「で、そのあとどうなったの?」

 

当時の事に思いを馳せ、沈黙してしまったカメ爺にカメ子が聞いた。

 

カメ子もカーメルもカメ爺の話を聞いていて、知らず知らずのうちに勝一郎の境遇と人間の世界での自分達の境遇を重ねていた。

カメ子とカーメルの方は親子という訳ではないが、カメ子はサチコを、カーメルはミヨを母親の様に慕っていた。

そしてその母をはじめ大切な人を守る為、カメムシの世界へ戻って来たのだ。

そんな二人にカメ爺は勝一郎の母の思いを通して自分の思いを伝えようと話を始めたが、カメ子とカーメルは母の思いよりも、勝一郎の思いの方を強く感じていた。

しかし、そんなカメ子とカーメルの心の内を知らないカメ爺は、自分の思いが正しく伝わっているのを願いつつ話を続けた。

 

「その後、二人ともしばらく黙ておったが、突然勝一郎はこのまま家を出ると言ったんじゃ」

「えっ? このままって、黙って出て行っちゃうって事?」

「そうじゃ。 そして親元へは帰ってこなければよかったとも言っておった」

「なぜ?」

「わからん。 里心がついてしまったのかもしれんな。 残念ながら頑なに特攻隊として死ぬ事を決意していた奴にはそんな里心などいらぬものだったのだろう」

 

カメ爺はその頃を懐かしむように目を細めるとヤンバルはあの時そんなことがあったのかと苦い顔で言った。

 

「すまぬヤンバル。 あの時はわしも若かった。どうすれば良いのかわからなかったんじゃ。ただ、勝一郎から託された手紙を母親へ渡した後、母親の泣き崩れる姿を見ていたら、わし自身も辛すぎて我慢できなかった。 苦しくて苦しくて仕方なかったのじゃ。 だから不思議がるお前を強引に連れ家を後にしたのじゃ」

「手紙?」

「ああそうじゃ。 勝一郎は出ていく前にわしに手紙を渡したんじゃ。母への手紙をな。渡す時、お母さんに渡してくれと言った。他の時はどうかしれんが、少なくとも奴がわしらの前で母親の事をお母さんと言ったのはその時だけじゃった」

 

そう言うとカメ爺は再び思いを馳せるように遠くを見た。

 

 

 

「なあカメ蔵。 一つ頼みがあるんだ」

「頼み?」

「あとでこれをお母さんに渡してくれないか」

 

そう言うと勝一郎は一通の封筒を渡した。

 

「これは?」

「手紙だ。 別に読めるんなら読んでもいいが、読めんだろう。あ、何、バカにしてるんじゃいぞ。すまんな」

 

カメ蔵は封筒から手紙を取り出した。

勿論読めはしなかったが、その一文字一文字から勝一郎の思いが伝わった来る様だった。

 

「おい、泣いてるのか? えっ、おまえもしかして文字が読めるのか?」

「いや、読めない。でも何が書いてあるかぐらい俺でもわかる・・・・」

 

カメ蔵はそのまま言葉を無くし、嗚咽を隠しきれなかった。

それを見た勝一郎は笑顔で言った。

 

「ありがとうカメ蔵。俺もお前達と会えなくなるのは淋しいよ。でもお前達と知り合えて本当に良かったと思ってる」

 

そう言うと勝一郎はカメ蔵を抱きしめ、もう一度ありがとうと言った。

そしてヤンバルにもよろしくと言ってそのまま笑顔で家を出た。

カメ蔵はその最後の笑顔が悲しくて、後から後から涙が溢れてきた。

たった一日二日の付き合いだったが、とても濃縮した時間だった。

いなくなった今も勝一郎のその声や話し方がその脳裏から離れない。

そこには笑顔の勝一郎がいた、人の笑顔を見るのが好きだと言った、人を笑顔にするのが好きなんだと言った勝一郎がいた。

そんな勝一郎の事を思うとカメ蔵の心は千切れんばかりに痛んだ。

カメ蔵は今までに感じた事のない気持ちのまま、その場に立ちすくんだままでいた。

そのひっそりとした静けさの中、建て付けの悪い襖がカタカタいいながらゆっくりと開き始めた。

それに気づくとカメ蔵は慌てて着物の袖で涙を拭いた。

 

