「カメ子にカーメルじゃったか~」

 

カメ爺にとって人間の世界から戻って来たカメ子とカーメルとの再会は思わぬ再会であったが、喜びの再会となった。

戦いに出れば再びこの地に戻る事は出来ないかもしれない、もしかしたらこれが最後になるのかもしれない、と、何をしている時もそんな思いが常にカメ爺の頭から離れず、戦いを決意し仲間を募ってから、いつも通りの日常が緊張の連続だった。

それは自分だけではなく一緒に戦うカメムシの仲間たちも死に向かわせる事になるかもしれないからだ。

しかし、帰郷してきた二人を前にするとカメ爺のその憂えていた顔はたちまちにほころんだ。

 

「元気そうじゃの」

「うん。あたしたちは元気だよ」

「そうか、そうか。それは何よりじゃ」

 

カメ爺は帰って早々の二人に戦いに出る前に聞かなければと思っていた、自身が一番大切に思っている事を聞いた。

 

「例の事は人間達に伝えてくれたかの?」

 

例の事とはカメ爺がこの戦いに臨むにあたり、人間に一番分かってもらいたかった事。

それは命の危険をかえりみず、何の見返りももとめず、カメムシの世界はもちろん、人間の為にも戦いに向かうそのカメムシ達の気高き精神。

以前カメ爺はその事をカメ子に話し、この精神をもって戦うという事は愛する者のを守る為の戦いなのだと話していた。

その意味を理解したカメ子も人間の世界に、いや、愛するものに別れを告げこのカメムシの世界に戻って来た。

 

「うん。ちゃんと伝えたよ。人間もカメムシ達に本当に感謝してる」

 

人間が自分達カメムシに感謝していると聞いたカメ爺はそうかそうか、と、感慨深そうに何度も頷いた。

カメ子もカーメルもカメ爺のその満足そうな顔を見て、自分達がカメムシと人間との橋渡しが出来たと心の底から誇らしく思えた。

 

カメ爺はその心の内にカメムシと人間が忌み嫌う関係になる事をどうにかしたいと思っていた。

カメムシは人間からすると小さく用のない虫かも知れないが、小さくとも同じ命、また、同じ世界に住む者どうし上手い距離を保ちつつなんとか共存していけないものかと心を悩ませる事が何度もあった。

そんな矢先、カメ子が人間の世界に行って見たいと言い出した。

最初は不安もあったが、これが何かきっかけの様なものになれば良いとの思いから人間の世界へ行くことを許したのであった。

そのカメ子の口から今、カメムシが人間達から感謝されていると聞かされ、カメ爺は胸の詰まる思いで何も言葉にする事ができなかった。

人間に感謝されるという事はその存在意義を認められるという事。

勿論、中にはまだ人間達に恨みを持つカメムシもいる事はカメ爺にもわかっていた。

しかし、どこかでわかり合う事ができ、お互いがお互いを信頼する事が出来れば、今までの悪しき関わり方も変わり、新たな関係が築けるのではないかとカメ爺は考えていた。

その為の代償は小さくないが、今頼りにされているのはカメムシなのだ。

我等しかいないのだ。

そう思うと、カメ子を人間の世界へ行かせたのは間違いではなかったとカメ爺は思った。

そしてその思いを満面の笑みに変え、初めにカメ子とカーメルの二人を見て、次に集っている大勢のカメムシ達の方を向くとその胸の内を熱く語った。

 

「皆の者、よく聞いてくれ! 人間達に我等の思いが伝わった。 このカメ子とカーメルが人間達に伝えてくれたのじゃ。勿論、わしも様々な思いの者がいるのは知っておる、しかし、これは我等カメムシにしか出来ない事なのじゃ。 今度の戦いで我等カメムシの本当の力を、我等カメムシの気高さを、そしてその生き様を見せてやろう!」

 

カメ爺の号令はその場にいたカメムシ達を沸き立たせた。

その沸き立ちようは地響きでも起きたのかと思うほどの凄まじいものだった。

それを目の当たりにしたカメ子とカーメルは、その数と熱量に圧倒されたが、群衆の中に見慣れた懐かしい顔をいくつも見つけると、自分達も仲間なんだという誇らしい気持ちが強く湧いた。

カメ爺はそんなカメ子とカーメルの驚き様子を見てとるとに笑顔で語りかけた。

 

「どうじゃ、この広い世界から様々な種類のカメムシ達が未来を守る為に立ち上がってくれたのじゃ。本当に尊いカメムシ達なんじゃ」

 

カメ爺にそう話しかけられるまで、カメ子とカーメルの二人は決起したカメムシ達を前に自分達が言葉を失っていた事に気づかなかった。

しかしそれは今まで見たこともない数のカメムシ達を前にして同じ目的を持ち心が一つになる、所謂人間で言うところの一丸となるという一体感に浸っていたからだった。

それは不思議な一体感であったが、戦いに向かう不安も恐怖も吹き飛ばすほどで、カメ子とカーメルにとってとても心地良いものであった。

そして人心地つくと、よくこれだけの数のカメムシが集まってくれたね、と、大勢のカメムシ達を見てカメ子が目を瞠りながら言い、その横で同じように目を瞠っていたカーメルがカメ爺に対してに言った。

 

「確かに集まった数も凄いけど、これだけのカメムシ達をまとめるなんてさすがはカメ爺ね」

 

カーメルにそう言われるとカメ爺は照れくさそうに笑った。

そしてカメ婆もカメ爺は本当に偉大なカメムシだと言うと、カメ爺は更に照れくさそうにして、わしをおだてても何も出んぞと言い、照れくささを隠すようにカメ子とカーメルに話しかけた。

 

「それにしてもわざわざ人間達の事を伝えにやって来てくれてありがとう。 戦いに向かうカメムシも喜んでおる。 それに人間に対して色々因縁を持つ者も、人間の方から頭を下げカメムシの力が必要としている事が分かって少しはわだかまりもなくなるじゃろう」

 

そう言うとカメ爺は右手でカメ子の左腕を左手でカーメルの右腕を掴み笑顔で何度もうなづいた。

その笑顔はカメ爺が二人に送る最大の感謝の気持ちだった。

 

「さ、カメ子にカーメルよ、用が済んだら下がりなさい。ここは戦いに向かう年寄り達だけの場所じゃ。お前たちはその後ろで静かに見守っていてくれ。勿論また人間の世界へ行ってもよいぞ」

 

カメ爺は里帰りした娘ともいえる二人にそう言うと、ひとり心の中で思った。

この娘達に会うのはこれが最後になるかも知れない。

でもこれでいいのだ。

この娘達が、いや、未来ある全ての若いカメムシが楽しく生きて行ってくれれば良いのだ。

自分の戦いはその未来を作る為のもの。

それで良い、それで満足だ。

そう感慨深く思うと、娘達に送られて戦いに向かうのもまた一興、と、カメ爺は笑顔で独り言ちた。

しかしそんなカメ爺に対して二人の娘達の気持ちは固まっていた。

そして娘達はしっかりと、そしてはっきりと自分達の意思を言葉にした。

 

「あたしとカーメルも一緒に戦いに参加するわ」

 

カメ子の口から戦いに参加すると聞いたカメ爺の顔は曇った。

人間との橋渡し役になったこの二人はその責任を感じているのかも知れない。

カメ爺はこの二人にどの様に話せば分かってもらえるか頭を悩ませたが、若いカメムシ達を相手にした時とは違い優しく諭すように二人に話す事にした。

それはこのしっかりした考えを持つ娘達は血の気の多いオスのカメムシ達とは違いゆっくり話せばきっと自分の思いを理解してくれると思ったからだった。

 

「カメ子にカーメルよ、今も若いカメムシ達に言ったところじゃ。この戦いは年老いた者達だけで行く。お前たちの様な若いカメムシ達はここに残って未来を作ってほしい。お前達のその気持ちはありがたく受け取るが、連れていくことは出来ぬ。断じて出来ぬのじゃ」

 

カメ爺は二人に対して毅然と言い放った。

するとそんなカメ爺に対しカーメルが自分達の考えを話し始めた。

 

「確かに若いカメムシ達がこの戦いに参加しないって言うのは理解できるけど、あたし達は別でしょ? 」

「だめじゃ。別はない。 何があろうが若いカメムシを戦いに連れて行く事はできぬ」

「だってあたし達は実際に戦ったのよ、あの化け物と。そのあたし達が行った方がいいに決まってるじゃない」

「実際に戦ったからなんだというんじゃ。お前たちにできた事がこの爺に出来ぬとでもいうのか? 何年生きていると思っているのじゃ」

「はぁ? 長く生きてるって言っても、あんな化け物と戦った事なんてないでしょ? いい? もう一度言うわよ、あたしたちはあの化け物を何体も倒したの。そのあたし達が行かないでどうするのよ」

「お前達が何体もというのなら、わしはなん十体も倒して見せるわ」

「何よそれ」

「なんじゃ」

「ちょっと年取ってるからって威張らないでよ」

「な、なんじゃと! 威張ってなんかおらんわ! そっちこそ年配者の言う事を聞け!」

 

カメ爺とカーメルの二人の話し合いは、段々とああ言えばこう言う、という本筋とは違う言い合いになり全く決着がつきそうにもなかった。

そばで見ていたカメ子も正直大人げないと思いながら二人に割って入った。

 

「もう、二人ともいい加減にしてよ。カーメルもそんなに興奮しないで、カメ爺ももうちょっと落ち着いてよ」

 

しかし、カメ子がなだめても、興奮した二人の勢いは止まらず、口を開くとカーメルは、カメ爺は、とまた不毛な言い合いが始まる。

呆れたカメ子はしばらく放っておこうかとも思ったが、一つ目の事を考えるとやはり猶予はない。

カメ爺にはどうしても自分達の思いを分かってもらはなければならない。

確かに一つ目と戦ったといっても、これまで倒した一つ目は必ず自分とカーメルで一人の一つ目を相手にするという圧倒的有利な状況の元でのもので、今回はそうはいかない事はわかっていた。

特に一つ目の、あの目で追う事も出来ない動きの速さには何があってもついていくことは出来ないだろう。

しかし、そんな事は不安材料にはならなかった。

愛するものを守る為、この思いだけが二人を駆り立てるのだった。

カメ子は母サチコに別れを告げる時、死にに行くわけではないと言ったが、その時死という言葉が自然と口から出た事に驚いていた。

それは恐怖の裏返しなのかもしれない。

たとえ自分がどうなっても愛するものを守らなければいけない、自分の命をかけてでも守らなければならないと強く思っていた。

カメ子のその考えは不思議とカーメルにも通じており、話さなくとも分かり合うことが出来ていた。

 

「ねえカメ爺聞いて。あたし達は一つ目と何度も戦っているの。 そのあたし達がこの戦いに参加する事は何もおかしな事はないでしょ? それにあたし達は人間達の言葉を伝えるために帰って来たんじゃなくて、戦いに参加する為に帰って来たんだから」

「じゃから何度も言うておろうが、若者を死地に向かわせることは出来ん。お前達には未来を見て欲しいのじゃ。その為にここに残ってほしいのじゃ」

「命の危険がある事はあたしもカーメルも十分わかってる。 でもそれでもいいの。あたし達には人間の世界に守らなくちゃならない人がいるの。その人を守る為なら命だって惜しくないわ」

 

命も惜しくない。

確かに戦いに臨むにあたり、これ以上勇敢な言葉はないかもしれない。

しかし、カメ爺は頑として首を縦に振らなかった。

先に何度も話をした若いオスのカメムシ達の決起した様子はカメ爺にも多少なりとも頼もしくも嬉しくもあった。

しかし、今カメ子が言う、命も惜しくないとは、悲壮感漂う言葉にしか聞き取れなかった。

カメ爺はカメ子には努めて冷静に話をしたが、そこまで思い詰めている事を知りほとほと困り果てた。

すると大勢のカメムシの中から一匹のカメムシが現れた。

それは年老いたカメムシでカメ爺と同じ風格を醸しているカメムシだった。

 

「困った娘達だな、カメ爺よ」

「おお、ヤンバルか。久しぶりじゃの。元気じゃったか?」

「わしは元気じゃ。そう簡単にくたばったりはせんよ。それにしても命も惜しまず戦いにとは、昔人間の世界で見た特攻隊のようじゃの」

 

いきなり現れたヤンバルという名のカメムシ。

風体こそカメ爺に似ていたが、そのとげのある物言いは明らかにカメ爺のそれとは違った。

そしてヤンバルはその独特のしゃがれ声で、カメ子とカーメルに向かって怒鳴りつけるように言った。

 

「おい娘達よ! お前達にはこのカメ爺の心がわからんのか!」

カメ子とカーメルの姿が完全に消え去ってしまった後、僕は茫然としたまま二人が消えた空間を見つめていた。

だけど僕がどんなに目を凝らしてその空間を見てもそこにはもう二人の痕跡は微塵も残ってはいなかった。

いつかはこの時が来るだろうと分かっていたけど、こんな急に行ってしまうなんて夢にも思わなかった。

足元で床にへたり込んだままのお母さんもきっと同じ思いでいるだろう。

しかし少しずつ時間が立つと静まり返っていた部屋から、段々と人の話し声やがちゃがちゃとパソコンのキーボードを打つ音や空調設備から吹き出る風の音などが耳に入るようになり余韻に浸っている事も出来なくなった。

それはまるで止まっていた時間がゆっくりと動き出していくようだった。

だけど僕もお母さんもそんな現実に戻ることが出来なかった。

カメ子とカーメルのいない現実には戻れなかった。

それどころか何も考える事が出来ず、まるで何かの抜け殻の様に静かにそこにいるだけだった。

そんな僕達を見るに見かねたからなのか増田さんがこちらへと応接室に案内してくれた。

 

