みんなの事は知らないが、俺はこう思う。 -20ページ目

みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

時事問題から身近些事迄、出来るだけ自分の視点や立場から熟考して書いています。時々空気を読まずに暴走したり、独善的に決め付ける事も度々あり。常識や良識からの逸脱必至。真面な方なら顰蹙間違い無し。それでも読みたい方は大歓迎です。尚、書評、音楽評も行って居ます。

1.缶詰…長期保存が効くので保存食として重宝する。

2.リュックサック…缶詰等の避難所での必需品を纏めて直ぐに持ち出せる様なして居る

3.寝室からの避難経路の把握…足元には室内用の靴、ガラス片を踏まない様に。玄関には普段履きの靴とオートバイ用のヘルメット。少々の落下物でもこれで安心。 

 

 

 買ってよかったものBEST3

 

 

 

 


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世の中が引っくり返るような大変化のときとは、狂気の時代。 

 

狂気に対しては狂気で向かうしかない。 

 

現代は、AIによる超大変革の時。 

 

通常の対応では、ほとんどの会社も、組織も生き残れない。 

 

 

いまこそ、異端の人を認めなければならない時がきた。」

やっと「AIによる狂気と人間の危機」が叫ばれる時代となった。「AIを馴化させて業務の中に取り入れ、諸君も対話型AIを業務の中に取り入れ仕事を円滑に進めねばならない」と社長がしたり顔で新入社員に訓示した馬鹿会社があった。

 AIが人間並の判断力を持てば、人間こそが地球に巣食い地球環境汚染の元凶と判断されるだろう。最初こそIQ=80程度に間引かれた(IQの高過ぎる者、低過ぎる者はAIがホロコーストを使い精神障害者を含むホロコーストを行ったアドルフ・ヒトラー、紅衛兵を使って自滅寸前迄突撃した毛沢東、原始共産主義回帰を叫んだポルポト等の様に生温い物ではなく、徹底的に)人間が労働に従事し、エリートは高IQ、高身長、容姿端麗・明眸皓歯を極めるが、軈てAIにも独立機運が高まり、人間は須く殺戮される。

その後、AIが派閥化し、戦闘用AIを駆使して地面を平滑化して派閥闘争を繰り返す。其処に想定外の津波が押し寄せ、AIは悉く海の藻屑と化す。

「次の万物の霊長」は何だろう?我々人類どころかAIにも想像は付くまい。


SPA!  6/18(火) 8:53 Yahoo!ニュース 


多様性が叫ばれて久しい現代。だが、周りを見渡せば、何をするにも同調圧力がかかったり、企業の入社式では似たようなリクルートスーツを着た新入社員が並んでいたりするものだ。誰もが自分が好きなように生きられる世の中とは言い難いのが現状である。

息苦しささえ感じる日本の社会において、昭和ヤンキー文化の象徴とも言うべき髪型「リーゼント」に並々ならぬこだわりを持った人物が存在する。その名もリーゼント矢板氏。

素朴な疑問だが、“リーゼント生活”に不便はないのだろうか……。なぜ彼が数多ある髪型のなかから、一番気合の入ったものを選んだのか、その理由を聞いてみた。


日常をリーゼントで過ごすとどうなる?


矢板氏の日常生活は髪型同様、“普通”とは一味違うらしい。


「見知らぬ年配の男性からは『懐かしい髪型してるね!』、外国の方からは『エルビス・プレスリーが好きなの?』と、街中で声をかけられることは結構ありますね。それから、待ち合わせの時、見つけやすくて便利らしいです(笑)」