「カメ蔵さんおはよう。早いのね。あら、どうしたの目が赤いわよ。寝足りないんじゃないの?  あ、そうそう、勝一郎見なかった? 今起こしに行ったらいないのよ」

 

そう言うミチにカメ蔵は黙って勝一郎の手紙を渡した。

 

「何これ?」

 

カメ蔵は込み上げるものをこらえながら、勝一郎からお母さんに渡してくれと頼まれたとたどたどしく言った。

 

「えっ? お母さん? あの子がお母さんって言ったの?」

 

カメ蔵は黙ってうなずいた。

母ミチはその封筒をしばらく眺めていたが、やがてその中から手紙を出した。

 

 

母上様
まずは黙って行ってしまう勝一郎をお許しください

私は特攻隊として明後日飛び立ちます

最後に母上様のお顔を拝見でき嬉しく思います

今迄の永い間本当にありがとうございました

我六歳の時より育てくだされし母

ただ  私も もう物心ついた頃  はずかしさもあってどうしてもお母さんとお呼びすることができず本当に申し訳ありませんでした

そんな俺を慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母 俺は幸福だった

しかし遂に今回も最後迄「お母さん」と呼ばざりし事何と意志薄弱な俺だろう。

さぞ淋しかった事でしょう。

だから今こそ大声で呼ばしていただきます。

お母さん お母さん お母さんと

勝一郎 母上の為に飛び立って参ります

人生50年と言うけれど、俺なんかその半分にもならない20年であの世に行ってしまいます

あとの使ってない30年はお母さんに差し上げます

だからお母さんは人より30年余計に生きてください

どうかご無事で どうか長生きをしてください

父上の事よろしく頼みます

さようなら お母さん

母ミチ様 その息子 勝一郎より

 

ミチはその手紙を読み終えるとその場にヘナヘナと座り込み、カメ蔵がその場にいるのも構わずに手紙を胸に声をあげて泣いた。

そして何度も勝一郎、勝一郎と息子の名前を呼び続けた。

カメ蔵は何も言わずその姿を見ていたが、その姿は一人で家を出て行く勝一郎の後ろ姿より悲しいものだった。

そしてカメ蔵はそのまま何も言わずヤンバルの元へ行った。

 

「ヤンバル起きろ。もう行くぞ」

「へっ? なんだって? どこに行くんだ?」

「いいから早く支度をしろ」

 

ヤンバルは眠い目をこすりながら、仕方なくといった感じで支度をした。

 

「あれ、そういえば勝一郎はどうしたんだ? カメ蔵お前探しに行ったんだろ? いたのか?」

 

カメ蔵はその質問には答えなかった。

状況が飲み込めていないヤンバルだったが、黙っているカメ蔵を見て何かあったんだという事は察する事ができ、それ以上勝一郎の名前は口にしなかった。

カメ蔵もとにかくこの家を出るんだ、と、それしか口にしなかった。

そして母ミチに最後の挨拶をした。

ミチはまだ泣いていたのでその悲しく震える小さな背中に向かって声をかけた。

 

「俺達もこれで行きます。 昨日は色々ありがとうございました」

 

二人が家を後にしようとしたその時、ミチが待ってと声をかけた。

 

「あんた達は自分達の世界に戻っても戦争なんかしちゃダメだよ。絶対にダメだ。戦争なんて勝っても負けてもいい事なんてないんだよ。戦争なんて、戦争なんてねぇ、若い人の命を粗末にするだけなんだから。絶対にダメだよ。命を粗末にする様なことしちゃダメだよ。 約束してくれるね」

 

カメ蔵には勝一郎を戦争に取られ、そう叫ぶミチの気持ちが痛いほどにわかった。

そしてカメ蔵は若い命を粗末にするなとのミチの心からの叫びを胸に刻み込んだ。

 

「約束します。 命を粗末にするような事はしません。絶対に・・・絶対にしません」

 

最後はカメ蔵も涙声になっていた。

笑顔で行った勝一郎の事を思うと、この母と最後の別れの時に涙で別れるのはいけないような気がしたが、どうしてもこらえる事が出来なかった。

その涙の意味がわかったのか、ミチは笑顔でありがとうと言って二人を送り出した。

 

 

 

カメ爺は、そう言う事じゃ、と呟く様に言うとカメ子とカーメルに目を向けた。

カメ子はじっとこらえていたが、カーメルは堪えきることが出来ず少しづつ嗚咽を漏らし始めた。

 

