「ちょっとどいてくれ。通してくれ、俺を通してくれよ」

「なんだお前は? こんなところで何をしている!」

「俺はカメ爺ってカメムシを探してるんだ」

「カメ爺を探してる?」

「ああそうだ。カメ爺ってのはこの大勢のカメムシ達の大将なんだろ? なぁあんた、カメ爺がどこにいるか知ってるか? 知ってるなら教えてくれよ」

 

カメ爺は今大勢のカメムシ達をが率いて一つ目の宇宙船の前までやって来た。

カメムシ一匹一匹は小さいが、その数は夥しいものでまるで青い空に緑の川が流れているかのような光景だった。

その先頭に立つカメ爺は宇宙船と対峙し、援護の人間達が来るのを待っていた。

 

カメ爺の考えは人間が放つ火の玉、所謂戦闘機が発射するミサイルでこの岩石のような宇宙船のどこか一箇所に攻撃を加えそこから中に入るという事。

それは以前、数匹のカメムシ達にこの宇宙船の偵察を頼んだ時から宇宙船に入り込む方法として考えていた。

偵察のカメムシ達は皆口々に、あの乗り物の中に入るのは我々カメムシの様な小さな生き物であっても困難だとの話を聞いていたからであった。

カメ爺が短い時間の中で出した結論としては、その事だけは人間の力を借りるしか方法は無いという事だった。

そして今その宇宙船を前にしてカメ爺は思った。

確かに偵察のカメムシ達が言うようにカメムシはおろか、カメムシより小さな生き物だったとしてもこの宇宙船に入り込むのは隙は無いだろう。

しかし、直接一つ目達と向かい合えば、カメ子やカーメルが言ったように勝機はある。

とにかく今は人間達の来るのを待つしかない。

今はまだ一つ目からの攻撃はないがいつ攻撃を仕掛けて来るかわからない。

ここへ一つ目からの攻撃を受ければ、いくらカメムシ達の数が多いといえどもひとたまりもない。

 

「カーメルよ、カメ子よ。頼むぞ」

 

カメ爺は多くのカメムシ達の先頭に立ち心の中でそう念じていた。

 

 

「人間がカメムシ達の援護をする?」

「そう。カメ爺が言うにはあの宇宙船の中に入り込むのはカメムシでも困難だから人間の持つ火の玉で攻撃してもらってくれって」

「火の玉で攻撃? あ、そうか戦闘機か何かでミサイルを撃ち込むって事か」

「うん。で、その攻撃した所から中に入ろうとしてるんだと思う」

「確かに一つ目と戦うといっても、あの宇宙船の中に入らなければどうにもならないってわけか」

 

カーメルはカメ子と共に研究所に来ると口早に東岸にカメ爺から聞いた事を説明した。

東岸もカメ爺の考えを理解すると政府に掛け合いどの様に攻撃をするか方法を考えた。

政府としても一度戦闘機が撃墜された事もあり及び腰ではあったが、東岸の説得で各国の戦闘機が飛ぶ事になった。

 

「いいですか、くれぐれもカメムシ達の邪魔にならない様にしてください。その様に全ての戦闘機に指示を出してください」

 

こうして最後の準備は整った。

 

「ありがとう東岸さん。カメ爺に伝えるわ」

 

そう言うとカーメルはその場でじっと目を閉じカメ爺の事を思い浮かべた。

 

「聞こえるカメ爺?」

「うむ。聞こえるぞカーメル。人間達の方はどうじゃった?」

「もうすぐ戦闘機がそっちに向かって宇宙船にミサイルを撃ち込む事になったわ」

「わかった。しかし、相手がどういう動きをしてくるかわからんでな、早めに打ち込んでくれるよう伝えてくれ。一刻を争うのだと」

 

カーメルは、はい、と返事をすると側にいた東岸にカメ爺の言ったことを伝えた。

 

「カーメルちゃん、今そこにって言うか、その、カメムシのカメ爺さんっていう人と話をしているの? もしよかったら私も話をしたいんだけど、大丈夫かい?」

「直接話をすることは出来ないけど、東岸さんの言ったことをこの場で伝える事はできるわ」

「そうか。じゃあまず伝えてほしい事があるんだ」

 

そう言うと東岸は来ている白衣の襟を引き居住まいを正すかのように背筋を伸ばしきちんとした姿勢ではっきりと言葉を発した。

 

「カメ爺さん、そしてその他の全てのカメムシの皆さん、今回の事、本当にありがとうございます。不肖ながらこの東岸マオリ、全人類を代表して御礼申し上げます」

 

そう言うと東岸はカーメルの向こうにいるであろうカメ爺に対し深く頭を垂れた。

その姿を見てカーメルは以前、東岸がカメムシ達の事を軽んじている様な気がして愚痴をこぼした事があったのを思い出した。

それだけに今東岸が自分を通してカメムシの長であるカメ爺に、いや、全てのカメムシに心からの感謝の言葉を口にしたのを聞いてカーメルはその姿に胸を熱くた。

そして目を閉じるとカーメルは興奮する気持ちを抑えながらカメ爺に東岸の言った事を伝えた。

 

「ありがとう東岸さん、カメ爺も喜んでいるわ。人間と力を合わせて戦える事を本当に誇りに思うって」

 

返事を聞いた東岸はうつむいたまま良かった良かったと、何度も呟くように言った。

その体が小刻みに震えていたのはカーメルだけでなくカメ子にもわかった。

そして二人はカメ爺が言っていた、人間とカメムシとのわだかまりが一つ無くなっていったのが感じられた。

そんなやり取りの中、戦闘機数台が到着した。

するとそれまで感傷に浸っていたカメ爺は力強い口調で言った。

 

「よし、これから戦いが始まる。何かあったらまた連絡する。カーメルよ、それまでそこで待っておれ」

 

戦闘機は打ち合わせ通り、カメムシ達と程よい距離を取ると宇宙船に向かってミサイルを発射した。

予定通り宇宙船に穴が開くと、その穴めがけて斥候の為に準備していた五十匹程のカメムシ達が飛んで行った。

ここまでは作戦通りだった。

しかしカメムシ達がその穴に近づくと突然宇宙船の表面に見えない壁が張り巡らされた。

その見えない壁に触れたカメムシ達は一瞬にして燃えてしまった。

 

「こ、これはなんじゃ。どうしたと言うのじゃ!」

 

カメ爺が悲痛な叫びをあげる。

その様子を戦闘機が送ってくる映像を研究所のモニターで見ていたカメ子やカーメル達も驚きと恐怖の声をあげた。

それでも中に入る事が出来た数匹のカメムシは何とか数体の一つ目を倒しはした。

しかし、宇宙船内ではカメムシ達の数を圧倒する一つ目、苦戦しながらも侵入して来た全てのカメムシを倒した。

 

「中に入れなければどうする事もできん。どうしたものか」

 

カメ爺はどの様に攻めていけば良いのか考えを巡らせた。

一刻も早く次の手を打たなければ勝機は無い。

そう思っている所へ一匹の黒い虫が現れた。

それはカメムシと比べ何倍も大きな体を持つ虫だった。

その黒い虫は息を切らせながら聞いてきた。

 

「なぁ、あんたがカメ爺か?」

一つ目ドールは巨大な岩石の様な宇宙船で現れてから、一度だけ研究所に二人の刺客を送って来た以外沈黙を保っていた。

地球の兵器という兵器、戦力という戦力を調べ上げやって来たはずの一つ目達であったが、予想だにしなかったカメムシの力に怯えていたのだ。

勿論、見境なく闇雲に攻撃をして来る事も出来たであろう。

しかし、統率者であるドールは、自分の実力を凌ぐほどの力を持つジークがいともあっさりと倒されてしまい、その遺体の回収に向かった二人の刺客達も倒されドールは慎重にならざるを得なくなっていたのだ。

しかし、人間達にとってこの沈黙は好都合だった。

 

「誰?」

「わしじゃカーメルよ」

 

カーメルが自宅で母になったミヨと一緒に居る所にその耳に懐かしい声が届いた。

人間になった自分に聞こえるなんてどうしてだろうと思ったが、その声は何よりも温かく感じ嬉しかった。

 

「カメ爺? でも、どうして?」

「これがお前に授けた聴く力・話す力じゃ」

「これが・・・」

「そうじゃ。良いかカーメル、今我々カメムシの世界の知恵者と熟練者達は一つ目の元へと飛び立ったところじゃ」

 

知恵者と熟練者達と聞いてカメールは一瞬何の事かと思ったが、すぐのその意味を理解するととたんに胸が熱くなった。

 

「カメ爺・・・」

「な、なんじゃカーメル、そんな悲しい声を出すでない」

「だって・・・・・」

 

カーメルはそれ以上何も言葉にできなかった。

カメ爺はもう一度、カーメルに悲しい声を出すなとたしなめる様に言った。

しかし、カメ爺のその声はどこか楽しそうでもあった。

自信に満ち溢れている。

そしてカメムシの誇りが感じ取れた。

カーメルにはそんなカメ爺が頼もしく感じ、その場で泣き崩れてしまった。

 

「どうしたのカーメル?」

 

隣にいたミヨは独り言の様に何か呟いていたカーメルが突然涙を流すのを見て驚いた。

しかし、カーメルが大丈夫だからと言い手で制すと、にっこり笑いカーメルを優しく抱きしめると静かにその場を離れた。

 

「誰じゃ? 誰かいるのか?」

「お母さんよ」

「お母さん?」

 

お母さん。

カーメルの口から出たその言葉を聞いてカメ爺は若かりし頃、人間の世界での出会いを思い出した。

それは特攻隊として飛んで行った勝一郎とその母ミチの事。

カメ爺にとって懐かしくもあり、切なくもある思い出だった。

そんな二人の事を思い出しながら、母かと、カメ爺は小さく呟いた。

 

「そう。私のお母さん。でも大丈夫。お母さんは分かってくれているわ」

 

そこまで言うとカーメルはまた声を詰まらせた。

そんなカーメルにカメ爺は言った。
 

「カーメルよ、母を大切にするのだぞ。たった一人でもお前の大切な家族じゃ。何よりも大切にするのじゃ。まあよい。それで今回の要件は・・・」

 

カメ爺が本題に入ろうとするとカーメルは言葉尻に被せて言った。

 

「家族? それならカメ爺だって家族じゃない。カメ爺だけじゃない。カメ婆も、ううん、今そこにいる全てのカメムシは私の家族じゃない」

 

興奮し取り乱し気味のカーメルだったが、カメ爺はそんなカーメルの言う事を聞いて安心した。

 

「そうじゃのう。わしらは家族じゃ。カーメル、お前のいう通りじゃ。だがわしらの為に涙は流さんでくれ。勿論、大切に思ってくれるその気持ちは嬉しい。しかし、わしらは決意した者達じゃ。カメムシの世界の知恵者と熟練者達なのじゃ。その誇り高き思いを感じて送り出してくれればよいのじゃ」

「でも・・・・」

 

カメ爺は出来ればカーメルを今すぐにでも抱きしめてやりたかった。

この腕で、この胸に。

あのお構い無しのカーメルが、これから戦いに向かう仲間達の話を聞き涙するなんて、その仲間達を家族だと言ってくれるなんて。

これはきっと人間の世界に行って愛を知ったからであろう、カメ爺はそう思った。

そして人間の世界に送り出して本当に良かったと心の底から思った。

カメ爺はそう満足な気持ちでカーメルに用件を伝えた。

 

「カーメル。わしらが飛び立った事を人間たちに伝えてほしい。そして人間達に援護してほしいとも伝えて欲しいのじゃ。その後、どうやって攻めるかは考えておる。詳しくは奴らの前に立った時にまた伝えよう。だから取り敢えず今この事を人間達に伝えてくれ」

「わかったわ。これからすぐに行ってくる」

「カーメル、カメ子も一緒に連れて行くんじゃぞ。わしの声が聞こえるのはもうお前しかおらんが、カメ子に授けた癒しの力がきっと何かの役に立つだろう。だから二人で行くのじゃ」

 

最後にカメ爺は頼んだぞと言うとその声は聞こえなくなった。

 

「お母さん。あたし行ってくる」

 

ミヨはそのカーメルの清々しいほど決意のみなぎる顔を見た。

こう言う時、今までならどうしたものかとおろおろしたはずのミヨだったが、この時は笑顔で送り出そうと思った。

 

「カーメル、ちゃんと私の元へ帰って来るのよ」

「うん。ちゃんと帰って来る。お母さんの所へ」

 

カーメルはそう力強く言うと、最後に一言茶目っ気たっぷりに言った。

 

「それにあたしのうちはここしかないもん。へへへ」

 

玄関を出るとそこにカメ子が立っていた。

 

「何かあるんでしょ? なんか気になって待ってたの」

「うん。一緒に行きましょう」

 

二人は研究所へ向かった。

カーメルは道中、カメ爺とのやりとりを話して聞かせた。

カメ子は眉間にしわを寄せ、口を真一文字に結び話を聞いていた。

 

「知恵者と熟練者達」

 

カメムシの世界にいた時にカメ爺は戦いに出るカメムシ達の事を年老いたカメムシと言っていた。

それがここに来てその言い方が変わったのを不思議に思った。

しかしカメ子にもカーメルにも分かっていた。

 

「さすが ”カメ婆” だね」

「そうそう、さすが ”カメ婆” だよ。あたしもそう思う」

 

そう言うと二人は声を出して笑った。

その声には恐怖はおろか、怖気付く気持ちや不安な気持ちなど微塵も無かった。

しかし人間になって、カメムシ達と一緒に戦いに行くことは出来なくなってしまったという事は少し淋しくもあったカメ子とカーメルだった。

 

「いいんだよね、これで」

「うん。いいんだよこれで。あたしにはもうカーメルの様にカメ爺と話すことは出来なくなったけど、代わりに癒しの力がある。これがどんな力なのか、どんな事に役立つのかわからない。だけど、今はこの与えられた力で自分の役目を果たすしかない。あたしはそう思ってるっていうか、今はっきりとそう思った」

 

何かを吹っ切った様なカメ子を見てカーメルも少し考えた後、あたしもそう思う事にすると言った。

 

そうして二人は笑顔で研究所へ向かった。

 

「行ってしまったか」

「行ってしまいましたね」

 

