最近、ブログを沢山書いている友人との会話の中でふと感じた違和感があった。
彼は言う。「最近、日記を書かなくなったね‥‥」
ブログは日記だと言う。
しかし、日記は本来自分のための自分に向けた記録であって、誰かに読んでもらうためのものではない、筈ですね。日記には自分の本音が書かれ、本音は概して公開されることを拒む。
その意味から言うと、ブログが本来の「日記」とは対極にある「見せるための記録」であり、昔から記録されてきた内向きの記録の様式とは異なる文化であることは確かなようです。友人の漏らした言葉には、ブログと日記との違いの指摘があったように思えました。
ブログはコミュニケーションへの欲求を底辺に隠し、日記風の記録を媒介にして様々な未知の人々との交流を積極的に成し遂げる道具であると定義すると、ブログに書かれていることは、自分の内面の混沌を、自らの言葉で明瞭にしている行為というより、自分の客観的な記述を通して、他者の視線を感じ取ることに意味があると考えてよさそうです。
全ての事象は、言葉によって記録されない限り、時間の流れと共に消失していく。
その記録は、任意の「誰か」に読んでもらうことによって世界に定着する。そこから新しいコミュニケーションが成立し、交流が始まるかどうかは問題ではない。ブログは記述しアップした瞬間から「読まれない手紙」ではないのだから、これは「日記」とはいえない。個人が発信する多様なメッセージだと解釈したほうがよさそうだ。
そこで、私は、ブログの良さは残しておいて、手書きの「日記帳」を用意することとした。
誰にも読まれることのない本来の「日記」は、未来への夢の実現に向けた自分自身へのメッセージに溢れていることを知った。
そして改めて知ったことは、「書く」という行為は、それ自体が自己客観の世界であるということだった。自分の生きることの記録を、淡々と毎日続けていくことの意味が、ここにあると思った。
‥書くことは、すなわち生きることだ!
誰かがこんな言葉を言っていたのを思い出します。