「どうぞこちらのお部屋をお使いください。 今は来客などありませんし、他の者が出入りする事もありません。何も気にせずにご家族だけでゆっくりして頂いて結構ですから」

 

その時僕はかろうじて歩くことはできたけどお母さんはお父さんに支えられながらやっとという感じで歩いていた。

そして部屋に通された僕とお母さんが豪華な皮張りのソファーへ倒れ込む用に座ると

案内してくれた増田さんは何かあれば内線で呼んでいただければすぐに参りますのでとお父さんに言い僕達家族を残し部屋を出ていった。

 

 

「丸男」

 

お母さんが悲しそうな声で僕を呼ぶ。

何か言葉を返そうと思うが、何を言ったらいいのか言葉が見つからない。

僕はお母さんのその寂しそうな顔を見つめるしかなかった。

 

「呼び戻さなきゃ。カメちゃんとカーメルを呼び戻さなきゃ。ねぇ丸男、早く二人を呼び戻さなくちゃ・・・・お願いよ丸男・・・・」

 

お母さんは嗚咽をもらしながらそう言うと僕のことを力一杯抱きしめた。

それを見ていたお父さんはその悲しく震える背中に優しく手を添えた。

きっとお父さんもお母さんにかける言葉が見つからないんだと思う。

そんなお母さんに対して酷な事だと思ったけど、誰かが言わなければならない。

どんなに辛くても悲しくても現実をしっかりと受け止めなければいけない。

そう思うと僕はお母さんに向き合った。

その時僕の頰に涙が伝った。

その涙はお母さんが流す涙と同じ悲しい涙だった。

 

「聞いてお母さん。無理なんだよ。カメ子とカーメルを呼び戻す事はできないんだ。残念だけど誰にも出来ないんだよ。僕だって悲しいけど二人を呼び戻す事なんて出来ないんだ。誰にも、誰にも呼び戻す事なんてで・き・・な・・い・・・ん? あ、」

 

その時、僕は ”ある事” を思い出した。

それは今の事態にとても重要な事だった。

僕は込み上げてくる自分の気持ちを抑え悲しい事実をお母さんに伝えなければと思いなんとか言葉を口にしたけど、その ”ある事” を思い出した途端、僕の心はいきなり厳粛というか張り詰めるような緊張したものに変わった。

そしてその時僕の頰にはもう悲しい涙は流れていなかった。

 

「お母さん、お父さんよく聞いて。もしかしたらカメ子とカーメルを呼び戻せるかもしれない」

 

話を聞いてもきょとんとしてる二人に僕はもう一度言った。

 

「とにかく家にかえろう。カメ子とカーメルを呼び戻す為に」

 

僕達は研究所を後にした。

 

 

 

「もう一度言う、我等は一度飛び出せば二度と帰れぬかも知れぬ。しかし、我等でなければダメなのじゃ。我等が人間を守り、そして我等がカメムシ達の未来を切り拓くのじゃ。その心づもりを忘れんでくれ」

 

カメムシの世界ではカメ爺が戦いに出向く為に集まった年老いたカメムシ達の先頭に立ちその士気を鼓舞していた。

カメ爺は集まった者を鼓舞する為に何度も我等がと呼び掛けていたが、その心の内は自身を鼓舞する為のものでもあった。

正直カメ爺にも宇宙からやって来た得体の知れない一つ目に対して、どの様に戦いに臨めばよいのかわからなかった。

そんな相手に作戦など思いつくはずもなく、カメ爺はただ真正面から向かって行くのみと考えていた。

そしてその先頭には自分が立とうと考えていた。

 

そんな中若いカメムシも戦いに協力したいと申し出て来たがカメ爺はその申し出を頑なに断った。

特に以前カメ爺にたしなめられた若いカメムシが心を同じくする他の若いカメムシ達と共にカメ爺の元へ何度もやって来た。

 

「カメ爺、俺たちも連れて行ってくれよ。あんた達が得体の知れない奴らと戦うっていうのを指をくわえて見てるなんて俺達できねぇよ」

 

若いカメムシ達は何度断られても必死に食い下がり戦いに参加させて欲しいと申し出た。

しかしそれに対してのカメ爺頑なに断り続けていた。

そして今回は今までになく大勢の若いカメムシ達がやって来たが、カメ爺はその大勢のカメムシ達に向け凄まじいほどの気迫で答えた。

 

「だめじゃだめじゃ。何度言えばわかるのじゃ! 何があろうと我々年老いた者達だけで行くのじゃ! お前たち若いカメムシはその後の事を考えるのじゃ」

 

カメ爺が発したその気迫は若いカメムシ達を圧倒し、カメ爺の首を縦に振らせることはできなかった。

若いカメムシ達の中には自分達が信用されてないのではないか、自分達の力を認められてないのではないかと思うものもいた。

しかしそれは違った。

カメ爺は顔にこそ出さなかったが集って来た若いカメムシ達の気持ちが頼もしくもあり嬉しくもあった。

だが、たとえ一つ目が自分達カメムシを苦手とするといっても戦いの場では何が起こるわからない。

何かの間違いが死に直結する事もあるだろう。

そこへ未来ある若者を向かわせることは絶対にできない。

それだけは断じてならない。

カメ爺はこの戦いを決意したその日からこの気持ちの変わることは無かった。

結局、決意して集まった若いカメムシ達はその場でうなだれるしか無かった。

そんなうなだれる若いカメムシ達の所にカメ婆がやってくると諭すように言った。

 

「カメ爺もそなた達の気持ちは十分わかっておる。だからそなた達もカメ爺の気持ちをわかってあげなされ」

「でも・・・・」

 

若いカメムシが口ごもるとカメ婆はその姿に微笑みを送った。

 

「若者が立ち上がってくれるのは本当に嬉しいことじゃ。本当はカメ爺は喜んでおるよ。勿論このカメ婆もじゃ。しかし若者には未来を担ってほしいのじゃ。その命を大切にして欲しいのじゃ」

「カメ婆・・・・」

 

カメ婆は若いカメムシ達がカメ爺の思いを理解してくれたのを確認すると最後に笑顔で言った。

 

「みんな本当にありがとう」

 

その時、突然大勢のカメムシ中から歓声が上がった。

 

「ん? なんじゃ? 何かあったのかカメ婆」

「さあ、なんでしょうかねぇ」

 

最初カメ爺にもカメ婆にもカメムシ達が沸き立つ理由がわからなかったが、しばらくすると何者かがカメ爺とカメ婆の名を呼びながら飛んで来ているのがわかった。

やがてその歓声の中から現れたのはカメ子とカーメルだった。

「サチコさん。サチコさんいらっしゃる?」

 

ミヨはカーメルと暮らすようになってから菱形家とは家族ぐるみでの付き合いをするようになり互いの家を頻繁に行き来するようになったが、ミヨが人の家に黙って上がるような事は今まで一度もなかった。

それどころかチャイムも鳴らさずドアを開けるという事すら今まで無い事だった。

そのミヨがサチコの名を呼びながら人の気配を探し上がり込んできた。

 

「あら、ミヨさん」

 

ミヨは勝手にごめんなさいと言うとカメ子はどうしてるかと聞いて来た。

その声と表情は普段のミヨとは違いサチコにもミヨがかなり動揺しているのがわかった。

 

「カメちゃん? カメちゃんがどうかしたんですか?」

「これがねテーブルの上に置いてあったの」

 

そう言うとミヨは持ってきた紙をサチコに見せた。

 

 

「あー、また ”ま” の字が逆さになってる。 それにいまままでって ”ま” が一つ多いじゃ・・・・えっ? なにこれ?  いままでありがとう? なによこれ・・・・・ミヨさんなんですかこれ? なにかあったんですか?」

 

書いてある文字は一目見て明らかにカーメルの物だという事はサチコにもわかった。

しかし書いてある言葉からは不吉な予感しかしない。

ミヨの不安な気持ちがサチコにも伝わって来た。

 

「それがね。あたしにもわからないのよ。これって、いままでありがとうってことよね? なんでカーメルちゃんがそんなこと言わなきゃいけないの?」

 

サチコはミヨの問いに言葉で返事は出来ず、真顔で見つめ返すしか出来なかった。

そんな呆然としているサチコにミヨは聞いた。

 

「それでね、カメちゃんなら何か知ってるんじゃないかと思って来てみたの。 カメちゃんはどこ?」

 

カメ子が家を出ていく時どこか表情が重たいように見えた理由が何だったのか今になってサチコにも察しがついた。

もしかしたらあの今まで感じた事の無い温かさはカメ子の最後の挨拶だったのかもしれない。

そう考えるとサチコは全身の力が抜けていき立ってるのがやっとだった。

 

「カメ子はさっき出ていきました。カーメルの様に手紙は置いていかなかったですが・・・・」

 

いつもならちょっとねなど言われると何かあるなと考えることが出来たが、さっきは今までにない温かさに包まれそれこそ何とも言えぬ心地良さの中にいたので、カメ子が出ていくなんて夢にも思っていなかった。

そこへ丸男が帰宅した。

 

「ただいまー」

 

丸男は家に上がるなりお腹空いたと言いながらテレビの部屋で呆然としている二人を見た。

 

「あ、ミヨさんこんにちは」

「・・・・って、ちょうだい」

 

サチコが丸男に震える声で言った。

最初その声は丸男には聞き取れなかった。

 

「えっ? なに?」

 

サチコは青ざめた顔で丸男を見ながらもう一度、今度ははっきりとした口調で言った。

 

「研究所へ連れてってちょうだい」

「研究所?」

「早く連れてってちょうだい」

「どうしたの突然」

「いいからあたしを研究所に連れてってちょうだい」

 

丸男には何が起こったのかわけがわからなかったが、とりあえず着替えてくるから待っててと言った。

 

「いいから 今すぐ連れてってちょうだい! 早く!」

 

普段からは考えられないくらい取り乱してるサチコに丸男はその場にカバンを置くと制服のままサチコを連れて家を出た。

 

 

 

「一週間後か・・・。うん、わかった。ありがとう」

 

カメ子もカーメルも東岸に話が伝え終えると改めて緊張が高まるのを感じた。

そして二人は東岸や増田等研究所で知り合った皆に簡単な挨拶を済ませるとカメムシの世界へ戻ろうとした。

しかし東岸はカメ子とカーメルは戻らなくてもよいのではないかと聞いたが、カメ子もカーメルもこれはあたし達にしかできない仕事だからと答えた。

それはカメ爺が言ったカメムシの気高さと言うべきものだった。

これには東岸も増田も返す言葉はなく、ただ、よろしくとだけ言った。

しかし坂東と菱形はそうはいかずどうしても戻らないといけないのかと食い下がったが、カメ子とカーメルの決心は変わらなかった。

坂東と菱形とは涙での別れになった。

その涙にはカメ子もカーメルも後ろ髪引かれたが、別れの言葉を伝えた。

 

「お父さん、坂東さん本当にありがとう。 でもね、人間との橋渡しをしたあたし達が行かなければいけないの。あたし達も寂しいけど元気でね」

 

笑顔で言うカメ子とは違って、二人の涙を見て感極まったカーメルは唇をかみしめるだけで別れの言葉は口にできなかった。

そこへ内線電話がかかって来た。

 

「東岸さん、菱形様の奥様がいらっしゃったという事です。どうしますか?」

「菱形さんの奥さん?」

 

東岸は少し考えたが、カメ子と最後の別れという事を考えると合わせあげた方が良いだろうと思いすぐに通すように言った。

それを聞いたカメ子の表情が曇った。

 

「カメ子・・・・・・」

 

カーメルがやっと振り絞るように言うとカメ子の手を握った。

そこへこちらですと所員に連れられたサチコと丸男がやってきた。

 

「カメちゃん! カーメル!」

 

サチコの一声で部屋中にいる者全てがその手を止めカメ子とサチコを見た。

静まり返る中サチコは言った。

 

「どこに行くの? まさか例の宇宙人と戦いに行くなんて言うんじゃないでしょうね。ダメよ。そんなの絶対にダメ。そんな事あたしが許さない。絶対に行かせない」

 

東岸はサチコが何しにここへ現れたがわからなかったが最後の別れを言いに来たのだろうくらいに考えていたのでカメ子とカーメルを止めに来た事に驚いた。

 

「お、奥さん。落ち着いてください。お気持ちはわかりますが、これはカメちゃんとカーメルちゃんじゃなきゃダメなんですよ」

「何がダメなのよ。自分の娘が戦争に行くなんて許せるはずがないでしょう。それにここは何なのよ」

 

そう言うとサチコは周りを見渡して言った。

 

「ここから戦いの指示をするんでしょ? それならここの人達に任せればいいじゃない」

「いや、それが我々じゃダメなんですよ。カメちゃんやカーメルちゃんにお願いするしかないんです」

「ここがダメならもうそれでいいじゃない。誰も文句なんか言わないわよ。ここがダメなら負けでいいじゃない」

 

サチコはいつの間にか涙声になっていたがその言葉ははっきりとしており、何を言っているかはその場の全ての耳に届いていた。

そしてサチコはその全ての者に向けて言うかのように更に声を張って言った。

 

「この子達が戦争に駆り出されるなんて絶対に許さない。そんな事あたしは絶対に許さない」

 

サチコの言っている事は無茶苦茶だったが、東岸はその迫力に押されそれ以上言い返せなくなってしまった。

その他の者も場を注視してるだけで誰も言葉を発するものはいなかった。

その静寂の中カメ子はカーメルの手を払いサチコに近づくと言った。

 

「違うわお母さん。あたし達は負けられないの。そんな事になったらこの国だけじゃなくこの星全体が滅んでしまうことになるの」

「だから何でカメちゃんがそんな所に行かなきゃいけないの?  カーメルあなたもよ。あんな手紙だけでミヨさんを残して行っちゃうつもり? ねぇ? ミヨさんだってあたしと同じ気持ちでいるわよ。いい? 死んじゃうかもしれないのよ。 そんなの絶対にダメよ。 あたしの・・・・あたしの娘が・・・・」