カメ爺とカメ婆はカメ子とカーメルが飛んで行った空を見上げながらそれぞれに呟くと、それぞれの思いに耽った。

 

カメ婆はもう帰って来ることの無い二人の顔を思い浮かべ、二人と過ごした日々を思い起こしていた。

人間のように一つ屋根の下というわけではないが、同じカメムシとして何かあれば助け合いながら生活をしてきた。

その中で時にはこちらの言う事に反発する事もあったやんちゃな娘達であったが、今となってはそんなことも含め、触れあった時間すべてがかけがえのないものだと感じた。

そんなカメ子とカーメルの思い出話しでもしようとカメ爺を見ると、カメ爺は眉間にしわを寄せじっと目をつむっていた。

それを見たカメ婆は、きっとカメ爺はこれからの戦いの事を考えているに違いないと思い、話しかけるのをやめた。

 

この時カメ爺は若かりし日に行った人間の世界での出来事に思いを馳せていた。

たった一日ふつかの出来事だったが、片時も忘れる事の無い出来事であった。

それは若かりし日のカメ蔵がカメムシの世界に帰ってからも、そしてカメムシの長カメ爺になった今でも忘れた事のなかった母子、勝一郎と母ミチの事である。

カメ爺は今でも目を閉じると勝一郎、そしてその母ミチの姿をはっきりと思いだすことが出来た。

別れ際、母ミチは言った「あなた達は自分達の世界に戻っても戦争なんかしてはダメだ」ミチは涙ながらにそう叫ぶ様に言った。

カメ爺は今になって強く思うのは、あの時のミチの言葉はただの言葉ではなかったに違いない。

それは何があっても命を粗末にする戦争などしてはならないという心の底からの叫びであり、息子勝一郎を特攻隊にとられた母親としての悲しみの叫びだったのだ。

ミチはそれを人間とカメムシの違いこそあれ、未来ある若者という事で自分達にも伝えてくれたのだ。

しかし、今回の戦いはどうあっても避けられぬもの。

これは人間達ではどうにもならぬことで、自分達カメムシが行かなければこの世界は、いや、この星はなくなってしまうのだ。

そう、これはカメムシでなければならない。

そう思うとカメ爺は心の中で優しく微笑むミチに詫びた。

 

「母上殿、申し訳ありません。母上殿と交わした約束を破り戦いに出向かなけばなりません。何故ならこの戦いは我等カメムシでなければならんのです。今この星を守れるのは我等カメムシしかいないのです。しかし、若い命は無駄にはいたしません。若者にはこの世界に残り未来の為に生きていってもらい、私を先頭に年老いた者達が戦いに出ます。このカメ蔵、戦争などするなという、母上殿との約束は破ってしまいますが、どうかこれでお許しください」

 

カメ婆は何も言わずただ黙したきりのカメ爺の横顔を同じ様にただ黙って見ていた。するとその頰に光るものが頬を伝った。

この時、声をかけようとも思ったが、カメ婆は声をかける事はしなかった。

やはりカメ爺が目を開くのを待った。

カメ爺が再びの号令をかけるのをただ待っていた。

その待っている時間は長いようでもあり短い様でもあったが、カメ婆には無駄な時間には感じられなかった。

その待っている間カメ婆はずっとカメ爺の横顔を見ていた。

そしてどれくらいの時間が過ぎたのかわからなかったが、カメ爺は眉間の皺を解くとぼそっと独り言の様に何か呟いた。

自分に何か言ったのか?

聞き取れなかったカメ婆は真剣な表情でカメ爺の顔を見た。

するとカメ爺はそんなカメ婆に向かって照れくさそうに言った。

 

「なぁカメ婆よ、このわしに付いてきてくれるか」

 

その問いにカメ婆は満面の笑みで答えた。

 

「もちろんですじゃ」

 

カメ爺はカメ婆の答えを聞くと、満足そうに何度もうんうんと頷いた。

そして集まっている大勢のカメムシの方へ向くと凛とした声で言った。

それはこれから戦いに向かう者達への号令であった。

 

「聞け! 戦う決意をしてくれた年老いたカメムシの者達よ。たった今よりその命このカメ爺に預けてくれ!」

 

そうカメ爺から声を掛けられたカメムシ達は、年を取っているとはいえ、どの顔にも興奮の色が見えやる気が漲っているのがわかる。

その決意の顔色にカメ爺は手ごたえを感じはしたが、何か一つ忘れた様な、もう一つ何か言わなければならないことがあるような気がした。

しかし、こういう一大事の時、特に今回は命をかける一大事だ。

不安から何か物足りなさを感じるのも不思議ではないのかもしれない。

そう思うとさらに力を込め、皆を鼓舞した。

 

「我々はこれから戦いの地に飛んでいく。そしてその先頭にはこのカメムシの世界の長であるこのカメ爺が立つ。良いか皆の者、我に続け、我に続くのじゃ!」

 

そう言うとカメ爺は天に向かって右手を突き上げた。

そしてカメ爺の意気を感じた年老いたカメムシ達も声をあげた。

これで戦いの火蓋は切られた、カメ爺だけでなくその場にいた多くの年老いたカメムシ達はそう思った。

この大勢のカメムシ達が向かっていくならば、どんな敵であろうと相手ではない。

皆そう思った。

カメ婆もそう思った。

しかし、カメ婆には一つだけ腑に落ちないことがあった。

いよいよ出発しようというこの時に自分口からこんな事を言っていいものか、もしかしたら士気を下げる事になるのではないかとも考えたが、これが最後なのだからと、思い切って自分の思いをカメ爺に話してみた。

それはただの話というより、カメ婆の心からの訴えでもあった。

 

「なあカメ爺よ、長く生きてきた我等には体中に多くの傷を持つ者もおり、また、体の自由のきかぬもの物もおる。中にはもうすぐ寿命を迎える者もおるでしょう。そう、確かに我々は年老いております。しかし、我々には若いカメムシには無いものがある。それは知恵じゃ。若者がこれから身につけていくであろう、いや、身につけていかねばならぬ知恵がありますのじゃ。我々はこの年になるまでにこの頭に、そしてこの体に刻みこんできた知恵があるのです。そしてこの知恵は今回の戦いでも必ずや役に立つことでしょう。そう、この知恵があるからこそ、我々はどんな困難にも立ち向かえる。そうでは無いか? 」

 

そこまで言うとカメ婆は、もう一度自分の胸に問いかけた。

皆が飛び立とうというこの時にこんな話をしていいものだろうか。

しかし、本当に重大な一大事だからこそ、言っておきたい、いや、言うべきなのだ。

そう自分の心の思いを確認した。

自分も未来の為にこの命を差し出すつもりでいる。

カメ婆はこの時、遺言でも語るかのような気持ちでいた。

そして、その厳粛な気持ちのまま更に話を続けた。

 

「その他に、我等には技がある。それはやはり若いカメムシがこれから身につけるものじゃ。我等年老いた者達は若かりし頃より、何度も何度も失敗をして、何度も何度も悲しみや苦しみの挫折を経験し、それを乗り越えて身につけた技がある。その技は若いカメムシ達がこれから経験して身につけていくものじゃ。我々にはそういった熟練した技がある。その技の熟練者ともいえる者達が命をかける時の号令が、ただ年老いた者というのはいかがなもんじゃろう」

 

そこまで言うとカメ婆は申し訳なさそうな顔をして下を向いてしまった。

 

確かにこの号令を機に戦いに飛び立とうという所だった。

しかし、カメ婆はどうしても口にせずにはいられなかった。

皆がどう思っているかわからなかったが、皆が命をかけ戦いに臨む今だからこそ、カメ婆にはそうする事が正しい事だと思ったからだった。

 

カメ爺はこのカメ婆の話を聞いて驚いた。

それは話の内容もそうだったが、カメ婆が自分の心の内をこうまではっきりという事は今まで無い事だったからだ。

カメ婆は自分と共にカメムシの世界の事を共に悩んで、共に笑って過ごしてきたが、普段はカメ爺の影となり働いていてくれていたので、カメ爺に対して物を言う事など皆無だった。

それが、こうして自身の心の内を強く訴えかけて来るという事が、カメ爺にとって驚きともいうべきことだった。


「どうしても言っておきたかったのじゃ」

 

カメ婆はカメ爺と目が合うと申し訳なさそうな顔のままぽつりと言うとそれきり黙ってしまった。

そんなカメ婆を見てカメ爺は、きっと自分の訴えが水を差したと思い、反省をしているのだろうと思った。

しかし、カメ婆の心からの訴えは、カメ爺の胸の奥深くに突き刺ささり、その心を大きく揺さぶっていた。

これだ、これが必要だったのだ、カメ爺は心からそう思った。

最後のピースがちゃんとはまらなければならない所にはまり、全てが腑に落ちる思いだった。

そして、カメ爺は満面の笑みをたたえながら、下を向いているカメ婆に言った。

 

「流石はカメ婆じゃ。その通りじゃ、本当にその通りじゃ。飛び立つ前に言ってくれ本当にありがとう」

 

そう言うとカメ爺はもう一度号令をかけさせて欲しいと言った。

 

「皆の者、これが最後じゃ。よく聞いてくれ」

 

カメ爺はゆっくりと目の前にいる大勢のカメムシ達を見渡した。

右から左へ、そして左から右へ。

全ての顔を記憶でもするかのように、出来る限りその場のカメムシ達と目を合わせながら、その顔を心に刻んでいた。

その作業が人心地着くと、カメ爺はもう一度ゆっくりと話始めた。

聞き入るカメムシ達はカメ爺の声が先ほどと違ってい、更に力を込めているのがわかった。

 

「先程までこの戦いに向かう皆の事を、年老いたカメムシ達言っておったがまずそれを詫びさせてくれ」

 

カメ爺はまず頭を下げた。

そして続けた。

 

「今このカメ婆に言われたのじゃ、我々はただの年寄りではないと、年は食っておっても我々には若かりし日より学んだ知恵があり、熟練した技があると。そうじゃ、その通りじゃ、本当にそのとおりじゃ。それなのにわしはそうした皆を、もちろん自分も含めてじゃが、ただ年老いた者としてしまった。そこで再度号令をかけさせてほしい。これから戦いに臨む勇者たちに最後の号令をかけるので聞いて欲しい」

 

知恵があり熟練した技を持つ者、そしてそれを武器に戦いに臨む勇者たち。

 

その言葉は、ただの言葉では無くここから飛び立とうとしているカメムシ達への最大の敬意だった。

その場にいる多くのカメムシ達の顔は紅潮し、更に士気が高まっていった。

そしてカメ爺がかける最後の号令で、それは一気に最高潮に達した。

 

「聞け! カメムシの世界の知恵者よ、カメムシの世界の熟練者達よ。この度の戦いでカメムシの世界の長、このカメ爺にその命を預け、共に戦え! 人間に託されたこの誉れを胸に、カメムシの未来の為にその気高き働きを見せてくれ! 良いか!」

 

それに応えるカメムシ達の声も先ほどよりも更に大きくなっていた。

それは足元の地面を揺らし風をも躍らせた。

カメ爺の叫びは皆に勇気を与え、戦う力を与えた。

そしてその隣でカメ婆はこれで心置き無く戦いに向かえる、そう思うと自然と涙が頬を伝った。

 

こうしてカメ爺を先頭にカメムシの世界の知恵者と熟練者達は戦いの場へ飛び立って行った。

「ごめんなさい丸男。もう大丈夫よ。ありがとう」

「でも・・・」

「ううん。もういいの。誰が悪いんでも無いわ。だから丸男も一人で責任を背負いこむような事はしないで。ちょっと取り乱しちゃったけどお母さんもう大丈夫だから」

 

そう言うとお母さんは僕の背中を優しくさすってくれた。

その隣でお父さんもお母さんのいう通りだよとぽつりと言った。

ただその一言だけ。

見るとお父さんも泣いていた。

 

結局、呼び笛を吹いてもカメ子とカーメルを呼び戻す事はできなかった。

それでもその事がきっかけになったのか、お母さんは落ち着きを取り戻していた。

だけど、僕はその逆で今までの不安が全て爆発した。

家まで帰ってくる途中、呼び笛を使えば二人を呼び戻せる、僕はそう思っていた。

又、そう思う事によって安心し、色々な不安を心に沈めておく事ができた。

でもそれが駄目だったとわかった時、僕の中でタガが外れたというか、張り詰めいていた全ての緊張の糸が切れた。

今なぜここにいるのか、何をしなければいけないのか、今はもう何も考えられない。

ただ、今はっきりしてる事は、もう二人を呼び戻すことは出来ないんだという事。

二人はもう帰ってこない、それだけが事実。

そう思うと色んな事が思い出されて涙が止まらない。

僕はこんな形で終わりを迎えるなんてどうしても納得できなかった。

さよならだってちゃんと言えてないのに。

そんな僕を、気持ちの切り替えができたお母さんが慰めてくれていた時、突然家がカタカタと揺れ始めた。

 

「ねぇ、ちょっと揺れてない」

「ああ、揺れてる」

 

お父さんとお母さんは地震だ、と慌てだしたけど僕は違った。

僕はその揺れを感じた瞬間、涙が止まり、気持ちが切り替わった。

家が揺れた事で正気というか、はっきりと元の自分に戻る事が出来た。

それはお父さんやお母さんの様に地震で慌てたからじゃない。

何故なら僕はこの地震の正体を知っているからだ。

そう、この揺れは・・・間違いない。

 

ドスン・バタン・ドテン

ドスン・バタン・ドテン

 

揺れが収まると同時に、二階に何かが落ちた音がした。

僕達三人は同時に天井へと目を向けた。

 

「これって・・・・・」

 

お母さんは震える声で言うと僕の顔を見た。

お母さんもこの音には聞き覚えがあるんだろう。

そしてお父さんも信じられないという顔でこっちを見ている。

僕は二人を見てゆっくり頷いた。

そして自分が思っている事、いや、今ここで三人が思ってる事を口にした。

 

「二人が帰って来たのかもしれない」

 

二人が、と言ったけど、誰が帰って来たのか、僕はその名前を口にしなかった。

というより、怖くて口に出来なかった。

もし二人の名前を口にして、そこに二人がいなかったら、今の音が二人が落ちて来た音じゃなかったら、今度こそ僕の心は粉々になって立ち直れないような気がしたからだ。

正直、二人の顔を見るまで安心できない。

ドアを開けたら二人がそこに立っていて、ただいまといつもの笑顔で言ってほしい。

十数段の階段を上がって来る間、僕はそう心の中で思い続けた。

そして部屋の前まで来ると、気持ちを落ち着かせるために一呼吸ついた。

このドアを開ければ二人がいるはず、いや、いて欲しい。

カメムシの世界から帰って来た全身緑の女の子、カメ子とカーメルが。

そう思いながら僕はゆっくりとドアを開けた。

 

「お帰りカメ・・・子・・カーメ・・ん?」

 

そこには僕に背を向けて立っている二人の女の子がいた。

カメ子とカーメルに違いないと思う。

でも、何かおかしい、何かが違う。

なぜだろう、僕は二人を前にして戸惑っていた。

そんな、おかえりの言葉さえ口から出ない僕に気づくと、二人の女の子はゆっくりとこちらを振り返った。

そして髪の短い方の女の子が残念そうに言った。

 

「まるお~、あたしたち人間になっちゃった~」

 

人間に? なっちゃった?

