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法橋太郎のブログ

ポエム 第九回歴程新鋭賞受賞

2021年アラブ語圏にてゴールデンプラネット賞受賞

再会

夜の満員電車のなかで、かれのボタンに毛糸
の紐が引っかかった。彼女の手袋の紐だった。
彼女はその駅で降りようとしていたので、仕
方なく、かれも降りることになった。かれは
彼女を見て、驚いた。彼女も同様だった。三
十年も昔に別れた恋人だった。

顔を見合わせ、お互いに黙りこんだ。かれが何
から話そうかと、思案しているときに、やはり
彼女から言葉が出た。わたし、老けたでしょ。
彼女の言葉とともに白い息が立ちのぼって、風
に吹かれて消えた。寒いから喫茶店でも、かれ
が誘った。ふたりは紐を外しながら、駅の階段
を下りていった。

喫茶店でふたりはコートを脱ぎ、彼女は両手を
こすりながら、ホットコーヒーを頼んだ。かれ
はアイスコーヒーを頼んだ。あいかわらずねと
彼女が笑った。かれは少し前に、離婚したこと
を話した。彼女は、それでわたしはどうしたら
いいのと訊いた。わたしは独身なのよ。恋はた
くさんしたけどね。

最後に見かけたのも電車のなかだった。やけに
空いた電車のちょうど前の席に、彼女とその友
達が乗っていた。彼女の友達が、かれのことを
話したが、彼女は恥ずかしそうに、少しさびし
そうに下を向いていた。彼女は最後まで視線を
そらした。かれは彼女に何か話しかけたかった。
できれば、謝りたかった。

ふたりが若くて何も知らなかったことについて、
いまはふたりともよく分かっていた。昔は本当
に馬鹿なことをしたねとかれが言った。そうね、
と彼女が相槌を打った。何か昔の友達のこと
を話して、突然、言葉が途切れた。彼女はさ
っと涙を手で拭いた。かれも言葉に詰まった。
これ、おれの携帯番号なんだけどとかれは、
メモを渡した。彼女は黙ったままだった。か
れは席を立ち、コートを羽織った。掛かって
くるまでいつまでも待ってるからねと、まだ
涙をこらえている彼女に言った。彼女はちい
さくうなづいた。
十月はひとりの熱気に部屋熱く無駄に生き死ぬひとの多さよ

テレビ見てともに唱へる母たちよ雛の口あけ赤き舌見ゆ

持ちきたる石化した薔薇製薬会社の従弟の掌のなかで育てらる
手紙
F・W氏に

彼女とは合コンで出会った。彼女は医者だっ
た。彼女は歌舞伎部でおれは文学研究会に所
属していた。合コンといっても、はじめから、
打ち合わせたわけでなく、たまたま、大学の
近くの飲み屋で一緒になったのだ。

二次会で彼女はほかの男の膝に腰掛けようと
して、やっぱりこっちがいいかしらと、おれ
の膝に坐った。翌日、おれの部屋で目覚めた
彼女は、自分が何処にいるのか分からないと
言った。ちいさな部屋だった。そのあと、麹
町の彼女のマンションで再びふたりは抱き合
った。

彼女が京都に行くとき、おれが遅れたので、
彼女はさきに行ってしまったようだった。お
れは京都駅で彼女が東京に帰る電車を待ちつ
づけた。結局、彼女は最終列車に乗ったとあ
とから聞いた。彼女は古風なところのある女
性だったので、そのことを聞いて、とても喜
んだ。

彼女は袖振坂で撮った振り袖姿の写真を見せ
て、大原麗子に似ているでしょと言った。じ
っさい、彼女は大原麗子にそっくりだった。
おれは医者の内部事情を面白く聞いた。彼女
は、だから、美人は得なのよと、言った。彼
女は男好きだったので、医学部以外でも、い
ろんな男と寝てきたらしい。ただ若い学生は
おれが初めてだったと言った。

