北京五輪。
日本が金メダルをいくつ取ることができるか?
マスコミ的には少し景気の良い予測が受けているようですが、
私は、10個いけばいいと思っていますね。
スポーツは勝負事なので、勝つか負けるかはっきりします。
勝つためには、出場選手の能力と気力がある‥という前提が必要ですが、
同時にもっと大切なのは、「勝つためのマネジメント」が重要だということですね。
日本選手にはこのマネジメント力が不足しているように思えてなりません。
これは選手だけの責任ではなく、チームとしての組織力、役割分担力が徹底されていないからだといえるでしょう。
勝つためのマネジメント力とは何か?
それは、負けないストーリィを実現するための戦術の力だといえるかもしれませんね。
昨日の柔道の谷選手の準決勝は、まさにこのマネジメント力の差だと考えられます。
実力的には圧倒的に谷選手のほうが上という「現状認識」を持ち、
「戦わずして勝つ」戦術に徹底した外国人選手の作戦が勝ったということでしょうか?
勿論結果は紙一重ですが、一か八かの負けない戦術が、大会を制覇するためのマネジメントといえる
思います。(現実的に、この選手は決勝で快勝しています。高いレベルの実力があるのに、谷選手とはまともに戦わなかった!)
それに対して、日本の陣営は、こういう戦い方をしてくると予測して、それに対する準備をすることより、正々堂々戦うことに依然として美学を持っていると思えてならないのですね。
そして、それでいいのだ! とするのであれば、勝敗に拘る必要はないわけです。
目的に対する結果の捉え方は、日本人に共通する価値観なのかもしれませんね。
何が何でも勝つ!という意識の差、そのために構築する敵の戦術を読むという情報戦に、まだ日本人はなれていないのです。
でも、頑張れ! 日本選手!
昨日、所用で酒屋に立ち寄った。
レジ前で何やら道を尋ねている若い女性がいた。
コピーした地図を示しながら、自分の現在位置が分からないようだった。
対応していたのは、初老のおばあさん。
最近の煙草屋さんや酒屋さんに若い人がいることは少ない。
どうやら道をたずねている若い女性はかなり苛立っている様子。
おばあちゃんは、その小さな文字の汚い地図が読み取れない。
自分の位置どころか、地図そのものも実に不親切なもののようだった。
手を焼いたので、酒屋に入ってきた私を見て、そのおばあちゃんは、
道案内を私に譲った。
私が見ても5回以上はコピーしたような小さな地図は分かりにくかった。
何だかな‥分かり難い地図ですね‥。
するとその女性は、苛立ちをさらに増して、
‥すいません!私、急いでいるんですけど!
早くしてもらえませんか? まったく!
とはき捨てるように言ったのでした。
自分が迷った道を尋ねるのに、こんな不埒な態度があるのでしょうか?
私は、激しく「ムカついた」のでしたが‥そこは大人ですから、堪えて‥。
‥その場所なら、この店を出て反対側にいけば直ぐにわかりますよ!
と、にっこり笑いながら教えてあげたのでした。
すると地図を奪い取るようにして、その若い女性は走って店を出ていったのでした。
ありがとう!の言葉もなく‥。
勿論、私が親切に教えて差し上げた場所は、
その地図に書いてあった目的地とは反対方面でしたが‥。
レジ前で何やら道を尋ねている若い女性がいた。
コピーした地図を示しながら、自分の現在位置が分からないようだった。
対応していたのは、初老のおばあさん。
最近の煙草屋さんや酒屋さんに若い人がいることは少ない。
どうやら道をたずねている若い女性はかなり苛立っている様子。
おばあちゃんは、その小さな文字の汚い地図が読み取れない。
自分の位置どころか、地図そのものも実に不親切なもののようだった。
手を焼いたので、酒屋に入ってきた私を見て、そのおばあちゃんは、
道案内を私に譲った。
私が見ても5回以上はコピーしたような小さな地図は分かりにくかった。
何だかな‥分かり難い地図ですね‥。
するとその女性は、苛立ちをさらに増して、
‥すいません!私、急いでいるんですけど!
早くしてもらえませんか? まったく!
とはき捨てるように言ったのでした。
自分が迷った道を尋ねるのに、こんな不埒な態度があるのでしょうか?
私は、激しく「ムカついた」のでしたが‥そこは大人ですから、堪えて‥。
‥その場所なら、この店を出て反対側にいけば直ぐにわかりますよ!