今目の前にいるのは確かにカメ子とカーメルだった。

だけど、二人に感じるこの違和感はなんだろう。

変じゃ無いといえば変じゃない、でも何かが変わった様にも見える。

勿論、二人が帰って来た事は嬉しい、嬉しいんだけど、僕はその違和感に首をかしげていた。

 

「ねぇ丸男、呼び笛吹いたでしょ?」

「うん。吹いたよ。音は全然鳴らなかったけどね」

「でもあたし達には聞こえたよ。ううん、あたし達だけじゃない。カメ爺もカメ婆も、そこにいた大勢のカメムシ達には聞こえてたんだよ。 丸男が吹いた呼び笛の音が」

 

僕とお母さんが吹いた呼び笛は、どんなに力一杯吹こうが、先から息が抜けるだけで音は鳴らなかった。

それが、どういう訳かわからないけど、カメムシの世界には届いていたようだ。

でも良かった。

本当に良かった。

僕は言葉ではなく、頷く事でそれを伝えた。

カメ子はそんな僕を見て照れくさそうに言った。

 

「ありがとう、丸男」

 

僕も何か言おうとしたけど、面と向かってありがとうなんて言われるとなんかこっちも照れくさくなって、僕は何も言わずもう一度頷いた。

言葉にしなくてもきっとわかってくれる。

その時僕はそう思った。

そしてカメ子は照れくさそうな顔のまま一歩だけ前に出ると僕の目を見て言った。

 

「あのね、カメムシの世界ではね、カメムシは呼び笛で呼ばれた世界で暮らすことが一番幸せなんだって」

 

そう言うとカメ子は、ね、と言ってカーメルを見た。

カーメルも照れくさいのか、何も言わずに頷いた。

でも、人間になったってどういう事だろう。

僕は二人に感じる違和感が人間になったという事に関係があるんだと思って聞いてみた。

 

「変なこと言う様だけど、本当にカメ子とカーメルだよね。なんか今までと、なんて言うか雰囲気が違うって言うか、なんて言うか、えーっと、そのー、・・・・」

 

僕がなんて聞いていいのか分からなくなってしどろもどろになると、カメ子は笑いながらホンモノだよと言って、カメムシの世界での事、そして呼び笛で呼ばれた時の事を話してくれた。

 

カメムシの世界ではカメ爺を中心に大勢のカメムシ達が集まり、一つ目との戦いに向け士気が高まっていた。

それはカメ子とカーメルの二人も驚く様な熱気をはらんだものだったと言う。

そしてカメ子は、あんなに大勢のカメムシが集まってくれるなんてと、話を始めたばかりなのにその目を潤ませた。

カメ子の潤んだ目を見て僕はその光景はさぞかし壮観なものだったんだろうなと思った。

しかし、話が進むと一つ目との戦いに向かう為にカメムシの世界に帰ったカメ子とカーメルに対して、カメ爺がそれを止めたと言う話は驚きというか意外だった。

 

 

戦いに行くためにカメムシの世界に戻ったカメ子とカーメルは、戦いに行かせることは出来ないというカメ爺と言い合いになったんだと話してくれた。

それはカメ子とカーメルだけじゃなく、全ての若いカメムシ達に対してで、戦いには若者ではなく年寄りだけで行く、なぜなら未来のある若者に命の危険がある戦いに参加させる事は出来ないというカメ爺の考えからで、カメ爺はその考えを頑として譲らなかったらしい。

僕はその話を聞いて、心の中でカメ爺に感謝すると同時に自然と涙が込み上げた。

僕は戦争というものは学校の授業やテレビで観たり聞いたりした事があるだけで、本当の戦争というものを知らない。

だけど、人間の世界での戦争は若い人達が兵隊として戦地に向かわされる事ぐらい僕だって知っている。

未来ある若い人達が戦争という名の下で命を落としていく事を。

それをカメ爺は未来ある若者の命を残し、自分達年寄り連中が率先すると言う。

勿論、戦争である以上年寄りのカメムシ達にだって命の危険はあるはずなのに。

僕が涙を流すとそれまで何も話さなかったカーメルが丸男と僕の名を呼び、何度も小さく頷いた。

そんなカメ爺と話が平行線になっている時、突然どこかから聞こえてきた音色が僕達が吹いた呼び笛だった。

呼び笛の音色は初めは微かに聞こえていた程度だったけど、あっという間に辺りに響きはじめた。

それと同時にカメ子もカーメルも何かに吸い上げられる強い力に襲われた。

二人は必死に抵抗したけど、結局抵抗虚しくその力に引っ張られるままにここに帰ってきたと言う。

それは本当にあっという間の出来事だったけど、その抵抗している最中にカメ爺が、カメムシは呼び笛で呼ばれたところで暮らすのが一番幸せなんだという事を教えてくれたんだと言った。

カメ爺は人間の世界で暮らすのであれば緑の肌は必要がないだろうと、カメ婆に頼み魔法の杖の力でその肌の色を抜き、見た目も全て僕達と同じになったという事だった。

その話を聞いて、やっと僕は二人に感じた違和感がなんであるのか分かった。

そしてカメ婆は二人を人間にする時にカメ子には癒しの力を、カーメルには聴く力と話す力を与えてくれた事も話してくれた。

その力がどんな力なのか僕には想像もできないけど、きっと二人に必要な力なんだろう。

とにかく驚く事ばかりだった。

でも、そんなの今更かと思うと今度は自然と笑みがこぼれた。

とにかく二人が帰って来て本当に良かった。

もう会えないかと思っていたのにこうして帰って来てくれて本当に良かった。

それにしても、帰ってきた早々「人間になっちゃった」とはなんともカメ子らしい言い方だなと思った。

そこへ、後ろから絶叫と言ってもいいくらいの声でお母さんが叫んだ。

 

「カメちゃん!」

 

カメ子もお母さーんと叫ぶと、その胸の中に飛び込んだ。

そんなカメ子とお母さんを見てカーメルが何やらモジモジしている。

僕がカーメルにどうしたのと聞こうとした時、横からお母さんが言った。

それはまるでカーメルの気持ちがわかっているかの様だった。

 

「カーメル。あなたはミヨさんのところへ、ううん、あなたのお母さんのところへ早く帰ってあげなさい」

 

カーメルは、はい、と元気よく返事をすると弾む様に部屋を出た。

僕は素直に返事をしたカーメルに驚いた。

今までのカーメルなら、言われなくてもそうするわよ、とか、あたりまえじゃない、とか、どうしてもとげのある返事になっていた。

それがカーメルの普通なのに、今日は素直に返事をした。

それに返事をしたカーメルの顔はとてもきれいに見えた。

きれいと言っても、目鼻立ちがくっきりと、といった見た目の事だけじゃない。

何かとても凛とした感じがした。

よく見るとカメ子からも同じような感じがする。

確かに天然の部分は相変わらずのようだけど、二人は何かこう、逞しくなったように思う。

色々あったけど、カメ子もカーメルも命がけだった分、成長したのかも知れないなと思った。

そんな事を考える自分を、ちょっと偉そうだなと思い、照れくさいというか気恥ずい気持ちになった。

僕はそれを笑う事で誤魔化としたけど、お母さんは何か感じたようで、どうしたのよ、と聞いてきた。

僕は何でもないよと笑顔のままお母さんに言った。

そして、帰って来た二人に一番に言わなければならない言葉を言ってなかった事に気づいた。

 

「おかえりカメ子」

 

僕が言うと、カメ子も、あっ、と自分も言ってなかった事に気づいたらしい。

 

「ただいま丸男」

 

カメ子も照れくさそうに返事をしてくれた。

 

 

 

「嫌だ嫌だ、戦争は嫌だ。 神様はあたしからおじいさんを連れて行ってしまったのに、今度はカーメルちゃんまで連れて行ってしまったの。神様を嫌いになりそうよ。だってあたし、また一人になっちゃったんだもの」

 

ミヨは以前、近所から猫のおばあさんと呼ばれるほど沢山の猫をかっていたが、自身の年齢を考え多くの猫は里親に出し、今は二匹だけになっていた。

そして今、その猫たちに自分の愚痴を話していた。

その手にカーメルが置いていった手紙を大切に持ちながら。

猫たちもミヨの気持ちを察しているかのように、体をこすりつけるように甘えるそぶりをしていたが、突然何かの気配を感じ急にさっといなくなってしまった。

そんな猫たちの動きを不思議に思い、ミヨは庭の方を見た。

自分の座る位置からはちょうど逆光になっており、その顔は見えなかったが、そこに人がいるのはわかった。

自分を訪ねてくる人など滅多にある事ではないし、ましてや庭に回ってくる人などいるはずはない。

 

「サチコさん?」

 

ミヨはその眩しさに目を凝らしながら、人型の影にそう問いかけると、その影はゆっくりとした調子で話しはじめた。

 

「ううん。あたし。帰ってきちゃった」

 

ま、まさか。

その声を聞きミヨは自分の耳を疑った。

いままでありがとうと書置きを残し行ってしまってから、もう二度と会う事はないだろう、その声を聞くことも出来ないだろうと思っていた。

それが今、目の前にいる。

ミヨは驚きながらも目の前の人型の影にぽつりとつぶやくように言った。

 

「カーメルちゃんなの?」

 

ミヨはあまりにも突然の事すぎてそう言葉にするのが精一杯だった。

ただ、神様は一番大切なものは返してくれたと思うと心が震えた。

そして嫌いになりそうだと口にしたことを恥ずかしく思い心の中で手を合わせた。

 

「神様ごめんなさい。でも本当にありがとう」

 

そう心の中で神に詫びるとミヨの頰に静かに涙がつたった。

 

「そう、カーメルよ。でもね、あたし達ね、カメ爺に、お前達は人間の世界で暮らすのが幸せなんだって言われて戻されちゃったの。 でね、人間の世界に住むんなら人間になれって、あたし達人間にされたの。だからね、あたしはもうカメムシのカーメルじゃなくなちゃったの。でもね、カメ子は丸男のうちがあるけど、あたしはいくところもないし、またここに置いてもらおうかなって思って来ちゃったの」

 

その時、黒い影の正体を知った二匹の猫たちも戻って来てカーメルの足元にじゃれついた。

それはまるでカーメルが帰って来た事を喜んでいるようだった。

 

「この子達に会うのも久しぶりね。あ、そうそう、カメ爺から聞いたんだけどあたしとカメ子は姉妹なんだって言われたの。 いきなりそんなこと言われてびっくりしちゃった」

 

そこまで言うとカーメルは大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐いた。

それは気持ちを落ち着かせる為にしているのだという事は分かったが、何を言う為に気持ちを落ち着かせようとしているのかわからなかった。

ミヨは黙って次の言葉を待った。

 

「あたしね、人間の世界に来る前に色々と人間の事を調べてたの。 それでね、人間て自分を産んでくれた人と一緒に暮らすでしょ? それが羨ましいなと思ってたの。それとね、お母さんて言う言葉も素敵だなって思ってたの。温かいって言うか、優しい響きで。あたし達カメムシにはお母さんなんていないけど、もし、呼べることがあれば呼んでみたいなと思ってたの。でね、カメ子は人間の世界に来てお母さんが出来たでしょ? あたしね、カメ子の事なんて一度も羨ましいなんて思った事なかった。 本当よ。でも、カメ子にお母さんて呼べる人が出来た事は羨ましいっていうか、なんて言うか、それだけはいいなって思ってたの。それでね、あのね、あたしね・・・・」

 

カーメル自身も何をどう言ったらいいのかわからなくなっていた。

何を言ったらいいのか、何を言うべきなのか。

ただ懐かしいこの家でもう一度暮らしたい。

こんな自分の事を家族として大切に思ってくれた人と暮らしたい。

その他色んな感情や思いを一気に話してしまおうとすると混乱し、考えれば考えるほどわからなくなっていった。

 

そんなカーメルを見ていたミヨはその気持ちを理解した。

やっぱり心は通じている。

ミヨはそう思った。

そしてまずは自分が気持を伝えようと思った。

そうすればカーメルも自然と自分の気持ちを口にすることが出来るかもしれない。

 

「そんなところで何を言ってるの。 ここはあなたのおうちじゃない。さあ、早くお上がんなさい」

 

そう言うとミヨは両手を広げた。

そして今まで言おうとしても言葉に出来なかったカーメルへの思いを言葉にした。

 

「さあ、こっちへ来てカーメル。あたしの娘カーメル」

 

カーメルはミヨの優しい笑顔を見て、やっぱり自分の居場所はここなんだと思った。

そしてカーメルはミヨの胸に飛び込んだ。

その胸の中でカーメルは恥ずかしそうに、お母さん、と言った。

ミヨはそんなカーメルを強く抱きしめた。

 

「お帰りカーメル」

 

そうして不思議な絆で結ばれた二人は再会の喜びを分かちあった。

僕は帰りのタクシーの中、お父さん、お母さんに呼び笛の説明をした。

二人はポカンとしたままだったけど、とりあえず僕が知ってる事を全部話した。

 

全てのカメムシが必ず一つ持ってるという呼び笛の事を。

 

