カメ爺と言い合いの最中に現れたカメムシのヤンバル。
その体には猛者の証であるかの様な大小様々な傷が刻まれていた。
カメ爺はこのヤンバルを昔ながらの仲間だとカメ子とカーメルに紹介した。
しかしカメ子もカーメルもこの状況で紹介されて、はいそうですかという訳にはいかない。
特にいきなり頭ごなしに怒鳴られた事に気を悪くしたカーメルはヤンバルにキツイ口調で言い返した。
「昔の仲間はいいけど、いきなり出てきて、わからんのかってなによ。それこそ、そっちは全然こっちの気持ちなんてわかってくれないくせに」
怒鳴られて大人しくなるどころか、逆に言い返してくるカーメルにヤンバルは呆れかえった。
「おいカーメルとか言ったな。いいか? いきがいいのは褒めてやるがこれ以上カメ爺に手を焼かせるな」
カメ子もカーメルもヤンバルの凄みのある口調にひるむ様子は見られなかったが、カメ爺はそれをたしなめた。
「これこれヤンバルよ。気持ちを分かってくれるのはのはありがたいが、お前は顔が怖いんだからもう少し優しく話さんといかんぞ」
「なんだと? 顔が怖いはお互い様だぞカメ爺」
そう言うとヤンバルとカメ爺は顔を見合わせて大きな声で笑った。
怒鳴られた事に怒っていたカーメルはそんな二人を見て、人の事怒鳴っといて何笑ってるのよと口をとがらせたが、カメ子は怒鳴られたことに対してより他に気になる事があった。
「ねぇヤンバル。あなたも人間の世界に言ったことあるの?」
「ん? ああ、あるともずうっと昔にな。それもこのカメ爺と一緒にだ」
そこまで言うとヤンバルはニヤリとした。
「えっ? カメ爺が人間の世界へ?」
確かに自分達も人間の世界に遊びに行ってるのだから自分達以外のカメムシが人間の世界へ行った事があるとしてもおかしい事はない。
しかし、以前カメ子はカメ爺から、自分はカメムシの世界の長老で、簡単にこの世界を留守にする事は出来ないので人間の世界には行きたくてもいけないと聞いたことがあった。
そのカメ爺がが人間の世界に行ったことがあるなんて、と不思議に思っていると、カメ爺はカメムシの世界の長老になるずっと前でカメ爺がカメ爺になる前、まだカメ蔵と名乗っていた頃の話しだとカメ爺は照れ臭そうに言った。
そう、ヤンバルの口から出た昔見た人間の世界の事とは、若かりし頃のカメ爺いや、カメ蔵とヤンバルの話だった。
それを聞いたカーメルはへぇとカメ爺にも若い頃があったんだと、茶化す様に言うと、当たり前だ、バカにするなとまたしてもキツイ口調でヤンバルが言った。
しかしそんなヤンバルのもの言いに慣れたのか、へへへと茶目っ気たっぷりに笑顔を見せると思い出した様に聞いた。
「ねぇ、そういえばあたし達の事をとっこうたいのようだって言ったけど、とっこうたいってなに?」
特攻隊の事を聞かれると、カメ爺とヤンバルは神妙な面持ちになり二人顔を見合わせた。
そしてカメ爺は遠い目をしながらゆっくり話始めた
「わし達が人間の世界に行ったのはずいぶん昔の話じゃ。その時も人間は戦争をしとった。それは今回の様な化け物相手ではなく、人間同士の争いじゃった。人間とは本当に愚かな生き物じゃ。そしてその戦争で負けそうになった時、人間が使った苦し紛れの方法、それが特攻隊じゃ」
カメ爺は顔を曇らせたままそう言うと黙り込んだ。
それはどこか悲しそうに見えた。
そんなカメ爺の肩に手を掛けヤンバルが言った。
「懐かしいな。覚えてるかカメ爺、奴のことを?」
「勿論じゃ。今でも忘れんよ奴のことは」
そう言うとカメ爺は眉間にしわを寄せ真剣な表情で話し始めた。
それは楽しい昔話というのではなく、カメ爺とヤンバルにとって苦く悲しい思い出の一つだった。
ドスン・バタン・ドテン
ドスン・バタン・ドテン
「イッテェ。なんだここは?」
「大丈夫かヤンバル?」
「ああ。尻をしこたま打っちまったが俺は大丈夫だ。お前は大丈夫かカメ蔵?」
「俺は大丈夫だ」
二人が降り立ったのは樹齢で何年になるのか分からないほど立派な杉の木が自生している山の上だった。
カメ蔵とヤンバルはその杉の木の葉の中から実った果実が熟し落ちてくるかの様に根元へ落ちて来たのだった。
