みんなの事は知らないが、俺はこう思う。 -22ページ目

みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

時事問題から身近些事迄、出来るだけ自分の視点や立場から熟考して書いています。時々空気を読まずに暴走したり、独善的に決め付ける事も度々あり。常識や良識からの逸脱必至。真面な方なら顰蹙間違い無し。それでも読みたい方は大歓迎です。尚、書評、音楽評も行って居ます。

山田悠史  smartnews+


朝食と健康について、実にいろんな「説」があることに気づかされます。朝食をしっかりとらないと頭が働かない。一日三食が最も健康に良い。いや、人間は一日一食か二食でよく朝食は不要だ。朝食は戦後、食パンを売るための戦略だった。

私自身、このような「説」が無数にあることにまず驚きました。それほど朝食と健康というテーマが関心を持たれてきたということなのかもしれません。実際のところ、朝食は食べた方が良いのでしょうか?それとも、昨今のファスティングブームを考えると、むしろ抜いてしまった方がいいのでしょうか?この疑問、とてもシンプルながら、実は答えるのがとても難しい質問です。

「朝食」の定義とは?

そもそもまず、「朝食」とはなんでしょうか。皆さんは、何時までに食べれば朝食とみなしますか?午前中でしょうか?それでは、午前11時30分に食べたものも朝食でしょうか?

起きて2時間以内に食べたものが朝食だとすれば、夜勤で日中に寝ている人の場合には、午後7時に食べたものも「朝食」と呼べるのでしょうか?

また、どのぐらいの量を食べれば朝食としていいのでしょうか?朝にコーヒーだけを飲む人は、それを朝食としていいでしょうか?

このように、実は「朝食」を定義するだけでも難しいことがお分かりいただけたと思います。そして実際、「朝食」は定義されておらず、研究によってその定義がバラバラであることがわかります(1)。このため、複数の研究を読んでも「朝食はこうだ!」という結論を導くのが難しいのです。

新型コロナウイルス感染症、糖尿病。多くの病気には世界で共通した定義があり、だからこそ、世界中の研究者が一つの目標に向かって研究を進めることができます。定義がバラバラだと、物事を明らかにするのが難しくなるのです。

朝食は英語で‘breakfast’と言いますが、これはfast(断食)をbreak(中断)するところからきた言葉です(2)。日中に意図的にファスティング(断食)を行なっているという場合以外、睡眠中というのは、実は人間の中で最も長期にわたる「断食」になります。8時間連続睡眠をとる人では、少なくとも8時間は断食をしていることになります。そして、このファスティングを中断するのがbreakfastというわけです。「では、朝を抜いて昼に食べたものもbreakfastではないか」と言われてしまいそうですが、それはlunchと呼ばれるのですから、一貫しているわけではありません。

「朝食の役割とは?」を考える上で、少し朝食の歴史を遡ってみると、どうやら、まだ電車や車といった移動手段がない時代に遡ることができました。朝食は、陽が上ってからの長距離移動、農作業や家畜の世話をする前に、時間をかけずにエネルギーを蓄えられるように始まった習慣のようで、だからこそ調理をしなくて済むパンやチーズなどの食品が好まれてきたようです(2)。その後、富を手にした人が中心に、調理した卵や肉を朝から楽しむようになりました。日本のように、炊いたお米や味噌汁が朝食の基本になっているのは、経済的、時間的に余裕のある人が多かったことの表れなのかもしれません。

朝食と健康の関係とは

健康に対する影響は、これまで説明してきたように定義にばらつきがあるという大きな限界を考慮する必要がありますが、数え切れないほどの研究が行われています。朝食を食べない習慣と食べる習慣で、その後の食事摂取行動のパターンを調べて比較した子どもの研究では、概ね、朝食をとる習慣がない子ほど、その後の間食や、「不健康」な食品をとることが多いという関連性が指摘されています(3)。その結果か、各ビタミンやミネラルの摂取量は、朝食をとる子の方がしっかりととられるという傾向も報告されています。

また、日本からの研究では、朝食をとる習慣がない人と、心血管疾患、脳卒中、脳出血のリスク増加との間に関連性が指摘されています(4)。実は、このような研究結果は日本国外からも複数導かれており、少なくともその関連性に疑いの余地はなさそうです。

しかし、関連性が「因果関係」を示すわけではありません。例えば、朝食をとる人ほど、他の栄養管理もしっかりとしていたり、活動的であったりして、結果的に朝食習慣と健康が結びつくというように、別の要因をいくらでも挙げることができます。残念ながら、朝食自体のもつ健康への効果を綺麗に証明した研究はありません

ダイエットに有効?

