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法橋太郎のブログ

ポエム 第九回歴程新鋭賞受賞

2021年アラブ語圏にてゴールデンプラネット賞受賞

睡れ大地よ

剣を捨てて、芽吹いているいのちの杖をもつ。
哀しい青い水晶の世界を左手に摑む。皮袋に
は水が蓄えてある。生来の自分を捨てるため
に砂を旅する季節がやって来た。見渡すかぎ
り何もない世界で誰と出会うのか。人生に答
はない。ここでおれは韜晦を破り、その杖で
一歩を推し量る。時間を消して歩きつづける。

自己を求めるために頼りになるのは自分だけ
だ。砂の椅子に腰掛けてまっすぐ前を向き、
半眼に目を伏せる。みずからの来し方が見え
てくる。なんと不毛な生活だったろう水晶が
世界を逆さに映す。誰もが脳髄で歩く街を通
りすぎた。憎しみの屍が積み重ねられる。偽
りの愛が積み上げられる。靴を履きつぶして
半世紀たった。

赤く燃える地上に死者のごとく睡る日々を追
想する。しかしここにあるのは砂という現実
だけだ。砂の谷間の干乾びた川をいくつも渡
ってきた。睡れ大地よ宇宙という天蓋のした
で。われわれは何処かへ行くわけではないの
だ。革袋の水を飲むとき、無量の星がひかる。
無量の砂粒が流れる。

身心に感じられるおれを除けばどこにもおれ
はいない。自己を忘却する。そのとき宇宙や
地上とひとつながりに繋がっている自己。杖
で衝いた地上から滾々と水が湧きだしてくる。
芽吹いた杖はそこで根を張り、真直ぐにうえ
に伸び、ひとつの大きな樹へと成長するのだ。
神無月それでも運命の輪はめぐる桃の実を水に浮かべてみる
怨賊

われわれはそれぞれこの世の汚れに染まって
成長してきた。この世からのはたらきかけに
よって、その汚れはこころなかの怨賊となり、
鎧のようにこころを束縛する。こころはいつ
も虚妄に突き動かされて、休息する暇もない。
本来あるべきこころの状態を見失ったままで
生きている。われわれはこの悪しき薫習を薫
習とも思わないのだ。

しかし本来あるべきこころの真実がある。眼
前の対象が幻だと知り、それを遠ざける。執
着をもたず、こころを動かさない修練を積む
と、やがてこの無知が滅ぶのだ。その剣で何
人殺してもまたひとは現れる。疲れ果ててそ
の剣を投げ捨てる。そのような心境から垢に
染まった鎧の紐が切れほどけて、怨賊の身で
あったことも忘れてしまうのだ。

人生の半ばをはるかに過ぎて、おのれが生き
てきたのは何だったのかという思いに到ると
き、その対象が他ならぬおのれ自身であった
ことを知るのだ。そこに坐りこみ、眼前にお
のれ自身の映像を見ることになる。そんな映
像が無数に映り、やがてそれらの映像を見て
も、こころが不動なる、執着をもたなくなる。
こころに何も持たないという修練によってお
のれの無知がなくなる日がやって来るのだ。
幸福
 H・M氏に

どうして自分はそうなったのかと、かれは繰
り返し自問自答する。月収二百万以上稼いで
いたかれは、いつものようにグレーのスリー
ピースに黒のシャツを着て、銀のネクタイを
締めて、スナックに向かって歩いていた。そ
のとき、何かが起こり、かれは吹っ飛んで、
何かに頭をぶつけた。

かれは負けず嫌いな性分だった。そのいくら
かはかれの生い立ちに関係するものなのかも
しれない。生まれてすぐに、かれは両親のも
とから、実家のある小豆島にやられ、そのあ
と高知にやられた。貧しい生活のなかで育っ
たかれは、冬の水辺で洗濯をして、手が火傷
するように熱かったと、のちに述懐している。
大阪に戻ってからも、新聞配達や様々なアル
バイトをこなしてきた。

高校のとき、いまの妻を見染めてからも、か
れとその妻の努力なしでは、とてもやってこ
れなかった。かれらは他人の何倍も働いた。
長男が生まれ、その九年後に長女が生まれた。
その長女が生まれた年に、設備会社として独
立しようとしていたかれを事故が襲った。か
れはその後遺症として鬱になってしまった。
かれの妻が、パートに出て、社員に抜擢され、
社長補佐にまでなった。

紆余曲折ばかりの、かれの人生のなかで、い
まかれは還暦を迎え、幸福だと言う。ずっと
持ちつづけていたプライドもいまとなっては、
馬鹿ばかしいものだったと、かれは言う。気
ばっかり使って生活していたかれが、いまは
妻と娘の笑い声のなかで温かく、なにひとつ
気兼ねすることなく、日々を過ごせる、それ
だけのことがかれに幸福をもたらしていると
いうのだ。