と、にっこり笑いながら教えてあげたのでした。
すると地図を奪い取るようにして、その若い女性は走って店を出ていったのでした。
ありがとう!の言葉もなく‥。
勿論、私が親切に教えて差し上げた場所は、
その地図に書いてあった目的地とは反対方面でしたが‥。

吉本隆明さんが2001年に毎日新聞社から刊行した「日本近代文学の名作」の文庫版が新潮文庫から出版された。(2008年7月刊)。現著作は、眼を悪くしている吉本さんは自ら原稿用紙に向かうことができないために、毎日新聞の大井浩一さんと重里徹也さんが聞き語りを構成して仕上げたものだ。
当時は、朝日、毎日、読売という日本の3大新聞には絶対書かなかった吉本さんが初めて毎日新聞と組んで日本文学について語ったことが大きなニュースだったが、同時に‥‥
戦後の日本の知の基盤を作ってきた吉本隆明という存在が、近代文学をどう見ているかの批評的視点が注目を集めた。一体、日本の近代文学とは、何処までで区切られるのか? 吉本さんが夏目漱石を、森鴎外を、太宰治を、小林秀雄をどう評価しているか‥。
例えば私の大好きな詩人萩原朔太郎の「月に吠える」を取り上げている章では、朔太郎が近代詩から現代詩への転換点に位置した詩人として位置づけている。その表現における生理的心理主義的表現を、それまでの倫理的構造的表現を重視していた詩の韻律を排除した最初の作品だと指摘しているのですね。
そのなまなましい表現や、モチーフの分断が全体の詩の中で連関している詩作が現代詩への架け橋となっているということでょうか。
こように吉本さんのこの一冊は、近代から現代への転換点を見据えた批評が多く見られてとても勉強になります。時代の転換を記録する文学作品の存在。そして長く名作として読まれていく文学作品が秘めている普遍性。そのあたりが読み取れて(聞き取れて?)楽しい一冊です。
では名作とは何か?
本著の中で吉本さんは、太宰治に触れつつ、こんな風に解説してくれています。
‥優れた作家の作品の特徴は‥読む者に
「これが分かるのは自分だけだ」と思わせるところがある。
それが古典の名作の条件だといえる。
多くの読者が「自分だけが分かる」心情を物語ることができる作品‥
現代小説の中のどの作品が、こういう視点を持っているか‥
そんな文学作品の楽しみ方もあるのですね‥。
さて‥‥。
私は学生時代、陸上競技にのめり込んでいた。
グラウンドに白線が引かれているだけで、何故か胸が踊った。
「さぁ、走ろう!」という声に促されて、自分の筋肉が目覚めていく不思議な感覚を覚えた。
こんなに苦しいことの何が楽しくて陸上競技なんかやっているのか?
と揶揄されることも多かった。ただ走るだけでのスポーツ。
小さい頃の出会いが、人の将来の選択に刺激を与えるのが事実だとしたら、
私は東京五輪でのボブへイズの10秒0の走りに大きな刺激を受けたといえるのかもしれない。
世界の頂点を極めるその肉体の、
優雅というより筋肉の機関車が走るようなダイナミックさに、呆然としていた。
自分もあんなふうになりたい‥。
トップランナーの走りは、どんな言葉より、ただ美しいと思えたのですね。
その日から44年が過ぎて、北京で五輪が開催されますね。
私の興味は、陸上競技100メ ートルのパウエル(ジャマイカ)の走りです。
柔にして剛。人間がどれだけ早く走れるか‥その走りが楽しみです。
恐らく金メダルを争う最も有力な選手の一人ですね。
その走りで、次の世代を担う子供達に、
私が小さい頃に受けた衝撃、感動、そして大きな夢を与えてほしいと願うばかりです。
2008年の子供達に‥
グラウンドに白線が引かれているだけで、何故か胸が踊った。
「さぁ、走ろう!」という声に促されて、自分の筋肉が目覚めていく不思議な感覚を覚えた。
こんなに苦しいことの何が楽しくて陸上競技なんかやっているのか?
と揶揄されることも多かった。ただ走るだけでのスポーツ。
小さい頃の出会いが、人の将来の選択に刺激を与えるのが事実だとしたら、
私は東京五輪でのボブへイズの10秒0の走りに大きな刺激を受けたといえるのかもしれない。
世界の頂点を極めるその肉体の、
優雅というより筋肉の機関車が走るようなダイナミックさに、呆然としていた。
自分もあんなふうになりたい‥。
トップランナーの走りは、どんな言葉より、ただ美しいと思えたのですね。
その日から44年が過ぎて、北京で五輪が開催されますね。
私の興味は、陸上競技100メ ートルのパウエル(ジャマイカ)の走りです。
柔にして剛。人間がどれだけ早く走れるか‥その走りが楽しみです。
恐らく金メダルを争う最も有力な選手の一人ですね。
その走りで、次の世代を担う子供達に、
私が小さい頃に受けた衝撃、感動、そして大きな夢を与えてほしいと願うばかりです。
2008年の子供達に‥
映画の封切りが間近になると、
最近は映画のプロバカンダのためか、
監督や制作スタッフの奮闘振りがテレビで紹介されるケースが目立っている。
新聞でいうパブリシティのテレビ版とでもいうのだろうか?