では、ダイエットとしてはどうでしょうか。これについては、肥満のある人に対して、朝食を抜きにするグループと朝食をしっかりとるグループに分けて観察を行なった研究(1)がありますが、結果として、朝食を抜きにして総カロリーが減れば、肥満の改善が見られています。しかし、朝食抜きのマイナス面として、日中の活動量が減る可能性や、昼食以降のカロリーの吸収量が増え、朝食を抜いた分の「相殺」のメカニズムが働く可能性も指摘されています。このため、効率は少し悪くなる可能性も指摘されています。

ただし、カロリーはカロリーであり、カロリー量を減らすことができれば体重が減ることには変わりはないようで、朝食を抜くという方法が最も馴染む人にとっては、肥満への対処法として否定するほどの根拠もなさそうです。

その他に、朝食後の集中力や認知機能を調べた研究では、学童の研究が中心ですが、集中力が向上するという研究結果があるものの、ないとする研究もあり、有効であると言い切るには十分な根拠はないと結論づけられています

このように、健康にとって、朝食をとった方が良いとする根拠も、悪いとする根拠も不十分で、そもそもそれを示すことも難しいということがご理解いただけたのではないかと思います。すなわち、朝食に関するほとんどの仮説はあくまで仮説であって、それを下支えするような十分な根拠がなさそうです。

ただし、「朝食をとる習慣」それ自体は、全体として「健康な生活習慣」を象徴するものであるのかもしれません。特に、子供にはそのような習慣をつけた方が結果としてバランスの良い食生活を送ることにつながるのかもしれません。しかし、これも時代とともに変わっていくものなのかもしれませんね。

6/14(金) 10:59配信 朝日新聞DIGITAL


外国人労働者が日本で長く働き続けられるようにする「育成就労」制度の創設を盛り込んだ入管難民法などの改正案が14日の参院本会議で賛成多数で可決、成立した。途上国への技術移転を掲げて30年続いた「技能実習」制度を廃止し、人材育成とともに労働力の確保を目的にうたう。公布から3年以内に施行される。


育成就労の在留期間は原則3年。技能や日本語能力が一定の水準に達すれば、最長5年の在留が可能な在留資格「特定技能1号」に移行できる。帰国を前提にした技能実習制度の対象職種は特定技能の分野とずれがあり、実習後に働き続けられないケースがあった。新制度では、長期就労を促すため、対象をそろえる。


 技能実習制度は、職場の変更(転籍)が原則認められず、ハラスメントや低賃金などの温床になっているとの批判があった。劣悪な環境に置かれた実習生の失踪も後を絶たなかった。育成就労制度では、労働者としての権利保障をめざし、本人の希望に応じて就労1~2年で同じ分野内での転籍を可能とする。


 永住者の増加を見据え、税金や社会保険料を故意に支払わない場合などに、永住許可を取り消せる規定が盛り込まれ、永住者の地位を不安定にしかねないとの懸念がある。(久保田一道)

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此のAIによる大量失業時代に政治家は何と馬鹿な事を考えて居るのだろうか?ベーシックインカムを構築しようにも、経団連の意見が罷り通って頓挫する事は火を見るよりも明らかだ。

又、技能実習制度を改めればただでさえ安い日本人の給料が技能実習生の水準に落とされて仕舞う。

欧州の例を見ても最初の内は「ガスト・アルバイター(お客様労働者)」等と歓迎されて居るのに上記の様な事態勃発の為、技能実習制生は邪魔者扱いされるだろう。

そして、日本人と技能実習生の摩擦と軋轢はイスラム過激派のテロ等を誘発し、日本の安心安全度は完全に喪失されるだろう。

上記の意見を杞憂と笑う事勿かれ。今の西欧諸国が先行して見本を見せてくれて居る。、

落合陽一が考える、「非論理的なこと」を排除せずに対話するために必要なこと


+αオンライン編集部  6/14(金) 08:30

AIに代表される計算機技術の成熟とともに訪れる、新しい自然。デジタルデータと自然が融和し、そのどちらでもない自然に生まれ変わった自然・自然観を、落合陽一氏は「デジタルネイチャー」と名付けた。計算機と自然の様々な中庸状態を探るなかで、人の身体が制約から解放され、新たな制約を楽しむこともできる、という気づきの先にあるのが、xDiversity(クロス・ダイバーシティ)のプロジェクトだ。

技術の多様性と課題の多様性をクロスさせてどのような新しい価値を生み出すことができるのか――2023年に刊行された『xDiversityという可能性の挑戦』よりお届けする。

AIに代表される計算機技術の成熟とともに訪れる、新しい自然。デジタルデータと自然が融和し、そのどちらでもない自然に生まれ変わった自然・自然観を、落合陽一氏は「デジタルネイチャー」と名付けた。計算機と自然の様々な中庸状態を探るなかで、人の身体が制約から解放され、新たな制約を楽しむこともできる、という気づきの先にあるのが、xDiversity(クロス・ダイバーシティ)のプロジェクトだ。


技術の多様性と課題の多様性をクロスさせてどのような新しい価値を生み出すことができるのか――2023年に刊行された『xDiversityという可能性の挑戦』よりお届けする。
「非論理的なこと」を排除せずに対話するために
落合陽一です。アカデミック研究者になったのが2015年なので、もう7年もPI(Principal Investigator=研究室主宰者)をやっていることになります。様々なことを考えつづけると、論理的であるという価値観が世界の隅々まで覆っていくような気分になってきます。科学技術の触手を日々伸ばしつづけ、やがて世界が知性で接続される日を夢見るのは、コンピュータサイエンスで学位をとってその分野にどっぷりと浸かってきてしまったからでしょうか。

