「言葉は偉大な力を持っているが、
6/16(日) 8:11 Yahoo!ニュース
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秋葉原は「オタクの聖地」として世界的に知られている。しかし、聖地は衰退の危機に直面している。人通りは多いものの、「オタク文化に漬かっているが、秋葉原には足を運ばない」という意見がネット上には多く見られる。その理由は何だろうか。まずは、秋葉原がオタクの聖地となった経緯を見てみよう。
秋葉原がオタクの聖地と化した背景を探る上で欠かせないのが、2003(平成15)年に刊行された建築学者・森川嘉一郎氏の著書『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎)だ。このなかでは、その成立が詳しく語られている。
現在に至る街の歴史は、太平洋戦争後から始まる。その頃、秋葉原の近くに電機工業専門学校があり、そこの学生がアルバイトで始めたラジオの組み立て販売が大当たりしたのが、ひとつのきっかけとなり、ラジオ部品などの露店が軒を連ねる「電気街」が誕生した。
その後、1980年代までは家電製品の一大集積地として栄えたが、1990年代に入り大型量販店の台頭で次第に衰退。代わって台頭したのがパソコン関連の店舗だった。これを契機として、家族連れで家電製品を買いにきていた客層が、だんだん男性中心に移行したとされる。森川氏は、1990年代の
・オタク文化の台頭
・科学技術への幻滅
が秋葉原の変貌を後押ししたと分析する。
森川氏の説によると、本来のオタクとは、科学技術に憧れ、明るい未来を夢見ていた人たちである。しかし、1970年代以降、科学技術が明るい未来をもたらすという期待は急速に失われていった。その頃、特撮や漫画、アニメは、そんな夢を失った人たちが「代償」として楽しんでいた。彼らはコンピュータにも親和性が高く、パソコン関連ショップが集積していた秋葉原は次第にオタクの街となっていった。
大きな転機となったのは、1995年に放映されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』である。エヴァンゲリオンブームの直後、海洋堂が秋葉原に店舗を構えたのを皮切りに、オタク向けの店舗が次々とオープンした。こうして秋葉原はオタクの聖地として誕生した。
1999年「サブカル投機フィーバー」
時系列で新聞・雑誌記事を追ってみると、オタク文化の興隆と、それにともなう秋葉原の変化の過程が浮かび上がってくる。『産経新聞』は1996(平成8)年6月の記事で秋葉原を「突っ走るオタク・ビジネス」と形容し、こう報じている。
(『産経新聞』1996年6月1日付)
エヴァのブームを経て、かつては「軽べつ」の対象でしかなかったオタク文化が、いよいよ市民権を得たことが読み取れる。それから3年後の1999年。『アエラ』は、秋葉原のオタクビジネスの最前線を「サブカル投機フィーバー」という見出しで取り上げている。
「4月にソフト制作会社「ジェリーフィッシュ」を設立した田辺健彦社長(33)もその一人。東京・秋葉原のマンションの一室にある事務所で、パソコン2台にゲーム機4台、食いかけのコンビニ弁当を前に、田辺社長は「ゲームとパソコンは三度の飯よりも好き」と、一獲千金を狙う。そして「ネクラの象徴だったオタクは、一種のエキスパートを指す呼称に変わった」と自信を示す。街にはオタク・ビジネスが氾濫(はんらん)、オタクが景気を引っ張る。かつてなかった現象である」(『アエラ』1999年2月8日号)
オタクが「エキスパート」を指す言葉へと変わり、「ゲームとパソコンは三度の飯よりも好き」と豪語するソフト制作会社社長の登場。記事からは、オタクビジネスが秋葉原の新たなけん引役となった様子がうかがえる。
「アキバ系ユーザー」の激変
2002(平成14)年になると『週刊エコノミスト』が「秋葉原、変貌!「アキバ系ユーザー」って知ってるかい?」と題した特集のなかで、こう記している。
「「アキバ系ユーザー」--この言葉を聞いて、どんなユーザーを連想するだろうか。パソコンオタク? それともパーツを探し求めるマニア? あるいは、家族連れで家電を買いにくる人たち?答えは、どれも間違い。いまや、アキバ系ユーザーとは、美少女アニメソフトなどを購入する「美少女アニメオタク」や、フィギュア(人形)を購入するマニア層のことを指している。「秋葉原で商売をやっている限り、もはや美少女アニメソフトを無視するわけにはいかなくなった」 秋葉原の中央通り沿いに店を構えるある大手パソコンショップの店長は、こう話す。美少女アニメソフトとは、少女を題材にしたアニメによるパソコン用ゲームソフト。一般のゲームソフトに比べて、ややお色気を含んだゲーム内容になっているのが特色だ。実は、この言葉の裏に、世界に名だたる「アキバ」が、いま、大きな転換期を迎えていることが示唆されている。秋葉原といえば、「電気街」というのが代名詞。だが、秋葉原で働く電気店関係者の口からは、「アキバが家電の街とか、パソコンの街とは言い切れない場所になってきている」という声が異口同音に聞かれるのだ。」(『エコノミスト』2002年3月26日号)
