モーツアルト 「ピアノ協奏曲12番・13番」 | 翡翠の千夜千曲

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          Mozart, Piano Concert Nr. 12 A-Dur KV 414 - Vladimir Ashkenazy

 

        

    MITSUKO UCHIDA - Mozart Piano Concerto # 13 in C major ~ Camerata Salzburg

 

 

  今日は、久々にモーツアルトを聴きたいと思います。今日は、コロナになってから久々に渋谷に行きました。ヒカリエにも始めて行きました。久々のお上りさんです。渋谷駅とその近辺は驚くほど変化しています。ちょうどこの曲を聴くようにして跳ね回っておりました。美味しそうなチョコレートやケーキ、和菓子も練きりとか、まあ美しいですね。

  1781年ウイーンに滞在していた折、それまで堪えていたモーツアルトの自尊心がブチ切れて、雇い主のザルツブルク大司教と決裂したモーツアルトは、ウイーンに住み着いて活動することを決めます。ウイーンを選んだ理由は、この頃のウイーンでは演奏会が活発でしたから、自分も自由な音楽家として演奏会を開催したり、クラヴィーアを教えたり、注文を受けた作品を書くことによって生計を立てられるだろうと考えたからです。

  彼は、まず貴族や裕福な家庭の女性たちにクラヴィーアを教えるところから始めます。彼は、この辺は計算高いのか、ただ単に女性好きなのかなぜか弟子は女性ばかりなのです。男性の弟子は、フンメル一人だけです。当初は、なかなか生活は厳しく軌道に乗りませんでしたが、父親に頼んでザルツブルク時代の作品を送ってもらって演奏会を開いていたようです。

  ウイーンに来て最初に書いたのがこの12番と13番のピアノ協奏曲です。自分のクラヴィーアの腕前を見せることやウイーンの聴衆を惹きつけるためにある程度テクニックも見せる要素を加味して書いています。モーツアルトがウイーン時代に使っていたクラヴィーアはヴォルター製のもので、5オクターヴの音域しかなかったようです。繊細さと透明感のある響きを特徴としていましたが、オーケストラのトッティと張り合うだけのパワーはなかったようです。(今のピアノ線がいかに強く張られているか、低音の部分の弦には更にぐるぐる巻きにされた黄銅色の美しいピアノ線を改めてみてごらんなさいな。)ですから、ピアノが入ってくる部分は他の楽器はソロだったと言います。

 (前略)・・・朝から2時まではずっと、レッスンで駆け回ります。それから食事です。食後にはいくら何でも、私の可哀想な胃袋に消化のために小一時間の暇を恵んでやらなければなりません。それからが、いくらか作曲のできる唯一の夕べの時間です。それさえ、時々発表会によばれるので、確かではありません。ところで、予約演奏会のためのピアノ協奏曲が、まだ二つ足りません。できた協奏曲は、むずかしいのとやさしいもののとの中間のもので非常に華やかで耳に快く響きます。・・・(中略)・・・今の人は何事についても、中庸のもの、真実なものは決して知りもしなければ尊重もしません。喝采を受けるためには、辻馬車の御者でも真似して歌えるような分かり易いものか、さもなければ、分別のある人間にはだれにも理解されないから、かえってみんなに喜ばれるような、そんな分かりにくいものを、書かなければなりません。・・・(後略)1782年12月28日父あての手紙

 

 

モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番&第24番
ポリーニ(マウリツィオ) (アーティスト, 演奏), & 2 その他  形式: CD