 社会生活の中で、「論理的であること自体も多様な価値観の一つ」だと認め、「ロジックで通じない、エビデンスも関係ない、文脈や歴史も必要ないという価値観」があったとしてもそれを排除しないようにするのは、職業研究者の頭で生きていると、なかなか難しいことです。まるで信仰を否定されたような拒否反応が生じることもときにはあります。

 研究者や、ロジックを使った仕事をしている多くの人が、論理的でない手法を、「なんとなくバカにする」ことで、論理の外で自分から遠ざけようとすることはよく分かりますが、それでは分断の問題は解決しにくくなってしまいます。

 (ここでいう狭義の)反知性主義の指摘する社会的問題は重要ですが、(それだけではなく広義の)「非論理」「脱文脈」と対話する知性主義を、どうやって構築していくことができるかという問題には、考えるだけではなく実践や身体性も重要なのだろうと思いながら、今日も作家的に手を動かしています。

 アーティストをしているとバイブスや右脳的な協調も重要だと思いますし、「正史」だけではない多様な文脈や「もしも」の可能性を探究しつづける豊かさもよく分かります。背反するいくつかの可能性を内包しながら思考停止や行動不能に陥らないために必要なのは作りつづけることなのだと信じてはいますが、それも安直な逃げなような。でも、逃げるとそのうち解けることもあるのかもしれません。

 このような考えに至るには旅路があります。
その始まりはいつだろう――。

 2017年ごろのことを思い出していました。そこから5年、xDiversity(クロス・ダイバーシティ)を始めて4年半が経ち落合CREST(※)はもうすぐ終わりを迎えます。研究はバンド活動だと気づかせてくれたのがこのCRESTの良いところで、良い共同研究者は家族のようなものですし、クロス・ダイバーシティはいいチームだと思います。

 ※CREST=我が国が直面する重要な課題の克服に向けて、独創的で国際的に高い水準の目的基礎研究を推進し、社会・経済の変革をもたらす科学技術イノベーションに大きく寄与する、新たな科学知識に基づく創造的で卓越した革新的技術のシーズ(新技術シーズ)を創出することを目的とし、トップ研究者が率いる複数のベストチームが、チームに参加する若手研究者を育成しながら、研究を推進する。

国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)の研究プロジェクトである「JST CRESTxDiversity」では、筑波大・東京大・富士通・ソニーコンピュータサイエンス研究所(Sony CSLチーム)とともに、計算機によって多様性を実現する社会に向けた超AI(artificial intelligence)基盤に基づく空間視聴触覚技術の社会実装を行ってきました。

 この研究のテーマは「どうやって人の多様性をAIテクノロジーで支えるか」というもので、自動化された車椅子やロボット義足がその一例です。

 少子高齢社会に突入した我々にとって、テクノロジーを用いた社会の改善は急務です。我々の社会には、高齢化や先天的もしくは後天的な理由によって運動の自由が利かなくなったり、視聴覚機能の低下が生じたり、発話やコミュニケーションに困難が生じたりといった多様な困難を抱えて生きていくことを強いられる人々がいます。

 本記事で紹介するJST CRESTは、人の身体や感覚器の機能補完や拡張のためにタスク志向型のAIソフトウェアおよび身体拡張デバイスの開発を行いながら、研究の社会実装により多様性社会実現を目指すプロジェクトです。

 タスク志向とは、万能の判別機や学習機を目指すのではなく、あるタスクに特化したソフトウェアを志向することを指します。本プロジェクトの目的は、タスク志向型の開発を積み重ねることで、技術開発の方法論やコミュニティ形成、検証方法などを含めたノウハウと方法論、およびオープンソースのソフトウェアを共有することにあります。

 本プロジェクトは2017年から2019年3月末までのスモールフェーズと2019年4月以降の加速フェーズの2期に分かれており、スモールフェーズでは、視聴覚能力やロボティクスによる能力拡張・コンピュータビジョンと機械学習・障害者向け能力拡張デザイン・運動能力拡張ロボティクスの専門家による4グループを組織し、一つの社会実装チームとして上記のようなタスク志向開発に取り組みました。

 聴覚補助デバイス(富士通・東京大学)、自動運転車椅子(筑波大学)、ロボット義足(Sony CSL)を具体的なタスクとしながら、それぞれが加速フェーズに向けたいくつかの試験検討を行い、タスクごとに垂直統合したチームを組織し、解決に当たるための方法論について検証を行いました。

 その後2019年4月から2023年3月までの加速フェーズを行い、コロナ禍という状況を顧みつつ社会のデジタルトランスフォーメーションに伴いながら、進んでいます。

もの作りをする中で大事なことの作りをする中で大事なこと
最高の音楽人間/機械がものを作ることには、問題を見つけて解決策としてマーケットに出すという一連の流れがあります。