ここからは、秋葉原のイメージの変化が端的にわかる。まだ、オタク文化が現在ほど大衆化していなかった中で、アニメやゲーム、フィギュアなどを扱う店舗がビルの1フロア丸ごとを占拠する。それだけでビジネスとして成立している様子がみられるようになったことは、まさに劇的な変貌であった。同年、東京新聞も「TOKYO発 秋葉原 オタク電気街」という記事のなかで、こう記している。
「アニメのゲームソフトやフィギュア(人形型キャラクター)、人気キャラクターを主人公にした漫画同人誌などを扱うマニア向けの店が急増」「フリルの付いたメード服や人気アニメゲームの美少女キャラクター…。電気街の外れにあるコスプレ(コスチュームプレー)喫茶「カフェ メイリッシュ」(千代田区外神田)に入ると、そんな仮装をしたウエートレスが迎えてくれる。開店は昨夏。月に5000人が来店する盛況ぶりで、入店待ちの行列ができる日も多い。」と報じている。(『東京新聞』2003年3月11日付朝刊)
この頃には、もはや秋葉原のオタク街化は決定的となり広く認知されていたことがうかがえる。かつ、多くのメディアは、その盛況ぶりは驚きをもって興味深く捉えていた。
オタクが「一流」の街
2004(平成16)年の『フジサンケイビジネスアイ』は「【in 秋葉原】パソコン、アニメ、鉄道模型、ミリタリーグッズ…常に流行を発信」と題した記事で、こう述べている。
「この町でオタクと呼ばれれば一流だ。パソコン、アニメ、鉄道模型、フィギュア、そしてミリタリー(軍事)。秋葉原には、趣味と呼ばれるもので、およそ手に入らないものは、ない。知と技を極めた世界最高峰のこだわりを求めて愛好家が集まる。そのこだわりがせめぎ合い、今日もトレンドの新たな芽がふく」
「ファッションといえば渋谷、原宿かもしれないが、秋葉原には、常に新しいモノを発信してきたという自負がある」(『フジサンケイビジネスアイ』2004年5月24日付)
「オタク = 一流」という等式が成り立つまでになった秋葉原。パソコンやアニメ、鉄道模型など、あらゆるジャンルのマニアが集い、そのこだわりがせめぎ合う。そこから次々とトレンドが生まれる。記事からは、そんな「知と技の世界最高峰」としての秋葉原像が浮かび上がってくる。
同年9月には、オタク街・秋葉原をテーマにしたディスカウントストア「ドン・キホーテ秋葉原店」が開業。
「アキハバラ・ファン・ミュージアム」と銘打たれた5階フロアは、新作ゲームやアニメのプロモーションを行う「常設の『キャラクターショー』」をイメージして、フロア全体がオタク向けコンテンツで埋め尽くされた。(『フジサンケイビジネスアイ』2004年9月8日付)
ここに至って、オタクの聖地としての秋葉原の地位は不動のものとなったといえるだろう。「趣都」(森川)と呼ぶにふさわしい独自の進化を遂げた街。その存在感は、日増しに高まっていったのである。
メイドカフェ急増、秋葉原の変貌
2008(平成20)年6月には「秋葉原通り魔事件」という不幸な事件もあったが、オタクの聖地としての発展は止まらなかった。とりわけ、2000年代から2010年代の変化は劇的であった。
牛垣雄矢氏・木谷隆太郎氏・内藤亮氏による調査報告「東京都千代田区秋葉原地区における商業集積の特徴と変化―2006年と2013年の現地調査結果を基に―」(『E-journal GEO』11巻1号)の分析によると、2006年時点で秋葉原の商業集積は、
・パソコン取扱店:114店
・家電取扱店:151店
・電子部品取扱店:130店
・少女アニメ関係取扱店:107店
・アイドル製品取扱店:10店
・アダルト製品取扱店:75店
・メイド系店舗:31店
・チューン店:69店
この時点では、いわゆるオタクショップにあたる少女アニメ関係取扱店が存在感を示す一方で、従来の電気街の主力であったパソコンや家電取扱店も数多く存在していた。これが、2013年には次のように変化している。
・パソコン取扱店:81店
・家電取扱店:37店
・電子部品取扱店:119店
・少女アニメ関係取扱店:71店
・アイドル製品取扱店:37店
・アダルト製品取扱店:43店
・メイド系店舗:108店
・チューン店:108店
メイド系店舗やチェーン店が数を増した一方で、パソコンや家電取り扱い点だけでなくオタクの聖地の担い手であったはずの少女アニメ関係取扱店も数を減らしているのである。論文はこの変化を「趣味の専門店街」から
「サブカルチャー系の商業集積地」
へのシフトと表現している。ただし、このことは見方を変えれば、オタク文化がマニアの領域を超えて、
「大衆的な市場」
を獲得しつつあることの表れだともいえる。趣味の専門店街からサブカルチャー系の商業集積地への変化は、オタク文化の“メインストリーム化”を象徴していたといえるだろう。
つまり、隆盛は衰退の始まりだったのである。オタクの街として注目されているのに、オタク向けの店が減少している。このような現象がなぜ起こったのだろうか。牛垣氏の別の論文「東京都千代田区秋葉原地区における商業集積地の形成と変容」(『地理学評論』85巻4号)では、小規模な店舗が集積する秋葉原の特徴を分析した上で、こう記している。
「秋葉原地区において,従来の家電店やパソコン関係店は技術的な知識を求められたためにさまざまな規模や業種の店舗が集積することを可能としたが、近年に集積しているアニメ関係店は技術的な知識が不要であり、その点で同業種が秋葉原地区へ立地する意味は減じたといえる。アニメ関係店の集積が進んだ2000年代に小売販売額が急減しているのも、その影響とも考えられる」