               S・T氏に

かれは五十歳になるまで、電気会社に勤めて
いた。母親の調子がおかしくなったので、会
社を辞めて、母に付き添い、彼女の面倒を看
るようになった。子供の時から剣道と柔道を
していたこともあって、体格はがっちりして
いた。性格はやさしく、おだやかであった。

仕事を辞めてから、かれはどんどん太った。
おそらくストレスのせいだろう。おれと会っ
た時は、太りすぎのせいで膝と腰を悪くして
いた。少し歩いただけでも、息切れをするほ
ど煙草を喫んでいた。

母親の故郷である熊本県が大阪府の隣にやっ
てきたみたいに、家に帰りたいと、夜明け前
から荷造りをしだすのが日課のようになった。
かれはそのたびに、ここが家だよと、母に説
明、説得しなければならなかった。かれはい
ま、熊本への墓参りのプランを立てているが、
故郷の方では、母親の知っている親戚も亡く
なって、帰ってこない方がいいのではないか
と言われ、その旅行にも躊躇していた。

八方塞がりのような生活のなかで、かれの楽
しみといえば、週に一度、宝くじを買うこと
ぐらいであった。宝くじを当てて、結婚し、
子供を持ちたい。かれの夢はそんな具合に繋
がっていた。かれの家族と母親とがお屋敷の
ような家で愉しく過ごす夢だ。かれはいつも
寝る前に、天井を見つめながら、眼を閉じる
まで、そんな夢に思いを馳せるのだ。
母との日々
               M・M氏に

かれと何処で出会ったのか、よく覚えていな
い。いつの間にか口を利くようになり、その
まま気が合って友達になった。いまはもう壮
年になったが、むかしペンキ屋をしていたと
きの意気は衰えていない。走り屋をしていた
こともあって、ときどきけんか腰なって、暴
れたり、暴言を吐いたりすることがある。仕
事には人一倍頑張るが、気性の粗さのせいで、
ペンキ屋も辞めることになって、そのあとヒ
モみたいな生活をしていたと聞いたことがあ
る。

いまは赤いレース用自転車が宝物のひとつだ。
ただ方向音痴なので、遠出をして、とんでも
ないところに迷いこんで、一日かかって、よ
うやく家にたどり着いたことがあるらしい。
電車に乗ってもうまく最寄りの駅に着かなか
ったり、待ち合わせの場所を間違えたりする。
まったく今までよく生きてこれたものだと感
心するばかりだ。ひとり暮らしで寂しいから
だろう、夜中に電話がかかってくることがあ
る。電話に出ると、安心したせいか、大きな
いびきを立てて、眠りだすこともしょっちゅ
うだ。

しかし根はやさしい気立てのいい男で、なけ
なしの金で、おれの誕生日にケーキをおごっ
てくれたりするのだ。かれには、施設に入っ
ている母がおり、その母と会うのが、一番の
幸せだ。痴呆が進む母を施設に入れなくては
ならなくなった苦労話を何度も聞いた。かれ
の母が痴呆になったのは、突然のことだった
らしい。かれは、子供みたいになった母の面
倒を半年以上みて、ついに自分も病気になっ
て、倒れてしまった。いまでも夢には、かれ
の母が出てきて、かれが子供の時のようにか
れの頭を撫でるのだ。
ペテン師

ひとびとと仲良くして、こころには傷ひとつ
ない。一生なんの問題もなく、何かのために
葛藤することもない。人生に悩むことなく、
毎日の仕事が楽しいばかりだ。こころが曇る
ことなく、悲しむこともない。大切なひとが
死んでも、とくに哀しむこともなく、他者を
憎むこともない。すべて夢のなかの戯言だ。

自分を嘘でかためて、名言を唱え、いい話を
信じさせ、自分と他者を騙して生きるのだ。
他者に嘘をつくものは、そのまえに必ず都合
よくおのれに嘘をつく。宝石のような綺麗ご
とばかり並べて、真赤な嘘で嘘の人生を飾る
のだ。つまりおのれとおのれの人生をペテン
にかけるのだ。

天井の高い大きな屋敷に住み、ひとには愛を
唱え、みずからの老いと死を厭い、現世で成
功することのみを奨励する。美しいばかりの
詩のようなものを書き、無知な者を集めて、
信者に仕立てる。ペテン師の一生は慇懃な嘘
でできている。だれもに礼儀正しく、勤労を
旨とするように信者に言い聞かせる。