 機械が問題を解くときのキーパートは、AIをどう使うか、つくるか、もしくはどんなユースケースに何がはまるかを考えることにあります。

 世の中にアプリケーションやタスクはたくさんありますが、そういったものと、コンピュータビジョンが扱うもの―モノを認識する、ボディ構造をトラッキングする、自然言語処理、音声認識など―をどうすれば最適に組み合わせられるかを考えていくのはとても重要な問題だと思います。

 さらに精度の高い文字認識など、"エンジン"は世の中にいっぱいありますが、それをどうユーザーインターフェースに落とし込んで使えるようにするか考えること、また、そういったものの整備をオープンソースでやっていくことも非常に重要な問題となります。それを仕組み化、方式化するのも研究の一つです。

 さらにどうデバイスを使えるか、どうやってワークショップのデザイン論ができるかをまとめていくのも我々のテーマの一つです。我々のチームの面白いところは、誰も障害を障害として捉えていないこと、障害を個性と言い切るほどに標準性の悪意を意識し放っておかないところにあります。

 "標準化"というものは非常に問題だと思っていて、それに対してどうやって課題解決システムを作って自分たちで使っていけるのかに興味がある人たちの集まりなので、そこがディスカッションしていても常に面白いところです。

 テクニカルな話以外に最優先課題となるのは、違いに寄り添うテクノロジーを見つけながら、個別課題から現場共通の課題を抜き出し、様々なデバイスやアプリケーションと自分たちの作っているものを組み合わせて問題を解くことです。
義肢で「歩く」ことを目指すプロジェクト
たとえばプロジェクトの一環として、四肢のない作家・乙武洋匡さんとともに、義足や義手を使って「歩く」ことを目指す「OTOTAKEPROJECT」に挑戦しています。
 
N対1、つまりN対N(※)じゃなくて、1人のユーザーだけに寄り添うアプローチってなんだろうなと。乙武さんが歩いていく様子をひたすら追いかけていくっていうのは、N人ではなく1人が使う義足を作る様子とそのチームがどう育っていくかを考えていく点で非常に面白いなと。
※N:複数を示す。「N対1」は「複数対1」、「N対N」は「複数対複数」

 どうやって歩けるようにしていくかというのはおそらく1人では解けない問題で、義肢装具士の人、デザインの人、理学療法士の人が入ることでその問題を解決しようとする。そんななかで乙武さんは1年間練習を続けて20メートルくらい歩けるようになりました。プロジェクトのなかで生まれてくる人の輪やコミュニケーションを考えていくことは非常に重要だと思います。

 OTOTAKEPROJECTプロジェクトはSony CSLの遠藤謙さんがアスリート支援をしていることもあって、てっきりスポーツの延長のようなもの、もしくは身体拡張による社会運動のようなものだと考えていました。パーツを出力し、組み立て、モーターを動かし、プログラミングと機械学習で取りこぼしたものは、乙武洋匡氏が身体を鍛えることで回収します。とにかく練習を続け、それを理学療法士の内田直生さんやスタッフたちが支えます。

 テクノロジーは障害を突破する、テクノロジーの欠陥は人間力によって補完される、大切なのは習慣とモチベーション作りだ、トレーニングとはそういうものなのだ、ということを知る―そんなことを感じながら、いやあくまで身体拡張とテクノ民藝のお話なのだと思っていました。

 しかし、先日100メートルを歩く(117メートルでバランスが崩れた)乙武氏のすぐ横でひたすらカメラを回していた自分が感じたのは、それとはまったく違ったものでした。

 乙武洋匡氏にとって車椅子は身体拡張されたインフラです。車椅子があれば乙武氏は自由自在に舗装された道をいき、ニュース番組に出演し、身長も自由に変えることができます。あえてテクノロジーを伴う義足を用いて歩く挑戦とは、そういった様々な社会的課題や社会的困難に向かい合うための社会運動で旗を振るようなものだと考えていました。

 ところが、結果は違いました。

金属製の腕を使って、人生ではじめての拍手をする乙武洋匡氏が発する金属音はグルーヴを生み出し、身体拡張された義足による歩行は人々にリズムと応援の声を響かせ、コンヴィヴィアルな体験を伝播させていったのです。

 国立競技場の100メートルトラックの上で、乙武洋匡氏の身体は、「楽器」にトランスフォーム(変成)していました。社会的困難に向かう左脳的アイコンではなく、群衆にグルーヴを生み出し、その相互理解のための演奏を行う右脳的パフォーマーに変化したことは、予想していなかった着地でした。

 感動ポルノなんてクソ喰らえ、と言っていた2018年から変化したものがたくさんあります。

 身体的な活動を主体とするCRESTクロス・ダイバーシティは感動ポルノではなく、グルーヴをもたらす音楽です。この後味は長く余韻になるでしょう。言葉で消化されるロジカルなキャンディではなく、胸の高鳴りを通じて具体的な身体行動を伴うトラックになると確信させられました。