そしてその巨木からはふもとにある人間の住む町を一望できた。
「これが人間の世界か。やっと来たな」
ヤンバルがふもとの町を見ながら言うと、カメ蔵も満足げな顔で答えた。
「ああ。やっと来たな」
カメ蔵とヤンバルの二人はカメムシの世界にいて、常々「何か」を成し遂げたいと話しあっていた。
その思いがやがて人間の世界に向き、人間との交流を思い立ったのだった。
たとえ種は違っても思いは通じ合えるはず。
そしてその通じ合った人間と共に「何か」を成し遂げたい。
そう思っていた。
「何か」それに対しては二人とも深く考えた事はなかったが、とにかく他の種族の者と関わりを持ちたい、カメムシの世界はからやって来た若い二人はそう思っていた。
それは人間の世界において若者が一旗あげたいと思う事と同じことだったのかもしれない。
二人にとってはこの地が「何か」を為し遂げる為の最初の地である。
そうカメ蔵とヤンバルが感慨にふけっていると背後から震える声で誰かが話しかけて来た。
「お、おい。お前らなにもんだ? さっきまで誰もいなかったのに」
二人はその体をびくっとさせた。
そして緊張しながら振り返ると目に入ったその声の主を見た。
それは若い人間だった。
若いと言っても分別のつかない小さな子供ではなく、見た目ではヤンバルやカメ蔵と同じ年頃の様だった。
その若い人間の質問にヤンバルは質問で答えた。
「お前人間だな? お前の方こそこんなとこで何してるんだ?」
声の主はカメ蔵達が背にしている巨木の陰からそーっとという感じで顔だけを覗かせていた。
カメ蔵とヤンバルにとって初めて会う人間だったが、相手が若かったせいか、動揺や不安よりむしろ興奮する気持ちが強かった。
しかし人間の方は二人とは違って明らかに動揺してるのが見てとれた。
「な、なにって、ちょっと休んでただけだよ。それより、人間だなってお前達の方こそ何者なんだよ? も、もしかしてお前達人間じゃないのか?」
そんな人間に対して、普段は口調がきついと仲間からよく言われるヤンバルだったが、この人間には出来るだけ礼儀正しく接しようと思った。
それはこの人間が自分達と「何か」を成し遂げる仲間になるかも知れない、そう思ったからだった。
ヤンバルはまず自分が何者なのかそれを伝える事が礼儀だと思い、まず自身の名を名乗った。
「俺はヤンバル。カメムシのヤンバル」
するとカメ蔵も同じ様に名乗った。
「俺はカメ蔵。カメムシのカメ蔵だ」
しかし名前を聞いても人間の不安な気持ちは拭えない様だった。
「カメムシのヤンバルにカメムシのカメ蔵? なんだそりゃ? なぁ、もしかしてさっきの音はお前らが木の上から落ちて来た音か?」
そう不思議がる人間にどう説明しようかヤンバルが考えていると、カメ蔵が軽く「力」を出して見せた。
それはカメ蔵達にとってはほんの少しの「力」だったが、人間にしては強力だった様で、人間は身をよじらせた。
しかし、自分達が何者であるかを伝えるには十分だった。
「く、臭え!」
人間はそう言うと鼻をつまみその場の空気を払う様に手の平であおいだ。
「なんだ、お前らへっぴり虫か? どうりで体が青いと思ったんだ」
「すまんすまん。それほど力は出していないつもりだったんだが・・・・」
カメ蔵は慌てながらそう言うと、人間がしてるのと同じ様に手の平でその場をあおいだ。
しかし、ヤンバルは人間が言ったへっぴり虫という言葉に引っかかった。
「へっぴり虫? 違うぞ。俺達はカメムシだ」
突然木の上から実った果実が落ちてくるように落ちて来た二人が、へっぴり虫でもカメムシでも、とりあえず正体がわかったので人間はやっと安心した。
そしてある程度臭いが落ち着くのを待ち自分も名を名乗った。
人間はかつやまかついちろうと言った。
かついちろうは名乗った後、自分は特攻隊員でもうすぐ特攻隊として飛び立たなくてはならない。
その突撃前の最後の休暇で戻って来た、と、ここにいる理由も簡単に説明してくれた。
そしてここは子供の頃から慣れ親しんだ場所で色々な思い出の場所だとも言った。
しかし、カメ蔵とヤンバルも兵隊という言葉の意味とこの人間がオスだという事は分かったが特攻隊というものが何なのかは分からなかった。
