僕は帰りのタクシーの中、お父さん、お母さんに呼び笛の説明をした。
二人はポカンとしたままだったけど、とりあえず僕が知ってる事を全部話した。
全てのカメムシが必ず一つ持ってるという呼び笛の事を。
それは、その笛を吹くとその呼び笛の持ち主はどこにいようと必ず呼ばれた場所に戻ってくるというもの。
だけど呼び笛っていうのは、自分の体の中にあるからって自分の意思で取り出せるわけではなく、取り出した時、カメ子もカーメルも初めて見るものだと言っていた。
カーメルはカメ子が自分の呼び笛を取り出せていたことにも、それを僕に渡したことにも驚いていたけど、それよりも自分の呼び笛がとり出せた事にもの凄く驚いていた。
そしてその自分の呼び笛を僕に渡した。
僕はカメ子の時は特に気にすることなく受け取ったけど、カーメルから呼び笛の説明を聞くとちょっと怖くなって、そんな大事な物は受け取れないと断った。
だけど、カーメルは、ここで取り出せたという事はあなたが受け取るしかないの、と、初対面の僕に対し半ば強引に押し付けるような形で渡してきた。
そんな初めから押しの強かったカーメルの事を思い出すと自然と笑みがこぼれた。
だけど、この呼び笛がカメムシにとってとても重要な物だという事は僕も理解している。
そして今、その力が必要になっている。
「これが、その呼び笛?」
「うん。これがカーメルので、こっちがカメ子の呼び笛だよ」
僕は不思議がるお母さんにカメ子の呼び笛を渡した。
呼び笛は今はまだ小枝というか、少し太めの爪楊枝のようだ。
「これが笛? こんな小さいのどうやって吹くのよ? ただの小枝じゃない」
僕は不思議がるお母さんに呼び笛を親指と人差し指でつまみ振ってみせた。
すると呼び笛はみるみる大きくなり、あっという間にリコーダーくらいの大きさになった。
それを見たお母さんは僕がしたのと同じ様にカメ子の呼び笛をふった。
ただの小枝が大きくなるのを見て、お母さんもお父さんも急に真剣な顔になった。
やっと僕の話を信じてくれた。
「これが呼び笛だよ」
カメ子のは縦笛でカーメルのは横笛だった。
形には意味は無いのだろう。
きっと人それぞれ、いや、カメムシそれぞれの形があるのだろう。
よく考えるとこうやってまじまじと見るのは渡された時以来だった。
そして僕とお母さんは吹き口を確かめると、僕はカーメルの、お母さんはカメ子の呼び笛を吹いた。
見た目ではカーメルのがフルートでカメ子のが音楽の授業で使うリコーダーのようだった。
渡されてから一度も吹いたことは無かったけど、僕はその持ち主がどこにいようと必ず呼び戻す笛というのがどんな音色なのか興味をもっていた。
特にカメ子とカーメルの笛の形の違いを見ると、それぞれ同じ音なのか違う音なのか余計に興味がわいて、さぞ変わった音色がするんだろうと思って期待した。
だけど、そんな期待と裏腹にそれらの笛からは聞こえてきたのはスースーと空気が抜ける音で、とても音色などといえるものではなかった。
「なによ、これ。 音なんか出ないじゃない」
お母さんは呆れていた。
僕は何が何だかわからないでいた。
「おかしいな。 これでいいはずなんだけど」
「からかわれたんじゃないの? 確かにあの小枝がこんな形になるなんてビックリしたけど、音が出ないんじゃ話にならないわよ。それに吹き口はあるけど押さえる穴が無いじゃない」
その笛は確かに笛の様に吹き口と空気の抜ける穴が空いて筒状にはなっているけど、押さえる穴、所謂、音階の穴は見当たらない。
こんな事ならもらった時に試しに吹いてみればよかった。
僕はそう思った。
でもこれで打つ手はなくなった。
カメ子もカーメルももう戻って来ることは無いだろう。