 遠藤チームが生んだものは、乙武氏がたくさんの聴衆に共感を響かせるための新しい身体楽器だったのだと思うと、それはそれで爽やかな気分になります。難しいことはいいのだ、そしてロジカルなキャンディも必要ないのだ―おめでとう乙武さん。

 最高の音楽でした。いつも大変な練習を重ねてくれて本当にありがとう。新しい身体性を獲得されたことをいまはただ祝いたいと思います。

 そう、音はしないが、音楽が奏でられるようになったんだぜ。これは「きのこの楽器だ」。ありがとうジョン・ケージ。

 きのこの楽器というネーミングの危うさとエロと胡う散さん臭さ。しかしそういった想定外使用からしか次のステップは見出されないのだと思います。当たり前のものが当たり前の場所でしか使われないなら、それが跳躍を生むことはありません。音がしない音楽、それを奏でるための楽器、いや、そのための身体拡張。きのこでケチャップを作ったらDogs-upって言うのでしょうか。ジョン・ケージ。

デジタルデータと自然の融和
新しい自然を実現していくことを自らのビジョンとしているけれど、その自然は人によって都合のいい自然と言えます。そういった意味でデジタルネイチャー(計算機自然)は多様な身体を揺籃します。それは新しい自然を構築した人類が自らの身体を精神の形の一つとして多様に獲得していく過程なのです。 デジタルネイチャーは身体に多様性を生み出します。多様性と自然の関係性を以前インタビューで話したことがあります。

 「僕の考える自然というのは、マテリアルトランスフォーメーション可能な自然。荘子がある日うたた寝していると蝶々になってしまった夢を見たという話のように、"物化する自然"、あらゆるものが定型をとどめずあらゆる形で自由になれるというのはどういうことだろうというのが僕にとっての自然の探求です。

 そこで熱が失われるのか、何が変換されるのかという部分で、情報だけが変換されるならば、それはある種、物理現象よりももっと自由になれるんじゃないかという自然観を僕は持っています。そして、自然体が自然体のままでいられるというのは素晴らしいこと。そのために自然の側も歪ゆがめてしまっていいのではと思っています」

 デジタルネイチャーは2015年に研究室を始めたときにつけたビジョンの名称です。

 質量のないデジタルデータと質量のある自然が融和し、そのどちらでもない自然に生まれ変わった自然・自然観をデジタルネイチャーと呼んでいます。名前のない新しい自然の呼び名の一つで、ニューノーマルやニューメディアアートみたいなものだと思っています。

 デジタルネイチャーはイメージと物質の間で考えていた際にその間をとりなす感覚を一般化した平衡点であり、元来の自然と計算機が不可分の状態にあります。これはユビキタスコンピューティングとかIoT(モノのインターネット)とか言われる世界のことで、その世界にやがて元来の自然と区別不可能なくらいにコンピュータが入ってくることになります。

 これはおそらく皆さんが知っているこの世界の進捗の話でしょう。解像度は上がっていき、センサーとアクチュエータ(エネルギーを動作に変換する装置)は増えていきます。

 もう一つの過程は計算機の中にある自然が成熟した状態です。

 これは物理シミュレーションとか機械学習エージェント同士の対話とか、データ同士の振る舞いが見せる新しい自然がコンピュータの中に成熟した状態を指しています。これも皆が知っている話でしょう。データは大容量化し、アルゴリズムは精緻になり、出てくるリザルトは自由度を増していきます。

 その両者の間に着地点があります。この着地点は元来の自然の解像度を上げていった世界とはまたちょっと異なった着地であることが予想されます。人間に機械を組み合わせたり、山頂でzoom飲みをする世界かもしれませんが、元来の自然の持っている範囲からはみ出していて、それでいて、データの自然だけでは到達しないものがあるはずだ、というモチベーションによって成り立っているのです。
質量のない自然と質量のある自然の着地
当時のモチベーションを一般化するときに出てきたのが質量のない自然と質量のある自然の着地という考え方です。元来の自然のようでいて計算機であり、計算機上に見えて元来の自然。

 なぜそんなことを考えるようになったのかといえば、僕が博士課程でやっていたことは、映像と物質の間にあるものはなんだと考えていたことに由来するからです。映像のようでいて物質であるし、物質のようでいて映像であるものとは何か。その実装が計算機音場によるグラフィクスだったり、ホログラムによるプラズマだったりしました。

 要は、触われるけど映像のように消えちゃうものもある、ということ。意外とそれは実装できました。そこに着眼していくときに見出されたのが質量性・非質量性の対比であり、計算機技術の成熟とともに訪れるであろう新しい自然のことです。そのときに対比構造になってくるのは元来の自然とデータの自然だけれど、元来の自然はもはや計算機に囲まれているし、データの自然のほうは元来の自然のデータを吸収しつづけ、独自の計算を生み出しつづけています。

 その間にある新しい自然、これに名前をつけなくてはならない。そうやってできたのがデジタルネイチャーという暫定名称でした。だからよく名前が変わっていきます。「計算機と自然、計算機の自然」と同語反復したのはまさにここですし、「質量のある自然、質量のない自然」と言い換えることもできます。