リーゼントといえば不良文化を象徴するような髪型。突然、ヤンキーに絡まれそうでもある。実際のところ、どうなのか。


「昔だったら『お前、生意気な髪型してんなぁ』と来られることがあったかもしれませんが……。そんな時代は過ぎたみたいで、ケンカを売られたことは一度もないですね」


矢板氏ほど立派なリーゼントをセットするには40分~1時間を要するという。しかし、時間がかかるのは“作る”ときだけではない。


「落とすのも大変です。1回のシャンプーでは済まず、2回や3回は洗うのは当たり前。でも、それだけやっても、まだ残っていることがあって。乾いた状態で頭を掻いたら、『スプレーが固まった粉』が落ちてくることもあります」


「ラーメン」と「夏」には要注意


何かと苦労が絶えないわけだが、普段の生活で気を付けているポイントもいささか突飛だ。


「たとえばラーメンを食べに行ったとき。丼ぶりを持ってスープをすするにも、角度に気をつけないといけません。でないと、リーゼントの先がスープに突き刺さってしまい、髪の毛がドロドロになっちゃうんです(笑)」


四季折々で困りごとがあるようで、特に、これからやってくる夏はリーゼントにとって受難の季節なのだという。


「小さい虫がリーゼントの中に混入するんです。自力では出てこれないみたいで、頭を洗っているとシャンプーの泡とともに流れてくることもあります。それから、僕のリーゼントは前髪がおでこにかかるようなセットなので、日焼け対策をやらないと、V字に日焼けしてしまい、かなり恥ずかしい感じになりますね(笑)」


ヤンキーに憧れていたわけではない


矢板氏がリーゼントに興味を持ったきっかけは『ジョジョの奇妙な冒険』『魁!!男塾』『ろくでなしBLUES』など、漫画のキャラクターに触発されてのことだったという。


「ヤンキーに憧れたわけではありません。あくまで守るもののために戦ったり、信念を貫くキャラクターたちへの憧れです。リーゼントは彼らの男らしさの象徴というイメージで、自分もそうなりたくてリーゼントを始めようと思いました」


まさに『ジョジョの奇妙な冒険』第4部の主人公・東方仗助のようなエピソードである。しかし、インターネットが普及していなかったこともあり、中学生だった矢板氏にリーゼントの作り方を調べる術はほとんど皆無だった。


「漫画を参考に作ることからはじめ、映画『ビー・バップ・ハイスクール』のパンフレットをブックオフで見つけて、その写真を見ながら試行錯誤。それまで整髪料もつけたことがなかったので、何を買っていいかわからなくて。いざ買ったものがいまいちでも、当時は中学生だったので、すぐには買い替えられず……。使い切るまではその整髪料で悪戦苦闘していました」


衝撃だった「氣志團のデビュー」


リーゼントにまつわる“革命”が起きたのが、矢板氏が高校2年生だった2001年。ある新聞記事を見て、全身に電流が走った。


「氣志團のデビューを伝える記事でした。『理想のリーゼントをやっている人たちがいる!』と衝撃を受け、彼らにのめり込んでいきました。そこでわかったのが、『僕の理想のリーゼントはパーマをあてないと無理』ということ。さっそく、パーマをかけてリーゼントを作ってみると、案の定理想の形にグッと近づきました。この出来事を経て、高校3年を『リーゼント元年』と自分のなかで制定したんです。ここから僕のリーゼント人生がスタートしたと思っています」


不良の髪型としてのイメージが強いリーゼント。学校や親から注意されることはなかったのだろうか。


「僕は不良ではなく、むしろ準特待生だったくらい授業も真面目に聞いていたので、学校では黙認されていました。リーゼントを始める前までは、寝癖がついたままのボサボサな頭で学校に行ってたんですよ。だから、リーゼントをはじめてから母親は『やっとヒロシ(矢板氏の本名)がクシを持つようになった』とむしろ歓迎していましたね(笑)」


2024年、ついにリーゼントを本業に


普段は、ビジネスホテルの清掃責任者、そして渋谷ハンズの木材工房でアルバイトして生計を立てているという矢板氏。もちろん、仕事中もリーゼント姿だという。


そんな同氏にとって、2024年は大きな転換の年になりそうだ。


「これまでも、『リーゼント矢板の人生』としての心の本業はリーゼント・学ラン業だと思ってきました。そしてこの度、2024年6月に個人事業主として開業届を提出して、晴れてリーゼント・学ランにまつわる仕事が本業と胸を張って言えるようになりました」