さらに牛垣氏の論文では「2000年時点で雑居ビルのテナントとして確認できるアニメ関係店34店のうち2006年に存在するのは19店のみである」とも記されている。オタク文化の大衆化が進んだからこそ、多くのオタク向け店舗が集積した。同時に競争も激化したが、個々の店舗の収益性は必ずしも高くなく、隆盛の影で姿を消していたのである。
とらのあな閉店の背景
余談だが、この変化の渦中にあった2012(平成24)年2月に、建て替えが話題になっていた秋葉原ラジオ会館の名前を冠したニュースサイトが開設されている。
そのビジネスモデルは、秋葉原の事情に通じていると自認する人たちに記者証を発行し、無料で記事を書かせるというものだった。秋葉原のランドマークとして注目を集めているラジオ会館の名の付く媒体ならば、
「タダでも書きたいというオタクはいくらでも集まるだろう」
という見通しで成立していたビジネスモデルである。こんなむちゃなビジネスモデルが成り立つくらいに、秋葉原はオタクの街として隆盛したのである。
秋葉原を訪れる人々をターゲットにした、店舗からの広告収入に依拠したフリーペーパーも幾つも創刊されては消えていた。熱気の中で秋葉原を舞台にした新手のビジネスが次々と生まれていたが、大抵は長くは続かなかった。2013年には大手ドラッグストアチェーンの「ダイコクドラッグ」がステージ付きメイドカフェを併設した店舗をオープンし、大きな話題となったが、わずか数年で閉店している。
振り返れば、こうした大小の資本が入り乱れる隆盛こそが、衰退の始まりであったといえる。衰退を如実に示したのが、2022年7月、アニメや漫画のグッズを取り扱う大型専門店「とらのあな」の秋葉原店が、20年間の歴史に幕を下ろしたことだ。
オタクの聖地と呼ばれる秋葉原において、同店は常に先駆的な存在だった。2001年の開店当初から同人誌の品ぞろえに力を入れ、オタク文化の発信地としての秋葉原の地位を確立する上で大きな役割を果たしてきた。
ところが、同社は池袋店だけを残し、秋葉原店を含む店舗の閉店を決断したのだ。その原因は、コロナ禍の影響により店舗収入が減少し、賃料や光熱費の負担が増したことだとされている。
さらに、コロナ禍も影響し、収益の上位が通販事業と自社で運営するクリエイター支援サイト「ファンティア」が占める状態になっていたことも、この決断の理由だったようだ。
同社は秋葉原では、2013年以降、秋葉原店A~Cの3店舗を運営していた。しかし、2021年にテナント契約期間満了でB店を、ビル建て替えによる契約期間満了でC店を、それぞれ閉店。A店のみが営業を継続していた。ここからは、オタクの聖地となったことで、秋葉原で建て替えや再開発の事業も活発になったこと。それにともなう賃料の高騰によって、店舗が割に合わないものになっていたことがうかがえる。
秋葉原で成長し、代表的な店舗となっていた「とらのあな」ですら、秋葉原の存在する必然性がなくなったのである。
観光地化する秋葉原の未来
さらに、秋葉原のオタクの聖地としての“求心力”そのものが低下していることも、見逃せない。
前述の『東京都千代田区秋葉原地区における商業集積の特徴と変化』が指摘していたように、2000年代後半以降、秋葉原の商業集積は「趣味の専門店街」から「サブカルチャー系の集積地」へとその性格を変えつつあった。アニメや漫画、ゲームなどのオタク向けコンテンツは、もはやマニアだけのものではなくなり、より大衆的な市場を獲得しつつあった。
その一方で、アニメ関連グッズ等のインターネット通販の台頭により、リアル店舗の売り上げは減少の一途をたどっている。とらのあなの閉店は、いわば時代の必然だ。
実店舗にわざわざ足を運ばずとも、オンラインで欲しい商品が手に入る。コロナ禍でそうした傾向はさらに加速した。オタクが秋葉原を訪れる必然性は、もうないといってもよいだろう。現在の秋葉原は、ほかの地域では見られないオタク向けのキャラクターを用いた広告や看板、路上に客引きをするメイドといった光景によって、一種のテーマパーク的な観光スポットとして、にぎわっているだけである。かつてのような、街を歩いているだけでなにか面白いものに出くわすような期待は既にない。
もはや「趣都」とはいえない秋葉原は、どのように変化していくのだろうか。むしろ、オタクが世界に広がった結果、海外に秋葉原のような“新たな聖地”が出現するのかもしれない。
昼間たかし(ルポライター)
進学校が実践する「性とジェンダー」教育の中身
甲南女子大生の助言を得る灘の生徒
兵庫県の男子校「灘」では、近隣の甲南女子大の学生の協力を得て、月経や性的同意について学ぶ授業が行われていた。女子大学生の助言を得ながら、男子高校生たちがさまざまなケーススタディーに取り組む。
授業後、灘生たちは下記のように感想を述べた。
「いつもは男子ノリで話すだけですが、今日はいろいろな意見を聞きながら話すことができました。知識としては知っていることもありましたが、男が頭の中で考えるだけではダメですよね。目の前に女性がいてくれることで、具体的な議論をすることができました」
「そもそもこのような知識が世の中に十分知られていないから、お互いにどこまでを前提にしていいのかわからずに、性のことや恋愛のことや生理のことなどを話題にしにくいのだと思います。このような知識をみんなが学んで、前提が共有できれば、性や恋愛のことももっと話しやすくなって、結果、みんなの不安も減らせるんじゃないかと思いました」
以下は、甲南女子大生の感想だ。