それからも遠慮なしに様ざまな男と寝たらし
い。おれの大学の先生とも寝たらしい。その
先生が、彼女がおれのことを心配していると
伝えたからだ。彼女とおれは会うことが少な
くなっていった。彼女からは、それでも何十
通という手紙をもらった。その手紙は散逸し
たが、持っておけばよかったと思うこともあ
る。今になって、その手紙にしたためられた
彼女の愛情が、彼女のちょっとハスキーな声
でおれの耳の奥に聞こえてくるのだ。
家郷にて
 H・F氏に

かれは大学を卒業してから、出版社に就職し
た。十年以上勤めて、プロジェクトのリーダ
ーになった。その仕事はシリーズ物の本を完
成させることだった。かれの毎日は熾烈を極
めるほど多忙だった。多くの先生方に原稿の
依頼を催促したり、美術品の写真を掲載する
ために、あちこちに足を運んだ。

そのシリーズを完成させたあとに、かれは出
版社を辞めた。その理由はかれに長子が生ま
れたことだった。東京で子供を育てるより、
家郷に帰って子供を育てることを選択したの
だった。かれはひかりをもとめて集まる夜の
虫のようになるのを嫌った。

かれは家郷でも出版社で出版を任された。副
島種臣が論語から引いたという言葉から、か
れはその出版社を出門堂と名付けた。かれの
本作りは丁寧で、よい本の売れない時代に、
本としての価格も価値も高かったから、売れ
行きはよくなかった。

その後かれは出版社だけでは生活してゆけな
くなったので、何かの縁で県庁に勤めること
になった。主な仕事は古文書の読解だった。
かれは書に通じていたので、その職に就くこ
とになったのだと聞いている。県庁の仕事は
かれにとっては、不本意なものだったらしい。
それでも県庁の出版物として、大隈重信をは
じめ、家郷の歴史的人物の伝記を出版してい
た。

かれは真直ぐな性格だったから、県庁の仕事
に不満も多かった。かれは本作りにその一生
を捧げようとしていた。自分の名をおおやけ
にすることを好まなかった。かれの若いころ
の夢が何だったのか聞くこともなかったが、
かれは少なくともみずからに誠実に生きよう
としたし、事実そういう生き方を通した。そ
れ自体がかれの夢だと言ってよかった。かれ
はここに書いた通り、この履歴書のような一
生を送ることになったのだ。
自殺

かれとは大学生になってから知り合った。フ
ランス語とロシア語のクラスから、ひとを集
めて、同人誌を作った。かれも詩を書いてい
たが、それにもまして編集能力が長けていた。

かれがフランスで野宿しながら恋人のことを
思ったというのは、伝説にもなった。かれは
フランスからモロッコまで旅をした。帰国し
てから、ジョイントにおれを誘った。マリフ
ァナなんてモロッコでは自動販売機で売って
るよと、かれはマリファナをまわした。かれ
はこんなものと吐き捨てるように言った。

かれの部屋にはいつも大勢の友達が集まって
いると、恋人から訊いた。その訃報を受けと
ったのも、その恋人からだった。かれが投身
自殺したと訊いたのだ。おれはその時の状況
について彼女から、詳しく訊いた。顔はきれ
いだったと彼女は話した。

かれは弟が同じ大学に入学したのを期に、な
にか占いに凝りはじめたらしい。ある日、バ
イトに行ってくると言って、外出してから、
戻ってくることはなかった。自殺で有名なデ
パートの屋上から、飛び降りる決心をしたか
れが、空中を落ちてゆく。そのイメージがお
れのこころのなかで繰り返して見えた。
愛情
  M・I氏に

大きな辞書を広げてかれは手紙を書いていた。
それは半ば戻ってくることのない、かれの青
春の思い出に送られた手紙だと言ってもよか
った。今はない古びた病院でおれはかれと出
会った。

何故かおれはかれと仲良くなった。相撲を取
ったこともあった。かれは体中の刺青の意味
を教えてくれた。これは昔の恋人の名前が彫
ってあったのだと、その消した痕を見せた。
かれの書いた手紙にその彼女の名があったか
どうかは知らない。もしなかったとしても、
それはかれの彼女へのささやかな愛情の印で
あったに違いない。