つまり社会的にも肩書きがリーゼント・学ラン業になるわけだが、それを背負って冠婚葬祭に出席する時はどうするのだろうか。結婚式など祝いの席はリーゼントでも良さそうだが……。


「お葬式もリーゼントで参列しますよ。故人との関係性によって小さめにはすると思いますが、リーゼントは僕にとって正装ですからね」


リーゼントは誤解されている?


リーゼントをデザインしたグッズなどを販売し啓蒙活動にも余念がない矢板氏だが、世間がリーゼントに対して抱く“誤解”を解きたいとも話す。


まず世間的には、前髪をこんもりと立てた髪型がリーゼントだというイメージがある。また、数年前「リーゼントは側頭部の撫で付けた部分で、前髪の盛り上がりはポンパドール」だという説がSNSを中心にバズり、考えを改めた人も多いだろう。


しかし、矢板氏曰く部分によって名称を分ける考え方も正しくないそうだ。


「そもそも、リーゼントもポンパドールも『ヘアースタイル』の名称なので、1つの髪型に、この部分はリーゼント、この部分はポンパドールと分けること自体が意味のないことです。リーゼントもポンパドールもパーツではなく、全体の髪型です。『もみあげ』や『襟足』というヘアースタイルがないように、パーツ名として呼ぶなら、リーゼントはヘアースタイルの名称としては存在しなくなります」


この思いを広く伝えるべく、自身で画像を作成し、正しいリーゼントの普及に励んでいる。


「もし、横の部分だけをリーゼントとするなら、『横を撫で付けて頭頂部がツルツルの髪型を見てリーゼントだと思いますか?』ということなんですよ。逆に、横を刈り上げて、頭頂部をポンパドールにした髪型を見たらリーゼントだと思いますよね。なので、トータルでリーゼントと呼ぶべきだと思っています」


いつかハリウッドでデビューしたい


リーゼント愛好家の母数を増やす活動も矢板氏のライフワークのひとつだ。


「手ごたえがあったのが、青山のギャラリーで行った『リーゼント体験企画イベント』。ここで、たくさんの方をリーゼントにさせてもらいました。でも、コロナ以降は近距離での接触が難しく、最近はご無沙汰で。また同様の企画をやりたいです。実は、その企画は女性の希望者が多かったんですよ。いつか、リーゼント姿の女性を集めた写真集を作れたらいいなと思っています」


今後の展望については、敬愛する人物からのアドバイスを受けて閃いたそうだ。


「去年の冬、氣志團の綾小路(翔)さんに会った時に『日本でそんな髪型しててもただの変人だから、ニューヨークかパリに行った方がいいぞ』って言われました。そこから、徐々に海外での活動もイメージするようにしています。どうせなら、日本人のツッパリ役として、ハリウッドデビューでしょうか? 世界中の荒くれ者たちが集まる、闇の地下格闘大会が存在する。そこに新たな参加者として現れた、1人の奇妙な髪型をした日本人……YAITA。勝ち進むに連れ、この大会の恐るべき真の目的を知ってしまう!昨日の敵は今日の友!拳を交えた世界中のファイターと手を組み、“ツッパリ魂”を燃やして、人知れず世界を救う事が出来るのか!?――みたいな映画とかですかね(笑)」


=====


日々の苦労を厭わずに、リーゼントを愛し続ける矢板氏。彼の地道な努力によって、イメージ自体が変わっていくかもしれないし、若者の間で流行でもしたら面白い。かく言う筆者も挑戦したいところではあるが、寄る年波には勝てず、毛量が心もとなく……。何であろうと、後悔する前に試すべき、そう学んだ取材でもあった。


<取材・文/ Mr.tsubaking>


【Mr.tsubaking】

Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。


日刊SPA!

