愛情 | 法橋太郎のブログ

法橋太郎のブログ

ポエム 第九回歴程新鋭賞受賞

2021年アラブ語圏にてゴールデンプラネット賞受賞

愛情
  M・I氏に

大きな辞書を広げてかれは手紙を書いていた。
それは半ば戻ってくることのない、かれの青
春の思い出に送られた手紙だと言ってもよか
った。今はない古びた病院でおれはかれと出
会った。

何故かおれはかれと仲良くなった。相撲を取
ったこともあった。かれは体中の刺青の意味
を教えてくれた。これは昔の恋人の名前が彫
ってあったのだと、その消した痕を見せた。
かれの書いた手紙にその彼女の名があったか
どうかは知らない。もしなかったとしても、
それはかれの彼女へのささやかな愛情の印で
あったに違いない。

退院してから、かれと再び会ったときに、か
れは少年時代の辛い体験を話した。そのなか
に、かれに愛情をもって接してくれた先生の
話があった。かれは涙ぐんだ。またかれは、
おれがかれの誕生日に寿司をおごったことに
ついて、それまでそんなことは一度もなかっ
たのだと言った。

かれの今の生活は厳しかったから、自棄にな
って酒を飲んで電話をかけてくることが多か
った。そこにはすぐには見えてこない世界の
歪みがあった。世界が狂ってないとすれば、
今のかれはいなかったかもしれない。そうい
う人生をかれに歩ませたのは何か。ここに世
界で争いが終わらないのと同じ理由を見出す
ことも不可能ではないのだ。