「話すのをためらうんじゃないか?と心配でしたが、学ぼうとする意欲があるし、話もちゃんと聞いてくれました。少しでも知識がついたことで、彼らの将来に少しは役立てたかなと思います」
「男子目線でワーって言われるのかなと思ったら違いました。思っていた以上に、女性のことを考えてくれて、びっくりしました。ネットの中には男性の嫌なところや悪い面ばかりが書かれていて、私もそういうものなのかなと思っていたのですが、実際に触れてみて、そうではありませんでした。やっぱりネットの情報は偏っているんだなと感じました」
昭和女子大生が駒場東邦の生徒にジェンダーの授業
女子大と男子校の組み合わせとしては、東京都の「駒場東邦」と昭和女子大のコラボレーションも有名だ。2020年度に、当時の中1が中3になるまでの3年間にわたる継続的なコラボ企画が始まった。大学生がテーマを設定し、授業を進行する。
中1のテーマは「ディズニープリンセスの変遷」「ファーストジェントルマン」。ディズニー映画に描かれる女性像の変遷を学んだり、自分が女性大統領の夫になったらどうするか?という思考実験を行ったりした。
中2のときには、ユニバーサル・デザインやインクルーシブ教育の現状について学んだり、炎上したCMをいっしょに見ながら誰もが無意識のバイアスをもっていることを共有したりした。
中3のときには、「歩み寄る」「男女別学」「仕事と役職」の3つのテーマについて、グループワークやディスカッションを行った。「仕事と役職」というテーマについては、「もし男子校の先生が全員女性だったら」という状況を設定し、女性に対してどのような配慮が必要か、そのような配慮を前提として、自分が経営者ならどんな制度を用意するかなどを考えた。
駒場東邦での経験をふまえ、2023年秋には「本郷」と「獨協」(ともに東京都)という2つの男子校の希望者たちからなる合同チームを大学に招き、「無意識のバイアスについて考える」というテーマでアクティブラーニング型の授業を実施した。
桐朋学園の女子部と男子部が家庭科合同授業
東京都の「桐朋学園」には、男子部と女子部の2つの中高一貫校がある。それぞれ別の場所にあり、普段は交流がない。しかし高2の家庭科においては年に1度、ジェンダーやパートナーシップについてともに学ぶ機会を設けている。このときだけ、桐朋が共学校になるというわけだ。
女子部の生徒12人が男子部を訪れた。お迎えするのは男子部の希望者19人。男女混合班でのディスカッションでは、男子部の司会がためらいを見せる場面も。
「ねぇ、どうする? これ、爆弾だよね。爆弾はあとにしようか?」
にわかにざわつく男子部生徒たち。女子部生徒はキョトン。
「じゃあ、行っちゃおう! 生理について聞いてもいいですか?」
女子部生徒が落ち着いた様子で「それは私たちにとってはそんなに爆弾じゃないから、ぜんぜん大丈夫」と笑うと、男子部生徒たちはちょっと大げさに「ふーっ」と息をつく。
その後、結婚相手に求めるものは外見か内面か、男性は女性におごるべきかについて議論したあと、「ねぇ、そろそろポッキー食べない?」と男子部生徒。何種類かのポッキーを開けて交換し合って、なんだかとても楽しそう。話題は、職場での男女平等をどう実現するか、へ。
男子部 世間では育児は女性の役割という思い込みが強いから、その目を気にするひともいるだろうね。
男子部 自分たちがこのままの気持ちで上の世代になったとき、変えられるかも。そしたら下の世代に育休とっていいよって言ってあげられる。
男子部 僕たち(男子部・女子部を含めた桐朋生)、まわりの目とか気にしないから。
女子部 うん、うん。
終了時刻の2分前にピタッと議論を終え、「あぁ〜、面白かった!」と言いながら、全体会に向かった。意識の高い生徒たちが集まっているという前提ではあるがそれにしても、未来は少し明るいのかもと思わせてくれる爽やかなセッションだった。
品川女子の有志団体が男子校の獨協などで出張授業
東京都の「品川女子学院」中等部・高等部(以下、品女)には「CLAIR.(クレア)」という有志団体がある。女性の生理についてのタブー視をなくすことで、最終的には性別を超えてお互いが尊重・理解できる社会を目指す団体だ。
活動の一環として、男子校などへの出張授業を行っている。過去には「開成」「芝」「本郷」「攻玉社」(すべて東京都)での授業実績があり、今回、獨協での授業が実現した。
最初の約30分間は品女生による講義。月経のメカニズムやそれにともなう心身不調への対処法を説明するだけでなく、なぜ女性の生理がこれまでタブー視されてきたのかについて、歴史的・文化的な考察がなされていることがユニークだ。
さらに、生理で体調不良を訴えている女性に対してどう振る舞うべきかをケーススタディーするため、ロールプレイが行われた。講義で学んだことをヒントに、獨協生が即興の対応を求められる。
終了後、獨協生たちが何かをつかめたような表情をしていたのが非常に印象的だった。女性の生理について、理屈だけでなく、実践のレベルで学べた手応えがあったのだろう。その自信がもてれば、さらに知識を得て、相手を理解しようという気持ちも強まるはずだ。
弱点補強をアピールすべき
拙著『男子校の性教育2.0』のために、全国の男子校を対象に行った独自アンケートの結果によれば、男子校であってもなんらかの形で他校の女子との交流をもっているケースは、いまではまったく珍しくないようだ。
