病は気から***元気が一番

病は気から***元気が一番

じぶんの背中に責任を持てる人になりたい。
なりたい自分になるための努力!

空を見上げてほら、深呼吸***勝手に笑顔になれるでしょっ
空と太陽と風と…大好きな自然を感じてのんびり生きてこっ

あの日…

胸の奥 閉じ込めちまった想いを もう1度取り戻せっ ウッドストック


肺の検査をしておきましょう

っていわれて、検査室でマウスピースを加えて

「吐いて~吸って~、吐いて~吸って~、はいっ!思い切り吐いてぇぇぇぇダッシュ

 

検査する看護師さんの指示に従って頑張って吸う

吐くことよりも吸うほうがしんどいね

 

再び、診察室で呼ばれてコンコンコン

ドアは3回たたきましょう

 

「○○さん、肺は基準値よりも結果はよくて、元気すぎる程若い!41歳ですって気づき

そりゃ若い

 

タバコ吸ったことないし、空気の悪いところにも住んでない

元気で何よりだ

 

「ただね、好酸球疾患が全身に及んでるから、免疫不全になってることは否めないんだ。感染症になったら重症化する可能性もあるからこの時期にインフルエンザワクチンをしていたほうがいい」

 

好酸球疾患?

免疫不全?

 

じゃ、膀胱炎になりやすいのも全身状態がだるかったり眠かったりしんどかったりは免疫不全が原因だったのか

それが超えちゃうと肺炎になっちゃうってことか

飲食した時ののどのヒリヒリ感は、消化器内科でちゃんと見てもらいましょうって促された

 

はい!!OK

このくらいの全身状態が自分の体ってことで

悪くしないでぎりぎりで頑張ろう

仕方ないか…で見逃すことなく、でも体に正直にこの先元気に過ごしていこう音符

 

ひとまず、月末の山形旅行は笑顔いっぱいでパパを連れていきたいな

 

 

 

ワクチン注射したところがかゆいあせる

 

 

 

秋が顔を見せてきて、季節変わりに体調を崩す人も多いのかと思います

 

あたしもそのひとりで、今まで感じた変化は〈秋の花粉症〉

主に…

どんな症状だったか忘れるくらいに現状の体の変化がめまぐるしい

 

7月に体調を崩してから自分の体のことを改めて…というかちゃんとっていうか知ることになった

 

昨日、7月から数えて6回目の呼吸器内科の診察に行ってきた

最初は吸入器の副作用で、喉にカンジダ菌が増殖して腫れと水疱が多発して唾液を飲み込むことも困難だった

都度、呼吸器を変えていき今は不都合なく使えてる

 

声が出なくなったりかすれていったりで会話が滞り、仕事していても楽しくない

味もわからないし、倦怠感と眠気で日常生活にも支障が起きていった

 

その頃の状態を10とすると今は3くらいだから大したことない

 

しかし、9月には膀胱炎

これも持病みたいな感じになってしまって

「あ、なんか変だ…どうしよう」っていうよりは

「先生、膀胱炎です」と自分でわかる

 

今までの膀胱炎とは違って

トイレが近いわけでもないし、痛みが伴うわけでもない

じゃなんだってことになるんだけど、普通の膀胱炎は《大腸菌》感染するんだけど、最近過去2回の膀胱炎は珍しい菌らしい

聞いたこともない菌なのでわすれちゃったけど、先生がびっくりしていた

 

やれやれ

 

最近では

「なんでしょうねぇ~」っていう病気になってもたいして驚かなくなってしまった

 

こんなことには慣れたくないなぁ

 

さて話を戻して

呼吸器内科のことを書いておこう

 

Web問診をするから先生との会話時間は少ない

急に思いついたことは、その時には言えない

一日にたくさんの患者さんを対応するためには仕方ないかもしれないが、たくさんの患者さんを診たいのは先生の都合で患者さんは自分をよく観察してほしいって思うよね

そうだ

観察だ!

 

問診で自己申告したこと

患者本人が気付かないこと

 

それを診察時間内で観察して聞いてくれる医者がいい

 

あたしはお客さまを観察する癖がついてしまってる

お客さまだけではなく、生活していてよく観察することが多い

だから誰かにもそれを期待してしまってるのかもしれない

 

「今日のあたし、いつもと違うけどわかる?」

「あ、メイクがいつもと違う」

「髪切った?」

 

とかそんな表面のことじゃなくて、もっと内部のこと

 

医者もそうだけど、あたしたちの仕事もそれは必要だと思う

いい先生なんだと思うけど、的確なんだと思うけど

いま診てる病気は落ち着いてきてるけど…

 

それ以外の症状は無視しても大丈夫ですね?

気にしなくていいですか?