 

ミヨの名前を出されてカーメルはその拳を力一杯握った。

それはミヨに対する精一杯の思いだった。

その時カーメルはミヨの顔を思い浮かべた。

つっけんどんで誰に対してもお構いなしの自分に厳しく言う事もあったがその分誰よりも自分を受け入れてくれ娘のように接してくれたおばあさん。

得意の漬物の酸いた匂いも思い出されたがそれももう味わう事が無いのだと思うとそれすら懐かしく感じられた。

何を置いても自分の事に一生懸命になってくれ愛を注いでくれたあたしのおばあさん。

カーメルのその涙でくしゃくしゃになった顔からはそんな思いが聞こえて来た。

 

カメ子はその場にへたり込んだサチコの前へ来てしゃがみ込むと同じ目線で言った。

 

「お母さん、あたし達は死にに行くんじゃないわ」

「何しに行くのよ」

 

サチコの問いにカメ子は毅然として言った。

 

「愛する人達を守る為に行くの」

 

サチコは家を出る時に自分を包んだカメ子の温かさを思い出した。

二人は本当に行ってしまう。

カメ子の態度がそう示していた。

絶対に行かせはしない、そう思ってもサチコにはそれ以上何も言えなかった。

そしてカメ子はサチコの後ろで泣いている丸男に笑顔を向けた。

 

「丸男。今までありがとう。お父さんとお母さんをよろしくね。 それと・・・」

 

 

カメ子は一旦くぎると振り返りカーメルを確認してから付け加えた。

 

「ミヨさんの事もお願いね」

 

カーメルは涙に濡れた顔で丸男を見ながら何度もうなづいた。

そしてカメ子はカーメルに行きましょうと言って振り返るとふわりと浮かんだ。

浮かんだと同時に二人の姿は透けながら段々と小さくなっていった。

 

「カメ子! カーメル!」

 

その消えゆく姿に叫ぶサチコの声が部屋の中に響き渡った。

「じゃあ洗濯しちゃうからカメちゃんは二階のお父さんと丸男の部屋のお掃除しといてくれる?」

「はーい」

 

菱形が出勤し丸男が学校へ行くと家事を始めるサチコとカメ子。

これが二人の最近のルーティーン。

しかし一つ目が現れるまではこの時間にサチコが先生となりカメ子とカーメルに文字を教えていた。

それは一時間ほどのものだったがカメ子とカーメルから生活する中で気になったものを聞きサチコがその説明をしながら手本になるひらがなを書き二人はそれをノートに書いていくという簡単なものだった。

これは人間の世界に住むのなら読み書きができた方が良いだろうとサチコの提案で始まったもので最初はカメ子と二人で行なっていたが、勉強の事を知ったミヨがカーメルにも教えてあげて欲しいとやがてサチコは二人の生徒を受け持つ様になった。

しかし一つ目が現れてからその生活習慣はがらりと変わりカメ子とカーメルは研究所へ行ったり来たりするようになり、時には研究所に泊まり込む日もあったりと忙しい生活になったため次第にやらなくなっていた。

この授業は教えるサチコにとってもそれを横で見ているだけのミヨにとってもとても有意義なもので二人はこの時間をとても大切にしていた。

それはカメ子とカーメルが人間の世界で生活していて何を考えているのか、また何を不思議に思うのか良く分かったからだった。

基本的に肌の色以外の違いは見当たらないカメ子とカーメルだったが、カメムシの世界からやってきた二人の考え方は人間のそれとは違う事も多くあり、サチコもミヨも驚く様な事が少なくなかった。

例えば部屋の中を見回してもテーブルがあり窓にはカーテンがかかっていたりテレビやその他の家具もある。

普通に暮らす人間にとってはなんでものない事だったが、カメ子とカーメルにはその全てに名前がついていると言うのが不思議に思う事の一つだった。

中でも二人が特に驚いたと言ったのは食器だった。

コップ、皿、コーヒーカップ、茶碗、お椀などそれぞれに違う名前がある。

確かに形が違うというのは二人にも分かるが、結局何かを入れる物という点でその用途には変わりはない。

カメムシの世界での生活の中にも様々な草や木があり花もあるがそれをそれぞれの名前で呼ぶなどと言う習慣はなかった。

カメムシの生活の中でそんな事は必要のない事だった。

しかしカメ子とカーメルの二人はそんな今までにない習慣をカメムシである自分達には必要ないとするのではなく、人間の世界で生活している以上その全てを覚えよう吸収しようと一生懸命に文字を書きとっていた。

その姿はサチコにしてもミヨにしても愛おしくてたまらなかった。

そんな二人の学ぼうとする素直な姿勢に感心させらると同時にカメ子とカーメルの二人の性格の対照的な一面が見えることもサチコとミヨにこの時間を有意義に思える事だった。

まずカメ子はサチコが書いた手本の文字をしばらく見つめてから時間をかけゆっくりと丁寧に書いていくのだ。

文字を見つめている理由をサチコが聞くとカメ子は形を覚えるためだと言った。

そしてそのカメ子のやり方はゆっくりと丁寧に書いてるだけあって何度か書いていくうちにサチコの手本そっくりに書けるまでになり、時には丸男や菱形に見せてもどちらが書いた文字なのか区別出来ない事もあった。

カーメルの方はそれとは反対に文字を見るのは一瞬で見たと同時に書き始めていった。

しかしカーメルは形の認識が苦手なようで文字が鏡に移したように反対になる事が多かった。

特に「は、ほ、ま」のくるっと回る所が鏡文字の様に反対なるのが常だった。

本人はまじめに書いているのだがその文字だけはどうしてもそうなってしまうので、最初は注意していたサチコも終いにはこれも個性、読めればこれでいいという風になりやがて注意もしなくなった。

それにしても二人の覚えの速さや意気込みにはいつも感心させられていた。

そんな二人をサチコもミヨも本当の娘の様に思っていた。

 

 

 

「カメ子。聞こえるかカメ子」

 

カメ子が菱形の部屋の掃除を終え丸男の部屋に入るとどこからか声が聞こえて来た。

それは懐かしい感じのする声だったがもしやと思いカメ子は身構えた。

 

「誰? どこにいるの?」

 

声の主はそんなカメ子の慌てぶりを面白がっているようでからかい気味に話しかけた。

 

「残念じゃのう。久しぶりで忘れてしもうたか。ワシはお前達の事は忘れた事はないのだがのう。ハハハハハ。」

「もしかしてカメ爺?」

「そうじゃ。カメ婆の魔法の杖の力でこうして話しておる。しかしその声を聞くに元気にしておる様じゃのう」

「うん、あたしは元気」

 

久しぶりに聞くカメ爺の声は懐かしさもありカメ子は心を弾ませた。

そしてその弾む心のままこんな事があんな事がと人間の世界での事を話し始めた。

最初カメ爺もカメ子のはしゃぎ様が嬉しくその勢いにまかせ話を聞いていたが、話が尽きる事がなさそうなのが分かると話を途中で割った。

 

「すまんのうカメ子。今日は話があってこうしてカメ婆に頼み声を届けておるのじゃ。まずワシの話を聞いてくれんか?」

「あ、ごめんなさいカメ爺。久しぶりだったんでつい嬉しくなっちゃって」

 

カメ子がそう言うとカメ爺は真剣な声色で本題に入った。

 

「よく聞くのじゃカメ子よ。我らの準備は整った」

「準備が整った?」

「そうじゃ。戦いを決意したカメムシ達が集まったのじゃ。これより一週間後の朝、日の出とともに奴らの元に向かう。それを人間達に伝えて欲しいのじゃ」

 

カメ爺の口から出た「戦い」という言葉を聞いてカメ子は体を強ばらせた。

そして「あの一つ目達と戦う時がとうとう来たんだ」そう思うと懐かしさにはしゃいだ気分は吹き飛んでいった。

 

「わかったわカメ爺、すぐに伝えに行く」

「この事はカーメルにも伝えておる。二人から人間に伝えてくくれ」

 

そういうとカメ爺はたっぷりの間を置きもう一つ人間に伝えて欲しい事があると言った。

そしてこれこそが戦いに向かうカメムシ達にとって大切な事であり一番伝えてほしい事なのだとも言った。

 

「一番伝えてほしい事?」

 

カメ爺はカメ子の反応を確認してから自身の胸の内を語り出した。

 

「それは我々カメムシの事じゃ。戦いに向かう我々カメムシの事をお前たち二人から人間に伝えてほしいのじゃ。 我々カメムシの気高さを、命の危険をかえりみず戦いにいく我々の精神を、そしてなんの見返りも求めずに戦いにでる我らの心意気を伝えて欲しいのじゃ」

「見返りを求めない?」

「そうじゃ。ワシらカメムシが戦いに向かうのは人間たちに何かをしてもらえるからとか何かをしてもらいたいからという事ではない。そんなかけ引きのような事では断じてないのじゃ。我らカメムシの未来の為、人間達の未来の為に立ち上がったのじゃ」

「ねぇカメ爺、もしかしてそれって愛?」

「愛? そうかも知れぬな。いうなれば・・・・」

 

カメ爺は一旦言葉を区切ると次の言葉をゆっくりと力強く言った。

 

「これは愛するものを守る為の戦いじゃ」

 

カメ子にもカメ爺の思いは伝わり体の中心から熱くこみ上がるものを感じた。

最初その熱さはカメ爺の言葉が体に沁み込んでいるからだとカメ子は思った。

自分の持つカメムシの気高さというものが、戦いに向かおうとしているカメムシ達への思いと重なり自分も熱くなっているのだ、とカメ子はそう考えていた。

しかし、そうではなかった。

 

「愛するものを守る為・・・・」

 

カメ子はそう口にするとカメ爺から伝わる熱さはそれまで自分が悩んでいた事の答えである事に気づいた。

それは誰もその意味を説明しきれなかった言葉、モロミが自分で感じるしかないと言った言葉。

そして今その言葉の意味がはっきりとわかった。

確かにその意味を言葉では説明出来ないがどういうことなのかカメ子には今はっきりと感じる事が出来た。

 

「しかしカメ子の口から愛などと言う言葉が出るとはこのカメ爺、よもや思いもよらなかったぞ」

 

そう言われるとカメ子は照れ笑いをした。

そんなカメ子の心を感じるとカメ爺は「カメ子とカーメルを人間の世界に行かせて間違いはなかった」心の中でそう思った。

 

最後にカメ爺はもう一度「人間に伝えてくれ」と言い残しその気配を消した。

カメ子はカメ爺の気配が消えた部屋の中で少しの間懐かしさの余韻にひたった。

その余韻の中、これからの事を考えると自身の内側から熱い思いが湧き上がって来た。

そしてカメ爺が言った「愛する者を守る為の戦い」と口にするとコロやベータ、モロミや吾一、そして丸男など様々な人の顔が脳裏に浮かんだ。

カメ子はそれらの人の事を思うと湧き上がった感情が爆発しそうになり自分でもコントロールできなくなってしまうのではないかというほど激しいものになっていくのを感じた。

この時カメ子がそのざわつく心を落ちつかせようとすると、最後にある人物の顔が脳裏に浮かんだ。

その人は優しく微笑みかけてくれていた。

自分の全てを包み込むように。

そしてその時はっきりとわかった。

自分に対しなんの見返りも求めないで愛を注いでくれた人がいたという事が。

カメ子はその微笑みに触れると感情を落ちつかせることができ、そのまま静かに階下に降りた。

 

 

 

「あら、終わった? ありがとう。こっちはもうちょっとかかるから待っててね。こっちが終わったらお茶にしようね」

 

カメ子はそんなサチコの言葉には返事はせず唐突に言った。

 

「ねぇ、お母さん。あたし分かったの」

「ん? 分かった? 何がわかったの?」

「愛」

「愛?」

 

カメ子は不思議がる母サチコの前で両手を大きく広げるとその両の手でサチコを思いっきり抱きしめるとはっきりした声で言った。

 

「これが愛だわ」

 

突然の事でサチコは面食らった。

しかし、しばらく前にカメ子から愛とは何かと聞かれた時はどぎまぎして答えに詰まったことがあったのを思い出した。

あの時は何となく話を終えたが、きっとカメ子はあれから愛という言葉の意味を探していたと思うと笑みがこぼれた。

そして今カメ子の導き出した答えがとてもカメ子らしいなと思い、自分も両手でカメ子を抱きしめ返した。

 

「そうね。これが一番分かりやすい答えかも知れないわね」

 

カメ子は母サチコを抱きしめる事で自分の気持ちを伝えようとした。

それはこれまでの感謝だけでなく自分の事を本当の娘の様に愛してくれた母への贈り物だった。

「愛」それはこの人間の世界でカメ子が唯一理解の出来なかった言葉であった。

しかし今カメ子はそれを心の底から感じていた。

そして愛のおかげで人もカメムシも強くなれる事を知った。

その自分の感じた思いを言葉ではなく抱きしめる事によって心から心へ自分の思いの全てを伝えようとした。

 

サチコも体温とは違う温かさをカメ子から感じていた。

それはいつまでもこのままでいたいと思うほどとても心地のよいものだった。

普段のカメ子からもカメ子の持つ目には見えない優しいさや温かさを感じる事があった。

それはカメ子と一緒にいる者なら誰でも感じた事があるもので相手を包み込むような独特なものだったが、今感じる温かさはそれとは比較にならないものだった。

サチコはそれを不思議に思ったが、今はカメ子が見つけた愛の答えであるこの温かさに身を任せよう、そう思った。

しかしサチコが感じていたもの、それはカメ子が探していたものの答えであると同時にカメ子からサチコへ別れの挨拶だった。

この時カメ子は別れの言葉は口にしなかった。

ただ自分の感じるままに愛する人に心の中にある思いを全身で伝えた。

そしてカメ子は気持ちを伝え終えるといつもの様にサチコに言った。

 