それは、その笛を吹くとその呼び笛の持ち主はどこにいようと必ず呼ばれた場所に戻ってくるというもの。

だけど呼び笛っていうのは、自分の体の中にあるからって自分の意思で取り出せるわけではなく、取り出した時、カメ子もカーメルも初めて見るものだと言っていた。

カーメルはカメ子が自分の呼び笛を取り出せていたことにも、それを僕に渡したことにも驚いていたけど、それよりも自分の呼び笛がとり出せた事にもの凄く驚いていた。

そしてその自分の呼び笛を僕に渡した。

僕はカメ子の時は特に気にすることなく受け取ったけど、カーメルから呼び笛の説明を聞くとちょっと怖くなって、そんな大事な物は受け取れないと断った。

だけど、カーメルは、ここで取り出せたという事はあなたが受け取るしかないの、と、初対面の僕に対し半ば強引に押し付けるような形で渡してきた。

そんな初めから押しの強かったカーメルの事を思い出すと自然と笑みがこぼれた。

だけど、この呼び笛がカメムシにとってとても重要な物だという事は僕も理解している。

そして今、その力が必要になっている。

 

「これが、その呼び笛?」

「うん。これがカーメルので、こっちがカメ子の呼び笛だよ」

 

僕は不思議がるお母さんにカメ子の呼び笛を渡した。

呼び笛は今はまだ小枝というか、少し太めの爪楊枝のようだ。

 

「これが笛? こんな小さいのどうやって吹くのよ? ただの小枝じゃない」

 

僕は不思議がるお母さんに呼び笛を親指と人差し指でつまみ振ってみせた。

すると呼び笛はみるみる大きくなり、あっという間にリコーダーくらいの大きさになった。

それを見たお母さんは僕がしたのと同じ様にカメ子の呼び笛をふった。

ただの小枝が大きくなるのを見て、お母さんもお父さんも急に真剣な顔になった。

やっと僕の話を信じてくれた。

 

「これが呼び笛だよ」

 

カメ子のは縦笛でカーメルのは横笛だった。

形には意味は無いのだろう。

きっと人それぞれ、いや、カメムシそれぞれの形があるのだろう。

よく考えるとこうやってまじまじと見るのは渡された時以来だった。

そして僕とお母さんは吹き口を確かめると、僕はカーメルの、お母さんはカメ子の呼び笛を吹いた。

見た目ではカーメルのがフルートでカメ子のが音楽の授業で使うリコーダーのようだった。

渡されてから一度も吹いたことは無かったけど、僕はその持ち主がどこにいようと必ず呼び戻す笛というのがどんな音色なのか興味をもっていた。

特にカメ子とカーメルの笛の形の違いを見ると、それぞれ同じ音なのか違う音なのか余計に興味がわいて、さぞ変わった音色がするんだろうと思って期待した。

だけど、そんな期待と裏腹にそれらの笛からは聞こえてきたのはスースーと空気が抜ける音で、とても音色などといえるものではなかった。

 

「なによ、これ。 音なんか出ないじゃない」

 

お母さんは呆れていた。

僕は何が何だかわからないでいた。

 

「おかしいな。 これでいいはずなんだけど」

「からかわれたんじゃないの? 確かにあの小枝がこんな形になるなんてビックリしたけど、音が出ないんじゃ話にならないわよ。それに吹き口はあるけど押さえる穴が無いじゃない」

 

その笛は確かに笛の様に吹き口と空気の抜ける穴が空いて筒状にはなっているけど、押さえる穴、所謂、音階の穴は見当たらない。

こんな事ならもらった時に試しに吹いてみればよかった。

僕はそう思った。

でもこれで打つ手はなくなった。

カメ子もカーメルももう戻って来ることは無いだろう。

そう思うと僕は体中の力が抜け、ヘナヘナとその場に座り込んだ。

それと同時に大粒の涙が次から次へと流れて来た。

ごめんなさいお母さん、ごめんなさいカメ子、ごめんなさいカーメル。

僕は心の中でずっとそう叫んでいた。

 

 

 

「カメ婆よ、この音は何じゃ? 聞き覚えは無いか?」

 

するとカメ婆はあれを見ろと言わんばかりに、満面の笑みをたたえながらカメ子を指さした。

カメ子を見ると、カメ子は何かに吸い上げられる力に抵抗して、体全体で踏ん張っていた。

 

「も、もしかしてこれは呼び笛か? カメ婆よ、これは呼び笛なのか?」

 

カメ婆は笑みを崩すことなく、そうに違いないと言った。

まさかここに来てカメ子が呼び笛に呼ばれるなんて思ってもみなかったのでカメ爺は驚いた、と同時に大いに喜んだ。

 

「そうか、カメ子よ。お前は人間の世界で呼び笛を取り出せたのか。 言い伝えとして知ってはおるが、本物の呼び笛など見た事も無ければ、その音色など聞いたこともなかったぞ。 よっぽど人間の世界との相性が良かったと見える。良かったなカメ子よ」

 

カメ子を吸い上げる力は段々と強くなっていき、もう足を曲げる事も出来ないほどだった。

その時、カメ子の呼び笛とは違った音が聞こえて来た。

 

「ん? これはなんの音じゃ? また違う音色が聞こえるぞ」

 

するとまたしてもカメ婆はあれを見ろと、今度はカーメルを指さした。

 

「な、何と。カーメル、お前もか?」

 

カーメルもカメ子と同じく体全体で踏ん張り、吸い上げられる見えない力に抵抗していた。

 

「こ、こんなこと、な、何でもないわ」

 

カーメルは踏ん張りながらも精一杯そう言った。

それを見てカメ爺は笑いながら言った。

 

「だめじゃだめじゃ。 いかなるカメムシも呼び笛の力には敵わないのじゃ。 呼び笛で呼ばれた以上、必ずそこに引き戻される」

 

そしてカメ爺は笑顔で、これでいいのじゃ、とほっとした。

しかし、カメ子とカーメルは必死に抵抗した。

そして言った。

 

「あたしはカメ子、カメムシのカメ子。 絶対にこんな力には負けない」

「あたしはカーメル、カメムシのカーメルよ。あたしも絶対に負けない」

 

そうむきなる二人にますます笑顔になってカメ爺は別れの言葉を送った。

 

「カメムシの言い伝えでは、カメムシは呼び笛で呼ばれたところで暮らすことが何よりも幸せなんじゃ。 お前達は人間の世界から呼ばれた。 だから人間の世界へ帰れ。そしてそこで暮らすのじゃ」

 

カメ爺はそう言うと、カメ婆を近くに呼んだ。

 

「カメ婆よ。ちーと寂しくなるがこの娘達を送ってやろうじゃないか。ただ・・・」

 

カメ爺はそこで一旦くぎると今までの笑顔を消し、真剣な顔で言った。

 

「人間の世界で暮らすなら、その緑の肌はいらんじゃろう。お前たちのその肌の色は他のカメムシと比べても本当に美しいものじゃ。だが、その肌の色はこの世界へ置いていかねばならん。残念だがの」

 

緑の肌はいらない。

それがどういうことなのか、カメ子とカーメルには咄嗟には理解できなかった。

今は踏ん張る事が精一杯で、それがどういう意味なのか聞く事はおろか、自分の頭で考える事さえも困難になっていた。

その姿を見てカメ爺は本当にこれが最後の別れになると思うと込み上げてくるものを抑えることが出来なかった。

カメ爺は震える声でカメ婆に頼むぞと言った。

カメ婆もそんなカメ爺の心の内は委細承知、真剣な表情でそれに応えた。

 

「カメムシのカメ子よ、そしてカメムシのカーメルよ、良く聞け。 そなた達は、これよりこの魔法の杖でその美しい緑の肌の色を取り除く。そして人間として生まれ変わるのだ」

 

人間として生まれ変わる?

カメ子もカーメルも限界だった。

吸い上げられる力に抵抗できず、踵が浮き、とうとうつま先立ちになっていた。

 

「いやー!!!」

 

カメ子は最後の力を振り絞り声を上げた。

ここまで来ると時間の問題なのは二人にもわかっていた。

しかし、カメムシとしての最後のプライドが叫び声となった。

カメ婆はそんなカメ子に気を取られることなく天に向かって叫んだ。

 

「天の神よ、地の神よ、山の神よ、海の神、その他の全ての神よ、我が声を聞きいれ給え。我はカメムシの長カメ爺の妻、魔法の杖を持つカメ婆である。どうか我の願いを聞き入れ、この魔法の杖にその力を与えたまえ!」

 

すると今まで晴れ渡っていた空が、カメ婆の叫びを聞き入れたのか、闇夜のごとく暗闇に包まれ始めた。

そしてカメ婆はその不気味な空に向かって自身の持つ魔法の杖を突き上げた。

すると今度は急に空が晴れ渡った様に明るくなった。

しかし、それは天気のせいではなく、闇夜に突然現れた光だった。

そしてその光は一筋になると、カメ婆の元へものすごい轟音とともに向かって来た。

カメ婆はその光を全て魔法の杖で受け止めると、さっきまでただの木の杖だった物が光り輝いた。

そして、カメ婆は迷う事なくその杖の先をカメ子とカーメルの二人に向けようとした。

その時、カメ爺が待ったをかけた。

 

「カメ婆よ、ほんの少し、もう少しだけ話をさせてくれ。これで最後じゃ」

 

そう言うとカメ爺はカメ子とカーメル元へ近づき、その両手を大きく広げると二人の肩を抱いた。

 

「カメ子よ、カーメルよ。我らの事は忘れんでくれ。我らは皆家族じゃ、大切な家族なんじゃ。わしはいつまでもお前達の事を忘れはしない。そしてよいか、人間の世界に行っても幸せになるのじゃぞ。それがこのカメ爺の願いじゃ」

 

そう言うとカメ爺はカメ婆を見て、頼むぞと言った。

それを合図にカメ婆が光る杖を二人に向けると光は二人を包み込んだ。

光に包まれたカメ子とカーメルはゆっくりと宙に浮き、先ほどまでとうって変わって穏やかな表情になった。

そしてこれがカメ子とカーメルがこのカメムシの世界で受ける魔法の杖の最後の力だった。

 

「カメ子よ、カーメルよ。最後にそなた達に力を授けよう。カメムシのカメ子よ、そなたには癒しの力を授けよう。 カメムシのカーメルよ、そなたには聴く力・話す力を授けよう。この力を持って人間の世界へ行きなされい」

 

カメ婆がそう言うとさらに強く光り出した。

そしてカメ婆は最後に力強く言い放った。

 

「人間に成りなされい!」

 

その姿を見守るカメ爺は、忘れておったと優しい笑顔で光の中にいる二人に話しかけた。

 

「人間の世界では同じメスから産まれたものを兄弟とか姉妹とか言うのじゃろう? そういう事からするとお前たちは姉妹じゃ」

 

突然カメ爺の口から思いも寄らない事を聞いて光の中で不思議がるカメ子とカーメル。

それを見てもう一言、と言う具合にカメ爺は付け足した。

 

「だが、どちらが姉でどちらが妹かというのは流石のこのカメ爺にもわからんがな」

 

そう言うとカメ爺は声を出して笑った。

そこ横にはカメ婆もいた、ヤンバルもいた、その他多くのカメムシ達がいた。

そしてそれぞれが、カメ子とカーメルに別れを告げた。

その顔は皆笑っていた。

二人を見ているどの顔も笑っていた。

 

そうしてカメムシの世界の家族である仲間達は皆笑顔で二人を送りだした。

カメムシのカメ子、カメムシのカーメルを、カメムシの世界から新天地へと送り出した。

「で、そのあとどうなったの?」

 

当時の事に思いを馳せ、沈黙してしまったカメ爺にカメ子が聞いた。

 

カメ子もカーメルもカメ爺の話を聞いていて、知らず知らずのうちに勝一郎の境遇と人間の世界での自分達の境遇を重ねていた。

カメ子とカーメルの方は親子という訳ではないが、カメ子はサチコを、カーメルはミヨを母親の様に慕っていた。

そしてその母をはじめ大切な人を守る為、カメムシの世界へ戻って来たのだ。

そんな二人にカメ爺は勝一郎の母の思いを通して自分の思いを伝えようと話を始めたが、カメ子とカーメルは母の思いよりも、勝一郎の思いの方を強く感じていた。

しかし、そんなカメ子とカーメルの心の内を知らないカメ爺は、自分の思いが正しく伝わっているのを願いつつ話を続けた。

 

「その後、二人ともしばらく黙ておったが、突然勝一郎はこのまま家を出ると言ったんじゃ」

「えっ? このままって、黙って出て行っちゃうって事?」

「そうじゃ。 そして親元へは帰ってこなければよかったとも言っておった」

「なぜ?」

「わからん。 里心がついてしまったのかもしれんな。 残念ながら頑なに特攻隊として死ぬ事を決意していた奴にはそんな里心などいらぬものだったのだろう」

 

カメ爺はその頃を懐かしむように目を細めるとヤンバルはあの時そんなことがあったのかと苦い顔で言った。

 

「すまぬヤンバル。 あの時はわしも若かった。どうすれば良いのかわからなかったんじゃ。ただ、勝一郎から託された手紙を母親へ渡した後、母親の泣き崩れる姿を見ていたら、わし自身も辛すぎて我慢できなかった。 苦しくて苦しくて仕方なかったのじゃ。 だから不思議がるお前を強引に連れ家を後にしたのじゃ」

「手紙?」

「ああそうじゃ。 勝一郎は出ていく前にわしに手紙を渡したんじゃ。母への手紙をな。渡す時、お母さんに渡してくれと言った。他の時はどうかしれんが、少なくとも奴がわしらの前で母親の事をお母さんと言ったのはその時だけじゃった」

 

そう言うとカメ爺は再び思いを馳せるように遠くを見た。

 

 

 

「なあカメ蔵。 一つ頼みがあるんだ」

「頼み?」

「あとでこれをお母さんに渡してくれないか」

 

そう言うと勝一郎は一通の封筒を渡した。

 

「これは?」

「手紙だ。 別に読めるんなら読んでもいいが、読めんだろう。あ、何、バカにしてるんじゃいぞ。すまんな」

 

カメ蔵は封筒から手紙を取り出した。

勿論読めはしなかったが、その一文字一文字から勝一郎の思いが伝わった来る様だった。

 