そう思うと僕は体中の力が抜け、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
それと同時に大粒の涙が次から次へと流れて来た。
ごめんなさいお母さん、ごめんなさいカメ子、ごめんなさいカーメル。
僕は心の中でずっとそう叫んでいた。
「カメ婆よ、この音は何じゃ? 聞き覚えは無いか?」
するとカメ婆はあれを見ろと言わんばかりに、満面の笑みをたたえながらカメ子を指さした。
カメ子を見ると、カメ子は何かに吸い上げられる力に抵抗して、体全体で踏ん張っていた。
「も、もしかしてこれは呼び笛か? カメ婆よ、これは呼び笛なのか?」
カメ婆は笑みを崩すことなく、そうに違いないと言った。
まさかここに来てカメ子が呼び笛に呼ばれるなんて思ってもみなかったのでカメ爺は驚いた、と同時に大いに喜んだ。
「そうか、カメ子よ。お前は人間の世界で呼び笛を取り出せたのか。 言い伝えとして知ってはおるが、本物の呼び笛など見た事も無ければ、その音色など聞いたこともなかったぞ。 よっぽど人間の世界との相性が良かったと見える。良かったなカメ子よ」
カメ子を吸い上げる力は段々と強くなっていき、もう足を曲げる事も出来ないほどだった。
その時、カメ子の呼び笛とは違った音が聞こえて来た。
「ん? これはなんの音じゃ? また違う音色が聞こえるぞ」
するとまたしてもカメ婆はあれを見ろと、今度はカーメルを指さした。
「な、何と。カーメル、お前もか?」
カーメルもカメ子と同じく体全体で踏ん張り、吸い上げられる見えない力に抵抗していた。
「こ、こんなこと、な、何でもないわ」
カーメルは踏ん張りながらも精一杯そう言った。
それを見てカメ爺は笑いながら言った。
「だめじゃだめじゃ。 いかなるカメムシも呼び笛の力には敵わないのじゃ。 呼び笛で呼ばれた以上、必ずそこに引き戻される」
そしてカメ爺は笑顔で、これでいいのじゃ、とほっとした。
しかし、カメ子とカーメルは必死に抵抗した。
そして言った。
「あたしはカメ子、カメムシのカメ子。 絶対にこんな力には負けない」
「あたしはカーメル、カメムシのカーメルよ。あたしも絶対に負けない」
そうむきなる二人にますます笑顔になってカメ爺は別れの言葉を送った。
「カメムシの言い伝えでは、カメムシは呼び笛で呼ばれたところで暮らすことが何よりも幸せなんじゃ。 お前達は人間の世界から呼ばれた。 だから人間の世界へ帰れ。そしてそこで暮らすのじゃ」
カメ爺はそう言うと、カメ婆を近くに呼んだ。
「カメ婆よ。ちーと寂しくなるがこの娘達を送ってやろうじゃないか。ただ・・・」
カメ爺はそこで一旦くぎると今までの笑顔を消し、真剣な顔で言った。
「人間の世界で暮らすなら、その緑の肌はいらんじゃろう。お前たちのその肌の色は他のカメムシと比べても本当に美しいもじゃ。だが、その肌の色はこの世界へ置いていかねばならん。残念だがの」
緑の肌はいらない。
それがどういうことなのか、カメ子とカーメルには咄嗟には理解できなかった。
今は踏ん張る事が精一杯で、それがどういう意味なのか聞く事はおろか、自分の頭で考える事さえも困難になっていた。
その姿を見てカメ爺は本当にこれが最後の別れになると思うと込み上げてくるものを抑えることが出来なかった。
カメ爺は震える声でカメ婆に頼むぞと言った。
カメ婆もそんなカメ爺の心の内は委細承知、真剣な表情でそれに応えた。
「カメムシのカメ子よ、そしてカメムシのカーメルよ、良く聞け。 そなた達は、これよりこの魔法の杖でその美しい緑の肌の色を取り除く。そして人間として生まれ変わるのだ」
人間として生まれ変わる?