「お母さん、あたし出かけてくる」

「あ、そう。どこへ行くの?」

 

カメ子はサチコのどこへとの問いには答えられずちょっとねと答えた。

普段ならならそんな言葉を濁すカメ子の事を訝しく思うサチコだったが、今カメ子から感じた温かさがそんな普段通りの判断をさせなかった。

 

「ねぇ、今日は久しぶりに野菜サラダにするからね」

 

野菜サラダと聞いてカメ子は「やったー」と喜んで見せた。

この時カメ子にはそれが正しい事だと思ったからだった。

そして玄関のドアを開け外に出た時にサチコから「早く帰って来てね」ともう一度声をかけられた。

カメ子はそれには聞こえないふりをすることがやはり正しい事だと思った。

しかし、これが最後だと思うと、その顔をもう一度とこの目にしたいという思いが沸き、振り返ったが、振り返ると同時にドアは閉まった。

それはこれまでの世界とこれからの世界の境界のように感じられた。

そんな何も言わぬドアをカメ子が見つめていると、その背中に声がかかった。

振り返るとそこにはカーメルが立っていた。

 

「ねぇカメ子、カメ爺と話しした?」

 

カーメルにそう言われるとカメ子はカメ爺から聞いた何の見返りも求めず、何のかけ引きもない、ただ愛する者のために戦いに向かうのだというカメムシの心意気の話をカーメルに伝えた。

するとカーメルは大いに納得し、研究所に行ったら必ず伝えると意気込んだ。

以前、東岸がカメムシの事を軽んじるようなことを言ったことがあるのでその事を思い出したのか、興奮し熱くなるカーメルをなだめるように笑顔でカメ子が聞いた。

 

「ねぇ、それよりミヨさんにはちゃんと挨拶して来たの?」

 

すると、なんとなく歯切れ悪く答えるカーメルにカメ子は本当は挨拶できなかったんじゃないかと茶化すとカーメルは今度は胸をはって答えた。

 

「最後なんだもん、挨拶くらいちゃんとして来たわよ。いい? あたしはね、手紙を書いたの。せっかく人間の世界にいて文字も習ったんだから人間の流儀で行かないとね。どうよ」

「手紙かぁ。あたしは考えもしなかったなぁ。すごいねカーメル」

「まあね。当たり前じゃない」

 

そう得意げにそう答えたカーメルだったがその表情はどこか名残り惜しそうだった。

そしてボソッと独り言のように言った。

 

「でも、もう少し人間の世界にいてもよかったかな」

 

これがカーメルの本音だと言うことはカメ子にはわかった。

何故ならカメ子も同じ事を思っていたからだ。

そんなカーメルにカメ子は言った。

 

「別に残りたかったら残ってもいいんだよカーメル」

 

カメ子は幾分からかい気味に言ったが、本当に残りたいのであればカーメルだけはここに残っても構わないと思っていた。

しかしカーメルはいつものお構いなしの調子で答えた。

 

「まさか。冗談言わないでよ。確かに楽しかったし良い思い出がいっぱいあるけどあたし達にはやる事があるじゃない」

 

同じカメムシでも正反対な性格のカメ子とカーメル。

周りからは水と油の様に思われる事もあったが、二人は互いの心の内をよくわかっていて誰よりもよく理解しあっていた。

 

「さあ行こうカーメル。まずは研究所の東岸さんの所へ」

「うん。そしてカメ爺の元へ」

 

そうして二人は研究所へ向かった。

愛する者を守るために戦いの場へ向かって行った。

よう。やあ。おはよう。あっざーす。

 

皆、様々に朝の挨拶を交わしている。

学校が再開してからはそれまでの日常の生活に戻ったような感じがする。

しかし、今は平時ではない。

ベータの一件以来ドールは鳴りを潜めているがこの生活がいつどうなるのかなんて誰にもわからない。

もしかしたらカメ子とカーメルも戦いに行ってしまうのかもしれない。

このまま何事もなくいなくなってくれればいいと思う。

しかしそういう訳にはいかないだろう。

なんていったってカメ子とカーメルは一つ目の中で実質実力ナンバーワンのジークを倒し、その他兵士である一つ目を二人も倒してるのだから。

このまま何も無いなんて事があるわけがない。

でもうしたらいい? どうしたらいいんだ。

 

口に出して言うことは無いが僕は時々こういう不安な気持ちがわき上がり心がざわつくことがある。

そしてそれは僕の意識とは関係なくとめどもなく考え込んでしまい回りの声も耳にはいらなくなるくらいだ。

そういう時よくお母さんやカメ子から「なにぼーっとしてるの」と注意される。

でもまだ大きな実害はないが、今が戦時である事に間違いないんだ。

そんな風に家にいたらお母さんやカメ子に注意されるくらい考え込み、いや、ぼーっとしながら自分の席に着く僕にモロミが心配そうな顔をして声を掛けてきた。

 

「おはよう丸男。 どうしたの? 何か考え事? 何かあったの?」

「あ、おはようモロミ。何でもないよ。ちょっとまだ眠たいかなって感じなだけ」

 

そういうと、モロミは丸男はほっといたらいつまでも寝てるんだもんねと笑顔になった。

そして本題に入った。

 

「ねぇ、カメちゃんどうしてる?」

「どうって?」

「ほら、例の愛の話」

「あー、あれね。宿題だって言って毎日借りてきたDVDを観てるよ」

「毎日? 同じものを?」

「そう。よく飽きないなと思うよ」

「あたし変なこと言っちゃったかな」

「ううん。そんな事ないよ。初めての宿題だって喜んでるみたいだし、それに見返りを求めないって言うのはうちのお母さんも感心してたよ」

「丸男はずーっとずーっと上だもんね」

 

そう言うとモロミは声を上げて笑った。

僕は恥ずかしかったのでかんべんしてよと言うとモロミはごめんごめんと言いながらもその笑いがとまらなかった。

そこへ吾一もやって来て何か面白い事があったのかって聞いて来た。

僕はもちろんなんでもないよと答えたけどモロミはあのねと言いながらずーっとずーっと上の話をした。

話を聞き終えると吾一はモロミと一緒に笑ったけど、安心しろよ俺でもそう言う風に答えるよと言うと僕の肩をぽんと叩いた。

そしてなんだか分からないけど僕も笑いがこみ上げて来て三人で笑った。

教室に先生が入って来るまで三人でずーっとずーっと笑っていた。

 

 

 

「あれ? 増田君、今日は君が早く上がる番じゃなかったっけ?」

「ええ。そうなんですけどね。私は一人もんですし、これと言ってやる事も無いので他に変わってあげたんです。それに正直言うと私はいつあいつらがやって来るかと思うと気が気じゃなくて休めませんよ」

「そうだな。私も同じだよ。あれ以来何の音沙汰も無く、攻撃はおろか何の発信もしてこないなんて。奴らがカメちゃんとカーメルちゃんに相当脅えているというのはわかるが、それでもこれだけ何もないと逆に不気味に感じてならないんだ」

 

研究所ではいつドール達が攻めてきてもいいように東岸が中心となり世界各国と連携を取っていた。

具体的には空の戦いになるだろうことは予想できたので各国の空軍やそれに準じたものがいつでも日本へ来れるように要請する事だった。

といっても今の現状で各国から日本へ戦闘機が集まるとドール達も警戒するに違いない。

以前自衛隊の航空機が一機撃墜されてるのを考えるといくら世界中から集まった戦闘機で攻めていったとしても勝負はほんの一瞬で決まってしまうだろう。

そうなれば逆にこちらの戦力が知られてしまうかもしれない。

東岸が各国に要請はしているといっても実際に勝負を仕掛けるのはカメ子とカーメルからの連絡を待ってからでないとどうにもならなかった。

ただ各国の戦闘機に詰まれるミサイルの威力や戦闘機自体の能力を元に攻め方や攻める順番を決めておいた方がいいだろうと各国に戦闘機の性能や積むミサイルの破壊力を訊ねたが帰ってくる答えははっきりとしないものだった。

特に大国と言われる国では自国のミサイル等攻撃手段を伝えるという事は、現時点での自国の手の内を見せる事になるので何がどうなっているのかという事ははっきりせずに難航していた。

 

「こんな時に何を考えてるんだ。国の緊急事態ではなくこの地球の存続がかかった緊急事態なのにそれぞれの国は自国のことしか考えない。今のこの状況を甘く見過ぎている。確かに最初にやられるのはこの日本だろう。しかしその後すべての国が攻撃される事は火を見るより明らかじゃないか。奴らが本気でかかってくれば一瞬で終わる。それなのに・・・・・」

 

東岸はカメ子達が秘密の場所と呼んでいたグランドで一つ目が乗るカプセルを発見した時よりその全ての情報、状況を世界の機関へ発信していただけに内心忸怩たる思いでいた。

 

「東岸さん、カメちゃんやカーメルちゃんからはまだ何も連絡は無いんですよね? 」

「ああ、まだ何も。」

「カメちゃん達に連絡してカメムシの人達が今どんな状況なのかだけでも教えてもらう事はできないんですかね。こっちはこっちで行き詰まっちゃてるわけですし」

 

増田にそう言われると東岸は何かを思い出す様に話しはじめた。

 

「なぁ増田くん覚えてるか? 前に私がカーメルちゃんを怒らせた事」

「怒らせた事?」

「カメムシの世界から帰って来た二人がカメムシ達が人間と一緒に戦ってくれるという約束を取って来てくれたのにその事に対して私はそっけなく返事をしてひどく怒られた事だよ」

「ああ、ありましたね。そんな事。確かあの時東岸さんはまだ待ってなきゃいけないんだよねって言ってカーメルちゃんを怒らせちゃったんでしたよね。正直私も随分な事言うなと思いましたよ」

「そうそうあの時は君にも一言言われたんだっけな」

 

増田は突然そんな話をする東岸を不思議がった。

東岸はそんな増田に応える様に今の心境を話した。

 

「確かに考えてみればカメムシ達だって命がけだ。奴らと向かいあえば死ぬことだってあるかもしれない。それをいくらカメちゃんとカーメルちゃんの頼みだとは言っても快くこちらの味方になってくれ一緒に戦ってくれる」

 

そこまで言うと東岸は真剣な表情で増田に言った。

 

「だから今度は信じて待とうと思っている。最大の敬意を持ってカメムシ達を待とうと思っているんだ。だからこちらからは決して連絡は入れない。ただ待つだけ。そう、ただ待つだけだ」

 

東岸の気持ちを感じ取った増田は私も一緒に信じて待ちますと笑顔で応えた。

その頃カメムシの世界ではカメ爺の元に多くのカメムシ達が集まっていた。

しかし集まって来るカメムシ達の思いは様々で、二つの群れに割れていた。

それはカメ爺も想定した事であった。

一つは戦いに臨む為に集まったカメムシ達で、このカメムシ達は戦いが始まれば自分達がその最前線に立ち命を危険にさらす事も理解しての事だった。

そしてもう一つは人間に対して友好的では無いカメムシ達だ。

それは人間によって仲間を死に追いやられたり住む場所を奪われた事への怒りを持つ者達だった。

今までの事から考えると後者の様に人間を恨む方が自然だろうと思われたが、不思議と人間に対して恨み事を言うカメムシは少なかった。

それよりも最前線に立って戦う決意をするカメムシ達の方が圧倒的に多かったのだ。

その姿を見たカメ爺は「これがカメムシじゃ、我らは誇り高き種族なんじゃ」と独り言つと胸を熱くさせた。

そして続々と集まって来るカメムシ達を前に自身の気持ちを語った。

 

「人間に恨みのあるものは無理に来なくてもよい。わしにもその気持ちはわかる。恨むのが悪いという訳ではない。むしろ恨むのが当然かも知れん。だから良いのじゃ。自身の思うままで良いのじゃ。恨みを持つ者も決意した者もそれぞれで良いのじゃ。しかし決意した者は恨みを持つ者を悪く言うではないぞ。また、戦う事を押し付けるのもだめじゃ。一人一人の意思に任せるのじゃ」

 

カメ爺はここまで言うと話をいったん区切り周りをゆっくり見渡した。

そして優しく笑顔をたたえながら何故自分は戦おうとするのか自身の胸の内を語り出した。

 

「わしは思うのじゃ、恨みばかりだけではいつまでたっても変わりはせぬ。子や孫の代にも同じ様に恨みしか残らぬであろう。しかし何かの折にお互いを分かりあうことが出来れば恨みは消えるじゃろう。わしはそう思う。もちろんこれはわしの考えであって皆に押し付けようなどというのではない。皆も人間と共に戦うにせよ、戦わぬにせよ、自身の心かわ湧き上がる気持ちを大事にしてほしい」

 

するとカメ爺の話を聞き興奮したある若いカメムシが立ち上がった。

 

「カメ爺、俺はやるぜ。俺達若いカメムシが一丸となって戦えばその一つ目ってのもいちころさ。 人間たちに俺たちの本当の気高さを見せてやるぜ!」

 

若いカメムシの血気溢れる決意を聞いて皆の士気は更に上がり始めた。

しかしカメ爺が鋭く言い放った次の言葉でその場は水を打ったように静まり返った。

 

「ならぬ! 若いカメムシが戦いに出る事は絶対にならぬ! 戦いにでるのはわしの様な年寄りだけじゃ。よいか!」

 

カメ爺のその叱責にも似た物言いは戦いに向かうつもりで集まって来た全てのカメムシ達、特に若いカメムシ達を唖然とさせた。

決意の声を上げた若いカメムシも最初はカメ爺の迫力に押され何も言い返せないでいたが、段々とたまらない気持ちになりぼそぼそと語り始めた。

 

「な、なんでだよカメ爺。俺達じゃだめだって言うのかい? あんたはいや、あんただけじゃねぇ。あんたが今言った年寄り達は今まで十分やってくれた。だから今度は俺達若いカメムシ達が立ち上がって・・・・」