「おい、泣いてるのか? えっ、おまえもしかして文字が読めるのか?」

「いや、読めない。でも何が書いてあるかぐらい俺でもわかる・・・・」

 

カメ蔵はそのまま言葉を無くし、嗚咽を隠しきれなかった。

それを見た勝一郎は笑顔で言った。

 

「ありがとうカメ蔵。俺もお前達と会えなくなるのは淋しいよ。でもお前達と知り合えて本当に良かったと思ってる」

 

そう言うと勝一郎はカメ蔵を抱きしめ、もう一度ありがとうと言った。

そしてヤンバルにもよろしくと言ってそのまま笑顔で家を出た。

カメ蔵はその最後の笑顔が悲しくて、後から後から涙が溢れてきた。

たった一日二日の付き合いだったが、とても濃縮した時間だった。

いなくなった今も勝一郎のその声や話し方がその脳裏から離れない。

そこには笑顔の勝一郎がいた、人の笑顔を見るのが好きだと言った、人を笑顔にするのが好きなんだと言った勝一郎がいた。

そんな勝一郎の事を思うとカメ蔵の心は千切れんばかりに痛んだ。

カメ蔵は今までに感じた事のない気持ちのまま、その場に立ちすくんだままでいた。

そのひっそりとした静けさの中、建て付けの悪い襖がカタカタいいながらゆっくりと開き始めた。

それに気づくとカメ蔵は慌てて着物の袖で涙を拭いた。

 

「カメ蔵さんおはよう。早いのね。あら、どうしたの目が赤いわよ。寝足りないんじゃないの?  あ、そうそう、勝一郎見なかった? 今起こしに行ったらいないのよ」

 

そう言うミチにカメ蔵は黙って勝一郎の手紙を渡した。

 

「何これ?」

 

カメ蔵は込み上げるものをこらえながら、勝一郎からお母さんに渡してくれと頼まれたとたどたどしく言った。

 

「えっ? お母さん? あの子がお母さんって言ったの?」

 

カメ蔵は黙ってうなずいた。

母ミチはその封筒をしばらく眺めていたが、やがてその中から手紙を出した。

 

 

母上様
まずは黙って行ってしまう勝一郎をお許しください

私は特攻隊として明後日飛び立ちます

最後に母上様のお顔を拝見でき嬉しく思います

今迄の永い間本当にありがとうございました

我六歳の時より育てくだされし母

ただ  私も もう物心ついた頃  はずかしさもあってどうしてもお母さんとお呼びすることができず本当に申し訳ありませんでした

そんな俺を慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母 俺は幸福だった

しかし遂に今回も最後迄「お母さん」と呼ばざりし事何と意志薄弱な俺だろう。

さぞ淋しかった事でしょう。

だから今こそ大声で呼ばしていただきます。

お母さん お母さん お母さんと

勝一郎 母上の為に飛び立って参ります

人生50年と言うけれど、俺なんかその半分にもならない20年であの世に行ってしまいます

あとの使ってない30年はお母さんに差し上げます

だからお母さんは人より30年余計に生きてください

どうかご無事で どうか長生きをしてください

父上の事よろしく頼みます

さようなら お母さん

母ミチ様 その息子 勝一郎より

 

ミチはその手紙を読み終えるとその場にヘナヘナと座り込み、カメ蔵がその場にいるのも構わずに手紙を胸に声をあげて泣いた。

そして何度も勝一郎、勝一郎と息子の名前を呼び続けた。

カメ蔵は何も言わずその姿を見ていたが、その姿は一人で家を出て行く勝一郎の後ろ姿より悲しいものだった。

そしてカメ蔵はそのまま何も言わずヤンバルの元へ行った。

 

「ヤンバル起きろ。もう行くぞ」

「へっ? なんだって? どこに行くんだ?」

「いいから早く支度をしろ」

 

ヤンバルは眠い目をこすりながら、仕方なくといった感じで支度をした。

 

「あれ、そういえば勝一郎はどうしたんだ? カメ蔵お前探しに行ったんだろ? いたのか?」

 

カメ蔵はその質問には答えなかった。

状況が飲み込めていないヤンバルだったが、黙っているカメ蔵を見て何かあったんだという事は察する事ができ、それ以上勝一郎の名前は口にしなかった。

カメ蔵もとにかくこの家を出るんだ、と、それしか口にしなかった。

そして母ミチに最後の挨拶をした。

ミチはまだ泣いていたのでその悲しく震える小さな背中に向かって声をかけた。

 

「俺達もこれで行きます。 昨日は色々ありがとうございました」

 

二人が家を後にしようとしたその時、ミチが待ってと声をかけた。

 

「あんた達は自分達の世界に戻っても戦争なんかしちゃダメだよ。絶対にダメだ。戦争なんて勝っても負けてもいい事なんてないんだよ。戦争なんて、戦争なんてねぇ、若い人の命を粗末にするだけなんだから。絶対にダメだよ。命を粗末にする様なことしちゃダメだよ。 約束してくれるね」

 

カメ蔵には勝一郎を戦争に取られ、そう叫ぶミチの気持ちが痛いほどにわかった。

そしてカメ蔵は若い命を粗末にするなとのミチの心からの叫びを胸に刻み込んだ。

 

「約束します。 命を粗末にするような事はしません。絶対に・・・絶対にしません」

 

最後はカメ蔵も涙声になっていた。

笑顔で行った勝一郎の事を思うと、この母と最後の別れの時に涙で別れるのはいけないような気がしたが、どうしてもこらえる事が出来なかった。

その涙の意味がわかったのか、ミチは笑顔でありがとうと言って二人を送り出した。

 

 

 

カメ爺は、そう言う事じゃ、と呟く様に言うとカメ子とカーメルに目を向けた。

カメ子はじっとこらえていたが、カーメルは堪えきることが出来ず少しづつ嗚咽を漏らし始めた。

 

「あ、あたしは・・・」

 

その時、突然獣のような、雄たけびのような声が響き渡った。

その声に驚きカーメルの嗚咽は止まった。

 

「これは何の声?」

 

気づくとヤンバルがボロボロと涙を流しながら雄叫びを上げながら跪いていた。

 

「あの時何も聞かなかった俺も悪いが、そんな事があったなんて。あの最後の時に見た母親の涙にはそんな訳があっただなんて・・・・」

 

そのまましばらくヤンバルは泣き続けた。

その姿を見ながらカメ爺はカメ子とカーメルにその後の話をした。

 

「わしらは家を出た後、元いた山に戻り数日過ごしたが、結局戻って来たんじゃ、カメムシの世界に。 で、わしも聞かれなかった事を良い事に、ヤンバルには詳しい事は話さずじまいじゃった。 口にするのが辛かったんじゃ」

 

そう言うとカメ爺はヤンバルにすまんと頭を下げた。

 

「いや、いいんだ。正直言うとあの時俺も怖かったんだ。俺にだって勝一郎がどこに行ったのかは想像できたからな。でもそれをはっきり耳にするのが怖かったんだ。勝一郎が戦争に行っちまった。 もう帰る事の無い特攻隊として行っちまった。 それを勝一郎がいなくなったところで聞くのが怖かったんだ。 俺の方こそすまん。そんな事をずっと一人で抱えさせちまって、本当にすまん」

 

カメ子もカーメルもカメ爺がミチとの約束を守って、自分達、いや、全ての若いカメムシ達の命を粗末にさせない、そしてたとえ避けられない戦争だとしても、未来ある若者にはその命を脅かすような事をさせてはならないという考えを持つ理由は理解した。

しかしそれでもカメ子とカーメルの考えは変わらなかった。

 

「どうじゃ。わかったか? お前達には生きてもらいたい。絶対にこの戦いに参加して欲しくないのじゃ」

「そうだ。お前達には勝一郎の母親の気持ちがわからんか?」

「わかるわ」

 

それを聞いてカメ爺もヤンバルもほっとして、それは良かったと笑顔がこぼれた。

しかし、カメ子の言いたかった事はその先にあった。

カメ子は笑顔の二人とは対照的に、真剣な表情で話を続けた。

 

「カメ爺は勝一郎が特攻隊として飛び立っていく事を理解できないと言ったけど、あたしには勝一郎の気持ちがわかるわ。もちろんあたしだって怖くないわけじゃない。 きっと勝一郎も同じ気持ちだったと思う。 勿論、勝一郎のお母さんの話もわかる、でも、あたしは自分の気持ちを大切にしたい」

 

カメ子はそこまでひと息で言うとカメ爺の目を見つめた。

その横でカーメルも同じ様にカメ爺を見つめていた。

その目は何があっても自分達の気持ちは揺るがない、そう言っていた。

そんな二人を見て自分の伝えたい事は伝わらず、伝わって欲しくない事の方が伝わってしまったとカメ爺は頭を抱えた。

その横でヤンバルもまさに開いた口が塞がらないというように、ぽかんと口を開けたまま立っていた。

その時だった、遥か遠くの方から何やら音がしてきた。

 

「ん? なんだこの音は?」

「ヤンバル、お前にも聞こえるか?  段々と大きくなっている様だが、何の音じゃろう?」

 

よく聞くと同じメロディーが繰り返し繰り返し流れていた。

それも段々と大きくなりながらこちらに向かってくるかの様だった。

カメ爺もヤンバルも始めは何かが攻め入ってくる合図かとも思い警戒したが、周りに変わった様子はなかった。

 

「なあカメ爺よ、もしかしたら魔法の杖を持つカメ婆ならこの音の正体がわかるのではないか」

 

ヤンバルにそう言われ、カメ爺は音の正体を探るためカメ婆を呼んだ。

 

「カメ婆、聞こえるかカメ婆。 どこにおる?  今すぐにここに来てくれ 」

 

すると、ここじゃここじゃ、と言いながら、ひょこひょことカメ婆が姿を現した。

 

「この音が聞こえるかカメ婆よ、この音が何か、 悪いがその魔法の杖で調べてくれんか」

 

そう言われカメ婆はカメ爺の言うその音を聞こうと耳をそばだてた。

 

勝一郎はある一軒の家の前で来ると姿勢を正しその家を仰ぎ見た。

そしてゆっくりと引き戸を開けると一呼吸おいて力を込めて言った。

 

「勝一郎、ただいま帰りました」

 

その姿はここに来るまでの勝一郎とは違い、緊張感に身を包みとても厳かな感じがした。

 

勝一郎は山を下り家に向かう途中、人間の世界の話を色々してくれた。

カメ蔵もヤンバルも人間の世界の事を知ってるといっても大まかな事しか知らなかったので、勝一郎の話す人間の世界の話は新鮮で、何よりとても楽しかった。

楽しいというのは知らない事を知るという事もそうだったが、多くは勝一郎の話し方にあった。

勝一郎は話の最中、身振りや手ぶりを交え、時には声の調子を上げたり下げたして面白おかしく話してくれた。

話の途中勝一郎は言った、自分は人を笑顔にするのが好きだと、人の笑顔を見るのが好きなんだと。

数日後には特攻隊として突撃していかなければならない緊迫した状況という事は分かっていてもこの勝一郎の話し方のおかげで三人の笑顔が絶える事はなかった。

歩き始めてから終始その様な感じだったので、ここに来てこのいきなりの変わりようにカメ蔵とヤンバルの二人は戸惑った。

もしかしたらこれは人間が行う何かの儀式なのかとも思ったが、勝一郎の雰囲気から声を掛ける事も出来ず、二人は勝一郎を後ろから見守る事しか出来なかった。

そんな重い緊張感の中、家の中から声が聞こえてきた。

その声振りは勝一郎に比べ高かったが明るく優しい感じがした。

カメ蔵もヤンバルもその声に心地良さを感じた。

そしてその声を聞いた途端、勝一郎はそれまで固く結んでいた口をほころばせ笑顔になった。

 

「あら、お帰んなさい」

 

玄関で三人を出迎えてくれたのは母親のミチだった。

ミチは息子の突然の帰宅に驚いてはいたが、その表情は優しさく穏やかで、声も明るく弾んでいた。

初めて会うカメ蔵とヤンバルにもそれが喜びの印だという事はわかった。

そんな母親を見て微笑ましい心持ちなっているカメ蔵とヤンバルに、勝一郎は後ろを振り返ると絶対言わないでくれよと小声で言った。

そう言われカメ蔵とヤンバルは勝一郎がここに来るまでの間に話してくれた家族の話を思い出した。

 

 

「なあ勝一郎、お前のうちに行くって事はお前の家族にも会うって事だろ? 本当に俺達が行っても大丈夫か?」

「ああ大丈夫だよ。心配するなよ。うちの両親もきっと喜んで迎えてくれるよ」

 

カメ蔵とヤンバルも人間が家族という単位で生活をしている事は知っていた。

その家族という人間の営みに触れられるという事に二人はとても興味をそそられていた。

人間は自分を産んでくれた者と住処を同じくし、子が独り立ちするまでその単位は続く。

カメムシの二人にとってそんな人間の生活を羨ましく思っていた。

特に家族というものに強く興味を惹かれていたのはカメ蔵の方で、率直に自分の思いを勝一郎に話した。

 

「でもいいよな。俺達カメムシは家族で暮らすって事がないから羨ましいよ」

「羨ましい?」

「ああ。俺達カメムシの世界では、メスのカメムシは俺達を卵で産むと違う場所へ飛び立って行くんだ。それが俺達の世界では普通の事なんだ。だから、自分を産んでくれた者と一緒に暮らす事なんてないんだよ。でもよ、メスが卵を産むっていうのはその産卵中に何かに狙われるかも知れないし、ある意味命がけだろ? そんな思いをして自分を産んでくれた人と一緒に暮らすなんてすごい事じゃないかって俺は思うんだよ」

 

そしてカメ蔵は産んでくれた人と暮らせるというのは楽しいんだろうなとも言った。

すると勝一郎は、はははと笑いながら話してくれた。

 

「それなら俺も同じかもしれん。確かに父も母もいるが、今の母は俺の産みの親ではないんだ。俺を産んでくれた母親は俺が五歳の時に病気で亡くなった。そしてその一年後に父の後妻としてやって来たのが今の母親だ」

 

勝一郎は何でもない事のように話したつもりだったが、まだ会ってもいない人との関係を突然カミングアウトされ、カメ蔵もヤンバルも返事に困ってしまった。

そんな困り顔をしている二人を見て、ごめんごめんと言いながら尚も明るい調子で話を続けた。

 