 

全部ストレスで終わらせて本当に大丈夫ですか?

 

歳のせいで仕方なくても、少し抗いたいんです

まだまだ笑って過ごしたいんです

それだけなんです

 

 

 

 

 

 

 

 

本屋さんと文房具やさんが好きなのは 小さな頃から変わらない

家の近くに大きくないけど、本屋さんがある

【夏の課題図書】
夏休みの読書感想文か… あのころは興味もなかったけど、ペラペラとめくると何やら読みたい本が何冊も見つかる

子供用だから読みやすい
字も大きい(笑)
ありがたい

ふと手にした一冊の本
ふむふむ 読んでみたい

その時は元の位置に戻した
…が、数日してやはり欲しくなって別の本屋でさがしたが、そもそもの話だけど著者も題名も全然覚えてない

「これが欲しいなぁ」くらいのもんで、あの本屋さんのここにあるやつ的な💦
それじゃ店員さんに聞くことも出来ない

試しに検索エンジンにかけてみた
「えっと…課題図書 コーギー」

あった!!!
早速、楽天で購入してみた

それがこれ⬇⬇⬇




一気に読んじゃったけど
深いため息にも似た呼吸をした
そう、聞こえるんだよね
らいの声もりんの声も…

らいの前に家族でいてくれたコーギーのじん
じんが恋しくてうちの子になってくれたらいとりん






愛おしくて

切なくて


これ、読書感想文なんて書けないや😅

3月6日に、もし治療できなくて帰宅することになったらすぐに いちご狩りに連れて行くと妹と話していた。


妹は検索上手なので、場所は選んでおいてもらおう

川崎にあるハウスを見つけたけど、予約はしてくれてない(笑)

いつもそーだ

決定権はあたしにあるらしい(笑)

ポイってWeb予約してくれりゃいいのにもじもじ


えーいめんどくさいってんで、いつもあたしが予約する

わずか数分で終わることなのに…

でも、探してくれたハウスはすごく良かったよ



大きくて赤いいちごが4品種


端にベンチも置いてあり、少しするとママはそこに座ってみんなを見ていた。
大きな口を開けて、真っ赤なイチゴを頬張る姿を見れて幸せ


また来週来ようね〜
そんな話をしながら帰宅しました

fin

続き➡

「ママ、退院しよう!」
そう言ってベットに近づいた

「え?また治療できないんだって?」
「違うよ。もう入院して治療しなくても大丈夫!おうちで往診の先生に見てもらいなから薬で治療していくよ。家族との時間をたくさん持てるんだよ〜」

「じゃ、大丈夫なの?家にいてもいいの?」

「もちろんだよ!だから帰ろう」
そういつまで涙が止まらなかったけど、ママには嬉し涙に見えた

「あなたのおかげでこの日が来たのね。そんなに喜んでくれて…よく頑張ったね」

頑張ってたのはママで
うれしくてないてるわけではないけど、勘違いしてくれてもいいんだ
そう、それでいいんだ
あたしはこの嘘を墓場まで持っていく覚悟を決めたから

タイミングもここでよかった!
退院時に『次回の入院治療はムリです』っていわれなかったから、先生に感謝…今までありがとうございます
辛い経験の上乗せをさせてごめんなさい
医者は患者を助けられなかったことは、何よりも辛く苦しいことだと思う
特に、あの先生は…

「でも、先生!お願いがあるんですけど、外来を続けさせてください。先生との繋がりを切ってしまうと勘のいい母に悟られてしまいます」

何のために…と考えるかもしれないけど、繋がっていることでなにがあっても怖くないと思えるんじゃないかな
ママも、そして家族も


残された時間は少ないかもしれないけど、大切な時間を送りたいと願った
苦しくても悲しくても 最後まで笑いかけている!