 

カメ爺はその若いカメムシの言葉をさえぎり自身の戦いに対する考えと思いをぶつけた。

 

「よく聞くのじゃ。確かに人間の世界などは若い者を戦いに送るようじゃ。しかし、どの世界においても未来を創るのは若者じゃ。カメムシの世界も例外ではない。若者はここにに残り未来を創るのじゃ!  わしは思う。若者を死地に向かわせるという事はどのような世界であってもその世界の未来を壊す事と同じ、我々に置きかえれば若いカメムシを戦地に送ると言う事は我らカメムシの未来を壊す事と同じ事なんじゃ」

 

カメ爺は若いカメムシが何か言いたげであったのはわかったが、それに構わず自身の話を続けた。

 

「若い者が死に年寄りが残った所で未来は拓けん。確かに今言ってくれたように自分達が若き力で守ろうとする気持ちはありがたい。でもそれはわしらがダメじゃった時お願いするとしよう。 とにかく今回の戦いで先頭に立つのはわし達じゃ。若いカメムシ達は未来を頼む。よいか!」

 

そこまで言ったカメ爺は話を遮られうなだれてしまった若いカメムシに「わしらは見た目は年老いておるがまだまだ現役じゃ任せておれ」と笑顔を向ける事を忘れなかった。

若いカメムシは残念がりその拳を強く握った。

カメ爺はそんな若いカメムシの思いが有難くあり頼もしくもあった。

そしてうなだれている若いカメムシを横に年老いたカメムシ達に向かって語り出した。

 

「 聞いたか年老いたカメムシ達よ! 聞いたかこのカメ爺の思いを! 我らが団結して敵を迎え撃つのじゃ!」

 

するとその号令とも言えるカメ爺の声を聞いた年老いたカメムシ達があちらこちらで声をあげた。

それは「ワシもやる」「あたしも戦う」「若者よみておいてくれ」とどれもが頼もしい声だった。

その声を聞きカメ爺は再び胸が熱くたぎった。

そしてその思いのたけが涙となって溢れ出た。

カメ爺はありがとう、本当にありがとうと何度も心の中で呟き続けた。

 

 

 

「宿題?」

 

丸男がほんとんど暇つぶしの為だけにテレビを観ているとカメ子が宿題をするから一緒に観ようとDVDプレイヤーの操作をしはじめた。

カメ子は不思議がる丸男を余所にお母さんこれこれと母のサチコも呼ぶと、へへへと笑いながらプレーヤーの再生ボタン押し三人で画面に観入った。

すると画面には丸男の観た事のある映像が流れ始めた。

 

「なんだこれ。研究所で観たやつじゃん」

「そう。坂東さんに借りたの」

「これを観ることが宿題? どういう事?」

「モロミちゃんに言われたんだって」

「何を?」

 

サチコはカメ子に聞いた話を丸男に説明した。

カメ子はサチコにだけはモロミに聞いた事を話していた。

しかし、それは愛とは見返りを求めない物との話だけでモロミの話の結論である自分で感じるしかないと言われた事は言わなかった。

何故なのかその理由はカメ子自身にも分からなかった。

ただ見返りを求めないという事がカメ子の心には大きく引っかかっていた。

 

「見返りを求めない、か・・・」

 

そう言うと丸男は腕を組み何か考え込むような仕草をした。

 

「いいこと言うじゃないモロミちゃん」

「そうかなぁ。ちょっと難しすぎない?」

「あら、好きのずーっとずーっと上よりいいんじゃない」

「えー、そりゃないよ。お母さんもお父さんも答えられなかったのに」


そう言うと丸男ははっきりと不満な気持ちを顔に表した。

そんな口を尖らせてる丸男をサチコがなだめてる所に普段より早く菱形が帰宅した。

 

「あら、どうしたのこんな時間に? 早いじゃない」

 

菱形はお土産だよと持ち手のある小さな箱を丸男に渡しながら早く帰宅した理由を説明した。

 

「今まで泊まりになる事も多かったし遅くなる事が多かっただろ? そこで増田さんから提案があって順番に早く帰れる時は早く帰宅するようにってなってね。で、今日は俺の番ってわけ。ま、これからもいつどうなるか分からない状況ではあるんだけどね」

 

菱形がそこまで話すと自分の話よりも箱の中身に興味津々の丸男に笑顔で答えた。

 

「中身はケーキだよ。なんでもここのケーキはすごく美味しいらしいんだ」

 

聞くと最近研究所の最寄り駅の中にできたケーキ屋が女子社員を中心に話題になっており事ある毎に菱形も進められていたという事だった。

 

「普段は結構並んでて中々買えないみたいだけど、今日は時間が早いせいか空いててね。で、買って来たんだ。なんたってあの東岸さんも並んで買ったって言ってたからね」

「えっ、東岸さんがケーキ?」

「そうそう。お父さんもびっくりしたよ。東岸さんああ見えて甘いものに目がないんだって。で、お店でおすすめの4種類を買って来たんだ」

 

東岸とケーキ。

 

丸男はなんだか似合わない組み合わせだなと思いながら、父の買ってきた箱の中身を見た。

モンブランにチョコレートケーキ、それにチーズケーキと大ぶりの苺がのったショートケーキだった。

見た目はどこにでもある普通のケーキだったが、どれもがお店のおすすめと言う事だった。その中で丸男は迷わずチーズケーキを選んだ。

 

「あ、それはお父さんが食べようと思ったんだよ。丸男にはショートケーキをと思って買ってきたんだよ。ケーキって言ったら丸男はいつもショートケーキだったろ?」

「いつもはそうでも今日は違うの。僕だってたまには違うのを選ぶ時もあるよ。もう取ったからダメだよ」

「えー、じゃあ半分こしよう」

「だーめ。これは僕一人で食べます」

「じゃあ一口だけでもちょうだい」

「だーめ」

「もう、何やってんのよ。どれも普通のケーキじゃない。二人とももう子供じゃないんだから。やめてよ」

「残念、僕はまだ子供です」

「あーあ、分かったよ。じゃあ俺はチョコレートケーキにしよう」

「ちょ、ちょっと待ってよ。あたしがチョコ好きなの知ってるでしょ? チョコはあたしのよ」

「いやー、いつもはそうでも今日は違うのかなって思ってさ」

「それは丸男でしょ。あたしはいつもチョコレート」

「じゃあ、半分こしようか?」

「ダメよ。あたしも一人でいただきます」

「カメ子も早くしないと・・・・えっ? ど、どうしたの? なに泣いてるの?」

 

丸男はカメ子の頬に伝う涙を見て驚きの声をあげた。

サチコも菱形もカメ子の涙を見て驚いた。

 

「どうしたのカメちゃん?」

 

するとカメ子は手で涙を拭いながら言った。

 

「いいなぁと思って」

「何が?」

「家族っていいなぁと思ったの」

「何言ってるの。カメちゃんも家族じゃない」

「そうだよ。それに早くしないと残り物になっちゃうよ」

 

それならとカメ子はジャンケンで決めたらどうかと提案した。

菱形がそれはフェアでいいねと言うと丸男もサチコも絶対に負けないと乗り気だった。

 

「最初はグー、ジャンケンポン」

 

一回目のジャンケンでカメ子はグー、他三人はチョキを出し最初の勝ちが決まった。

カメ子としては特にどれが食べたいというのは無かったがとりあえず何を選ぼうかとそれぞれを見比べていると、それをみている丸男の真剣な顔が可笑しくてたまらなくなり自分は残り物でいいとカメ子はケーキを選ばなかった。

そして次に勝ったは丸男は僕は遠慮しないよと言いケーキを選んだ。

それは最初に選んだチーズケーキではなく大ぶりの苺がのったショートケーキだった。

 

「なんだ丸男、勝ったんだからお父さんに遠慮しなくていいんだよ」

「ううん。遠慮なんかしてないよ。やっぱり僕はショートケーキがいいや」

 

そしてそれぞれが自分の分を皿に取りカメ子が最後に残ったケーキを取ると丸男はカメ子に言った。

 

「ねぇカメ子。半分こにしない?」

「うん。 いいよ」

 

そうして二人の皿の上には半分になったショートケーキとモンブランが置かれた。

ケーキにはさほど興味のないカメ子だったが、苺の行方は気にしていた。

それをわかっていた丸男はカメ子に苺はあげるよと言うとカメ子は笑顔になった。

そのカメ子の笑顔を見て丸男はカメ子に聞いた。

 

「ねぇ、どっちから食べる?」

 

丸男にそう聞かれるとどっちににしようかなと言いながら笑顔で苺を頬張った。

 

「ねぇ、お母さんあいってなに?」

「あい? なにそれ?」

 

久しぶりに家族そろっての夕食の時、カメ子からお母さんへ突然の質問。

カメ子の口から出たのはあい。

それは会いに行くのあいではなく、逢いたいのあいでもない。

カメ子の聞きたいのは所謂LOVEの事だというのを僕は知っている。

だけどまさかこんな時に聞くとは思わなかった。

 

「人間が使う言葉であるでしょ?  愛してるとかって言うんでしょ、その愛。 お母さんは言ったことないの?」

「えっ?!  ちょっと何よいきなりカメちゃん。愛ってそういう愛?」

「そういう愛って、他にどういう愛があるの?

「他にどういう愛がって言われても・・・あの・・・ちょっと・・いきなりすぎて・・・」

「お母さん知らないの?」

「知らないのって言われても、知らないわけじゃないけど・・・あ、そうだ。今日はお父さんがいるんだから、お父さんに聞いて見てよ。」

 

答えに窮する時に出る ”あ、そうだ” は大したアイデアが出てくるわけではないことを僕は知っている。

で、今日のそんな ”あ、そうだ” で出たお母さんのアイデアはお父さんに対する無茶ぶりだった。

 

「ねぇ? ここの所いそがしくて一緒に食事なんてできなかったんだから答えてあげてよ」

「えっ? 俺が? いや、ちょっとそれは・・・ま、確かに忙しかったは忙しかったけどそれとこれとは、違うって言うかなんて言うか・・・あ、そうだ。丸男はどうだ? 学校で教わったりするんじゃないか?」

 

久しぶりに家でみんな揃っての食事中、カメ子の言った質問に慌てるお母さんとお父さん。

ふたりとも ”あ、そうだ” っていい事でも思いついた様に言うけど、結局最後は僕にまで回して来る始末。

僕はなんでお母さんもお父さんもそんなに慌てるんだろうと思いながら学校ではそんな事教わらないよと答えた。

これからはどうか知らないけど、今の所本当に教わった記憶は僕にはない。

でも流石にこれで終わったらカメ子がちょっとかわいそうな気がして僕は自分なりに思う事を言った。

 

「でも、まぁ言葉で説明するとしたらきっと、好きよりももっと好きって事でいいんじゃないの?」

「好きよりももっと好き?」

「そう。 好きって気持ちのずーっとずーっと上って言うか、もっと、もっと好きって感じだよ」

 

好きのずーっとずーっと上でもっともっと好きって事かぁ、とカメ子は僕の言った事を口にはしてもしっくり来ていない様だった。

残念ながら僕にもこれ以上の説明はできない。

僕の説明を聞いて、ま、そんなとこかもしれないわねと納得しながらお母さんはカメ子に聞いた。

 

「でも、そもそもどうしてそんなこと知りたいの?」

 

このお母さんのもっともな質問には考え込んでるカメ子の代わりに僕が答えた。

ベータの件の後、僕とお父さんは怪我の治療もあり三日ほど研究所に泊まることになった。

お父さんは手当てを受け頭部の検査をして問題ないことがわかると早々にカメ子とカーメルと一緒に東岸さん達の所に戻った。

僕も検査の結果問題は見当たらないという事だったので家に帰ろうとしたんだけど医者だけでなく東岸さんやお父さんも一緒になってあんなことがあった後だからしばらくは安静にしてないという事になり僕としては正直迷惑な気もしたけど念のためという事で渋々了承した。

といっても研究所にいて日がな一日ぼーっと過ごしているだけだと本当に退屈で、研究所内をあっちこっち見て回っても研究所なんて建物は確かに立派だけど見る所なんて全然なくてどこに行っても仕事をしてる人達に気を使うだけで時間の潰し方に困っていた。

そんな所にそれなら最高の時間の潰し方を教えてあげると坂東さんが色々な映画やドラマのDVDを持って来てくれた。

気にしてくれたのはありがたかったけど映画好きの坂東さんのお勧めの多くはいわゆる恋愛もの。

その他は文学的というか僕からすると解釈が難しいものが多かった。

これならホラーとかアクション物のような単純で分かりやすい物の方がいいなと思っていたんだけど一緒に観ていたカメ子にははまったらしく今度はこれ、今度はあれと次から次へと寝る間も惜しんで観ていた。

誰の暇つぶしのDVDなのかわからなかったほどだった。

基本的に僕の為に持って来てくれた物だったんだけど、坂東さんは一人で観るより大勢の方で観る方がいいとカメ子とカーメルにも声を掛けてくれ即興の坂東劇場の鑑賞会はほとんど三人で行われた。

その鑑賞会の中で坂東さんが特にお勧めだという物は、仕事中にもかかわらず、ちゃっかり坂東さんも一緒に観て行くのだ。

カメ子の気になった愛というのはその坂東さんの一番のオススメの映画の中で主人公が病気で亡くなる恋人にかける最後の言葉だった。

カメ子も愛というのが大切な人に使う言葉だというのは理解したみたいだけど、意味がよくわからなかったみたいでそれを坂東さんに聞いてた。

でも坂東さんはそれは自分が答えるより家に帰ってお母さんに聞いた方がいい答えをもらえるわよとうまくかわしていた。

その時の僕はそんなに真剣に考えていなかったのでここに来てカメ子が本当にお母さんに聞くとは思わなかった。

 