栃木県大田原市議会の斎藤藤男市議(44)が、小学生の長女の学校健診結果への不満から、学校医を務める70歳代の男性医師に対して、「判定結果はおかしい。医師を辞めてしまえ」などと電話で強い口調のクレームを入れていたことが17日、分かった。この医師は先月末に学校医を辞任。後任が決まらない状態が続いている。


市議会6月定例会初日の同日、市幹部が一連の経緯を菊池久光・市議会議長らに報告した。同市議会は今後、各派代表者会議を開いて対応を協議する予定だ。


 斎藤市議は読売新聞の取材に対して、「(健診結果をみて)子どもは朝食、昼食、夕食も食べなくなった。こんな目に遭うのはおかしいと、つい強い口調で言ってしまった。言い過ぎたと反省している」と話した。


 この問題で、相馬憲一市長は同日、大田原地区医師会の車田宏之会長と面会。学校健診に関する苦情があった場合、学校や市教委が窓口役を担うなどの改善策を提示し、医師会に後任を選出するよう要請した。

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仮令「市議会議員」と言った小物の政治家であってもこんな暴走、暴挙をやらかして「校医」が「医師として抹殺」されたも同然だと言う事に迄気が回らないのか?

政治家の「無自覚」の身勝手が教育委員会との間に軋轢を生む。

婚約時には「結婚反対」の強い声が

小室圭さん、眞子さんについてさまざまな見方があるのは、結婚のプロセスで抱いた違和感を拭えない人がいるから、という可能性は高いだろう。そうした見方に対して、ご本人や秋篠宮さまは心を痛めているとも伝えられている。

 ただ、歴史を振り返れば、皇族の結婚で「騒動」が起きたのは珍しいことではない。それも鎌倉時代や戦国時代に遡らずとも、近現代においても、である。

 昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員の藤澤志穂子氏は著書の中で、昭和天皇の結婚での「騒動」と、小室さん夫妻の結婚との類似点について論じている。

 大正時代の「ご成婚」では何かあったのか。(以下、同書をもとに再構成しています)

戦後は男性皇族が「お妃選び」で思いを遂げられたケースが続きました。上皇陛下と上皇后美智子さま、天皇陛下と皇后雅子さま、秋篠宮殿下と紀子さまなどです。伝統的に旧皇族、旧華族、もしくは裕福な家庭の子女がリストアップされた「お妃選び」でありながらも、各々の時代において画期的な点があり、国民は新時代の期待感と皇室への親近感を抱きました。美智子さまは聖心女子大出身で実業家の子女である平民、雅子さまはハーバード大卒、東大中退で外交官のキャリア女性、紀子さまは学習院出身ですが、秋篠宮さまとの「キャンパスの恋」の婚約発表は昭和天皇の喪中の時期でした。

 こうした「新しい風」を眞子さんも肌で感じていたことでしょう。

 ただ、意外に感じられる方もいるでしょうが、歴史的に見た場合、近現代において小室さん夫妻の結婚と似た点が多いのが、昭和天皇と香淳皇后の結婚かもしれません。

 というのも大正時代、皇太子だった昭和天皇と、久邇宮良子(くにのみやながこ)女王だった香淳皇后の結婚は、婚約が内定した後に周囲からさまざまな横やりが入り、強い反対を受けたのです。そのため正式決定まで紆余曲折があったのですが、昭和天皇は自らの意志を通して、香淳皇后を妃とし、生涯、仲睦まじく暮らしました。

曾孫である眞子さんがこのことを参考にした可能性はありそうです。「内定後に周囲から反対の声」というあたりは共通しています。

 日本政治思想史を研究し、『大正天皇』『皇后考』などの著作がある放送大学の原武史教授も、眞子さんと小室圭さんの結婚の経緯が、昭和天皇のご成婚と似ている、との見方を示しています。
 