「あ、あたしは・・・」

 

その時、突然獣のような、雄たけびのような声が響き渡った。

その声に驚きカーメルの嗚咽は止まった。

 

「これは何の声?」

 

気づくとヤンバルがボロボロと涙を流しながら雄叫びを上げながら跪いていた。

 

「あの時何も聞かなかった俺も悪いが、そんな事があったなんて。あの最後の時に見た母親の涙にはそんな訳があっただなんて・・・・」

 

そのまましばらくヤンバルは泣き続けた。

その姿を見ながらカメ爺はカメ子とカーメルにその後の話をした。

 

「わしらは家を出た後、元いた山に戻り数日過ごしたが、結局戻って来たんじゃ、カメムシの世界に。 で、わしも聞かれなかった事を良い事に、ヤンバルには詳しい事は話さずじまいじゃった。 口にするのが辛かったんじゃ」

 

そう言うとカメ爺はヤンバルにすまんと頭を下げた。

 

「いや、いいんだ。正直言うとあの時俺も怖かったんだ。俺にだって勝一郎がどこに行ったのかは想像できたからな。でもそれをはっきり耳にするのが怖かったんだ。勝一郎が戦争に行っちまった。 もう帰る事の無い特攻隊として行っちまった。 それを勝一郎がいなくなったところで聞くのが怖かったんだ。 俺の方こそすまん。そんな事をずっと一人で抱えさせちまって、本当にすまん」

 

カメ子もカーメルもカメ爺がミチとの約束を守って、自分達、いや、全ての若いカメムシ達の命を粗末にさせない、そしてたとえ避けられない戦争だとしても、未来ある若者にはその命を脅かすような事をさせてはならないという考えを持つ理由は理解した。

しかしそれでもカメ子とカーメルの考えは変わらなかった。

 

「どうじゃ。わかったか? お前達には生きてもらいたい。絶対にこの戦いに参加して欲しくないのじゃ」

「そうだ。お前達には勝一郎の母親の気持ちがわからんか?」

「わかるわ」

 

それを聞いてカメ爺もヤンバルもほっとして、それは良かったと笑顔がこぼれた。

しかし、カメ子の言いたかった事はその先にあった。

カメ子は笑顔の二人とは対照的に、真剣な表情で話を続けた。

 

「カメ爺は勝一郎が特攻隊として飛び立っていく事を理解できないと言ったけど、あたしには勝一郎の気持ちがわかるわ。もちろんあたしだって怖くないわけじゃない。 きっと勝一郎も同じ気持ちだったと思う。 勿論、勝一郎のお母さんの話もわかる、でも、あたしは自分の気持ちを大切にしたい」

 

カメ子はそこまでひと息で言うとカメ爺の目を見つめた。

その横でカーメルも同じ様にカメ爺を見つめていた。

その目は何があっても自分達の気持ちは揺るがない、そう言っていた。

そんな二人を見て自分の伝えたい事は伝わらず、伝わって欲しくない事の方が伝わってしまったとカメ爺は頭を抱えた。

その横でヤンバルもまさに開いた口が塞がらないというように、ぽかんと口を開けたまま立っていた。

その時だった、遥か遠くの方から何やら音がしてきた。

 

「ん? なんだこの音は?」

「ヤンバル、お前にも聞こえるか?  段々と大きくなっている様だが、何の音じゃろう?」

 

よく聞くと同じメロディーが繰り返し繰り返し流れていた。

それも段々と大きくなりながらこちらに向かってくるかの様だった。

カメ爺もヤンバルも始めは何かが攻め入ってくる合図かとも思い警戒したが、周りに変わった様子はなかった。

 

「なあカメ爺よ、もしかしたら魔法の杖を持つカメ婆ならこの音の正体がわかるのではないか」

 

ヤンバルにそう言われ、カメ爺は音の正体を探るためカメ婆を呼んだ。

 

「カメ婆、聞こえるかカメ婆。 どこにおる?  今すぐにここに来てくれ 」

 

すると、ここじゃここじゃ、と言いながら、ひょこひょことカメ婆が姿を現した。

 

「この音が聞こえるかカメ婆よ、この音が何か、 悪いがその魔法の杖で調べてくれんか」

 

そう言われカメ婆はカメ爺の言うその音を聞こうと耳をそばだてた。