 研究センターにあるデジタルネイチャーの解説は、以下の通りです。

 〈人に纏まつわる情報工学研究を軸としながら、新しい自然において今よりもっと多様な未来を実現するための基礎技術研究、応用研究、デザインの探求、そして社会実装に取り組んでいます。

 新しい自然では、人と機械、質量ある物質の世界と質量なきデータの世界の間に、元来の自然では起こり得なかった多様な未来の形が多元的に存在していく、と私達は考えています。

 人の作り出した計算機により紡がれる新しい自然はどんな姿をしているのか? 筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターでは、新しい自然をより確かな形で思い描き、人と調和する持続可能な自然に近づけていくために、様々な計算機技術の応用を実装し、世に問いながら産業・学問・芸術に至るさまざまな問題解決に挑戦しています〉

 いままで計算機と自然の中に様々な中庸状態を作ってきました。

 「触ったオブジェクトはデータであり物質でもあり、物質を変えればデータも変わるし、データが変われば物質も変わる。電源を消すとそれらも消えてしまう」みたいな考え方や、「ロボットが印刷されたり、データがロボットになったりする」、「この世界はすべてデバッグ可能でいて一回性を持つこともできる」→これはブロックチェーンとかの研究をしていたときの話だったり、「人の身体は制約から解放され、新たな制約を楽しむこともできる」→これはクロス・ダイバーシティのプロジェクトだったり。

ムーブメントとバイブス
様々な対立構造を作る中で、立ち位置が溶けてしまうようなものを選び、新しい自然を探究してきました。アプリケーションやアルゴリズムを考える中で物質と映像の垣根に常にいた気がします。新しい自然、質量のある自然と質量のない自然の中間地点。

 以前は質量への憧憬といっても、ほとんどの人はピンとこなかったかもしれませんが、いま伝わっているような気がしています。

 僕はずっと前からいまのみんなくらいにピクセルに囲まれて生きてきて、そこから来る質量への憧憬や映像と物質の垣根にあるマテリアリティに着目してきました。でもいまこの世界は質量への憧憬の中にあります。そこでやっと伝わる言葉もある。そんな自然観が実装されるような自然環境は人間にとって何なのかをよく考えます。

 たとえばXboxのアバターをつくる際に義足や義手、車椅子がアイテムとして選べるようになったアップデートを受け、"Computationally incubated diversity(コンピュータで促進させられたダイバーシティ)"とツイートしました。

 障害があるからではなく、義足や義手が単純にクールだから選んでいるとすれば、ダイバーシティとしては正しい方向だと思っています。自由度や気にしなさをどのように互いに尊重できるかということが大切です。

 そもそも機械学習でものを作る、その言語空間が大切で、その言語はこの世界を構成する巨大なホログラムでできた文学であって、世界は計算しながら詩を綴つづっています。その自覚を持って生きることがデジタルネイチャーに生きることなのです。

 ポエティックなグラフィクスをリアルタイムに生成できる世界になったのは良いことだと思います。私は物理的な研究貢献はしているが言語的な研究貢献との間の接続が気になりはじめています。魔法の世紀で世界の再魔術化でデジタルネイチャーで世界は計算していてホログラムの中に生きる共感覚的なデジタルの自然なのです。喜びを共有したい、と思います。

 テクノロジーですべての問題が解決するなんて考えたこともありません。しかしながらテクノロジーを使わないで問題を解決しようと考えることはありません。クロス・ダイバーシティで何が重要かって言ったらバイブスだ、という話をいつもシンポジウムのときに言っています。自分たちが作るのはテクノロジーではなくてムーブメントだとも言っています。

 ただそこには何らかの技術開発に伴う生態系とレガシーがあるべきでしょう。もちろん論文は書くけど、「お家元」に「お金が動いて」、ははぁ、「ご研究のご文脈が作られた」っていうだけじゃ不満足なのです。

 2022年に入ってから、どうやってレガシーを考えるか、を探しています。ムーブメントとバイブスを意識しながら、技術と人の生態系が作る先を考えていきたいと。

スーパーやコンビニの弁当を見て気付く事

がある。

それは白米と揚げ物の組み合わせや

オムライス、炒飯、カレー等

脂肪や炭水化物に偏った献立が多い事だ。

私は、玄米御飯、野菜、惣菜を

別々に買い、栄養の偏りを避けて居る。 

 

 

 

 

 

 

 

ダイエットには許されざる料理

 

Amebaダイエット部

 

崩壊するマンション市況の「ヤバすぎる現実」

山下 和之( 住宅ジャーナリスト) 6/14(金) 05:00

超高層マンションは資産価値が高いので多少無理してでも買ったほうが得策――。そう考える人が多いが、それはまだ超高層マンションの希少性が高かった、一昔、二昔前の話。今や大都市部では、さまざまな場所で見られるようになって、超高層だからという理由だけで資産価値が上がる時代ではなくなっている。選択を失敗すると超高層マンションといえども価値が下がって、売るに売れずに、たいへんな事態に陥りかねないので注意が必要だ。