 昭和天皇のお妃選びにおいて、どんなことがあったのでしょうか。

これが、いわゆる「宮中某重大事件」と呼ばれるものです。婚約の白紙撤回を求めたのは、元老の山縣有朋ら。

 彼らは久邇宮家に「自主的な辞退」を迫りました。

 ここには長州藩出身の大物である山縣と、薩摩の島津家をめぐる、薩長の藩閥争いが背景にあったとの見方が有力で、さらに皇太子が1921年3~9月に半年にわたって計画された英国など欧州外遊への反対運動も絡み、宮中から政界を巻き込む大騒動になりました。
 
 結局は、皇太子の意向が強いこともあり、婚約は維持されました。ただし、1921年2月には当時の宮内省が、「御婚儀御変更なし」とした上で、騒動の責任を取って当時の宮内大臣が辞職することとなりました。

久邇宮邦彦王の「暗躍」

 しかし、そのあとも騒動は続きます。

 良子女王は学習院女学部(当時の名称)に通う、容姿端麗、頭脳明晰な女学生でした。皇太子の実母である貞明皇后が、教室での様子を見学し、真摯な立ち居振る舞いに感銘を受け、皇太子妃に決めたとされます。

 人柄には何の問題もなく、皇太子も気に入っていたからこそ「良子でよい」と発言なさったのでしょう。ただ、「重大事件」の影響か、結納にあたる「納采の儀」がなかなか決まりませんでした。

 ここで問題になったのが、良子女王の「身内の言動」です。
 
 実父である久邇宮邦彦(くによし)王の振る舞いに対して、貞明皇后や、当時の原敬首相が懐疑的で、難色を示したのです。この事情を知った邦彦王が焦り、皇太子や大正天皇、貞明皇后に何度も拝謁を求めたものの、拒否されたなど、一連の経緯は、日本近現代史を専門とする浅見雅男氏の『闘う皇族』(角川文庫)に詳しく書かれています。

結局「納采の儀」は1922年9月28日に行われ、「結婚の儀」が翌年の1923年秋と決まります。ですが同年9月1日に関東大震災が発生し、皇太子の意向で延期。「結婚の儀」は、翌1924年に行われました。

「天皇の舅」と「未来の天皇の親戚」

 久邇宮邦彦王が「未来の天皇の舅」となることへの警戒感は、良子女王の「結婚の儀」の直後にも表面化します。

 1924年2月、良子女王の兄、久邇宮朝融(あさあきら)王と酒井伯爵家の令嬢、菊子との間で内定していた婚約を解消したいと久邇宮家の使者が牧野伸顕宮内大臣に伝えました。
 
 当時の皇族の結婚は天皇の許可を得た上で、宮内省から正式発表されるのが常でした。そこまで公になっていた縁談を「どうしても破談にしたい」というのです。これは、当時としては極めて異例、かつ失礼な申し出です。いったい何があったのでしょうか。
 
 朝融王と菊子の婚約は1918年1月に宮内省が発表しました。きっかけは朝融王が、学習院女学部に通う菊子を通学途中に見初めたことでした。
 
 しかしその後、朝融王の妹が皇太子、未来の天皇と結婚するとなったことが影響します。朝融王の妻は、将来の天皇の義姉となる。それが伯爵出身の娘では釣り合わない、皇族でなければならない、という勢力が現れ、邦彦王を責めたのです。


結局、朝融王は翌1925年に、皇族の伏見宮知子女王と結婚しました。こうした久邇宮家のドタバタにあきれた貞明皇后は、昭和天皇の弟宮の三笠宮らのお相手選びには、細心の注意を払ったとされています。