「とっこうたい?」
「ああそうか。へっぴり虫には分からんか」
「だから、俺達はへっぴり虫じゃねぇ。カメムシだ」
「すまんすまん。そんなつもりじゃないんだ。ただあの臭いを嗅いじまったんでつい」
かついちろうが申し訳なさそうに言うとヤンバルは納得し、もうへっぴり虫と言わないでくれよと念を押す様に言った。
「なぁ、お前の事かついちろうって呼んでいいか?」
「ああいいよ。じゃあ俺も名前で呼ばせてもらうよ。その方が変なこと言わなくてよさそうだ。 お前がヤンバルで、そっちがカメ蔵だな。よろしく」
「よろしく。で、かついちろう、とっこうたいってなんだ?」
カメ蔵とヤンバルがやって来たのは太平洋戦争末期の日本だった。
かついちろうはカメ蔵とヤンバルに、今は戦争中である事、そして現状の戦況、また、特攻隊の事など、自分のわかる範疇で説明した。
しかしそれは、カメムシの世界から一旗あげようという軽い気持ちで人間の世界にやって来たカメ蔵とヤンバルには全く理解のできない事であった。
カメムシの世界にも中の悪い者がいたり意地の悪い者がいていざこざがあったりもする。
しかし、それが殺し合いになるなどということは無かった。
それだけに同じ人間同士が殺し合う戦争というものが信じられなかった。
特に特攻隊の説明で、爆弾を積んだ戦闘機に片道の燃料だけで敵に向かって行くなどという事は理解できないというよりも自分達の考えを大きく超えていて、寒気を覚えるほどだった。
しかし、この時代の人間はこうしていつ終わるとも知れない戦争を続けていた。
「そうか。じゃあかついちろうもその戦闘機ってのに乗って行っちまうのか?」
「ああ。だからこの最後の休暇で帰って来たんだ。育ててくれた両親に最後の挨拶もしたいしな。だけどその前にここに来たくなってな」
そして、もう二度と来る事は無いだろうからとも付け足した。
話を聞いたヤンバルはそうか、とだけ返事をした。
特攻隊の話を聞いた後、何と返事をしていいのかわからない。
しかし返事をしないでいるのもどうかと思いなんとか口にした言葉だった。
「なあ、お前達行く所はあるのか? 無いならうちに来ないか? ま、こんな時だしたいしたもてなしは出来ないが、お前達が来てくれると俺も助かるよ」
「俺達が一緒で助かる?」
「ああ、俺だけだとなんかしんみりしちまうだろ? 人が多い方が賑やかでいいや」
そう言うとかついちろうは楽しそうに笑った。
この時はヤンバルもカメ蔵も一緒に笑った。
しかしかついちろうの話を聞いていて一つ不思議に思う事があった。
その事を聞こうか聞くまいか少し躊躇したが、怒らないでくれよと前置きをしてからヤンバルははっきりと言葉に出して聞いた。
「でもよ、かついちろう。お前戦闘機に乗って行っちまうって言っただろ? それってもしかしたら死んじまうかも知れねえって事だろ? 怖く無いのか?」
ヤンバルはもしかしたら死んでしまうかも知れないと言った。
かついちろうは思った。
俺達は片道の燃料しか積まず敵の前まで行き、積んでいる爆弾もろとも突撃するのだ。
そこには死あるのみ。
それが特攻隊の宿命だ。
そんな事はヤンバルにだって分かったはずだ。
気を遣ってそう言ってくれたのかも知れないが、自分にはもしかしたらは無いのだ。
かついちろうは自分を気遣うヤンバルにやさしいな、と、独り言のようにボソッと呟いた。その呟きはヤンバルには届かなかったが、ヤンバルは逆にまずい事を聞いてしまったと思い慌ててごめんと頭を下げた。
そんなヤンバルに気にするなよとかついちろうは笑顔で言った。
しかし、この時の笑顔は無理に作った笑顔である事はすぐに分かった。
「お前達にわかるかどうかわからないが、俺の名前は漢字で書くと勝つに山とかいて勝山、で、勝つに一郎で勝一郎だ」
「かつ?」
「そうだ。勝つに勝つだぞ。どうだ縁起がいいだろう?」
そう言うと勝山勝一郎は更に大きな声で笑った。
しかし勝一郎の笑いは少しも楽しそうな感じはしなかった。
一緒に笑う事ができなかった二人はそんな勝一郎にどんな言葉をかけたら良いのか分からなかった。