ペテン師が死ぬとき、かれはみずからがつい
た、否定しがたい偽善と嘘に包まれてこの世
を省みる。そして問題はやはりおのれの名声
と札束のことになるのだ。かれを目守る第二、
第三のペテン師が、眼を輝かせて慇懃な嘘で、
その名声と札束を騙し取ろうとしているのが、
はっきり分かる。自分が一体何者だったのか
といぶかしむ。おのれの嘘に囲まれて自分の
人生の愚かさを思い知るのだ。
愛情
M・I氏に

かれと出会ったのはいつのことだったろうか。
大きな辞書を広げてかれは手紙を書いていた。
それは半ば戻ってくることのない、かれの青
春の思い出に送られた手紙だと言ってもよか
った。今はない古びた病院でおれはかれと出
会った。

何故かおれはかれと仲良くなった。相撲を取
ったこともあった。かれは体中の刺青の意味
を教えてくれた。これは昔の恋人の名前が彫
ってあったのだと、その消した痕を見せてく
れた。かれの書いた手紙にその彼女の名があ
ったかどうかは知らない。もしなかったとし
ても、それはかれの彼女へのささやかな愛情
の印であったに違いない。

退院してから、かれと再び会ったときに、か
れは少年時代の辛い体験を話した。そして、
かれに愛情をもって接してくれた先生の話を
しながら、涙ぐんだ。またかれは、おれがか
れの誕生日に寿司をおごったことについて、
嬉しかったと言った。それまでそんなことは
一度もなかったのだと。

かれの今の生活は厳しかったから、自棄にな
ってアルコールを飲んで電話をかけてくるこ
とも多かった。そこにはすぐには見えてこな
い世界の歪みがあった。世界が狂ってないと
すれば、今のかれはいなかったかもしれない。
そういう人生をかれに歩ませたのは何か。か
れに愛情を注がなかったひとの多さよ。ここ
に世界で争いが終わらないのと同じ理由を見
出すことも不可能ではないのだ。
山上の舟

蔓に捲きこまれた山上の独木舟。絡めとられ
て虚空へ起ちあげられた舳先。そこから見渡
せる記憶の町町。頭蓋を破る骨の牢獄。眼の
なかに打たれた杭。教えこまれた手で種を選
りわける選りわけられた手の暗さ。生ききれ
ない、死にきれない、燃えさしの湿った紙が
足もとをすくう。倒れふした手に拾われた石。
その裏を這っていた多足の言葉が胸に逃げま
どう。

つみ置かれた生きにくさを欺しているあいだ
に忘却されていた死の通路が足もとから崩れ
るのか。朽ちた実にひらいた硬い眼。陽気な
口笛のうちに腫れている瘤や茸。あちこちの
路上で鱗粉のようににぶく光っているもの。
還れない、還れないとうづくまる声。それら
の声を海にする。世界の低い路上から渦まく
潮を起こす。

地上の決意をもって蔓を解く手を誘うとき、
霧にとざされた山上を悲しみが水草のように
漂う。その深みに溺れつつ摑みだしたひと束
の火。差しだした掌の窪みをひらいて放たれ
た灯火から一艘の舟を送りだす。

水路なき水路。舟のゆかんとするところ。そ
のさきざきの闇が降りてきて水面からはらら
と燃えあがる。ごうと燃えあがる。燃えさし
を焼きつくす火の音が踊りあがっては一艘を
照らしみちびく。
             
詩集『山上の舟』より
エピゴーネンたち

ひとりがその夏、ひとつの美しく精緻な城を
創った。いまでは無人の廃墟と化したが、か
つて古老たちはその城を讃えた。いまでは廃
墟と化したその城のまわりに、遊園地さなが
らの偽の城ばかりが建っている。

空には星も月も見えない。その城を建てたひ
とりは、牢に繋がれて死んだということだ。
後年、何人かの善良なひとびとがその理由を
捜したが、ただひとつ言えることは、それら
がエピゴーネンたちの悪意によるものだとい
うことだけだった。

もちろんエピゴーネンたちが直接手を下した
わけではなかった。何か巧妙に仕組まれた罠
か運命がそのひとりを牢に追いやったのだと
憶測されるが、真実は誰にも知られないまま
だ。真実はそのひとりが建てたその城のみだ。

後年、エピゴーネンたちも理由なく、その牢
獄に消えた。鼻を殺がれ、脚を斬られて死ん
だということだ。悪しき盗作の城について語
るとき、ひとびとは何故か耳を閉じた。かれ
らの話すことはまちまちで、一貫性がなかっ
たし、それは現実から考えられる常識をはる
かに逸脱していた。

牢獄を調べてみると、いくつかの鼻とおぼし
き肉片と数の合わない脚が見つかったが、そ
のなかに真の城の主のものがなかったことだ
けがはっきりしている。すでに混迷を深めよ
うとしていた古い時代のことなので、それに
ついてわれわれは直截、語る術をもたないが、
それは現在のどこにでも起こっていることだ
と言えるのだ。