまったわけではない。介護、福祉の世界が、どろどろの暗い世界に見える今の時代、実は、介護が必要な人に対して、生活ヘルパーを派遣するだけでなく、家庭教師を派遣すれば、何かが見えてこないか? ということ。

  ‥知への欲求は、人の老化を阻止する筈!

皆さんは、どう思いますか?

考える道具を考える-ドン小西
この絵のオヤジのことを「平成襟立て族」と呼ぶのだそうです。

なぜか、シャツやコートの襟がいつも立っているおやじのことで、「こっちはバブル前から遊び人をやっている、年季の入ったエロおやじが多いんだよね。」という。それでテーマはセクシー、オンスタイルはイタリア物スーツと来るわけですね。ドン小西さん著「部長!ワイシャツからランニングがすけてます」(朝日新聞出版2009年4月30日刊)は、もうただただオジサンの一人として真剣に涙して笑える一冊です。

週刊朝日連載のドン小西のファッションチェックの連載は面白いですね。ファッションは、その人物の内面を現すという、隠せない自分が透けて見える表現なのだということはわかっていても、これまでのオヤジにはなかなかファッションには手が出せなかった。

ドンさんいわく、日本のサラリーマンの典型的は、一シーズンにたった二着のスーツを適当に使い回していることが多いという。それにスーツにネクタイしてれば誰にも怒られないからと思い込んでいる輩も多いらしい。(私もその一人か?)サラリーマンのユニフォーム感覚ですね。確かに。

それに比べてウォール街のビジネスマンにはTPOが行き届いていて、例えば仕事で最初の提案に行くときは、スーツではなく、ノンネクタイのコットンシャツにチノパン、ブレザーでフレンドリーを演出し、いざ契約となると白のシャツにスーツをきちんと着込む。清潔感と信頼感を演出する。さらに金曜日のオフィスではカーディガンなどを着てまわりにふんわりした空気を与えるようなカジュアルさ‥‥ドンさんが誉めているシーンなのですね。

要は、ファッションは個性。観察力と洞察力、そして創造力の三点セットが何より大切なのだとか‥。自分を知り、自分を表現することに拘る姿勢というのでしょうか?

‥で、最初の絵のオジサンは、本著第三章 平成おやじファッション図鑑の中の一人のテーマ。50代後半のオヤジにありがちなタイプ(ドキッ)で、ゴルフ好きのために千葉に一戸建ての家を持ち、ステーキ、寿司、焼肉などの二昔前のグルメ好きで、アパレルの役員や歯科医に多いタイプときたもんだ。但し、この襟立ては数十年前の流行のものですよという指摘。

とにかく、オヤジファッションは、高齢化社会のこれからは何かと話題になるのは間違いない。それだけに笑っちゃう一冊でした。私もたまには、ファッションを考えなければ‥‥。


あっという間に6月も中旬に向かって進んでいる。
6月になって初めてのブログ掲載。
ブログを始めてから、こんなに「間」があいたのは初めてだった。

気を取り直して、気づきのテーマを探していきましょう。

‥‥

さて、茂木健一郎先生の歴史史観に関する一冊「偉人たちの脳」にこんな一説がある。

  ‥歴史の問題とは、畢竟、人間について問いかけることである。

歴史的事実に対して、自分がどう向き合えるのかによって、自分の器量が測られる。

  ‥古の人は、歴史書を「鏡」と呼んだ。

鏡とは、自分の今を見つめる時間、一瞬の時の停止の中に自分の姿を映し出す魔法の瞬間のようにも思えます。歴史を学ぶことは、つまりは、今の自分を見つめること。歴史上の人物の、その瞬間の選択。そこにあっただろう様々な逡巡、決断。そんな心のゆらぎを、自分の問題として捉えることができるかどうかが、歴史を学ぶ大切な視点なのでしょう。

鏡としてのブログ。
そんな活用の仕方のためには、何より、自分の軌跡を、ブログという方法で書き続けることは価値があると思いますね。ブログ記述に間が空いて‥‥少し、自分のブログを見直す時間を持てたことは、私にとっていいことだったと思っています。

これからも、よろしく!