まず部活において女子校や共学校との合同練習のような機会は頻繁にある。また、生徒会や委員会活動でも昨今は学校の枠組みを超えた交流が盛んなようで、地域によっては、男子校・女子校・共学校を問わず、男女がともに活動するのが当たり前になっている。
四六時中教室の中で同じ空気を吸うわけではないが、いまの時代、男子校であっても、同世代の女性とかかわりをもつ機会は、本人さえ手を伸ばせば届くところにあるのだ。
男女共同での活動の目的が恋愛テクニックを磨くことでないのはいうまでもない。男女共同参画社会において肝心なのは、恋愛や結婚の対象ではないひとたちともそれぞれの違いを認めつつ対等な関係性を取り結べるかどうかである。
その目的において、部活、生徒会、ボランティア、あるいはプロジェクト型学習などの機会に、普段は生活をともにしていない男女が“友達”とは違う適度な距離感を保ちながら協働して企画を推進する経験を積むことには、直接的な効果を期待できる。
部活や生徒会活動は生徒主導で、プロジェクト型学習のような機会づくりについては学校主導で、ぜひ積極的に取り組んでほしい。いくつもの女子校と男子校が相互に協働学習するネットワークができれば、男子校のアキレス腱もだいぶ補強されるはずだ。
昨今、首都圏の私立中高一貫校においては、大学との提携による高大接続や、企業との提携によるキャリア教育や、海外の学校との提携によるグローバル教育などがアピールされがちだが、もっと足元で、「女子校と男子校の提携」が盛んになり、学校選びの基準の一つとして注目されてもいいのではないだろうか。
東京電力福島第1原発の休憩所で協力企業の50代男性作業員が倒れて心肺停止の状態で病院に運ばれたことを巡り、東電は14日、男性が13日午後に死亡したと発表した。東電は死因を公表していないが、状況から作業に起因する死亡ではないとしている。
東電によると、男性は13日午前11時ごろから約10分間、放射線量の確認作業の立ち会いを行っていた。休憩所で同日午後0時45分ごろに倒れているのが見つかった。
作業前後では目立った体調不良はみられていなかったという。
参考
後遺症の心停止後の遅発性神経細胞状態
6/16(日) 5:00 Yahoo!ニュース
朝日新聞DIGITAL
国のエネルギー政策の方向性を示す「エネルギー基本計画(エネ基)」の改定にあたり、経済産業省は、原発の増設を認める検討に入った。老朽原発の廃炉を条件に、その分だけ別の原発でも原子炉を増やせるようにする。国内の原発の総数は増えないという理屈だが、これまでのエネ基では「原発依存度を可能な限り低減する」との方針を掲げており、整合性が問われる。
エネ基は3年に1度見直しており、将来の電源構成などについてまとめる。東京電力福島第一原発事故後の2014年の改定では「震災前に描いてきたエネルギー戦略は白紙から見直す」と宣言。前回21年の改定でも原発依存度を減らしていく方針を堅持してきた。
今回の見直しでは、電力会社が原発を廃炉した分だけ、新しい原子炉を自社の原発内で建設できるようにすると盛り込む方向だ。岸田政権が23年に閣議決定した脱炭素社会をめざす「GX(グリーン・トランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」では、原子力を最大限活用するとし、「次世代革新炉の開発・建設に取り組む」と記した。こうした方針をエネ基にも反映させる。
一方、GX基本方針では建設の対象を「廃炉を決定した原発の敷地内」に限定した。ただ廃炉は長期にわたり、敷地が足りない原発もある。そのため、新しいエネ基では、同じ電力会社なら、敷地に余裕があるほかの原発でも増設分を割り当てられるようにする。
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政治の世界では福島第一原発の悲劇は忘れ去られて居るのか?能登半島地震への政府の見回りも遅きに失した。
与党議員とはたった15年前の原発事故を可能な限り速く忘却し、「能登半島地震では、復興物理的な阻害になる」との弁疏の元、最初の視察は勃発後3ヶ月余りを経過してやっと行われた。
これでは与党は国民の怨嗟を買い、もしかすると北朝鮮より早い時期に「革命」が起こるだろう。
6/16(日) 7:48 Yahoo!ニュース 福島民友
東京電力福島第1原発事故を巡り、福島県などの避難者らが国と東電に損害賠償などを求めた訴訟で、国の賠償責任を否定した最高裁判決から17日で2年となる。後続訴訟ではいずれも最高裁の判断を踏襲しており、4月には一部後続訴訟で最高裁が原告側の上告を棄却した。それでも原告は「一部の人が苦しみ、一部の人が利益を受ける。この社会の構造を変えないといけない」と闘う意味を強調する。
「もしかしたら、ひっくり返されるのではないか」。同種訴訟で最多の原告数を抱える福島生業(なりわい)訴訟原告団長の中島孝さん(68)は、最高裁判決の1週間前から妙な胸騒ぎがしていた。「判決で国の責任が否定されれば、他の訴訟などに冷や水を浴びせてしまうよな」。この不安が拭えなかった。
判決当日の最高裁第2小法廷。裁判長が読み上げる内容は難しかったが、国の責任が否定されているのは分かった。「俺らの思いを踏みにじるのか。許せなかった」。原告席の最前列から4人の裁判官の目をじっと見つめた。3人が目をそらす中、1人だけ中島さんに穏やかな視線を送る裁判官がいた。「原告をさげすむ感じもなかった。なんでそんな目線を送れるんだ」