「そんなに暗い顔するなよ。人間の世界には父親がいないうちも、母親がいないうちもある。その家族家族でいろんな事情があるんだ。それに産みの母じゃないと言っても、今の母親は俺を本当の息子として育ててくれたよ。何よりも大事に、誰よりも大切にな。その事は他ならぬ俺が身に染みてわかっている。だから俺は最後に会いたい人は誰かって聞かれたら間違いなく母親って答えるよ。で、今回は本当に最後になっちまうってわけだがな」

 

カメ蔵とヤンバルは勝一郎の口から最後という言葉を聞くとドキリとして余計に調子を合わせる事が出来なかった。

そんな二人の気持ちをよそに勝一郎はこれだけは約束してくれと、神妙な面持ちになった。

それは両親には自分が特攻隊員だという事は絶対に言わないでくれという事だった。

それはカメムシの二人にとってとても不思議な事に思えた。

一度突撃してしまえばほぼ間違いなく生きては帰って来ることは無いだろう。

それなら直接会うこの最後の機会にきちんと説明したほうが良いのではないかとカメ蔵もヤンバルも思ったからだ。

しかし、勝一郎は頑なに約束してくれと言う。

カメ蔵とヤンバルはおかしいと思いつつも、勝一郎から何度も念を押されると、これが人間の考え方なのかと、その気持ちを理解したわけではなかったが、とりあえず約束すると答えた。

 

 

 

「ねぇ、後ろの方はお友達?」

 

ミチはカメ蔵とヤンバルにも優しく声をかけたが、その裸同然のその姿には驚いた。

 

「それ葉っぱでしょ?  いったい何があってそんな格好してるの?」

 

そう言うとミチは粗末な者だけど葉っぱよりはいいでしょとカメ蔵とヤンバルに浴衣の様な薄い着物をくれた。

 

杉の木の上から落ちて来た時カメ蔵とヤンバルは、所謂裸同然の姿で落ちて来た。

本人達にして見たら普通の姿だったので気にはしてなかったが、勝一郎から人間の世界ではそんな裸で歩き回る奴などいないと言われ、何か身に纏う物を探してみたが山の中で身を包む物といったら葉っぱしかなく、仕方なく大きめな葉を体に巻きつけそれをつるで縛りあげるという物だった。

その姿はミチだけでなく、後から出てきた勝一郎の父勝男も驚かずにはいられなかった。

 

「まるで山賊にでもあって身ぐるみはがされたようだな。ま、とにかく遠慮せずにおあがんなさい」

 

そうして勝一郎の両親は突然の息子の帰郷とともに現れたカメ蔵とヤンバルを嫌な顔ひとつせずもてなしてくれた。

といっても、出された食事はほとんど具が無く微かに色がついているだけの汁とふかした芋がいくつかあるだけだった。

それは質素すぎるほど質素でカメムシの世界で聞いていた人間の食事とあまりにもの違いに驚いた。

カメ蔵もヤンバルも人間の世界に来るにあたって、どんな人間に会えるだろうという事が一番重要な事だったが、それでもほんの少しの旅行気分が人間の世界での食事にも期待をさせていたので、正直多少がっかりした。

しかし直ぐにこれは勝一郎が話してくれた戦況の悪化が原因である事を理解すると、結局はこうして自分達の首を絞める様な有様になるのにとカメ蔵もヤンバルも憤りにも似た感情が湧き上がった。

カメ蔵は人間が行う戦争という馬鹿げた行為の事を考えた。

まだ口にする物があるうちはいい、その内そうはいかなくなるだろう。

どの世界においても争いごとが起これば病人や子供の様な立場の弱いものがまず危険にさらされ大変な目に合い、やがて食べ物にありつくことさえ困難になる。

それが戦争というものだ。

なぜ人間はそれに気づけないのだ。

特攻隊だって同じ事、余りにも愚かな行為だ。

何故だ・・・・。

そう考えるとカメ蔵の気持ちは沈んだ。

同じ事を考えていたヤンバルも箸に手をつけずに固まったままでいる。

 

「どうしたの? お腹減ってるんでしょ? 今はこんなものしかないし、大した物じゃないけど遠慮しないで食べなさい」

「で、でも・・・・」

 

こういう時どういう風にしたらよいのか心得ているカメ蔵はとりあえずありがとうと言って食事に手を付けたが、ヤンバルは申し訳ないという気持ちが先に立ち、自分の思いが口をつきそうになった。

するとミチは言った。

 

「あら、もしかしてあたし達の事気にしてるの? あたしとお父さんはさっき食べたばかりだから大丈夫よ。 あなた達は気にしないでお食べなさい」

 

カメ蔵とヤンバルはその言葉が直ぐに嘘だとわかった。

きっと今置かれたこの状況の中ではこれがこの家においての精一杯のもてなしであるのだろう。

苦しい状況の中こういう気遣いが出来る人間もいれば、戦争をする人間もいる。

人間の温かい心に胸が一杯になるが、後者の人間がとにかく不思議でならなかった。

しかしカメ蔵とヤンバルはこの時人間の世界にやって来て本当に良かったと思った。

今はこのもてなし受けよう、そしてその人間を信じようと思った。

そうしてカメ蔵とヤンバルは質素ではあるが、温かい心からのもてなしを受けた。

 

 

次の朝、カメ蔵は目を覚ますと同じ部屋に寝ていたはずの勝一郎の姿がない事に気づいた。

 

「おい、ヤンバル。起きろよ。勝一郎はどうしたんだ?」

「知らねえよ。用でも足しに行ったんじゃねえのか。 そんな事より頼むからもう少し寝かせてくれよ」

 

昨晩、カメ蔵もヤンバルも人間の世界での初めての夜に興奮していた。

その二人の興味のまとは部屋の中に敷いてある布団だった。

特にヤンバルのはしゃぎようはカメ蔵も呆れるほどだった。

カメ蔵もヤンバルも何かの上に寝るというのは理解できたが、掛布団の様に自分を包むようにする寝具はカメムシ達からするととても珍しかった。

カメ蔵は床につくと一日の疲れが押し寄せ自然と眠りについたが、ヤンバルは興奮して中々寝付くことができず、勝一郎相手にカメムシの世界との違いを遅くまで話していた。

そんなヤンバルを起こすのを諦めたカメ蔵はこっそり部屋を出た。

まだ勝男もミチも寝ている様で家の中は静まり返っていた。

すると居間で一人静かに背筋を正し正座をした勝一郎がいた。

この時の勝一郎には昨日この家に入る前と同じ様な緊張感が漂っていた。

それを見てカメ蔵は声を掛けてよいのか迷ったが、ただの挨拶の様に出来るだけ砕けた感じで声をかければいいだろうと思い声をかけた。

 

「よう、勝一郎」

 

カメ蔵に声を欠けられ一瞬ビクリとしたが、勝一郎も直ぐに返事を返した。

その返事からは緊張感は消えていた。

 

「おはようカメ蔵。早いんだな。ヤンバルはどうした?」

「あいつはまだ寝てるよ。 起こしたんだけど、まだ寝たいってさ」

「ははは。そうだよな。あれだけはしゃいで遅くまで起きてたんだからしょうがないな。あいつ、お前が寝ちまってからも凄かったんだぞ。でもま、ちょうど良かったっちゃ、ちょうど良かったよ」

「ちょうど良かった?」

「ああ、話し相手にな。実は俺も緊張で寝れそうもなかったんでな」

 

勝一郎の眠れないほどの緊張が何なのかすぐにわかった。

流石に片道の燃料と爆弾を積んで敵に突っ込んでいくなんてどう考えても常軌を逸しているし、異常な事としか思えなかった。

カメ蔵は特攻隊の話を聞いてから、そんな人間の考えを理解出来ずにいた。

しかし人間の事には決して口を出すまいと決めていたので、自分の思いを勝一郎に言う事はなかった。

寝れないほど緊張するのであれば、もしかしたらその心の内は自分と同じなのかも知れない。

そう思うと自然と口から言葉が出た。

 

「なあ、勝一郎」

「なんだ?」

「特攻隊ってのには絶対に行かなきゃいけないのか?」

「えっ?」

 

その瞬間、勝一郎の顔が強ばるのがわかった。

その部屋には明かりがなく、日差しもまだ差し込んでいなかったので顔色ははっきりとはわからなかったが、微かに震えているように見えた。

 

「もう決まってるんだ。 今更どうのなんて言えんよ」

「でも、どう考えてもおかしいだろ?  死にに行くようなもんじゃないか!」

 

「死にに行く」その言葉を聞いて勝一郎は語気を強め言った。

 

「ちがう! 俺はこの国を守る為に行くんだ!  俺が、いや、俺達特攻隊がこの国を守る! 俺達は愛するものを守る為に命をかけるんだ!」

 

カメ蔵は言葉を失った。

勝一郎もいい終えると激しく肩で息をするだけで、それ以上何も言葉を発しなかった。

沈黙がその場を支配すると、やがて重苦しい静寂がゆっくりと二人を包んでいった。

カメ爺と言い合いの最中に現れたカメムシのヤンバル。

その体には猛者の証であるかの様な大小様々な傷が刻まれていた。

カメ爺はこのヤンバルを昔ながらの仲間だとカメ子とカーメルに紹介した。

しかしカメ子もカーメルもこの状況で紹介されて、はいそうですかという訳にはいかない。

特にいきなり頭ごなしに怒鳴られた事に気を悪くしたカーメルはヤンバルにキツイ口調で言い返した。

 

「昔の仲間はいいけど、いきなり出てきて、わからんのかってなによ。それこそ、そっちは全然こっちの気持ちなんてわかってくれないくせに」

 

怒鳴られて大人しくなるどころか、逆に言い返してくるカーメルにヤンバルは呆れかえった。

 

「おいカーメルとか言ったな。いいか? いきがいいのは褒めてやるがこれ以上カメ爺に手を焼かせるな」

 

カメ子もカーメルもヤンバルの凄みのある口調にひるむ様子は見られなかったが、カメ爺はそれをたしなめた。

 

「これこれヤンバルよ。気持ちを分かってくれるのはのはありがたいが、お前は顔が怖いんだからもう少し優しく話さんといかんぞ」

「なんだと? 顔が怖いはお互い様だぞカメ爺」

 

そう言うとヤンバルとカメ爺は顔を見合わせて大きな声で笑った。

怒鳴られた事に怒っていたカーメルはそんな二人を見て、人の事怒鳴っといて何笑ってるのよと口をとがらせたが、カメ子は怒鳴られたことに対してより他に気になる事があった。

 

「ねぇヤンバル。あなたも人間の世界に言ったことあるの?」

「ん? ああ、あるともずうっと昔にな。それもこのカメ爺と一緒にだ」

 

そこまで言うとヤンバルはニヤリとした。

 

「えっ? カメ爺が人間の世界へ?」

 

確かに自分達も人間の世界に遊びに行ってるのだから自分達以外のカメムシが人間の世界へ行った事があるとしてもおかしい事はない。

しかし、以前カメ子はカメ爺から、自分はカメムシの世界の長老で、簡単にこの世界を留守にする事は出来ないので人間の世界には行きたくてもいけないと聞いたことがあった。

そのカメ爺がが人間の世界に行ったことがあるなんて、と不思議に思っていると、カメ爺はカメムシの世界の長老になるずっと前でカメ爺がカメ爺になる前、まだカメ蔵と名乗っていた頃の話しだとカメ爺は照れ臭そうに言った。

そう、ヤンバルの口から出た昔見た人間の世界の事とは、若かりし頃のカメ爺いや、カメ蔵とヤンバルの話だった。

 

それを聞いたカーメルはへぇとカメ爺にも若い頃があったんだと、茶化す様に言うと、当たり前だ、バカにするなとまたしてもキツイ口調でヤンバルが言った。

しかしそんなヤンバルのもの言いに慣れたのか、へへへと茶目っ気たっぷりに笑顔を見せると思い出した様に聞いた。

 

「ねぇ、そういえばあたし達の事をとっこうたいのようだって言ったけど、とっこうたいってなに?」

 

特攻隊の事を聞かれると、カメ爺とヤンバルは神妙な面持ちになり二人顔を見合わせた。

そしてカメ爺は遠い目をしながらゆっくり話始めた

 

「わし達が人間の世界に行ったのはずいぶん昔の話じゃ。その時も人間は戦争をしとった。それは今回の様な化け物相手ではなく、人間同士の争いじゃった。人間とは本当に愚かな生き物じゃ。そしてその戦争で負けそうになった時、人間が使った苦し紛れの方法、それが特攻隊じゃ」

 

カメ爺は顔を曇らせたままそう言うと黙り込んだ。

それはどこか悲しそうに見えた。

そんなカメ爺の肩に手を掛けヤンバルが言った。

 

「懐かしいな。覚えてるかカメ爺、奴のことを?」

「勿論じゃ。今でも忘れんよ奴のことは」

 

そう言うとカメ爺は眉間にしわを寄せ真剣な表情で話し始めた。

それは楽しい昔話というのではなく、カメ爺とヤンバルにとって苦く悲しい思い出の一つだった。

 

 

ドスン・バタン・ドテン

ドスン・バタン・ドテン

 

「イッテェ。なんだここは?」

「大丈夫かヤンバル?」

「ああ。尻をしこたま打っちまったが俺は大丈夫だ。お前は大丈夫かカメ蔵?」

「俺は大丈夫だ」

 

二人が降り立ったのは樹齢で何年になるのか分からないほど立派な杉の木が自生している山の上だった。

カメ蔵とヤンバルはその杉の木の葉の中から実った果実が熟し落ちてくるかの様に根元へ落ちて来たのだった。

そしてその巨木からはふもとにある人間の住む町を一望できた。

 

「これが人間の世界か。やっと来たな」

 

ヤンバルがふもとの町を見ながら言うと、カメ蔵も満足げな顔で答えた。

 

「ああ。やっと来たな」

 