「えっ、坂東さんがお母さんにって言ったの?」

「そんなことがあったんなんてしらなかったなぁ」

 

カメ子の質問に答えられなかったお父さんもお母さんも困った顔をしていたけど本当に困ったのは僕の方だよと思った。

 

 

 

カメ子とカーメルがドールの放った二人の刺客を倒してからしばらく平穏な日が続きカメ子もカーメルも研究所に泊まり込みんで検査や調査に協力する事はなくなった。

それは今回の事で得られた情報が今後一つ目を迎え撃つにあたっても十分に役立つもので、研究所ではその情報を元に態勢を整える事に重点を置く事になったからだった。

そしてカメ子とカーメルはカメムシの世界との橋渡しを担う事だけになり、何かあればその都度研究所の東岸に知らせるという事になった。

その東岸は一つ目の特徴について纏めると、世界のあらゆる国や機関へ発信した。

それはこれまで「カメムシに頼らなければならないなんて」と難しい顔をしていた者達の考えを一変させることにもなった。

確かにいつまた、ドールがどのような形で攻撃を仕掛けてくるか予測がつかない中だったが、この事を機にそれまで休校だった学校も再開し、相模湾上空に停滞している岩の様な宇宙船の事を考えなければほぼ日常を取り戻していた。

 

 

「ねぇ丸男。 カメちゃんってまだ研究所に泊まり込んだりしてるの?」

「ううん。 たまにはいったりしてるみたいだけど。 もうそんなに詰めて行く事はないみたい」

「そうなんだ。 良かったね。 じゃあもうおばさんもミヨさんもやきもきしないですむんだね」

「そうそう。 それだけは本当に助かるよ。 いつ帰って来るんだって二人して落ち込んで暗い顔されても困るからね」

「わかる、わかる」

 

久しぶりの学校でモロミは丸男にカメ子の様子を聞いてきた。

それはカメ子がまだ研究所に行き来しているのかという事から始まり、カメ子とモロミが会うたびによく話していたテレビドラマは観ているのかとか、文字の勉強はどこまで進んでいるのかというとても他愛も無い事だった。

丸男も聞かれたことには答えていたが、他愛も無い事だからこそ逆に自分に聞くより家に来てカメ子と直接話した方がいいんじゃないかという事で学校帰りにモロミは丸男の家に寄る事になった。

 

「なぁ丸男、ちょっと来てくんない?」

 

丸男とモロミが校門を出ようとした所で吾一がやって来た。

サッカーの試合をするのに人が足らないので入ってくれという事だった。

 

「えっ? 僕でいいの?」

「うん。とりあえず頭数さえ揃えばな」

「なんだよそりゃ」

 

はっきり言う吾一に対し少々不満もあったが、ここの所家の中に閉じこもりきりだった丸男は苦手なサッカーでも久しぶりに学校で皆と走り回れるというせっかくの誘いに乗りたかったが、カメ子の事を気にかけてくれたモロミと一緒に帰るという約束が先だったので後ろ髪を引かれたが断ろうとした。

そんな丸男の心を見透かしたモロミは言った。

 

「あたしは大丈夫だよ。一人で行って来るから。それに会いたいのはカメちゃんだし。丸男もみんなとサッカーなんて久しぶりなんだし行ってきなよ」

 

そう言われ丸男はモロミにゴメンと手を合わせると吾一について行ってしまいカメ子の所にはモロミが一人で行くことになった。

 

 

「こんにちは。 カメちゃんいますか?」

 

カメ子に会いに来たモロミの久しぶりの訪問に母のサチコは喜んだ。

 

「あれ? 丸男は一緒じゃないの?」

「丸男は吾一に誘われてサッカーやりにいっちゃいました。あたしは久しぶりにカメちゃんに会いたくて一人で来ちゃいました」

 

サチコはありがとうと言うとカメ子を呼んだ。

 

「ねぇカメちゃんここの所家に閉じこもりっぱなしだし、せっかくモロミちゃんが来てくれたんだから、ちょっとその辺お散歩でもしてくれば」

 

そのサチコの言葉で二人は家を後にした。

そして二人きりになるとカメ子は早速モロミに質問した。

 

「ねぇモロミ。聞きたいことがあるんだけど」

「あたしに? めずらしいね。 なに?」

「ちょっとわからないことがあって」

「わからない事?」

「うん。モロミは愛ってなんだかわかる?」

「愛? 愛って、恋愛の愛?」

「うん」

「どうしたの突然?」

 

モロミは久しぶりに会ったカメ子から突然愛とはとの質問を受け正直ドキリとしたが研究所で観たドラマのセリフの一部だと聞くと、知らない言葉の意味を知りたいのかと納得した。

 

「なんだ、そういう事ね。ちょっとびっくりしたけど。それなら納得。でもおばさんとかには聞いてみなかったの?」

「お母さんもお父さんも教えてくれなかった。その代り丸男が教えてくれたんだけど・・・・」

「丸男はなんて?」

 

カメ子は丸男が教えてくれた事を話した。

モロミはそれに対しても納得したようだった。

 

「はははは。 好きのずーっずーっと上か。丸男らしいね」

「モロミはどう思う?」

「あたし?」

 

カメ子に聞かれて少し考えたモロミは言った。

 

「確かに好きの上っていう考え方もあるかもしれないけど、好きって結構一方的なんじゃないかなって思うな。あたしが思う愛っていうのは、そういう一方的じゃないもので、うーん。見返りを求めないもの。 そう、自分の全てを出しても見返りを求めないものなんじゃないかな」

「見返りを求めない?」

「そう。何かして欲しいとかじゃなくて、うーん。あ、ほら無償の愛って言うじゃない」

「無償の愛?」

「うん。あたしもこれ以上はなんとも言えないなぁ。 でもさぁ、いままでだって難しい言葉なんて色々あったんじゃない? どうして愛にこだわるの?」

 

確かに今までも理解が難しい言葉はあったがその都度皆丁寧に教えてくれた。

それと同じ様に愛と言う言葉も最初は知らない言葉なので意味を知りたいというだけだったが、この愛に関しては誰もがはっきりとしない言い回しだったのが気になり、はっきりとした意味を知りたかったからだと言った。

 

「まぁ確かに説明は難しいかな。でもこれって自分で感じるっていうか、カメちゃん自身がそういう気持ちになるしかはっきりとした意味はわからないんじゃ無いかな」

「あたしがそういう気持ちになる?」

「うん。 ま、そうは言っても今すぐそういう気持ちになれって言っても無理だよね」 

 

そこまで言うとモロミは以前カメ子が丸男に宿題とは何かと聞いて困らせたという話を思い出した。

 

「あ、 そうそう、とりあえず宿題ってことにすればいいんじゃない」

 

そう言うと初めての宿題だねとモロミは笑った。

ここでもはっきりとした答えを見つけられなかったカメ子だったが、そうだねと答えるとモロミに笑顔を返した。

「ベータは無事だよ。お父さんも気を失ってるだけだから大丈夫。ぼ、僕もなんとか大丈夫」

 

丸男は苦しそうにそう言うと一つ目の足元に崩れる様に倒れ込んだ。

 

「丸男!」

 

カメ子とカーメルは慌てて丸男の元に近ずこうとするが、一つ目は足元の丸男を片手で摘まみ上げると盾にして二人の動きを制した。

 

「お前達は何者だ?」

 

その問いには答えずにカーメルが言った。

 

「あら、あなた達見た目も同じだけどやる事も同じなのね。でもね、そんなことしても無駄よ」

「なんだと?」

「あたしはカーメル。カメムシのカーメル。そしてこの子はカメ子。ジークを倒したのはあたし達よ」

「そうか。ジーク様を倒したのはお前達か」

「そうよ。それに今も一人倒して来たところよ」

「な、何!」

 

仲間が倒されたことを知らされた一つ目は明らかに動揺した。

カーメルは一つ目が動揺しているすきにカメ子の反対の側にまわり、挟み撃ちをして押さえ込もうと考えた。

しかし危険を察知した一つ目は丸男をカメ子に向かって投げ飛ばすと部屋中をものすごいスピードで飛び回り二人との距離をとった。

カメ子とカーメルにとってこの一つ目の動きが厄介だった。

一つ目が動くとほんの一瞬だがその姿を見失ってしまい、動きが止まり気配を感じるまで一つ目の正確な居場所が分らないのだ。

カメ子とカーメルはこの事を悟られまいとしていたが、その事に気づいた一つ目は二人を見るとなるほどと目を細めた。

 

「どうやらお前達は俺の動きについてこれないようだな。それにこの星にはジーク様を倒す程の力を持ったお前達の様な者もいれば、こいつらの様に何の術も使えない力のない者達もいるというのも分かった。仲間が倒されたのは残念だがそれが分かっただけでも我々にとっては大きな成果だ」

 

そこまで言うと一つ目はもう一度その大きな目を細めた。

 

「俺がこのままドール様の元へ戻りこの事をお伝えするとどうなるかわかるか?」

 

それはまさに絶対絶命になった者が立場を逆転させた時にニヤリとするまさに勝ち誇った表情だった。

そして一つ目はそのニヤリとした表情を崩す事なくつばでも吐き掛けるように最後の言葉を吐いた。

 

「戦闘開始だ」

 

カメ子とカーメルが最も恐れていることはこちらの態勢が整う前に一つ目達から攻撃を受ける事だった。

この一つ目がこのままドールの元へ帰ってしまったら、一瞬で世界が火の海になるだろう。

一つ目の言った戦闘開始とは、すなわちこの星の終わりを意味する言葉だろう。

しかしそれだけは絶対に避けなくてはならない。

カメ子とカーメルが手をこまねいていると、最後に一つ目は楽しみにしていろと捨て台詞を吐きその場を去ろうとした。

一つ目の動きを目で追う事すら出来ないカメ子とカーメルにとっては正直どうする事も出来なかった。

その時カメ子とカーメルの前を何かが動いた。

その何かは一つ目の背後に立つとカメ子とカーメルに向かって叫んだ。

 

「今だ! カメ子、カーメルあれをやってくれ!」

「な、何をする!  離せ! 離せ!」

「嫌だ。 何があってもこの手を離すわけにはいかない。お前を帰すわけにはいかないんだ」

 

手をこまねいている二人を見て動いたのはベータだった。

ベータは立ち去ろうとする一つ目を同じ一つ目としてのその素早さで背後に回り込み押さえ込んだのだった。

 

「早くしろ! あれをやるんだよ」

「あれって?」

「ジーク様を倒した時のあれだよ」

「えっ?! なに言ってるの。そんな事したら、あなただってただじゃすまないんだよ」

「わかってるよ。でも今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ?  こいつがドール様の元へ戻ったら攻撃されるんだぞ。 お前達の仲間が来る前に攻撃されたらまずいんだろ?」

 

ベータは逃げようとして暴れる一つ目を必死に抑えながら言った。

しかしドールから派遣された刺客である一つ目の方が僅かだが力が勝っておりベータは持ちこたえるのがやっとだった。

このままいけば一つ目がベータを振り払い逃げ出してしまうのは誰の目から見ても時間の問題なのは明らかだった。

 

「おいらはこいつの速さについて行く事はできるどこれが精一杯だ。 いいか?  おいらがこいつを押さえてるにも限界があるんだよ。  おいらの事はいいから早くやってくれカメ子!」

 

ベータはそう言うと何とか一つ目を近くにいたカメ子の方へ向けた。

このままカメ子が両手を一つ目に向け力を出せば一瞬で決まる。

それは分かっていたが、やはりカメ子はベータの事を考えると一つ目を前にしながらも攻撃はできなかった。

さっき倒した一つ目の時のように力を絞って攻撃を仕掛けても同じ一つ目であるベータに影響が及ぶのは間違いない。

それは死に至ることになるかも知れない。

そう思うとカメ子はどうしてもその手を動かす事が出来なかった。

 

「だめ。出来ない。あたしには出来ない」

 

一つ目の前で戸惑っているカメ子にカーメルは言った。

この時もカーメルはカメ子とは対照的で冷静だった。

 

「どうしたのカメ子? ベータの言う通り今この一つ目をドールの元へ帰すわけにはいかないじゃない! 今攻撃を仕掛けられたらどうなるかくらいわかるでしょ?」

 

カーメルにそう言われてもカメ子は攻撃するのを戸惑っていた。

そんなカメ子へ近ずくとカーメルは一つ目へ向け両手を広げた。

 

「あなたが出来ないならあたしがやる。 カメ子はベータの事をお願い。 あたしが力を出したらベータの腕を思いっきり引っ張って。 それならできるでしょ? いい? 一か八かでもやるしか無いの!」

 

それでも下を向いたままカメ子は何も言えなかった。

その時カメ子の足元にしゃがんでいた丸男がふらつきながら立ち上がった。

 

「そ、それは僕がやるよ。 僕がベータを助けるよ」

 

カーメルは丸男に頷き返すと自問自答した。

どんなに力を絞った攻撃でもベータに何かしらの影響があるのは間違いない。

カメ子が手を止めてしまったのもそれを考えたからだ。

なぜなら最悪の場合ベータも死なせてしまうかもしれない。

勿論カーメルもそんなことは百も承知だし、ベータをそんな目にあわせたくもない。

しかし絶対に一つ目をこのまま帰すわけにはいかない。

カーメルもぎりぎりまで戸惑いと不安な気持ちは消えることは無かったが、今出来る事はこれしかないと決断を下すと慎重にその手に力を込めた。

すると次の瞬間、背後にしがみつくベータから逃れようともがいていた一つ目の動きが急に止まった。

そして大きな声で奇妙な言葉を発すると膝から崩れ落ちた。

カーメルは極力ベータの体には負担がかからない様にと力を絞ったが、先に倒した一つ目と同様、やはり一瞬で決着はついた。

目の前で膝から崩れ落ちた一つ目はその後も何度も絶叫を繰り返していたが次第に動かなくなった。

これでこの研究所へやって来た一つ目を二人とも倒す事ができた。

しかしその事よりカーメルが気になったのはベータの事だった。

 