後に分かった。その人こそ「事故を回避できた可能性が高い」と唯一の反対意見を付けた三浦守裁判官だった。「あんた方が正しい。負けないで、また闘いなよ」。法廷での視線から、そう背中を押されている気がした。三浦裁判官の姿が闘い続ける原動力であり、現在までの支えでもある。
「後続」サポート
2013年の提訴から11年。すでに判決が確定したが、中島さんは後続でも審理が続く生業訴訟で原告団長を務め、他の訴訟もサポートする。「自分だけ救済されればいいわけではない。全体が救済されないと解決にはならない」。国の姿、在り方を変えるまで走り続ける。(三沢誠)
新たな争点の主張を、立命館大・吉村名誉教授
最高裁は先行訴訟4件で2022年6月、東電の責任を認めた一方、長期評価の信頼性や津波の予見可能性に触れず、国の責任を否定した。同種訴訟で最高裁が下した初の司法判断に、公害訴訟に詳しい立命館大の吉村良一名誉教授(74)は「論点落ちの判決だ。論理的に判断すれば国の責任を認めることになるため、あえて争点に言及しなかったのだろう」と見解を示す。
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国民の生命を賭けた訴訟にも否定的判決を持って終わらせる。日本は「三権分立」国家ではない。司法は行政に併呑され、その存在意義を厳しく問われて居る。
2024/6/15 16:12 桜井 紀雄 国際 朝鮮半島
【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮が韓国との軍事境界線に沿って新たに壁を建設する動きが確認された。複数の韓国メディアが15日までに韓国軍関係者らの話として伝えた。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記は昨年末から韓国とは「同族関係ではなく敵対的な国家関係」との主張を展開。南北間の連結を徹底して分離させる措置を指示しており、壁の新設で物理的な南北断絶を内外に向けて誇示する狙いもありそうだ。
北朝鮮はロシアと軍事協力を深め、プーチン露大統領が近く訪朝する見通し。北朝鮮は韓国を標的とする兵器の訓練を重ねており、韓国との敵対関係を見える形で示しつつ、軍事的緊張を一層高めていくとみられる。
壁の設置は東部や中部、西部など複数の地点で確認された。境界線を挟んだ非武装地帯(DMZ)には南北双方が鉄柵を設けているが、北朝鮮は境界線から北に約1キロのラインに沿って兵士らを投じて新たな壁の建設を始めた。壁の建設現場と北朝鮮内部を結ぶ道も整備しているもようだ。
9日には北朝鮮の兵士ら約20人が境界線を越えて一時韓国側に侵入した。兵士らはシャベルやつるはしを持っており、壁や道の整備に従事していた可能性がある。
北朝鮮は今年に入って北朝鮮西側の開城や日本海側の金剛山と韓国側をそれぞれ結ぶ道路に地雷を埋設したり、線路を撤去したりするなど、南北の連結を物理的に断ち切る措置を進めてきた。韓国のドラマや音楽をひそかに楽しみ、韓国に憧れる北朝鮮住民が増しているとされる中、金政権が韓国との徹底した断絶を国内向けに示す狙いもあると分析されている。
「このときに地獄度が100、つまり 天国度マイナス100に対して、反対側に針が倒れていくと天国度が10、20、30・・・といって、100になります。
天国度100の状態です。
天国度マイナス100=地獄度100の状態は何かというと、炎熱地獄でも灼熱地獄でもなく、孤独地獄です。
孤独が最たるものなのです。 」
「孤独が最悪」と一体全体誰がどの様な理由で位置付けたのか?屹度著者の頭の中で「隠キャ、根暗、醜男、低身長、若禿」は男の五大不幸と言う固定観念が存在したのだろう。そんな「一見不幸に見える男性にも」神は「一人での悦楽」と言う「楽しみを与え給うた。
「毎年6月第三日曜日といえば何の日?」と街頭インタビューで尋ねても、正解者は粗皆無だろう。正解は「父の日」。「母の日」はGWの惰性で祝う家族も多いだろう。金銭的にも勢いが付くだろう。「父の日」が「母の日」に対して寂しくなるのは、反抗期を迎えた子供の叛乱、「母の日」で気合いを入れ過ぎた御家族の弁疏にしか私には思えない
(参考: 「父の日の由来」と其の国独特の国民流「父の日」の過ごし方)
日本で親しまれている父の日が生まれたのは今から110年以上も昔。アメリカのワシントン州に住むソノラ・スマート・ドッドという女性が、1909年に父親に感謝を捧げる日が欲しいと牧師協会へ訴えたことから始まりました。
ソノラの父・ウィリアム・ジャクソン・スマートは、南北戦争に従軍していた軍人でした。彼女の母は、父の復員後、それまでの苦労がもとで亡くなってしまっており、国を二分した戦争後の混乱期、男手1つでソノラたち6人兄妹を育てあげた末、再び戦地へ赴いて亡くなった父への深い尊敬の想いを、彼女は形にしたいと考えていました。
最初の父の日は、1910年、父ウィリアムの誕生日があった6月第3週の日曜日に地元で記念式典として開催されました。6年後には時のウィルソン大統領が式典に参加したことで認知され、1966年、ジョンソン大統領下で国の記念日として告示が出されることになります。
尊敬するお父さんへの感謝の気持ちを伝えたい。ただその想いが国や大統領を動かし、今では遠くアジアやアフリカまで、国を問わず世界中に広まっているのは感動的ですね。