カメ蔵とヤンバルの二人はカメムシの世界にいて、常々「何か」を成し遂げたいと話しあっていた。

その思いがやがて人間の世界に向き、人間との交流を思い立ったのだった。

たとえ種は違っても思いは通じ合えるはず。

そしてその通じ合った人間と共に「何か」を成し遂げたい。

そう思っていた。

「何か」それに対しては二人とも深く考えた事はなかったが、とにかく他の種族の者と関わりを持ちたい、カメムシの世界はからやって来た若い二人はそう思っていた。

それは人間の世界において若者が一旗あげたいと思う事と同じことだったのかもしれない。

二人にとってはこの地が「何か」を為し遂げる為の最初の地である。

そうカメ蔵とヤンバルが感慨にふけっていると背後から震える声で誰かが話しかけて来た。

 

「お、おい。お前らなにもんだ? さっきまで誰もいなかったのに」

 

二人はその体をびくっとさせた。

そして緊張しながら振り返ると目に入ったその声の主を見た。

それは若い人間だった。

若いと言っても分別のつかない小さな子供ではなく、見た目ではヤンバルやカメ蔵と同じ年頃の様だった。

その若い人間の質問にヤンバルは質問で答えた。

 

「お前人間だな? お前の方こそこんなとこで何してるんだ?」

 

声の主はカメ蔵達が背にしている巨木の陰からそーっとという感じで顔だけを覗かせていた。

カメ蔵とヤンバルにとって初めて会う人間だったが、相手が若かったせいか、動揺や不安よりむしろ興奮する気持ちが強かった。

しかし人間の方は二人とは違って明らかに動揺してるのが見てとれた。

 

「な、なにって、ちょっと休んでただけだよ。それより、人間だなってお前達の方こそ何者なんだよ? も、もしかしてお前達人間じゃないのか?」

 

そんな人間に対して、普段は口調がきついと仲間からよく言われるヤンバルだったが、この人間には出来るだけ礼儀正しく接しようと思った。

それはこの人間が自分達と「何か」を成し遂げる仲間になるかも知れない、そう思ったからだった。

ヤンバルはまず自分が何者なのかそれを伝える事が礼儀だと思い、まず自身の名を名乗った。

 

「俺はヤンバル。カメムシのヤンバル」

 

するとカメ蔵も同じ様に名乗った。

 

「俺はカメ蔵。カメムシのカメ蔵だ」

 

しかし名前を聞いても人間の不安な気持ちは拭えない様だった。

 

「カメムシのヤンバルにカメムシのカメ蔵? なんだそりゃ?  なぁ、もしかしてさっきの音はお前らが木の上から落ちて来た音か?」

 

そう不思議がる人間にどう説明しようかヤンバルが考えていると、カメ蔵が軽く「力」を出して見せた。

それはカメ蔵達にとってはほんの少しの「力」だったが、人間にしては強力だった様で、人間は身をよじらせた。

しかし、自分達が何者であるかを伝えるには十分だった。

 

「く、臭え!」

 

人間はそう言うと鼻をつまみその場の空気を払う様に手の平であおいだ。

 

「なんだ、お前らへっぴり虫か? どうりで体が青いと思ったんだ」

「すまんすまん。それほど力は出していないつもりだったんだが・・・・」

 

カメ蔵は慌てながらそう言うと、人間がしてるのと同じ様に手の平でその場をあおいだ。

しかし、ヤンバルは人間が言ったへっぴり虫という言葉に引っかかった。

 

「へっぴり虫? 違うぞ。俺達はカメムシだ」

 

突然木の上から実った果実が落ちてくるように落ちて来た二人が、へっぴり虫でもカメムシでも、とりあえず正体がわかったので人間はやっと安心した。

そしてある程度臭いが落ち着くのを待ち自分も名を名乗った。

 

 

人間はかつやまかついちろうと言った。

かついちろうは名乗った後、自分は特攻隊員でもうすぐ特攻隊として飛び立たなくてはならない。

その突撃前の最後の休暇で戻って来た、と、ここにいる理由も簡単に説明してくれた。

そしてここは子供の頃から慣れ親しんだ場所で色々な思い出の場所だとも言った。

しかし、カメ蔵とヤンバルも兵隊という言葉の意味とこの人間がオスだという事は分かったが特攻隊というものが何なのかは分からなかった。

 

「とっこうたい?」

「ああそうか。へっぴり虫には分からんか」

「だから、俺達はへっぴり虫じゃねぇ。カメムシだ」

「すまんすまん。そんなつもりじゃないんだ。ただあの臭いを嗅いじまったんでつい」

 

かついちろうが申し訳なさそうに言うとヤンバルは納得し、もうへっぴり虫と言わないでくれよと念を押す様に言った。

 

「なぁ、お前の事かついちろうって呼んでいいか?」

「ああいいよ。じゃあ俺も名前で呼ばせてもらうよ。その方が変なこと言わなくてよさそうだ。 お前がヤンバルで、そっちがカメ蔵だな。よろしく」

「よろしく。で、かついちろう、とっこうたいってなんだ?」

 

 

カメ蔵とヤンバルがやって来たのは太平洋戦争末期の日本だった。

かついちろうはカメ蔵とヤンバルに、今は戦争中である事、そして現状の戦況、また、特攻隊の事など、自分のわかる範疇で説明した。

しかしそれは、カメムシの世界から一旗あげようという軽い気持ちで人間の世界にやって来たカメ蔵とヤンバルには全く理解のできない事であった。

カメムシの世界にも中の悪い者がいたり意地の悪い者がいていざこざがあったりもする。

しかし、それが殺し合いになるなどということは無かった。

それだけに同じ人間同士が殺し合う戦争というものが信じられなかった。

特に特攻隊の説明で、爆弾を積んだ戦闘機に片道の燃料だけで敵に向かって行くなどという事は理解できないというよりも自分達の考えを大きく超えていて、寒気を覚えるほどだった。

しかし、この時代の人間はこうしていつ終わるとも知れない戦争を続けていた。

 

「そうか。じゃあかついちろうもその戦闘機ってのに乗って行っちまうのか?」

「ああ。だからこの最後の休暇で帰って来たんだ。育ててくれた両親に最後の挨拶もしたいしな。だけどその前にここに来たくなってな」

 

そして、もう二度と来る事は無いだろうからとも付け足した。

話を聞いたヤンバルはそうか、とだけ返事をした。

特攻隊の話を聞いた後、何と返事をしていいのかわからない。

しかし返事をしないでいるのもどうかと思いなんとか口にした言葉だった。

 

「なあ、お前達行く所はあるのか? 無いならうちに来ないか? ま、こんな時だしたいしたもてなしは出来ないが、お前達が来てくれると俺も助かるよ」

「俺達が一緒で助かる?」

「ああ、俺だけだとなんかしんみりしちまうだろ? 人が多い方が賑やかでいいや」

 

そう言うとかついちろうは楽しそうに笑った。

この時はヤンバルもカメ蔵も一緒に笑った。

しかしかついちろうの話を聞いていて一つ不思議に思う事があった。

その事を聞こうか聞くまいか少し躊躇したが、怒らないでくれよと前置きをしてからヤンバルははっきりと言葉に出して聞いた。

 

「でもよ、かついちろう。お前戦闘機に乗って行っちまうって言っただろ? それってもしかしたら死んじまうかも知れねえって事だろ? 怖く無いのか?」

 

ヤンバルはもしかしたら死んでしまうかも知れないと言った。

かついちろうは思った。

俺達は片道の燃料しか積まず敵の前まで行き、積んでいる爆弾もろとも突撃するのだ。

そこには死あるのみ。

それが特攻隊の宿命だ。

そんな事はヤンバルにだって分かったはずだ。

気を遣ってそう言ってくれたのかも知れないが、自分にはもしかしたらは無いのだ。

かついちろうは自分を気遣うヤンバルにやさしいな、と、独り言のようにボソッと呟いた。その呟きはヤンバルには届かなかったが、ヤンバルは逆にまずい事を聞いてしまったと思い慌ててごめんと頭を下げた。

そんなヤンバルに気にするなよとかついちろうは笑顔で言った。

しかし、この時の笑顔は無理に作った笑顔である事はすぐに分かった。

 

「お前達にわかるかどうかわからないが、俺の名前は漢字で書くと勝つに山とかいて勝山、で、勝つに一郎で勝一郎だ」

「かつ?」

「そうだ。勝つに勝つだぞ。どうだ縁起がいいだろう?」

 

そう言うと勝山勝一郎は更に大きな声で笑った。

しかし勝一郎の笑いは少しも楽しそうな感じはしなかった。

一緒に笑う事ができなかった二人はそんな勝一郎にどんな言葉をかけたら良いのか分からなかった。

「カメ子にカーメルじゃったか~」

 

カメ爺にとって人間の世界から戻って来たカメ子とカーメルとの再会は思わぬ再会であったが、喜びの再会となった。

戦いに出れば再びこの地に戻る事は出来ないかもしれない、もしかしたらこれが最後になるのかもしれない、と、何をしている時もそんな思いが常にカメ爺の頭から離れず、戦いを決意し仲間を募ってから、いつも通りの日常が緊張の連続だった。

それは自分だけではなく一緒に戦うカメムシの仲間たちも死に向かわせる事になるかもしれないからだ。

しかし、帰郷してきた二人を前にするとカメ爺のその憂えていた顔はたちまちにほころんだ。

 

「元気そうじゃの」

「うん。あたしたちは元気だよ」

「そうか、そうか。それは何よりじゃ」

 

カメ爺は帰って早々の二人に戦いに出る前に聞かなければと思っていた、自身が一番大切に思っている事を聞いた。

 

「例の事は人間達に伝えてくれたかの?」

 

例の事とはカメ爺がこの戦いに臨むにあたり、人間に一番分かってもらいたかった事。

それは命の危険をかえりみず、何の見返りももとめず、カメムシの世界はもちろん、人間の為にも戦いに向かうそのカメムシ達の気高き精神。

以前カメ爺はその事をカメ子に話し、この精神をもって戦うという事は愛する者のを守る為の戦いなのだと話していた。

その意味を理解したカメ子も人間の世界に、いや、愛するものに別れを告げこのカメムシの世界に戻って来た。

 

「うん。ちゃんと伝えたよ。人間もカメムシ達に本当に感謝してる」

 

人間が自分達カメムシに感謝していると聞いたカメ爺はそうかそうか、と、感慨深そうに何度も頷いた。

カメ子もカーメルもカメ爺のその満足そうな顔を見て、自分達がカメムシと人間との橋渡しが出来たと心の底から誇らしく思えた。

 

カメ爺はその心の内にカメムシと人間が忌み嫌う関係になる事をどうにかしたいと思っていた。

カメムシは人間からすると小さく用のない虫かも知れないが、小さくとも同じ命、また、同じ世界に住む者どうし上手い距離を保ちつつなんとか共存していけないものかと心を悩ませる事が何度もあった。

そんな矢先、カメ子が人間の世界に行って見たいと言い出した。

最初は不安もあったが、これが何かきっかけの様なものになれば良いとの思いから人間の世界へ行くことを許したのであった。

そのカメ子の口から今、カメムシが人間達から感謝されていると聞かされ、カメ爺は胸の詰まる思いで何も言葉にする事ができなかった。

人間に感謝されるという事はその存在意義を認められるという事。

勿論、中にはまだ人間達に恨みを持つカメムシもいる事はカメ爺にもわかっていた。

しかし、どこかでわかり合う事ができ、お互いがお互いを信頼する事が出来れば、今までの悪しき関わり方も変わり、新たな関係が築けるのではないかとカメ爺は考えていた。

その為の代償は小さくないが、今頼りにされているのはカメムシなのだ。

我等しかいないのだ。

そう思うと、カメ子を人間の世界へ行かせたのは間違いではなかったとカメ爺は思った。

そしてその思いを満面の笑みに変え、初めにカメ子とカーメルの二人を見て、次に集っている大勢のカメムシ達の方を向くとその胸の内を熱く語った。

 

「皆の者、よく聞いてくれ! 人間達に我等の思いが伝わった。 このカメ子とカーメルが人間達に伝えてくれたのじゃ。勿論、わしも様々な思いの者がいるのは知っておる、しかし、これは我等カメムシにしか出来ない事なのじゃ。 今度の戦いで我等カメムシの本当の力を、我等カメムシの気高さを、そしてその生き様を見せてやろう!」

 

カメ爺の号令はその場にいたカメムシ達を沸き立たせた。

その沸き立ちようは地響きでも起きたのかと思うほどの凄まじいものだった。

それを目の当たりにしたカメ子とカーメルは、その数と熱量に圧倒されたが、群衆の中に見慣れた懐かしい顔をいくつも見つけると、自分達も仲間なんだという誇らしい気持ちが強く湧いた。

カメ爺はそんなカメ子とカーメルの驚き様子を見てとるとに笑顔で語りかけた。

 

「どうじゃ、この広い世界から様々な種類のカメムシ達が未来を守る為に立ち上がってくれたのじゃ。本当に尊いカメムシ達なんじゃ」

 

カメ爺にそう話しかけられるまで、カメ子とカーメルの二人は決起したカメムシ達を前に自分達が言葉を失っていた事に気づかなかった。

しかしそれは今まで見たこともない数のカメムシ達を前にして同じ目的を持ち心が一つになる、所謂人間で言うところの一丸となるという一体感に浸っていたからだった。

それは不思議な一体感であったが、戦いに向かう不安も恐怖も吹き飛ばすほどで、カメ子とカーメルにとってとても心地良いものであった。

そして人心地つくと、よくこれだけの数のカメムシが集まってくれたね、と、大勢のカメムシ達を見てカメ子が目を瞠りながら言い、その横で同じように目を瞠っていたカーメルがカメ爺に対してに言った。

 

「確かに集まった数も凄いけど、これだけのカメムシ達をまとめるなんてさすがはカメ爺ね」

 

カーメルにそう言われるとカメ爺は照れくさそうに笑った。

そしてカメ婆もカメ爺は本当に偉大なカメムシだと言うと、カメ爺は更に照れくさそうにして、わしをおだてても何も出んぞと言い、照れくささを隠すようにカメ子とカーメルに話しかけた。

 

「それにしてもわざわざ人間達の事を伝えにやって来てくれてありがとう。 戦いに向かうカメムシも喜んでおる。 それに人間に対して色々因縁を持つ者も、人間の方から頭を下げカメムシの力が必要としている事が分かって少しはわだかまりもなくなるじゃろう」

 

そう言うとカメ爺は右手でカメ子の左腕を左手でカーメルの右腕を掴み笑顔で何度もうなづいた。

その笑顔はカメ爺が二人に送る最大の感謝の気持ちだった。

 