「丸男!」

 

ベータを救うにはカーメルの攻撃と同時に丸男がどれだけベータを攻撃対象の一つ目から遠ざけることが出来るかが勝負だった。

ベータに近い場所に立ちカーメルの動きを見てベータを引き離そうと考えた丸男はカーメルがその手に力をい入れた瞬間、絶妙なタイミングでベータの腕を掴み自分の元へ引っ張り出す事が出来たが、カーメルの攻撃はベータにとっても強烈なものでやはりただでは済まなかった。

丸男に腕を引かれその勢いでそのまま丸男と共に倒れこんだベータだったが、その姿はかろうじて意識はあるという程度で天を仰ぎとても苦しそうにしていた。

 

「ベータ! 大丈夫ベータ?」

 

丸男に声をかけられるとベータはゆっくりとした動作で丸男の手に自分の手を重ねた。

 

「ま、丸男。おいらも丸男の気持ちが分かったよ。お、おいらが、おいらがやらなきゃいけないって思ったんだ。へへへ。丸男、おいら凄かったろう?」

「うん。凄かったよ。僕の言った通りじゃないか」

「へへへ。でもおいらだめかも知れない」

「えっ? 何言ってるのベータ? ベータ?」

 

丸男はカメ子になんとか助ける方法はないのか聞いた。

しかしカメ子もカーメルも首を横に振るしか出来なかった。

 

「丸男、いいんだよ。おいらはこれでいいんだ」

「何言ってんだよ! もう喋らないで! 僕がなんとかするから!」

 

そう言うと丸男はカメ子に攻撃されたジークが体にまとわり付いた何かを拭っていたのを思い出しベータの体を何度も拭った。

丸男は涙を流しながら何度も何度もベータの名を呼びながらその体を拭った。

 

「へへへ。おいらこんなに心配された事なんて一度もなかったよ。いいもんだな友達って。ありがとう丸男」

 

丸男が必死でベータの体を拭うのを見ていたカーメルは何か言おうとしたが目の前の二人がどんどん滲んでいった。

 

「ごめんなさいベータ・・・・あたし、あたし・・・・」

 

さっきまで冷静なカーメルだったが、それだけ言うとこらえきれず顔をくしゃくしゃにして大声で泣き崩れた。

色々な気持ちが入り混じり何をどう言ったらいいのわからないカーメルはそのまま泣き続けるしかなかった。

 

「カーメル、お前は悪くないよ。お願いだから泣かないでくれよ。これでいいんだよ。おいらはこれで満足なんだ。だっておいらがみんなを守ったんだ。そうだろ?  このおいらがだよ・・・へへへ。じ、自分にこんな事ができるなんて・・おもて・・なか・・たよ」

 

するとベータは丸男に支えられながら半身を起こすとカーメルを引き寄せ丸男と二人で包むようにカーメルを抱きしめた。

 

攻撃と同時に丸男が一つ目から引き離したおかげか見た目のダメージは少ないように見えたが、カーメルの攻撃はベータにとって致死量に至っていた。

丸男はそれを自分の腕の中でベータの生命力が少しずつ弱まっていく事で感じていた。

 

「ごめんなさいカーメル。あたしがもう少しちゃんとしていればカーメルにこんな思いをさせなくて済んだのに」

 

一つ目を目の前にしながら攻撃を躊躇してしまった事でカーメルにその辛い役目を担わせてしまったカメ子も苦しむベータを前にそう自分を責めた。

 

「カ、カメ子も気にするなよ。ふ、二人とも・・自分を責めないでくれよ。 おいらは本当にこれで良かったと思っているんだから。 な、丸男」

「うん。そうだね。ベータの言う通りだよ」

 

するとベータはいつものようにへへへと照れ笑いをすると丸男の腕から最後の力を振り絞り立ち上がるとカプセルへ行きたいと言った。

カプセルまではほんの数メートル先だが、致命的な攻撃を受けたベータの足では軽々と歩いていけなかった。

そんなベータは丸男に頼りゆっくりと歩みを進めた。

 

「カメ子もカーメルもきてくれよ」

 

丸男にはそう言うベータの横顔が優しく微笑んでる様に見えた。

ベータの顔には大きな一つ目しかなく表情など読み取れるはずもないのに丸男にはその様に見えた。

丸男にはこの時ベータが本当に喜んでいる様な気がした。

そして丸男は支える手に力を込めた。

それはもう言葉を発するのもままならないベータへ思いを伝える為だった。

ありがとうベータ、と。

するとベータも隣で支える丸男がやっと聞き取れる声で ”ありがとう丸男” と言った。

これがベータの最後の言葉になった。

 

ベータはカプセルの中心に手をかざし扉が開くとその人型に窪んだ受け側に自分の体を預けるとカプセルの扉を指差した。

 

「なに?」

 

カメ子がベータの指差した扉を触ると扉の一部分が四角く光り出した。

それは扉に埋め込まれたモニターだった。

ベータが何を見せようとしてるのか考えながら三人はそのモニターを見ていた。

 

「ねぇ、もしかしたらこれって宇宙船に連絡を取る装置なんじゃない?」

 

感のいいカーメルが言う通りしばらくするとモニターに何かが映った。

その映し出された人物はこちらに向かって何か奇妙な言葉を発していた。

おそらく自分達の言葉で何か話しているのだろう。

それは全く理解できない言語だったが、それにはかまわずカメ子がモニターに映る人物に話かけた。

 

「あたしはカメ子。カメムシのカメ子。あなたがドールなの?」

 

するとその人物は今度はカメ子達にもはっきりとわかる言葉で話し始めた。

 

「そうだ。私がドールだ。 そこで何をしている? その装置を使用できるのは我々の仲間だけだ。この星の者に操作できるはずがない! お前たちは何者だ? 」

「あら、これくらいあたし達にも操作できるわよ。いい? 自分達だけが特別で凄いなんて思い過ごしもいいところよ」

「ま、まさか? どういうことだ!」

 

カーメルは ”あたし達にも操作できる” と言った。

それはドールが ”この星の者に操作できるはずがない” というのを聞いてとっさに思いついた、所謂カーメルの ”はったり” だった。

モニター越しのドールはカーメルの ”はったり” にまんまとはまり動揺しているのがわかった。

カーメルはそれも見逃さず、ドールが送った二人の刺客は自分達が倒したことも説明し最後の言葉を投げつけた。

 

「あんな奴ら何人送ってこようが無駄よ。来るならあなたが来なさいよ」

 

お見事カーメル!

隣でやり取りを見ていた丸男は、一つ目達の別格的なリーダーであるドールにはったりをかますカーメルに大きな声でそう叫びたくなった。

それは丸男だけではなくいつの間にかやって来ていてモニターから見えないところでガッツポーズをしている東岸と増田も同じ思いだった。

結局カーメルの言葉の後、一つ目ドールは何も言い返す事ができずその姿を消しやがてモニターには何も映らなくなった。

 

「やったねカーメル。よくとっさにあれだけ言えたね。大したもんだよ。こっちの事は何一つ知られず、逆にはったりをかますなんて凄いよ」

 

モニターが消えたあと丸男がカーメルに言った。

 

「あたしもびっくり。まだ心臓がばくばく言ってるもん。でもあれがどれだけ聞いてるんだかあの表情からは分からないわね」

「いや、かなり悔しそうだったよ。僕は奴の顔を見てよくわかったよ」

 

モニターの中でドールは苦々し思いがその表情に表れていた。

カメ子やカーメルにさえ見分けられないその一つ目の表情を丸男には見分けられた。

 

「えっ丸男。一つ目の顔の表情なんてわかるの?」

「うん。なんとなくだけどね。ベータと話してるうちにわかる様になったんだ」

 

丸男はベータのおかげだよとカプセルで眠るベータの手を取って言った。

 

「ありがとうベータ。君は本当に良くやったよ。君が僕達を助けてくれたんだ。絶対に忘れないよ」

 

そしてカプセルの制御装置が働きゆっくりとその扉が閉まり始めた。

閉まっていく扉の向こうにいるベータが段々と見えなくなっていく。

それを見ている丸男の目に涙が溢れた。

ほんの少しの時間だったが丸男とベータの二人はいろんな話をした。

丸男はその一つ一つを思い出していた。

そして音も無く静かにその扉は閉じた。

カプセルが閉じた後の沈黙はこの世にベータがいなくなったという事をより強く感じさせた。

丸男は悲しみの気持ちが沸き上がるとその感情を抑えきれず、カプセルにすがりついてベータの名前を呼んだ。

するとカプセルは丸男に返事をするかの様に淡く光った。

それは綺麗な桜色だった。

 

「何だこれは? こんな風に光るなんてベータ君言ってなかったよな?」

 

突然光出したカプセルを見て東岸が不思議がって言った。

でも丸男にはその意味がわかっていた。

 

「恥ずかしいんだよね」

 

その淡く光る桜色のカプセルを見ながら丸男はぼそっと言った。

その時丸男にはベータがへへへと照れている顔が浮かんだ。

 

「ありがとうベータ。本当にありがとう」

 

「し、死んだのか?」

 

あおむけに倒れたきり動かなくなった一つ目の姿を不思議そうに見ながら増田がそう言った。

カメ子もその姿を見ると不思議に思った。

一つ目への攻撃は一瞬の事でカメ子としてはほんの少し力を出しただけだった。

それなのに一つ目はあっという間に断末魔の叫び声をあげ崩れるように倒れるとぴくりとも動かなくなった。

秘密の場所でジークと向かい合った時、コロを殺された怒りで我を忘れたとはいえ、相手を倒すのにカメ子は自身の出せる力をすべて使った。

それこそカメ子自身がその場に倒れるまで力を出し切ったのだ。

今回は人質の増田が影響うけないようにと様子を見る為に力をセーブしたが、正直これほどあっけなく倒せたのには肩透かしというか、なんだか拍子抜けしたような感じがした。

ただ、増田になんのダメージも見られない事にはカメ子もほっとしていた。

 

「カメちゃんもカーメルちゃんも本当にありがとう。おかげで助かったよ。いやぁ、でも怖かったなぁ。まだ震えがとまらないよ」

「あれ、そう言えば東岸さんはどうしたんだろう? あたし達より先に来てたなかったっけ?」

 

カーメルがそう言うとカメ子がここよと開いてるドアを指さした。

 

「なに?」

 

カーメルが不思議がってると東岸がここだよと言いながらドアの影から顔を出した。

 

「いやー、この部屋に来たらその一つ目がいてね。慌ててこのドアの影に隠れたんだ。そしたらそのすぐ後にカーメルちゃんと増田君が来ただろ。これで私までいるとよけい足手纏いになるんじゃ無いかと思ってそのまま隠れてたんだ。 それにしても凄いなこれは。前の時と違って溶けてるじゃないか」

 

この時、東岸はこの研究所へ遺体として運ばれ、まさにこの部屋でかろうじて生き延びていた一つ目の統率者の一人であるジークの事を思い出していた。

ジークはその動けない体でもカメ子やカーメルを圧倒したがカーメルの渾身の一撃を受けると、最後に奇妙な叫び声を上げ完全に息の根が止まったジーク。

今回倒した一つ目も断末魔の叫びこそジークと同じだったが、その体の損傷は比べ物にならないくらい激しかった。

 

「そんなに力一杯やったのかい?」

「ううん。全然力なんか入れなかった。増田さんもいたし様子を見ようとほんの少し力を入れただけ」

「で、これか」

 

ベータはジークとドールは一つ目の中でも別格だと言っていた。

別格とは特別な力を持っているとかいないとかだけでなく、何か外的な物からの防御の仕方まで違うものなのかと研究者である東岸はその体の違いに興味を持った。

この違いを知れたことは今後の事を考えると大きなアドバンテージになる事は間違いなかった。

 

東岸はこれまで国からは勿論、時には各国の関係機関からも直接一つ目に対する事で問い合わせを受けていた。

それは攻め込まれたらどう対応するのか、何か打つ手はあるのかと言う事なのだが、東岸はその都度どう答えたら良いのか悩みながらも結局は自分の思う事、すなわちカメ子とカーメルに頼るほかはない事を訴えてきた。

とはいえ東岸自身も本当にそれで大丈夫なのかという不安が無いわけではなかった。

それはカメ子とカーメルの呼びかけにカメムシ達が応じてくれたといってもそれが一つ目に対してどこまで通じるのか正直東岸自身の理解の範疇を超えていたからだった。

しかしこの状態を見るとその裏付けが取れたようで、それまでの悩みが軽くなった気がした。

もしかしたらジークを倒した今、残る強敵はドール一人なのかも知れない。

そんな事を考えていた東岸にカーメルが言った。

 

「足手纏いになるから隠れてたっていうのは賢明ね東岸さん。丸男みたいに出てこられると大変だもん」

 

カーメルが丸男の名前を出すとカメ子の顔色が変わった。

カメ子は東岸と増田にこのまま残るように言うとカーメルと共に丸男とベータのいる部屋へ向かった。

 

 

「野菜サラダ?」

「うん。カメ子が好きでうちのお母さんが良く作るんだよ。 僕はあまり好きじゃないんだけど。ベータはもしかしたら気に入るかもしれないよ」

「へぇ、この星の食べ物かぁ。全然想像もつかないけど面白そうだな」

 

丸男とベータはカメ子達を待つ間他愛も無い事を話しを続けていた。

学校の事、友達の事、カメ子やカーメルの事など、それは丸男にしたら吾一やモロミと話をするのと同じ感覚だった。

ベータにしても丸男の話が全て新鮮で楽しんでいた。

今までの生活は戦いの連続で常に生き死にと背中合わせの緊張ばかりの生活だったので食べ物の話や友達の話などかんがえられないことだった。

そんな和んだ雰囲気をその背後のドアを乱暴に開く事により一瞬にしてどす黒く危険な雰囲気に変える者が現れた。

 