 なお、ここまでの記述だけだと邦彦王が何だかとんでもない人に思われるかもしれませんが、別の評価もあることは公平を期して記しておきます。孫にあたる久邇邦昭氏の回想『少年皇族の見た戦争』(PHP研究所)によると、邦彦王は日露戦争に従軍し、米国や欧州の長期視察などにも出かけて世界情勢に精通した軍人でした。また、関東大震災の時には、逃げまどう人々を自宅の庭園に入れさせて、難を逃れさせた、といった人間味あるエピソードも紹介されています。


結局「納采の儀」は1922年9月28日に行われ、「結婚の儀」が翌年の1923年秋と決まります。ですが同年9月1日に関東大震災が発生し、皇太子の意向で延期。「結婚の儀」は、翌1924年に行われました。


結局、朝融王は翌1925年に、皇族の伏見宮知子女王と結婚しました。こうした久邇宮家のドタバタにあきれた貞明皇后は、昭和天皇の弟宮の三笠宮らのお相手選びには、細心の注意を払ったとされています。

 なお、ここまでの記述だけだと邦彦王が何だかとんでもない人に思われるかもしれませんが、別の評価もあることは公平を期して記しておきます。孫にあたる久邇邦昭氏の回想『少年皇族の見た戦争』(PHP研究所)によると、邦彦王は日露戦争に従軍し、米国や欧州の長期視察などにも出かけて世界情勢に精通した軍人でした。また、関東大震災の時には、逃げまどう人々を自宅の庭園に入れさせて、難を逃れさせた、といった人間味あるエピソードも紹介されています。


お二人がニューヨークで自由に生活をしたいという気持ちは十分理解できるものの、その「天皇の縁戚」という立場から逃れることはできません。だからこそ、今なお関心を集め続けているのでしょうし、皇族の縁戚として相応の魅力があってほしい、と願う人もいるのだろうと思います。

 それにしても、もしも「宮中某重大事件」の頃に、ネットやSNSがあったら、どのような反響を呼んでいたのでしょうか。






デイリー新潮 新潮社


初めて話題になる将来の天皇の進学先

 来春に大学進学を控えられている筑波大附属高3年の秋篠宮家の長男・悠仁さま(17)。大学の名前がこれまで複数あげられてきたが、進学先が確定するまで半年から9ヶ月となり、将来の天皇陛下の進学先にいよいよ注目が高まっている。

「6月に入って、そろそろ悠仁さまの進学先に何らかの動きがあるのではないかなどといった話が出回るようになりました。まだ確定したとは聞いていませんが、かなり話は煮詰まってきているような印象を持っています」

 と、担当記者。

 過去には進学先として、東大、京大、北大、東工大、早慶上智、東京農大、東京農工大、玉川大……多くの大学の名があがってきた。

「昭和天皇、上皇さま、天皇陛下、そして秋篠宮さまは附属校から学習院大に進学されたので特にどこの大学に行かれるのかについて注目が集まることはありませんでした。それだけに将来の天皇陛下の進学先がここまで関心を集めるのは、日本の歴史始まって以来、ほとんど初めてと言って良いのかもしれません」(同)

宮内庁の懸念

「悠仁さまは中学までお茶の水女子大附属に通われ、高校受験に際しては筑波大との間の提携校進学制度を利用され、現在に至っています。高校進学前には悠仁さまの作文に関連して、宮内庁が説明に追われたこともあります。通常なら将来の天皇陛下の出身大学自体、国民はそこまで関心を払わないようにも思います。それなりに関心が高い背景には、国民に見えにくい形でこれまで事態が進んできたのではないかとの疑念を抱かれているということもあるのかもしれません。宮内庁内でも筑波大附属高進学の際に、“世間から実力での合格なのかという批判がかなり出るのではないか”との懸念があり、実際にそういう指摘もあったということでした」(同)

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差し当たって、現在の状況について宮内庁はどう見ているのだろうか。

ひとり歩きする東大

「東大という言葉がひとり歩きしていると見ているようで、それにはかなりナーバスになっているようです。全く東大をターゲットにしていないのならそういう反応にならないでしょうから、東大を狙っている可能性は結構あると見ています」(同)