世界の父の日の過ごし方
アメリカでは父の日にお父さんへバラの花を贈りますが、これはソノラが父の墓前に、亡くなった人へ捧げる色である白のバラを備えたことに端を発しています。健在なお父さんへは赤いバラを、亡くなっているお父さんへは白いバラを渡します。基本的には、家族で食事をしたり一緒の時間を過ごすことを大切にします。
イギリス・カナダの父の日も同様に6月第3日曜日で、お父さんが身に着けるネクタイや靴下などをプレゼントしたり、食事やアウトドアで一緒の時間を過ごすようです。
イタリア・スペインといったカトリック圏の国では、3月19日の「聖ヨセフの日」が父の日にあたるそう。ヨセフはイエス・キリストを生んだ聖母マリアの夫です。お父さんへの感謝を伝えつつ、イタリアでは伝統菓子のゼッポレ(揚げたドーナツにカスタードやゼリーを載せて粉砂糖をまぶしたもの)を食べるとのこと。
同じヨーロッパでも、ドイツは復活祭の39日後の木曜日、国の休日でもある「昇天日」が父の日です。「男の日」 (Mannertag) や「紳士の日」 (Herrentag) とも呼ばれ、ビールを飲み交わすそう。
日本と同じアジアでは、韓国は5月8日。ただ母の日と同時開催で「父母の日」とされ、1978年から両親に感謝を伝える日になっています。台湾は8月8日。中国語の「パパ」と「88」の発音が似ているのが由来。中国は日本と同じ6月第3日曜日で「父親節」と呼ばれています。
他にも、フランス・香港・シンガポール・中南米諸国など採用している国がもっとも多いのが6月第3日曜日です。世界各地の父の日は、こちらの「世界の父の日特集」からチェックしてみましょう。
父の日のプレゼントにおすすめの花は?
父の日にはお花もよくプレゼントされており、日本では一般的に「黄色いバラ」とされています。
これはソノラたちによってアメリカで初めての父の日式典が開催された際、存命のお父さんには赤、故人となっているお父さんには白のバラを捧げたことにちなんで、「日本ファーザーズ・デイ委員会」が「イエローリボンキャンペーン」を提唱。父の日のシンボルカラーとして「幸せ」や「富」「希望」「尊敬」「愛する人の無事を願う」といった意味合いのある黄色を選んだためです。そのため、同じ黄色で、「あなたを見つめる」「光輝」という花言葉のあるヒマワリも人気です。
そのほか、威厳のある花姿で香りの強すぎない夏のスカシユリや、色数の豊富で合わせやすいガーベラも人気です。
父の日にプレゼント・花を贈る際のマナー
父の日のプレゼントに固有のルールやマナーは存在しません。ただし贈り物である以上、一般的な礼儀礼節やギフトマナーは押さえておきましょう。ここで紹介する熨斗や表書き・包装の仕方等は、他の機会でも役立つはずです。
熨斗(のし)紙の付け方
気心の知れたお父さんにはリボンやラッピングを用いた通常のラッピングでOKですが、贈り先が義理の父などで形式を重んじたい場合、正しい熨斗紙を選べるようにしておきましょう。
父の日に適した熨斗は、お中元やお歳暮・一般的なお祝いに使用する祝い熨斗・紅白蝶結びを使います。縁起の良い祝い事は何度でも繰り返したいという願いから、簡単に結び直せる蝶結びの水引が使われています。
逆に使ってはいけない熨斗紙は、仏熨斗と呼ばれるもの。2度と繰り返したくないお葬式などに用いる、結び切りで白黒の水引がプリントされたものになります。熨斗はつきません。父の日だけでなく、仏事以外の贈り物全般にこの熨斗紙を使用するのはやめましょう。
表書きや連名の書き方
熨斗紙の上段に贈り物の目的を記載することを「表書き」と言います。また、贈り主の氏名は、熨斗紙の下段に表書きよりやや小さめに書きます。
贈り主が複数の場合、連名として「有志/仲間/友達/同僚など数名」のように記載します。この際、名前は年長順(役職順)にして右から左に書いていきます。年齢や役職に差がない場合は五十音順にしましょう。連名は3名までにするのが一般的です。
3名を超える大人数の場合は「子ども一同」のように書くとよいでしょう。
表書きや連名を書く際は、必ずサインペンや筆ペンを使い、ボールペンやシャーペンなどは使用しないのがマナーです。水引や熨斗に文字がかからないように注意し、字体はなるべく崩さず楷書で書きます。
以下が父の日におすすめの表書きです。
▼「感謝」
非常に多く使われている表書きで、実の父・義理の父問わず使用できます。
▼「お父さんありがとう」
実のお父さんにおすすめです。ひらがなが柔らかいイメージで、肩肘張りすぎず、気軽に使えます。
▼「父の日」
義理のお父さん向けに人気。シンプルでわかりやすく好印象です。
熨斗(のし)紙の付け方
熨斗紙を付けた場合の包装の仕方には2種類あります。
1つは「内熨斗」。熨斗紙を商品のパッケージにそのまま付け、その上から包装紙でラッピングする方法です。包装紙の下に熨斗が隠れるので、開封するまで贈り物の目的がわかりません。内熨斗は主に内祝いに用いられますが、贈り物を配送する場合は、熨斗紙に傷が付かないよう、内熨斗がおすすめです。
もう1つは「外熨斗」。商品を包装紙で包んでから熨斗紙を付けます。表書きが見えるので、何を目的とした贈り物なのかがはっきり伝わります。結婚祝いや出産祝いには外熨斗が良いと言われています。
父の日の場合はどちらを選んでもOKですが、手渡しでなく宅配便を使って贈る場合は内熨斗が適切でしょう。
父の日に贈るプレゼント・花の金額相場は?