「みつけたぞベータ! こんな所で何をしている!」

 

その声に二人は恐る恐る振り返った。

そこにはその顔に一つしか無い大きな目を細め仁王立ちでこちらを見据える一つ目がいた。

ベータはその姿を見ると恐怖に慄き逃げ出すこともまともに声を発する事も出来ず硬直してしまった。

そんなベータをその姿だけで圧倒している一つ目はもう一度今度はゆっくりと甘く囁くように言った。

 

「なぁベータ。 私が何をしにここに来たかわかるか?」

 

そして一つ目はゆっくりと二人の方へ、いや、ベータの方へと向かって歩いて来た。

この時丸男にもその目線の先にいるのは自分達二人ではなくベータただ一人だという事が分かった。

すると丸男はベータの前に立ち一つ目に言った。

 

「ベータは渡さない。お前の好きにはさせない」 

「ほう。好きにはさせない?  面白い。お前に何が出来るのだ? まさかお前がジーク様を倒した者か? もしそうならその術を見せてみろ」 

 

そこまで言われた丸男は一か八か一つ目に飛びかかって行った。

 

「ベータ! 逃げろ。逃げるんだ。こんな奴カメ子とカーメルが戻ってくればやっつけてくれるよ。だからそれまで君は逃げてればいい」

 

一つ目は丸男に飛び掛かられてもびくともしなかった。

それどころは笑っている風にも見えた。

 

「ほう。お前にできるのはそれだけか? お前はジーク様を倒したような術は出せないのか?」

 

そう言うと笑いながら一つ目は片手で丸男を払いのけた。

かなりな力で飛ばされた丸男は壁にぶつけられたが、怯むことなく再び一つ目に飛び掛かっていった。

 

「カメ子とカーメルが来るまでは僕が食い止める。ベータに手出しはさせない」

「面白い。何の能力も持たない下等な者がこの私に歯向かうというのか?」

 

一つ目は再び向かって来た丸男に愚か者めと、さっきよりも力を込めて振り払った。

丸男は振り払われ転げまわるうちに口を切り血が流れたが、それに構う事なく何度も立ち上がると一つ目に向かって行った。

 

「しつこいぞ! まだわからんのか! お前の様な力ないものが何度かかって来ても同じ事だ」

 

その戦いにならない戦いを見てもベータは恐怖で体をすくめただ脅えているだけだった。

そこへ菱形がやって来た。


「丸男! 大丈夫か?」

 

菱形が声を掛けると丸男は壁に手をつきふらつきながらも立ち上がりながら言った。

 

「カ、カメ子と約束したんだ。ベータを守るって。僕が、僕がベータを守るって約束したんだ」

 

菱形は丸男がベータを守る為に何度も振り飛ばされふらつきながらも一つ目と戦っていたことを知った。

 

「よく頑張ったな丸男。もういいぞ。次はお父さんが行くから」

 

そして丸男を壁際に座らせると今度は菱形が一つ目にぶつかっていった。

相手が菱形だと流石に体が大きい分丸男がぶつかっていった時より多少ふらついたが、一つ目には何のダメージも与えられていなかった。

それでも菱形は何度振り払われながらも丸男がしていたように自分も何度も一つ目に飛び掛かっていった。

 

「ベータ! 君はこの場から逃げろ! じきにカメちゃん達がやって来る。それまでの辛抱だ。それまでは私がこの一つ目を食い止める」

「バカめ! ジーク様を倒した術でもない限りこの星の者が我々を倒す事など出来わけなかろう」

「確かに私達ではお前を倒すことはできない。だが、カメちゃん達はちがう。今頃はお前の仲間もやられてる事だろう。覚悟するのはお前達の方だ」

 

そう言われカッとなった一つ目は、今まで以上の力で菱形を振り飛ばした。

何度振り払われても立ち上がっていた菱形だったが、今度は打ち所が悪かったのか気を失い立ち上がれないでいた。

 

「お父さん!」

 

丸男がそう叫ぶと、微かに ”うぅ” と唸るような声が聞こえた。

息があるのを確認できた丸男は安心すると父に向かって言った。

 

「お父さんは休んでて。次は僕が行くよ」

 

そして丸男はまた一つ目に飛び掛かっていった。

何度飛び掛かって行っても振り払われ体中が悲鳴を上げていたが、丸男はベータを守る事に必死だった。

しかし痛めつける事に飽きた一つ目はこれで最後だと言うと、その手を大きく振り上げた。

最後だと聞いた丸男は朦朧とした意識の中、もうダメかもしれないと覚悟を決めた。

すると目の前にカメ子の顔が浮かんだ。

いつも笑顔のカメ子がこの時はとても悲しい顔をしていた。

 

「そんな顔しないでよ。僕頑張ったんだよ。でもベータの事最後まで守れないかもしれないや。ごめんカメ子」

 

心に浮かぶカメ子にそう呟くと一つ目からの最後の一撃を待った。

遠のく意識の中、丸男は自分の最後の時を待つしかなかった。

その時誰かの声が聞こえて来た。

その声は何かを叫んでいた。

誰かの名前を叫んでいる。

その叫び声が丸男の遠のく意識を呼び戻した。

次の瞬間誰が叫んでいるのか、誰の名前を叫んでいるのかはっきりと聞こえた。

 

「丸男ー!」

 

目の前にぼんやり浮かぶカメ子の顔がはっきりと見えた。

カメ子とカーメルが戻って来た。

 

カーメルと増田がジークの遺体の部屋へ来るとジークの遺体の前で呆然としている一つ目がいた。

 

「まさか、これがジーク様なのか?」

「そうよ」

 

カーメルがその後ろ姿に声を掛けると一つ目はゆっくりと振り返った。

 

「誰だ貴様は?」

「あたしはカーメル。カメムシのカーメルよ」

「貴様がジーク様をこの様な姿にしたのか?」

「そうよ。あたしがやったの」

「そうか。なら話が早い。我々の調べたところではこの星のどのような武器をもってしてもジーク様に危害を加える事はできん。それどころかそのお体に傷一つでもつけれる事など出来ない事はわかっている。ならばなぜジーク様はこんなお姿になってしまったのか。我々の知りたい事はそれだけだ。貴様はどんな術を使ってジーク様程のお方をこの様な姿にしたのだ。答えろ!」

「答えろってずいぶん偉そうね。でもね、はいそうですかなんて簡単に教えられるわけないでしょ」

 

カーメルは余裕をみせようと軽口をたたく様に言った。

それは一つ目を目の前にした自身の恐怖心を払うのと同時に気持ちを戦闘態勢に切り替える為でもあった。

その後ろで増田が何かが始まる気配を感じたのか一歩二歩と後ずさりし始めた。

 

「そうか。では力ずくで聞くまでだ」

「力ずくってあなたそのジークを見てなんとも思わないの?」

「もちろん。俺も貴様がどんな術を使うのかわからんうちは慎重にいくさ。ただ一つだけはっきりしてる事がある。 ようは・・・」

 

そこまで言うと一つ目はその顔に一つしか無い大きな目を細めニヤリと笑うかのようにゆっくりとそして自信たっぷりに言った。

 

「貴様に近づかなければ良いのだろう?」

 

カーメルがその自信ありげな一つ目の言葉がなんなのか考えていると、一つ目はもの凄い速さでカーメルの後ろにいる増田の背後に立った。

そしてその首に腕を回すとどうだと言わんばかりな態度でカーメルを睨んだ。

その勝ち誇るような一つ目にカーメルは唖然とした。

ベータの話ではドールとジークだけが別格でその他の一つ目の能力はそれほどでもないと聞かされていたので正直この一つ目の動きの速さは想定外の事だった。

もしかしたらジークやドール以外の一つ目達は能力は低いのかもしれないがこの動きの速さを武器としているのかもしれない。

しかし今ここでその速さについて行けないことを悟られてはまずいと思ったカーメルはなるべく普通を装うようにした。

 

「偉そうなこと言って人質とるの?  あたしに向かって来るのかと思ったわ。そんな卑怯なことしないであたしに直接向かってきたらどう?」

「そんな挑発にはのらんよ。 それよりこいつは貴様の様な術が使えないから少しでも距離をとろうと下がっていったんだろう? そうなるとこの星の奴らは貴様の様に何か特別な術を使えるものとそうでない者がいるという事だな。 どうだ俺の推理に間違いはないだろう?」

「どうかしらね。ま、中々いい推理ではあるって事だけは言っとくわ。でもちょっと詰めが甘いわね」

「なに?」

 

一つ目が振り向くとそこには遅れてやって来たカメ子がその動きを制するように両手をかざし立っていた。

 

「ほう。もう一人いたのか。何人いるのだ? 全員でかかって来い」

 

”もう一人” その言葉でカメ子もカーメルもこの研究所へ飛んで来たカプセルの数は二つだったのを思い出した。

もしかしたらどこかからか狙っているのかもしれない。

カーメルは目の前の一つ目から目を離さないで見える範囲を気にしながら言った。

 

「確かここに飛んできたカプセルは二つ。あなたの他にもう一人いるはずよね? ねぇもう一人はどのにいるの?」

 

すると一つ目は冷淡な口調で答えた。

 

「俺達の目的はジーク様の遺体の回収。それとドール様の命令に背いた者の処刑だ」

「命令に背いた者ってベータのこと?」

「そうだ。 我々には敵前逃亡するような奴など必要無い。 それに今ごろはもう一人の刺客がベータを探して出して始末している事だろう」

 

カメ子は二人来たうちの一人がベータを探すために別行動をしていると聞くと、目の前の一つ目の動きを制するように出していた両手をだらりと下げた。

そしてその場で呆然とした。

 

「どうしたのカメ子?」

「丸男もいるの。丸男もベータと一緒にいるの」

「ほう。それではそいつも一緒に始末されている事だろう。 残念だが詰めが甘いのは貴様たちの方のだったな」

 

そう言うと一つ目は不気味に目を輝かせ増田の首に回した腕に力を入れた。

 

「た、助けて」

 

首を絞められた増田が苦しそうな声を出す。

一つ目はカーメルとカメ子との間合いを図ろうと少しずつだがすり足で慎重に移動しようとしていた。

 

「動かないで」

 

カーメルがそう言うと一つ目は動きを止めたが、さらにその腕に力を入れた。

この時増田は言葉を発することが出来ず苦しそうに呻くだけであった。

そこへカメ子より少し遅れて来た菱形が呆然とするカメ子に言った。

 

「カメちゃん。今はこいつを倒して増田さんを助ける事だけを考えるんだ。丸男の所には私が行く」

「お父さん」

 

不安な思いが口をつくカメ子。

 

「大丈夫だよ。 丸男だってそう簡単にやられやしないよ。それにベータだっているんだし。カメちゃん達はこいつを倒してから来てくれ」

 

そう言い残し菱形は丸男の所に向かった。

目の前にいる一つ目の言う事が本当なら丸男はもうベータと共に殺されてるかも知れない。

例え生きてるとしても菱形が向かったところでどうにもならないのは明らかだった。

そう思うとカメ子は怒りに震えた。

 

「許さない。丸男に何かあったら絶対に許さない。お父さんに何かあったら絶対に許さない」

「ほう。どう許さないというのだ。早く見せてみろ」

 

一つ目は増田を捕らえた時のスピードにカーメルがついてこれなかったのを見て速さでは自分の方が勝っていると確信していた。

後は二人のどちらかを挑発し、ジークを倒した術を出させればいいと考えていた。

ここへ来た一番の目的はジークの遺体の回収ではあったが、それはジークを倒した者がどのような術やどのような武器を使って倒したのかを調べる為だったので、ここまできたら遺体の回収ではなく二人のうちどちらかがその術を見せてくれるだけで良かった。

それをその目に焼き付けカメ子やカーメルにも勝ってるスピードでこの場から逃れたのち、それをドールに報告すれば目的の達成になるからだった。

 

「さあどうした」

「見せてあげるわ」

 

そう言うとカメ子は一つ目に向かって両手をかざした。

一つ目は増田を盾代わりにしてカメ子からの攻撃を待った。

この時カメ子は自分の出す力が増田にどの程度影響を与えるか考えた。

人間である増田は一つ目ほどではないにしろ自分が本気で力を出すとなにがしかの影響があるかもしれない。

そう考えるとどの程度の力を出せばよいのか迷いがあった。

一つ目はそんな戸惑いをみせるカメ子を興奮した様子で挑発してきた。

 

「どうした!何をしているのだ! こいつを助けたくはないのか!早くしろ!」


一つ目に挑発されるカメ子を見てカーメルもこの状況で増田の安全を確保するのはどうしたらよいのか考えていたが正面からいくしかないと考えがまとまるとカメ子に向かって叫んだ。

 

「増田さんはあたしがなんとかするからカメ子は一つ目を倒す事だけを考えて」

 

カーメルの声を聞き気持ちが固まったカメ子は無言で大きく頷いた。

その二人のやり取りを見てカメ子からの攻撃に備える為にさらに身構えた一つ目。

そこへカメ子はかざした手に力を入れた。

一つ目は自分に向けられたその手が何を意味するのか分からず一瞬戸惑った。

が、次の瞬間一つ目は突然悲鳴にも似た叫び声をあげ苦しみ始めた。

それは自身が逃げる為に人質として捕らえていた増田を突き放す程耐え難いものだった。

一つ目は増田を突き放すと同時に膝から崩れ落ちその体にまとわりついた目に見えない何かを剥ぎ取ろうと必死でもがいたがやがて断末魔の叫びをあげると立ち膝のまま天を仰ぐように後ろへ倒れるとその目を閉じた。

そしてそのまま一つ目はぴくりとも動かなかった。