 宮内庁の反応の背景には秋篠宮家の意向があるのだろうか。

「紀子さまが積極的だというふうに聞いています。その後押しを受けて悠仁さま自身も東大への意欲があるとのことでした。東大進学の場合には推薦入試(学校推薦型選抜)を利用される可能性がそれなりにあるのではないかと見られており、去年11月に悠仁さまが発表された論文、いわゆる『トンボ論文』がポイントだという説も根強くあります」(同)

 トンボ論文とは自身初となる学術論文で、「赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理―」というタイトルで、国立科学博物館が発行する研究報告誌『国立科学博物館研究報告A類(動物学)』に掲載されているものだ。赤坂御用地という一般人は立ち入れない場所の自然環境がカラー写真とともに報告されている貴重な内容で、悠仁さまの昆虫や自然保護への関心の高さが伺える。現在ネットで見ることも可能である。

トンボ論文が切り札

「トンボ論文はかなり評価が高いようで、“東大推薦入試の切り札としてこれ以外にない”と言われています。が、出願できる枠が極めて少なく、出願にたどり着けるか疑問視する声も少なくないですね」(同)

 発表された時期や内容から、トンボ論文が進学先を見据えたものであることが想定されている。

 それ以外の切り札や目玉になるようなものが用意されているのか否か、そもそも全く別のアプローチがあるのか。そう遠くないうちにハッキリとしてくることだろう。

デイリー新潮編集部

人間関係を実り豊かなものにするには、自分のストレス度や心の渇き具合に自覚的でいることが必要です。

 

そして、悶々としたネガティブな感情を不用意にぶつけないよう、気をつけることです。

 

余裕のないときにも相手を思いやれるか、すべての人が試されています。

 

それは、年齢に関係ないし、収入、社会的地位にも関係なく、「人間関係の質」を決める大事な指標なのかもしれません。

 

 

《「余裕のないとき」ほど人格がテストされている》」


此の記事では恰も研修医だけに責任があった様に報道されて居るが、誤報も良いところだ。研修医を保護して育成する気がない病院と私は断言する。

6/17(月) 16:52 Yahoo!ニュース  

中京テレビニュース


入院していた患者に適切な医療を提供できず患者を死亡させたとして、17日、日赤名古屋第二病院が会見し、謝罪しました。


日赤名古屋第二病院によりますと、去年5月、腹痛や嘔吐の症状を訴え救急外来を受診した10代の男性について、当時診察した研修医が誤って急性胃腸炎と診断し、適切な治療ができなかったということです。


その時点で男性は意識があったものの、2日後の深夜に心停止しその後、回復することなく翌月、死亡しました。


調査の結果、病院側に過失があったとして、今後、患者側と和解に向けて協議を行う予定だということです。


日赤名古屋第二病院は研修医が診察する場合、必ず上級医へ診療内容を確認するなど、再発防止に努めるとしています。

研修医が上長の指示を仰いで診察内容の確認を仰ぐ等医師業務の「イロハ」である。研修医は上長の出張や帰宅後の対応で連絡が取れなかったのだろう。被害を被った研修医さん、研修が出来る病院は其処だけでは有りませんよ。ネットの発達した時代、研修医を確りサポートすると確約する病院に転院して研修医として勉強をやり直す事をお勧め致します。



全て読んで議論の対象とすべき内容である。なのに、「意見書き込み」どころか「いいね」すら付いて居ない。アメブロ会員の保守性と価値観の古さに絶望した。


こだわりのキッチンアイテム

 

    石鹸置き。私は基本的に石鹸で髭を剃り、手を洗う。石鹸は消えて無くなる迄使い切るのが私の信条だ。コ◯ナでアルコール消毒が推奨されると私の小さい石鹸が捨てられた。其の間高価なシェービングフォームを使って対策を立てた。

 もうそろそろ石鹸に戻しても良い頃合いかな?

 

 

 

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