3月5日は田舎の母の誕生日
もう3年前に他界してしまったけど、今でも心の中にずっといてくれる大切な人
手から物が落ちるとか 思ったことが口から出ないようになって困るとか身体の不調を話していた母を検査に連れて行ってくれた熊本に住む弟
検査でもしようかって病院に行ったのに、そのまま入院になって伝えられた病名は悪性脳腫瘍
すでに手術ができないと言われた
その年の8月に家族を連れて母に逢いに帰省した
仕事仲間に頼んで、ある1日というビデオ撮影をしたこっこ
ばぁちゃんが生きてきた証を残したいと話してくれた
仕上がりはわが家の家族ムービーのようになってしまったけど、その数日間母のそばにいることができて幸せだったことをいまでも思い出す
「よう頑張って生きたなぁって褒めたいなぁ」
そういってよく笑った母
「今度はあんたたちの番!頑張んなさい」
これが母から聞いた最後の言葉
病名を告げられた母は1年も経たずに父のもとへと旅立っていった
あの時に撮影した動画はたからものになった
動画はいいね、動いてる母に会えるし声も聞ける
そしていま
あたしの周りで同じことがおきていた
5月頃、ママがお腹の不調を訴えたのでかかりつけ医に診てもらっていたけど、ちょっと不安になって紹介状を書いてもらい大きい病院に足を運んだ
検査入院のための検査で緊急入院になった
半月以上 重湯しか食べさせてもらえず、頑張って細かい検査をうけて出された病名は大腸がん
転移していたのだろう…肝臓と肺にも多発していた
その中で肝臓はステージ4と診断された
もう手術は不可能…と
父の大腸がんを治してくれた先生に治療して欲しいとの母の願いを聞き北里研究所病院に転院した
同じことをして同じ結果になるなら誰に診て欲しいかと解いた結果のことだった
もちろんあたしもそう思っていた
先生には嫌な思いをさせてしまうけど
でも引き受けてくれた…本当にありがとうございます
9月からようやく抗がん剤治療がスタート
不調を訴えてから4ヶ月が過ぎてしまっていた
完治は無理と言われていたけど、完治したら伝説の人になれるじゃんって笑いながら始まった
ストマを増設し、トイレ地獄からは一時解放された
それでもやはり抗がん剤治療は、ジワジワと身体にダメージを与えていて、一進一退を繰り返していた
闘病中の姿を見ていてママの強さを痛感した。
決して弱音を吐かない
ほんの少しだけでもいい前を向いて生きようとする
たくさんの人の手を借りて《生きること》を選ばせてもらってるから、必ず元気にならないと申し訳ないと抗がん剤治療後の弱い声で自分を奮いたたせてる
強いなぁ〜、あたしのママは…
入院時はコロナの抗原検査、採血採尿をするんだけど、血管が細すぎて採血が30分もかかってしまう
やっと採取した血液検査で白血球の数値が高すぎて治療をスキップすることが何度かあった
だから入院前はいつも怖い
治療ができなくなれば、次は緩和ケア
治療をすれば身体は体力を奪われていく
どちらの選択が今1番いいものなのか決められずにいる
あぁ〜胃が痛い
吐きけもする
頭痛があたしを襲う
ママの前で笑ってあげられない
だから、ママとの時間を持たないようにしてるあたしがいる
だめだよ!あとどのくらいの時間が家族にあるのかわからないんだから
それでも現実に背中を向けてしまう弱い自分
そんな弱い自分かとっても嫌い!
fin