「さ、カメ子にカーメルよ、用が済んだら下がりなさい。ここは戦いに向かう年寄り達だけの場所じゃ。お前たちはその後ろで静かに見守っていてくれ。勿論また人間の世界へ行ってもよいぞ」

 

カメ爺は里帰りした娘ともいえる二人にそう言うと、ひとり心の中で思った。

この娘達に会うのはこれが最後になるかも知れない。

でもこれでいいのだ。

この娘達が、いや、未来ある全ての若いカメムシが楽しく生きて行ってくれれば良いのだ。

自分の戦いはその未来を作る為のもの。

それで良い、それで満足だ。

そう感慨深く思うと、娘達に送られて戦いに向かうのもまた一興、と、カメ爺は笑顔で独り言ちた。

しかしそんなカメ爺に対して二人の娘達の気持ちは固まっていた。

そして娘達はしっかりと、そしてはっきりと自分達の意思を言葉にした。

 

「あたしとカーメルも一緒に戦いに参加するわ」

 

カメ子の口から戦いに参加すると聞いたカメ爺の顔は曇った。

人間との橋渡し役になったこの二人はその責任を感じているのかも知れない。

カメ爺はこの二人にどの様に話せば分かってもらえるか頭を悩ませたが、若いカメムシ達を相手にした時とは違い優しく諭すように二人に話す事にした。

それはこのしっかりした考えを持つ娘達は血の気の多いオスのカメムシ達とは違いゆっくり話せばきっと自分の思いを理解してくれると思ったからだった。

 

「カメ子にカーメルよ、今も若いカメムシ達に言ったところじゃ。この戦いは年老いた者達だけで行く。お前たちの様な若いカメムシ達はここに残って未来を作ってほしい。お前達のその気持ちはありがたく受け取るが、連れていくことは出来ぬ。断じて出来ぬのじゃ」

 

カメ爺は二人に対して毅然と言い放った。

するとそんなカメ爺に対しカーメルが自分達の考えを話し始めた。

 

「確かに若いカメムシ達がこの戦いに参加しないって言うのは理解できるけど、あたし達は別でしょ? 」

「だめじゃ。別はない。 何があろうが若いカメムシを戦いに連れて行く事はできぬ」

「だってあたし達は実際に戦ったのよ、あの化け物と。そのあたし達が行った方がいいに決まってるじゃない」

「実際に戦ったからなんだというんじゃ。お前たちにできた事がこの爺に出来ぬとでもいうのか? 何年生きていると思っているのじゃ」

「はぁ? 長く生きてるって言っても、あんな化け物と戦った事なんてないでしょ? いい? もう一度言うわよ、あたしたちはあの化け物を何体も倒したの。そのあたし達が行かないでどうするのよ」

「お前達が何体もというのなら、わしはなん十体も倒して見せるわ」

「何よそれ」

「なんじゃ」

「ちょっと年取ってるからって威張らないでよ」

「な、なんじゃと! 威張ってなんかおらんわ! そっちこそ年配者の言う事を聞け!」

 

カメ爺とカーメルの二人の話し合いは、段々とああ言えばこう言う、という本筋とは違う言い合いになり全く決着がつきそうにもなかった。

そばで見ていたカメ子も正直大人げないと思いながら二人に割って入った。

 

「もう、二人ともいい加減にしてよ。カーメルもそんなに興奮しないで、カメ爺ももうちょっと落ち着いてよ」

 

しかし、カメ子がなだめても、興奮した二人の勢いは止まらず、口を開くとカーメルは、カメ爺は、とまた不毛な言い合いが始まる。

呆れたカメ子はしばらく放っておこうかとも思ったが、一つ目の事を考えるとやはり猶予はない。

カメ爺にはどうしても自分達の思いを分かってもらはなければならない。

確かに一つ目と戦ったといっても、これまで倒した一つ目は必ず自分とカーメルで一人の一つ目を相手にするという圧倒的有利な状況の元でのもので、今回はそうはいかない事はわかっていた。

特に一つ目の、あの目で追う事も出来ない動きの速さには何があってもついていくことは出来ないだろう。

しかし、そんな事は不安材料にはならなかった。

愛するものを守る為、この思いだけが二人を駆り立てるのだった。

カメ子は母サチコに別れを告げる時、死にに行くわけではないと言ったが、その時死という言葉が自然と口から出た事に驚いていた。

それは恐怖の裏返しなのかもしれない。

たとえ自分がどうなっても愛するものを守らなければいけない、自分の命をかけてでも守らなければならないと強く思っていた。

カメ子のその考えは不思議とカーメルにも通じており、話さなくとも分かり合うことが出来ていた。

 

「ねえカメ爺聞いて。あたし達は一つ目と何度も戦っているの。 そのあたし達がこの戦いに参加する事は何もおかしな事はないでしょ? それにあたし達は人間達の言葉を伝えるために帰って来たんじゃなくて、戦いに参加する為に帰って来たんだから」

「じゃから何度も言うておろうが、若者を死地に向かわせることは出来ん。お前達には未来を見て欲しいのじゃ。その為にここに残ってほしいのじゃ」

「命の危険がある事はあたしもカーメルも十分わかってる。 でもそれでもいいの。あたし達には人間の世界に守らなくちゃならない人がいるの。その人を守る為なら命だって惜しくないわ」

 

命も惜しくない。

確かに戦いに臨むにあたり、これ以上勇敢な言葉はないかもしれない。

しかし、カメ爺は頑として首を縦に振らなかった。

先に何度も話をした若いオスのカメムシ達の決起した様子はカメ爺にも多少なりとも頼もしくも嬉しくもあった。

しかし、今カメ子が言う、命も惜しくないとは、悲壮感漂う言葉にしか聞き取れなかった。

カメ爺はカメ子には努めて冷静に話をしたが、そこまで思い詰めている事を知りほとほと困り果てた。

すると大勢のカメムシの中から一匹のカメムシが現れた。

それは年老いたカメムシでカメ爺と同じ風格を醸しているカメムシだった。

 

「困った娘達だな、カメ爺よ」

「おお、ヤンバルか。久しぶりじゃの。元気じゃったか?」

「わしは元気じゃ。そう簡単にくたばったりはせんよ。それにしても命も惜しまず戦いにとは、昔人間の世界で見た特攻隊のようじゃの」

 

いきなり現れたヤンバルという名のカメムシ。

風体こそカメ爺に似ていたが、そのとげのある物言いは明らかにカメ爺のそれとは違った。

そしてヤンバルはその独特のしゃがれ声で、カメ子とカーメルに向かって怒鳴りつけるように言った。

 

「おい娘達よ! お前達にはこのカメ爺の心がわからんのか!」

カメ子とカーメルの姿が完全に消え去ってしまった後、僕は茫然としたまま二人が消えた空間を見つめていた。

だけど僕がどんなに目を凝らしてその空間を見てもそこにはもう二人の痕跡は微塵も残ってはいなかった。

いつかはこの時が来るだろうと分かっていたけど、こんな急に行ってしまうなんて夢にも思わなかった。

足元で床にへたり込んだままのお母さんもきっと同じ思いでいるだろう。

しかし少しずつ時間が立つと静まり返っていた部屋から、段々と人の話し声やがちゃがちゃとパソコンのキーボードを打つ音や空調設備から吹き出る風の音などが耳に入るようになり余韻に浸っている事も出来なくなった。

それはまるで止まっていた時間がゆっくりと動き出していくようだった。

だけど僕もお母さんもそんな現実に戻ることが出来なかった。

カメ子とカーメルのいない現実には戻れなかった。

それどころか何も考える事が出来ず、まるで何かの抜け殻の様に静かにそこにいるだけだった。

そんな僕達を見るに見かねたからなのか増田さんがこちらへと応接室に案内してくれた。

 

「どうぞこちらのお部屋をお使いください。 今は来客などありませんし、他の者が出入りする事もありません。何も気にせずにご家族だけでゆっくりして頂いて結構ですから」

 

その時僕はかろうじて歩くことはできたけどお母さんはお父さんに支えられながらやっとという感じで歩いていた。

そして部屋に通された僕とお母さんが豪華な皮張りのソファーへ倒れ込む用に座ると

案内してくれた増田さんは何かあれば内線で呼んでいただければすぐに参りますのでとお父さんに言い僕達家族を残し部屋を出ていった。

 

 

「丸男」

 

お母さんが悲しそうな声で僕を呼ぶ。

何か言葉を返そうと思うが、何を言ったらいいのか言葉が見つからない。

僕はお母さんのその寂しそうな顔を見つめるしかなかった。

 

「呼び戻さなきゃ。カメちゃんとカーメルを呼び戻さなきゃ。ねぇ丸男、早く二人を呼び戻さなくちゃ・・・・お願いよ丸男・・・・」

 

お母さんは嗚咽をもらしながらそう言うと僕のことを力一杯抱きしめた。

それを見ていたお父さんはその悲しく震える背中に優しく手を添えた。

きっとお父さんもお母さんにかける言葉が見つからないんだと思う。

そんなお母さんに対して酷な事だと思ったけど、誰かが言わなければならない。

どんなに辛くても悲しくても現実をしっかりと受け止めなければいけない。

そう思うと僕はお母さんに向き合った。

その時僕の頰に涙が伝った。

その涙はお母さんが流す涙と同じ悲しい涙だった。

 

「聞いてお母さん。無理なんだよ。カメ子とカーメルを呼び戻す事はできないんだ。残念だけど誰にも出来ないんだよ。僕だって悲しいけど二人を呼び戻す事なんて出来ないんだ。誰にも、誰にも呼び戻す事なんてで・き・・な・・い・・・ん? あ、」

 

その時、僕は ”ある事” を思い出した。

それは今の事態にとても重要な事だった。

僕は込み上げてくる自分の気持ちを抑え悲しい事実をお母さんに伝えなければと思いなんとか言葉を口にしたけど、その ”ある事” を思い出した途端、僕の心はいきなり厳粛というか張り詰めるような緊張したものに変わった。

そしてその時僕の頰にはもう悲しい涙は流れていなかった。

 

「お母さん、お父さんよく聞いて。もしかしたらカメ子とカーメルを呼び戻せるかもしれない」

 

話を聞いてもきょとんとしてる二人に僕はもう一度言った。

 

「とにかく家にかえろう。カメ子とカーメルを呼び戻す為に」

 

僕達は研究所を後にした。

 

 

 

「もう一度言う、我等は一度飛び出せば二度と帰れぬかも知れぬ。しかし、我等でなければダメなのじゃ。我等が人間を守り、そして我等がカメムシ達の未来を切り拓くのじゃ。その心づもりを忘れんでくれ」

 

カメムシの世界ではカメ爺が戦いに出向く為に集まった年老いたカメムシ達の先頭に立ちその士気を鼓舞していた。

カメ爺は集まった者を鼓舞する為に何度も我等がと呼び掛けていたが、その心の内は自身を鼓舞する為のものでもあった。

正直カメ爺にも宇宙からやって来た得体の知れない一つ目に対して、どの様に戦いに臨めばよいのかわからなかった。

そんな相手に作戦など思いつくはずもなく、カメ爺はただ真正面から向かって行くのみと考えていた。

そしてその先頭には自分が立とうと考えていた。

 

そんな中若いカメムシも戦いに協力したいと申し出て来たがカメ爺はその申し出を頑なに断った。

特に以前カメ爺にたしなめられた若いカメムシが心を同じくする他の若いカメムシ達と共にカメ爺の元へ何度もやって来た。

 

「カメ爺、俺たちも連れて行ってくれよ。あんた達が得体の知れない奴らと戦うっていうのを指をくわえて見てるなんて俺達できねぇよ」

 

若いカメムシ達は何度断られても必死に食い下がり戦いに参加させて欲しいと申し出た。

しかしそれに対してのカメ爺頑なに断り続けていた。

そして今回は今までになく大勢の若いカメムシ達がやって来たが、カメ爺はその大勢のカメムシ達に向け凄まじいほどの気迫で答えた。

 

「だめじゃだめじゃ。何度言えばわかるのじゃ! 何があろうと我々年老いた者達だけで行くのじゃ! お前たち若いカメムシはその後の事を考えるのじゃ」

 

カメ爺が発したその気迫は若いカメムシ達を圧倒し、カメ爺の首を縦に振らせることはできなかった。

若いカメムシ達の中には自分達が信用されてないのではないか、自分達の力を認められてないのではないかと思うものもいた。

しかしそれは違った。

カメ爺は顔にこそ出さなかったが集って来た若いカメムシ達の気持ちが頼もしくもあり嬉しくもあった。

だが、たとえ一つ目が自分達カメムシを苦手とするといっても戦いの場では何が起こるわからない。

何かの間違いが死に直結する事もあるだろう。

そこへ未来ある若者を向かわせることは絶対にできない。

それだけは断じてならない。

カメ爺はこの戦いを決意したその日からこの気持ちの変わることは無かった。

結局、決意して集まった若いカメムシ達はその場でうなだれるしか無かった。

そんなうなだれる若いカメムシ達の所にカメ婆がやってくると諭すように言った。

 

「カメ爺もそなた達の気持ちは十分わかっておる。だからそなた達もカメ爺の気持ちをわかってあげなされ」

「でも・・・・」

 

若いカメムシが口ごもるとカメ婆はその姿に微笑みを送った。

 

「若者が立ち上がってくれるのは本当に嬉しいことじゃ。本当はカメ爺は喜んでおるよ。勿論このカメ婆もじゃ。しかし若者には未来を担ってほしいのじゃ。その命を大切にして欲しいのじゃ」

「カメ婆・・・・」

 

カメ婆は若いカメムシ達がカメ爺の思いを理解してくれたのを確認すると最後に笑顔で言った。

 

「みんな本当にありがとう」

 

その時、突然大勢のカメムシ中から歓声が上がった。

 

「ん? なんじゃ? 何かあったのかカメ婆」

「さあ、なんでしょうかねぇ」

 

最初カメ爺にもカメ婆にもカメムシ達が沸き立つ理由がわからなかったが、しばらくすると何者かがカメ爺とカメ婆の名を呼びながら飛んで来ているのがわかった。

やがてその歓声の中から現れたのはカメ子とカーメルだった。