ぽにょ‥に関連して、民放にもNHKにも登場した宮崎駿監督。
作品創造のプロセスでの苦悩の様子がドキュメンタリータッチで相次いで放映された。
とはいえ、あくまでもパブリシティ。
ナリフリ構わずにお笑い番組にまで参画した三谷幸喜さんとは違う質の番組ではありますね。
映像制作に関心を持つ人、アニメーションに関心を持つ人にとっては、
これはたまらない番組、価値ある番組でもあります。
ところでテレビが動画として動いているように見えるためには、
一秒間に24コマの静止画が連続している必要があります。
一分間の動画を制作するためには、その60倍ですから、1440枚の静止画が必要。
2時間のテレビ放映用の作品を作るには、172800枚が必要となる計算ですね。
テレビカメラで撮影する場合は、こんな枚数を考える必要はないのですが、
アニメになると、一枚ずつ描いていかなければなりませんね。
そして、自然な動きや表情の微妙な動きに拘って
「らしさ‥」を追究していくと、30万枚とか50万枚というようなセル画が必要になってきます。
その気の遠くなるようなワークの積み上げによって、
現実より現実的なイメージが表現されるというわけですね。
まさに格闘。しかし、実際の観客、視聴者は、そんな微妙な表情の変化に拘ってみてはいません。
流れていく映像に乗っかっていていくのがフツウですからね。
しかし、監督がなぜそこまで拘って、一枚ずつの絵を描いていくのか?
それは、実は視聴者の脳に中に、無意識のうちにインプットされるイメージが、
最も重要な創造行為だとわかっているからでしょう。
知らず知らずに宮崎アニメの世界に引き込まれるのは、
実は、表面的な印象として瞬間的に記憶に残る感動とは別次元の、
脳に直接埋め込まれる「らしさ‥」のイメージに人間の身体が打ち震えるからだといえるようです。
これが、理屈ではないファンの誕生の物語なのでしょう。
そして、それがどのように制作されているかを公開していく理由は、
ファンの「飽き」に刺激を与えるためといえるかもしれません。
とはいえ、一度脳にインプットされた衝撃の記憶は、
いつまでも衰えることはないようです。
‥それでいい。
最近は映画のプロバカンダのためか、
監督や制作スタッフの奮闘振りがテレビで紹介されるケースが目立っている。
新聞でいうパブリシティのテレビ版とでもいうのだろうか?
ぽにょ‥に関連して、民放にもNHKにも登場した宮崎駿監督。
作品創造のプロセスでの苦悩の様子がドキュメンタリータッチで相次いで放映された。
とはいえ、あくまでもパブリシティ。
ナリフリ構わずにお笑い番組にまで参画した三谷幸喜さんとは違う質の番組ではありますね。
映像制作に関心を持つ人、アニメーションに関心を持つ人にとっては、
これはたまらない番組、価値ある番組でもあります。
ところでテレビが動画として動いているように見えるためには、
一秒間に24コマの静止画が連続している必要があります。
一分間の動画を制作するためには、その60倍ですから、1440枚の静止画が必要。
2時間のテレビ放映用の作品を作るには、172800枚が必要となる計算ですね。
テレビカメラで撮影する場合は、こんな枚数を考える必要はないのですが、
アニメになると、一枚ずつ描いていかなければなりませんね。
そして、自然な動きや表情の微妙な動きに拘って
「らしさ‥」を追究していくと、30万枚とか50万枚というようなセル画が必要になってきます。
その気の遠くなるようなワークの積み上げによって、
現実より現実的なイメージが表現されるというわけですね。
まさに格闘。しかし、実際の観客、視聴者は、そんな微妙な表情の変化に拘ってみてはいません。
流れていく映像に乗っかっていていくのがフツウですからね。
しかし、監督がなぜそこまで拘って、一枚ずつの絵を描いていくのか?
それは、実は視聴者の脳に中に、無意識のうちにインプットされるイメージが、
最も重要な創造行為だとわかっているからでしょう。
知らず知らずに宮崎アニメの世界に引き込まれるのは、
実は、表面的な印象として瞬間的に記憶に残る感動とは別次元の、
脳に直接埋め込まれる「らしさ‥」のイメージに人間の身体が打ち震えるからだといえるようです。
これが、理屈ではないファンの誕生の物語なのでしょう。
そして、それがどのように制作されているかを公開していく理由は、
ファンの「飽き」に刺激を与えるためといえるかもしれません。
とはいえ、一度脳にインプットされた衝撃の記憶は、
いつまでも衰えることはないようです。
‥それでいい。