父の日のプレゼントにかける予算でもっとも多いのは、3,000~5,000円。次が5,000~1万円台だと言われています。
母の日の予算も相場は同程度のため、同じくらいの金額で考えている人が多いようですね。しかしもっとも大切なのは感謝の気持ち。お父さんとの関係性や節目の年齢といった事情を考慮しながら、無理なくできる範囲で増減して問題ありません。
配偶者の義父へプレゼントを贈る場合、予算は実父と差をつけず、同程度の金額が良いでしょう。夫婦やパートナー同士で予算をどれくらいにするか、事前に話し合うのがおすすめです。
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皆さんは「父の日」がいつか、はっきりと覚えていますか?育ててくれたお父さんに感謝を伝える大切な日ですが、母の日の「カーネーション」のようなはっきりしたイメージがなく、お父さんに何をあげれば良いかわからない人も多いため、うっかり忘れられてしまうことも多い日。
お祝いしたい気持ちはあるのに、父の日の準備が直前に慌ただしくなってしまっては少し残念ですね。ここでは2024年以降の父の日がいつになるかや、父の日の由来やマナーといった知識を紹介していきます。
父の日はいつ?2024年、2025年は?
毎年6月の第3日曜日が「父の日」です。2024年(令和5年)の父の日は、6月16日(日)。
年によって毎年日付が変わるので、2024年以降は以下で日付を確認してください。
2024年(令和5年):6月16日(日)
2025年(令和6年):6月15日(日)
2026年(令和7年):6月21日(日)
2027年(令和8年):6月20日(日)
2028年(令和9年):6月18日(日)
2029年(令和10年):6月17日(日)
2030年(令和11年):6月16日(日)
2031年(令和12年):6月15日(日)
2032年(令和13年):6月20日(日)
2033年(令和14年):6月19日(日)
2034年(令和15年):6月18日(日)
毎年6月15~21日のスパンで、この7日間のうちいずれかの日にちになるようです。
これは5月の第2日曜日、毎年5月8日~14日のあいだになる母の日と同じ。どんなに早まったり遅くなってもこの期間を超えることはないため、母の日とセットでチェックし、カレンダーに書き込んでしまうのが良いでしょう。
普段顔を合わせてじっくり話をする機会の少ない、忙しいお父さんだと、最近好きなものや興味のあるものをチェックするのも大変です。でも、6月の半ばというこの時期さえ意識してしまえば母の日後でもたっぷり準備の時間が取れるので、母の日が過ぎたら「今年の父の日はいつになるのかな?お父さんにどんな感謝の伝え方やプレゼントを選ぼうかな?」と計画を始めるのがおすすめです。
父の日が日本に普及した背景
父の日を記念しお祝いする習慣は世界的にありますが、その全てが必ずしも6月というわけではなく、1月から12月と多岐に渡っています。
日本の6月第3日曜日はもっとも採用している国が多い日付ですが、これはもともとアメリカが発祥でした。20世紀初頭、母の日はあるのに父の日はないことに疑問を感じたある女性の訴えが次第に広がって大統領の下まで届き、1966年に正式な国の記念日として認められます。
日本には1950年頃には伝わっていたとされますが、同時期に入ってきた母の日と比べて認知度は上がりませんでした。実際に祝われるようになったのは1981年、「日本ファーザーズ・デイ委員会(FDC)」が設立されてから。同委員会により、有名人の“素敵なお父さん”を選ぶベスト・ファーザー賞の設立など、社会的なイベントとして訴求されたことによって普及、一般に定着しました。
誠に「父の日」は閑却視、面倒視され、誠に厳しい立場に立たされて居る様だ。筆者としては「矛先を向ける相手」が居ない事も上記絶望感を助長する。その「埋め合わせ」なのか、日本には11月23日に「祝日」となる「勤労感謝の日」が存在する。然し、此の日も「母親の労働に関する感謝」を示す行為は多くとも「ちちおやのろうどうに関する感謝」としては、クリスマス柄のネクタイ等使途不明品が贈られる事が殆どだ。
日頃職場で汗水流す父親の姿を見る機会が子供には殆ど与えられて居ないのが断トツ一位と筆者は考える。
「単身世帯」 「1人暮らし」 が今後も増えることで間違いないのは、「孤独」
ハーバード大学の研究によると、 社会的に孤立している人は、
また、米ブリガムヤング大学の148の研究、30万人以上のデー
果たしてそうとばかり言って居られるだろうか?「孤独が生きる事に必須」と言う「新人類」の出現を看過して居ないか?幼稚園や障害者福祉施設が街のコミュニティから疎外されて居るのがその例である。