泣くのは 誰もいない部屋でひとりでいい
だから今は、涙が止まらないや
母親に置いていかれるのは 自分が死ぬよりも怖い

怖いんだ…

fin

3月5日は田舎の母の誕生日

もう3年前に他界してしまったけど、今でも心の中にずっといてくれる大切な人


手から物が落ちるとか 思ったことが口から出ないようになって困るとか身体の不調を話していた母を検査に連れて行ってくれた熊本に住む弟

検査でもしようかって病院に行ったのに、そのまま入院になって伝えられた病名は悪性脳腫瘍

すでに手術ができないと言われた


その年の8月に家族を連れて母に逢いに帰省した

仕事仲間に頼んで、ある1日というビデオ撮影をしたこっこ

ばぁちゃんが生きてきた証を残したいと話してくれた

仕上がりはわが家の家族ムービーのようになってしまったけど、その数日間母のそばにいることができて幸せだったことをいまでも思い出す


「よう頑張って生きたなぁって褒めたいなぁ」

そういってよく笑った母


「今度はあんたたちの番!頑張んなさい」


これが母から聞いた最後の言葉


病名を告げられた母は1年も経たずに父のもとへと旅立っていった

あの時に撮影した動画はたからものになった

動画はいいね、動いてる母に会えるし声も聞ける




そしていま

あたしの周りで同じことがおきていた

5月頃、ママがお腹の不調を訴えたのでかかりつけ医に診てもらっていたけど、ちょっと不安になって紹介状を書いてもらい大きい病院に足を運んだ


検査入院のための検査で緊急入院になった

半月以上 重湯しか食べさせてもらえず、頑張って細かい検査をうけて出された病名は大腸がん

転移していたのだろう…肝臓と肺にも多発していた

その中で肝臓はステージ4と診断された


もう手術は不可能…と


父の大腸がんを治してくれた先生に治療して欲しいとの母の願いを聞き北里研究所病院に転院した

同じことをして同じ結果になるなら誰に診て欲しいかと解いた結果のことだった

もちろんあたしもそう思っていた

先生には嫌な思いをさせてしまうけど

でも引き受けてくれた…本当にありがとうございます


9月からようやく抗がん剤治療がスタート

不調を訴えてから4ヶ月が過ぎてしまっていた

完治は無理と言われていたけど、完治したら伝説の人になれるじゃんって笑いながら始まった

ストマを増設し、トイレ地獄からは一時解放された


それでもやはり抗がん剤治療は、ジワジワと身体にダメージを与えていて、一進一退を繰り返していた

闘病中の姿を見ていてママの強さを痛感した。


決して弱音を吐かない

ほんの少しだけでもいい前を向いて生きようとする

たくさんの人の手を借りて《生きること》を選ばせてもらってるから、必ず元気にならないと申し訳ないと抗がん剤治療後の弱い声で自分を奮いたたせてる


強いなぁ〜、あたしのママは…


入院時はコロナの抗原検査、採血採尿をするんだけど、血管が細すぎて採血が30分もかかってしまう

やっと採取した血液検査で白血球の数値が高すぎて治療をスキップすることが何度かあった


だから入院前はいつも怖い

治療ができなくなれば、次は緩和ケア

治療をすれば身体は体力を奪われていく

どちらの選択が今1番いいものなのか決められずにいる


あぁ〜胃が痛い

吐きけもする

頭痛があたしを襲う

ママの前で笑ってあげられない

だから、ママとの時間を持たないようにしてるあたしがいる

だめだよ!あとどのくらいの時間が家族にあるのかわからないんだから

それでも現実に背中を向けてしまう弱い自分


そんな弱い自分かとっても嫌い!


fin




中学の頃、不登校になり
高校はフリースクール

その後は専門学校を選んだものの半期で辞めてしまい
気がついたら家から出ていた
正月も顔を出さず
こっこの結婚式にも熱をだし 出席せず
ママの一大事にも足を運ぶことは無かった

今年の正月、ようやく墓参りに参加すると言っていたのに当日40℃の熱を出し(インフルエンザだった)

全くヤレヤレな妹なのに
何年かぶりに帰ってきた
ママが嬉しくて泣いたこと…
手を繋いでずっとそばに寄り添ってくれた

ちゃあのバイトしていた居酒屋さんに家族で飲みに行くことになり実家から先に戻ることにした
「一緒に行く〜」と着いてきて、仕事に行ったたっくに連絡をしてみんなで集まった

聞きたかったけど 聞けなかったこと
今までは、うるさそうにしていたのに成長したね
ちゃんと話してくれた

ずっと疎遠だったのに 帰る時には両側をおにぃちゃんたちが守ってくれていた


そんな背中を見て

ほんの少し気持ちが弱くなってるあたしは 涙が溢れてきた

大丈夫だ

親がいなくなっても この子たちは4人で力を合わせて生きていく

そう感じた

誰も誰かを責めず

誰も悲しませない


ホッとした瞬間だった


これで大丈夫、だね


fin

8回目の抗がん剤治療のために 入院したママ


12月は1回しか治療ができなかったからなのか、腹水が少し溜まってきた感じが年明けから感じられる。

ストマの部位も小さな山のように膨らんでいて、分からないことが不安なので、今回の入院はストマ専門の看護師さんとの面談をお願いした。

半月に1度の入院治療なので、勝手が分かってきて要領よく動いて、病室までたどり着くようになった。

5階の病棟につくと、ナースステーションでみんなが笑顔で出迎えてくれたのが、うれしかった。


「お正月を無事に過ごせてよかったですね〜、次の目標を決めてまた張り切って治療しましょうね」


お正月が迎えることができたこと

家族で過ごせたこと

本当にうれしそうだった。


ママが望むことはどんな事でも叶えてあげたいと思う。


「あのね、ママ」


以前ママは、自分の病気が家族みんなの生活の邪魔してる。お荷物になってるって話していた。それについてずっとモヤモヤしていた。

そしてわかった!