退院してから、かれと再び会ったときに、か
れは少年時代の辛い体験を話した。そのなか
に、かれに愛情をもって接してくれた先生の
話があった。かれは涙ぐんだ。またかれは、
おれがかれの誕生日に寿司をおごったことに
ついて、それまでそんなことは一度もなかっ
たのだと言った。

かれの今の生活は厳しかったから、自棄にな
って酒を飲んで電話をかけてくることが多か
った。そこにはすぐには見えてこない世界の
歪みがあった。世界が狂ってないとすれば、
今のかれはいなかったかもしれない。そうい
う人生をかれに歩ませたのは何か。ここに世
界で争いが終わらないのと同じ理由を見出す
ことも不可能ではないのだ。
ちいさな掌
  N・Tに

かれは彼女の家の近くに住んでいた。まだ彼
女がよちよち歩きをしているときから、かれ
は彼女のちいさな掌を握って、一緒によく歩
いたものだった。彼女と童謡を唄ったことも
ある。彼女はいつもにこやかな顔をした、と
ても可愛い女の子だった。

かれが彼女と次に出会ったのは、彼女が高校
生のときだった。やはり彼女は愛嬌のあるや
さしい女の子だった。鍼灸師の父親が、彼女
に医者になることを願ったが、英語が不得手
で進学に悩んでいた。悩んでいたといっても、
それほど深刻なものではなかったようだ。彼
女にはやさしいボーイフレンドがいたし、誰
からも好かれていた。

詳しいことは知らないが、彼女は受験に失敗
してから、選挙のうぐいす譲をしていたとい
うことだった。彼女の声はよくとおり、その
声にはいつも例えようのない朗らかさがあっ
た。彼女はそれをアルバイトから本業にして
いたらしい。

彼女が子宮癌の悪化で死んだことを知ったの
は、かれの母親からだった。彼女のことを思
い出すとき、かれは、どうして彼女が若くし
て死んだのか、理解できなくなった。彼女の
高校生の頃の顔や声を思い出しても、彼女の
突然の死を想像できなかった。実際は、五年
以上まえに彼女はみずからが癌であることを
知っていた。抗癌剤を投与して、みずからと
の闘いに挑んでいたのだった。

彼女がこの世で何をしたのかを考えると、か
れはこころ乱れるばかりだった。彼女が癌に
罹るすこしまえに、その父親を亡くして、母
親とふたり住まいだったと聞く。近所のさが
ない人はあの家は滅亡だと言ったらしい。か
れはそれを腹立たしく伝え聞いた。かれはこ
の世の無常に出会うたびに、みずからの何か
を欠落したような気になった。

彼女の葬儀は行われなかったと言っていいほ
ど簡素だった。大晦日に眠るように斃れて、
今年の元日に息をひきとった。彼女の多くの
友達が彼女の死を聞いて、慟哭した。かれの
掌に握られたちいさな彼女の掌がいまもある
のではないかと、かれは掌をかたく握りしめ
てみるのだった。
ギターを弾く男
               K・K氏に

かれは同じ職場で働いていた神経症の女の子
と結婚した。始めは何もかも順調に進んでい
た。苦労して育って、よく働く女の子だった。
かれとの結婚を迎えて、彼女は仕事をやめた。
主婦になってからも、家事をよくこなしてい
た。ところがある日、夕食が作れなくなった
のだ。

彼女はそれを期に、落ち込むことが多くなっ
た。かれは毎晩、彼女のためにギターを弾い
た。彼女が好きだという曲をしずかに弾いた。
彼女は泣くこともあったし、頬笑むこともあ
った。それでも彼女は夕食を作れない日が続
いた。

彼女はリストカットしたり、オヴァードラッ
グで入退院を繰り返した。かれは彼女を励ま
すためにフルマラソンに挑戦した。そこには
かれを道の脇から、応援する彼女が見えた。
かれのフルマラソンへの挑戦は続いていた。
夜にはギターを弾いた。