初月契約率が3割を切る月もある

不動産に関する民間調査機関の不動産経済研究所では、毎月首都圏、近畿圏の新築マンションの発売戸数や契約率などを調査して公表している。

そのうち、契約率というのは初月契約率のことで、発売された月のうちに、発売戸数の何%が売れたかを示している。新築マンションは、着工後に販売が始まるので、初月に70%以上の契約が成立すれば、竣工までの間に完売できる可能性が高いため、70%が採算ラインといわれている。

このところは首都圏の新築マンションの売れ行きが好調で、価格も上がり続けていることもあって、契約率は採算ラインの70%前後からそれ以上を記録することが多い。首都圏全体の平均であるブルーの折れ線グラフは、おおむね70%前後で推移していて、月によっては80%近い契約率となっている。

しかし、細かく見ると違うこともわかってくる。超高層マンションを示すグラフは上下動が激しく、月によっては、30%を切っていることだ。

超高層というだけでは売れない

これが何を意味するか。超高層だからという理由だけで売れる時代ではなくなっており、普通の中高層マンションより売れない物件も少なくないということだ。

こんなことは、まだまだ超高層マンションが珍しい時代には考えられなかった。

一見して分かるように、2022年から2024年の2年間に比べると超高層マンションの契約率は極めて安定していて、超高層マンションの契約率が、マンション全体の契約率を上回る月が多い。月によっては超高層マンションの契約率が90%を超えたこともあり、まさに、売り出せばすぐに売れる状態で、人気物件は即日完売というケースも珍しくなかった。

それに比べると2022年4月からの2年間は、バラツキが大きく、超高層というだけで売れる時代ではなくなっていることが分かる。

重すぎるローン

それだけに、「超高層だから安心」と十分に内容を検討せずに買ってしまうと、大変な後悔をすることになりかねない。

場所にもよるが、超高層マンションは周辺の相場に比べると2割から3割割高だ。とりわけ高層階になると5割以上高いケースも珍しくない。それでも売れるのは多少高くても、買っておけばいずれ高くなって、十分に元がとれると考える人が多いからではないだろうか。

一般的な中高層マンションだと5000万円の借入額になることが多いのではないだろうか。この場合、金利1.0%、35年元利均等・ボーナス返済なしの毎月返済額は約14万円で済む。ところが超高層マンションの高層階を倍額の1億円の借入額で買ってしまうと、返済額は28万円以上になってしまう。

住宅ローンの安全性を考えて、市中の金利が上がっても適用金利が変わらず、返済額も増えない固定金利型だと金利水準が高いので、もっと負担が重くなってしまう。

首都圏の中古マンション価格は下がり始めている

それでも、超高層マンションなら、5年後、10年後には価格が新築時より2割、3割と上がっていたから、万が一返済が苦しくなっても、売却すればお釣りがくるので問題はないと、購入する人が多い。

しかし、今はもうそれは過去の話だ。超高層マンションといえども、選択を誤ると、価格が下落して、資産価値が下がるリスクが高まっている。実際、首都圏では東京23区を除いて中古マンション価格が下がり始めていて、割高で掴んでしまうことが多い超高層マンションも決して例外ではなくなりつつある。

東京カンテイの調査によると、2024年4月の首都圏中古マンション価格は東京都と神奈川県が前年同月比1.6%の下落で、埼玉県は4.5%、千葉県は3.0%下がっている。そのなかには、超高層マンションも含まれている。中古マンション価格が頭打ちになっていることは、超高層マンションの本格的な下落が始まる前兆なのかもしれない。

仮に値下がりが現実になれば、元の価格が高い分、値下がりによる損害も大きくなる。たとえば、年率1%の下落だと、新築時に1億円だったマンションは、5年後には9510万円に、10年後には9044万円に下がってしまう。

変動金利型ローンなどを金利0.5%の設定で借りている場合、1億円のマンションを全額のローンを組んだとすれば、5年後には8676万円に、10年後には7319万円に減少する。

一方で価格の下落率が年率1.0%であれば、5年後の売却可能額は9510万円なので、ローン残高8676万円を一括返済しても手元に800万円以上残る計算になる。しかし、年率2.0%の下落だと、5年後の売却可能額は9039万円なので、手元に残る金額は400万円以下に減少する。さらに年率3.0%下がれば、5年後には8587万円でしか売れないので、ローン残高8676万円より少なくなる。つまり、ローン残高が売却可能価格を上回る「担保割れ」の状態になるわけだ。こうなると抵当権を設定している銀行では、その差額分を自己資金などで穴埋めしない限り、売却を認めてくれなくなる。

この程度の差額なら何とかなるという人が多いだろうが、下落率が大きくなって、一方で金利が先の想定よりも高くなると、担保割れ部分が大きくなってしまう。担保割れ分を用意できなければ、当然売却も出来ない。身動きがとれない状態になりかねないわけだ。