カメ子もカーメルも限界だった。
吸い上げられる力に抵抗できず、踵が浮き、とうとうつま先立ちになっていた。
「いやー!!!」
カメ子は最後の力を振り絞り声を上げた。
ここまで来ると時間の問題なのは二人にもわかっていた。
しかし、カメムシとしての最後のプライドが叫び声となった。
カメ婆はそんなカメ子に気を取られることなく天に向かって叫んだ。
「天の神よ、地の神よ、山の神よ、海の神、その他の全ての神よ、我が声を聞きいれ給え。我はカメムシの長カメ爺の妻、魔法の杖を持つカメ婆である。どうか我の願いを聞き入れ、この魔法の杖にその力を与えたまえ!」
すると今まで晴れ渡っていた空が、カメ婆の叫びを聞き入れたのか、闇夜のごとく暗闇に包まれ始めた。
そしてカメ婆はその不気味な空に向かって自身の持つ魔法の杖を突き上げた。
すると今度は急に空が晴れ渡った様に明るくなった。
しかし、それは天気のせいではなく、闇夜に突然現れた光だった。
そしてその光は一筋になると、カメ婆の元へものすごい轟音とともに向かって来た。
カメ婆はその光を全て魔法の杖で受け止めると、さっきまでただの木の杖だった物が光り輝いた。
そして、カメ婆は迷う事なくその杖の先をカメ子とカーメルの二人に向けようとした。
その時、カメ爺が待ったをかけた。
「カメ婆よ、ほんの少し、もう少しだけ話をさせてくれ。これで最後じゃ」
そう言うとカメ爺はカメ子とカーメル元へ近づき、その両手を大きく広げると二人の肩を抱いた。
「カメ子よ、カーメルよ。我らの事は忘れんでくれ。我らは皆家族じゃ、大切な家族なんじゃ。わしはいつまでもお前達の事を忘れはしない。そしてよいか、人間の世界に行っても幸せになるのじゃぞ。それがこのカメ爺の願いじゃ」
そう言うとカメ爺はカメ婆を見て、頼むぞと言った。
それを合図にカメ婆が光る杖を二人に向けると光は二人を包み込んだ。
光に包まれたカメ子とカーメルはゆっくりと宙に浮き、先ほどまでとうって変わって穏やかな表情になった。
そしてこれがカメ子とカーメルがこのカメムシの世界で受ける魔法の杖の最後の力だった。
「カメ子よ、カーメルよ。最後にそなた達に力を授けよう。カメムシのカメ子よ、そなたには癒しの力を授けよう。 カメムシのカーメルよ、そなたには聴く力・話す力を授けよう。この力を持って人間の世界へ行きなされい」
カメ婆がそう言うとさらに強く光り出した。
そしてカメ婆は最後に力強く言い放った。
「人間に成りなされい!」
その姿を見守るカメ爺は、忘れておったと優しい笑顔で光の中にいる二人に話しかけた。
「人間の世界では同じメスから産まれたものを兄弟とか姉妹とか言うのじゃろう? そういう事からするとお前たちは姉妹じゃ」
突然カメ爺の口から思いも寄らない事を聞いて光の中で不思議がるカメ子とカーメル。
それを見てもう一言、と言う具合にカメ爺は付け足した。
「だが、どちらが姉でどちらが妹かというのは流石のこのカメ爺にもわからんがな」
そう言うとカメ爺は声を出して笑った。
そこ横にはカメ婆もいた、ヤンバルもいた、その他多くのカメムシ達がいた。
そしてそれぞれが、カメ子とカーメルに別れを告げた。
その顔は皆笑っていた。
二人を見ているどの顔も笑っていた。
そうしてカメムシの世界の家族である仲間達は皆笑顔で二人を送りだした。
カメムシのカメ子、カメムシのカーメルを、カメムシの世界から新天地へと送り出した。