突然のように、ある日かれはリストラされた。
職を転々としながらも、ギターを離すことは
なかった。かれのギターの腕は確かなものだ
った。若いころ、新宿御苑でギターを弾いて
いると、ある外人が、巧いからといって五百
円玉をかれに投げたこともあった。

彼女とその母親との同意のもとにかれと彼女
は別居することになった。かれは大型免許を
取得して、トラックの運転手を始めた。また
クラブでギターを弾くようになった。かれは
彼女をクラブに何度も誘ったが、ついに彼
女が現れることはなかった。それでも時々、
彼女を思い出してギターを弾く夜があった。
初恋
               M・U氏に

喘息のため、かれは柔道部をやめた。ただか
れの肺活量が大きいということで、軽音楽部
に誘われ、ボーカルを担当した。文化祭でか
れは思い切り歌った。かれはそれを最後に学
校をやめようと思っていた。夜中、喘息が出
て、学校に行けなくなって、授業に着いてい
けなくなっていたからだった。

学校をやめて、両親はかれを祖父のもとへや
った。祖父はかれの両親について、都合が悪
くなるとすぐ投げ出してひとに任せると言っ
て怒った。かれと祖父は協力して食事を作っ
て、過ごしていた。一日中暇だったので、か
れは置いてある本を読み漁った。ときには絵
を描いたりもした。

ある日、実家から、一枚の手紙が舞いこんだ。
ラブレターだった。軽音楽部に属していた女
の子からだった。かれは早速、返事を書いた。
彼女からまた手紙が戻ってきた。そこに、彼
女の写真と電話番号が書いてあった。彼女は
おしゃれで、可愛く写っていた。かれと彼女
は毎日電話するようになった。

会いたいと彼女が言いだした。彼女がかれの
祖父の家にお弁当をもって、訪ねるというこ
とになった。かれは彼女が作ってくれたサン
ドイッチを食べ、お互いに最近の小説や芸術
について話した。そしていつしか見つめあっ
た。彼女と手をつないで、途中まで送った。
冬のなかで彼女の手は冷たかった。かれはそ
のコートのポケットに彼女の手を包みこむよ
うに入れた。

彼女が帰ったあと、孤独を感じた。彼女の方
も同様だった。ふたつの孤独が、相手を求め
る気になっていたのだ。ふたりは初めて愛す
ることでも充たされることのない孤独を知っ
た。しかし彼女との別れが迫ったときに、か
れらは本当にお互い相手を深く愛していたこ
とに気づいたのだった。

               F・U氏に

かれは友達の紹介で、彼女と出会った。当時
はよく三人で集まったものだった。彼女はい
つも飲み物要らないって訊いてから、三人分
の飲み物を買ってきた。かれらふたりは、あ
まりにも彼女がおごってくれるのに慣れたら
いけないからと、その事情を彼女に説明した。

友達がおまえたちふたりの方が似合ってるぞ
と、身を引いた。そのあとかれと彼女はいつ
も手をつないで歩いた。地元に詳しい彼女が
いろいろな店を教えてくれた。カラオケに行
ったり、立ち飲み屋に行ったり、映画に行っ
たりした。

彼女は夕方から料亭で働いていた。だから、
かれらが出会うのは夕刻までだった。ある日、
彼女と歩いていると、うちの料亭の大将と何
度か寝たことがあると告白した。かれは、何
かに不意打ちを食らったように、躓いてしま
った。もうあの店やめようと思っているの、
と彼女は何事もなかったように言った。別の
仕事を探そうと思ってるの、と彼女はすこし
笑って言った。

彼女には二十歳になる娘がひとりいたが、東
京の専門学校に行くらしい。かれは彼女の髪
を撫で、きれいだねと言ったが、彼女は首を
振った。かれらは、その娘がいないときに、
彼女の家にいた。眼と眼が合うと、どうしよ
うもなく離れられない力に引きずり込まれた。
心臓が激しく脈打っていた。