資金計画は慎重に

それでも、住宅ローンの返済がつつがなく続いていればいい方だ。病気やケガ、会社のリストラ、倒産などに遇うと、高額物件で毎月の返済額も高額だけに、大変なことになりかねない。

特にリスクが大きいのが、共働き世帯だ。片働きであれば、共働きして何とかやり繰りできるかもしれないが、図表3で示したように、超高層マンションを買って、高額のローンを組んでいれば、パート勤務などではとても追いつかない可能性が高いのではないだろうか。

そうなると、ローンの延滞が発生して、いよいよ二進も三進もいかなくなる。延滞が発生すると、優遇金利の適用がなくなり、返済負担が一段と重くなるので、いよいよ返済が難しくなる。延滞が数ヵ月続いてしまうと、競売に付される危険性もある。そうなると相場より格段に安く落札されて、多額のローン債務が残り、マイホームを失った上でローンの返済だけが続くという悲惨な状態に陥ってしまうのだ。

そうならないためには、まずは超高層マンションだからOKという安易な発想ではなく、十分なメリットがあり、資産価値の維持・向上が期待できる物件を選択することが何より重要なのは言うまでもない。それと同時に、資金計画も決して無理をしないことが大切になる。万一のことがあっても、ローン返済を続けながら、半年や1年程度は生活できる資金を残しておくことだ。

また、最近は全額借り入れで購入する人も多いが、2割程度の自己資金を用意しておきたい。そうしておけば、多少価格が低下しても、簡単には担保割れにならないようにできる。マイホーム購入は人生の一大事。ここで失敗すると、人生そのものが失敗に終わることにもなりかねないだけに、とにかく慎重な計画づくりが欠かせない。くれぐれも「超高層マンション」というフレーズに惑わされないようにしていただきたいところだ。


「かわいがられる」とは、一体どういうことでしょうか? 

 

男女の関係、親子の関係を除いた場合、特に職場においては 

 

 

1.目をかけられる 

 

2.特別にひいきにされる 

 

3.大切に守られる 

 

 

この三点がそれにあたります。」


カナロコ by 神奈川新聞

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水素社会推進法案を審議した5日の衆院経済産業委員会で、太陽光など再生可能エネルギー利用拡大による2050年カーボンニュートラル実現を訴えていた立憲民主党の山崎誠氏(衆院比例南関東)に対し斎藤健経産相が「そんなに簡単な話じゃない!」と激高する場面があった。

 山崎氏は法案の政策目標である50年カーボンニュートラルを引き「太陽光一本足打法では目標に届かない。風力、蓄電池など多様な取り組みを進めていくべきだ」などと提案。シンクタンクの試算を引き、再生可能エネルギーの優位性を強調した。

経産相は自席から「実態に即していない」などと疑問の声を上げていたが突然に答弁を要求。「簡単じゃない! 50年へ向けて道筋は描けていない」などと切り出し、再生可能エネルギーを巡り「高いハードルがある」と強調した。山崎氏は「だれも『全て再生可能エネルギーに切り替えよ』とは言っていない。こちらの試算に不満なら政府としての試算もやり、ここに示して議論すればよい」などと反論した。

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6/13(木) 19:02配信 共同通信社


自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件で、政治資金規正法違反(虚偽記入)の罪で在宅起訴された二階派の元会計責任者永井等被告(70)が13日までに取材に応じ、東京地裁で19日に開かれる初公判で起訴内容を全面的に認める方針を明らかにした。被告は「悪いことだと思っていなかったが、ルール違反ならしょうがない」と語った。

二階派では、パーティー券の販売ノルマ超過分を政治資金収支報告書の収入に記載せず、議員側に還流していた。起訴状によると、2018~22年分の政治団体「志帥会」(二階派)の収支報告書に収入と支出を実際より計約3億8千万円少なく記入したとしている。


 被告は取材に「どうせ(議員側に超過分を)返すから書かなかった。経理の経験もなかった。派閥の金に手を出したわけではない」と釈明。「(初公判では)検察に話した通りに話します」とも述べた。


 二階派を巡っては、二階俊博元幹事長が代表の政治団体の当時の職員で二階氏の秘書(56)が、1月に同法違反罪で罰金100万円などの略式命令を受け、確定している。

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政治家としての知識のイロハが完全に脱落し、倫理観、責任感、周囲へ悪影響を及ぼす事も辞さない。早急に政界から完全引退して戴きたいものだ。

5/30(木) 9:02配信 共同通信社


2025年大阪・関西万博参加国のうち、アルゼンチンが撤退する方向で検討していることが分かった。関係者が30日、明らかにした。自前整備のパビリオン「タイプA」での出展を予定していたが、予算上の問題が生じたとみられる。参加取りやめとなれば、判明するのはメキシコ、エストニア、ロシアに続き4カ国目。


 関係者によると、日本国際博覧会協会は建設を代行して各国が内外装を担う簡素型「タイプX」への移行を促していた。

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AIに支配される事が明瞭明白な未来に微塵の希望もない。パビリオンを作って馬鹿騒ぎする前にやるべき事がある、と撤退する勇気を表明するのは非常に賢明な事だ。