「あたしは、自分の子どもたちに同じ思いをさせたくないから健康でいたいと思うんだ」


そう、こんなに寂しくて悲しい思いはさせたくない

介護が迷惑だなことなんてひとつも感じない。

それよりも、病気になってしまったママに何もしてあげられないことがつらい。助けてあげることが出来ない。

それが一番辛いこと。

だから、子どもたちに「何もしてあげることが出来ない」とか「助けてあげたいのに救えない」とかって言う感情を持たせなくて済むように元気なおばぁちゃんになりたい。

病気もしっかり向き合って、自分の身体を大切にしたい。それが、子どもたちの幸せにつながるはず。

少なくともあたしや妹が感じてる感情は持たなくていい


助けたい人を助けられないことは、どんなことよりもつらい。

でも、泣かないって決めたから!

5階のデイルームから駐車場にいるあたしに思い切りよく手を振るママに、とびっきりの笑顔で応える。


1人にさせてごめん!


週明けに迎えに来るからね。

帰ってきたら美味しいおしるこを作ってね


fin


11月22日

いい夫婦の日

 

そんな日だけど、うちのダンナくんはお仕事が忙しくて23時を過ぎていた

待てないなぁ~と思いながら、頑張って起きてみようと思ったけど無理だった

 

「ただいま~」と帰ってきたダンナくんに

「お帰りなさい」といって布団に着いた

 

すれちがっちゃたね

 

昼間はママのところにパパと一緒に逢いに行った

パパのリハビリが13時からだったので、それが終わったら二人で…

朝、ママから電話で「歯を持ってきてほしい」と言われた妹はあたしに伝言をした

 

机の上に置いていくから持っていってほしいって

 

パパを迎えに行って

机??

歯がどこにもない

 

はて???

時間もないからパパに確認すると、もうリュックの中に入れてあるって

きっと自分でママに渡したかったんだね

何だか可愛いなぁ

 

病室に行くと、リュックをの中からごそごそ…

「ほら、これいるんだろ?」

 

「あー。パパ持ってきてくれたの。ありがとう」

 

ママからのありがとうを聞きたくて、これだけは忘れないようにしようと思ったのかな

 

それからもう一つ取り出した

ん?タッパー?

 

「こんなものを持ってきちゃって…だめなんだよ」

 

田舎から送ってきた柿を小さく食べやすいようにきって、つまようじまで一緒に入っていた

喜ぶと思ったのに、注意されてちょっと困った顔していたパパ

 

トイレに行ってるわずかな時間にいろんなことを考えたんだろうね

帰ってきたママに

「それ、持って帰ろうか」

 

「パパごめんね。でも3個だけ食べたんだよ。せっかく持ってきてくれたのに…家に帰ったらまた切ってくれる?」

 

「あぁ。もちろん切ってやるよ。元気で帰ってこい」

 

そんなやり取りを少し離れて観ていた

こんな歳の取り方は幸せなんだろうな

仲良し夫婦には見えなかったけど、もう60年も一緒にいるんだもん

仲がいいとか悪いとか、そんな言葉なんかどーでもいいんだろうな

 

もっともっと深いとこでつながっているのかもしれない

そんな光景だった

 

いい夫婦の日に、ステキな二人を見せてもらった

もっとこんな時間が続きますように…と願わずにいられない

 

Fin

 

 

 

一向によくならないと思っているばね指

週一で鍼灸柔道整復師の先生に診てもらって…


痛いのよ

治療が…


手のひらに鍼を打って

その後にお灸をして


その辺にやってる時はガマンの範疇なんだけど

指の付け根のなんとも言えない場所に鍼を打たれたら

もうね、呼吸だってできないのよ


それでもお仕事できないのは困るから

なんとしても頑張る

そのうちに右に手があちこち負傷して鈍い痛み


いろんなことに不安になってインターネットで調べてみたら

体の右側にいろいろな不調がでるのは自分の未来への暗示なんだそうだ


先の見えない未来に不安の感じてる…そらそーだ

だいたい未来なんて誰もわからないです!

不安はあるでしょうよ

そう思っていたら

右の歯茎が腫れてきた

首の付け根も痛くなってきた


どんだけ不安なんだよ


それともいい加減に気がつけよ!ってこと?


かみさま

今まで積んできた徳で辻褄合わせしてもらえませんか?

他の部位はいいです

手だけはやめてもらえると助かるのです


Fin