Mozart: Klavierkonzert C-Dur KV 503 ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Francesco Piemontesi ∙ Manfred Honeck
モーツアルトが「アンシャンレジーム」の世界の人だったと岡田暁生氏に指摘されて、「ああ、なるほどそうであった」と膝を打った。モーツアルトはフランス革命勃発の2年後の1791年に亡くなっているのです。
神童と呼ばれた小さい頃から、ヨーロッパ各地を旅してまわり、煌びやかな宮廷文化を見聞きし吸収してきました。言わば華やかな中にも没落寸前の哀愁を帯びた匂いがするかも知れません。そう言えば、モンテベルディの「オルフェオ」やヘンデルの「王宮の花火の音楽」もファンファーレで始まったように、この25番もファンファーレから始まります。
モーツァルト自身の作品目録によれば、本作は1786年に完成された。初演は翌日の12月5日に行われたとされる説があるが、定かではない。
20番台の協奏曲の中では比較的録音や演奏の機会は少ないが、1784年の第14番(K. 449)から続いてきたピアノ協奏曲の連作を締めくくる華麗で雄大な曲。本作からモーツァルトの死までは、ピアノ協奏曲は第26番『戴冠式』(K. 537)と第27番(K. 595)が散発的に書かれただけである。また、本作が完成した2日後には、ケッヘル番号が1つ違いの交響曲第38番『プラハ』(K. 504)が完成した。
この25番は、コンパクトではありますが、よくまとまった逸品だと思います。モーツアルトが、最も嫌っていた音楽の分からない聴衆への思いなど忘れて没入していきます。
今の人は何事についても、中庸のもの、真実なものは決して知りもしなければ尊重もしません。喝采を受けるためには、辻馬車の御者でも真似して歌えるような分かり易いものか、さもなければ、分別のある人間にはだれにも理解されないから、かえってみんなに喜ばれるような、そんな分かりにくいものを、書かなければなりません。 モーツアルトの手紙
冒頭から華やかになるファンファーレの後、やってくる主題はすぐに色彩を変え、走り回ったかと思えば、気分を変えて影を帯び、次第に明るさを帯びてまた爆発する。時間をいくらも数えないうちに浮遊する音楽は気まぐれに動き回る。それは、岡田氏の言う「万華鏡のような明滅が、完璧な流暢さの中へ統合されているのだ」ということに言葉に表現されています。無駄な贅沢、高慢、慇懃無礼、絶え間なく移ろう感情は、自分が最も嫌いであったはずのアンシャンレジームの宮廷文化そのものだったかもしれません。
後年、モーツアルトはバッハ一族の曲を分析したり、対位法などの勉強を改めて始めています。それは、勿論ザルツブルクを飛び出して苦しい生活が上向きになってきた頃ですが、そういう音楽が却って聴衆離れを起こしたと言う人もいるくらいです。こういうあちこちで勝手なことを言い合う学者どもも断罪されるべきかもしれません。
今日は、岡田暁生氏のモーツアルト論の一部をお借りしてお時間を取らせました。毎度、手前勝手なお話でご機嫌を伺いました。お時間がよろしいようで…ぺんぺんぺぺぺんぺん・・ぺん。
楽曲の概要
全3楽章。演奏時間は約30分。第1楽章のカデンツァはモーツァルト自身のものは残されていない。また、第2、第3楽章にはカデンツァはない。
第1楽章 アレグロ・マエストーソ ハ長調、4分の4拍子、ソナタ形式。
力強いファンファーレ風の主題で始まるが、提示部では何度も短調の翳りを見せる。展開部では、第1提示部の後半に登場した副主題が執拗に繰り返される。
第2楽章 アンダンテ ヘ長調、4分の3拍子、ソナタ形式。
アダージョのようなゆったりとした主題が歌われる。オーケストラのみの短い第1提示部とピアノが加わった第2提示部の後に、展開部なしに再現部が続く。
第3楽章 アレグレットハ長調、4分の2拍子、ロンド形式。
自身が作曲したオペラ『イドメネオ』のガヴォット(K. 367)による軽快なロンド主題で始まる。主題が回帰したあとに短調で始まるエピソードは大規模で、この部分を展開部と見なしてロンドソナタ形式と捉えることもできる。なお、モーツァルトの自筆譜には「アレグレット」という速度指定はない。 ウィキペディア
以下の以前の記事ですが、何度か同じ楽曲を重複して書いていましたが、振り返りをしないまま書き散らしてきたけっかです。
※ 以前の記事
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第25番 K.503 ピアノ・ソナタ 第10番 K.330
田部京子