前回の記事↓



出産翌日目覚めたら意外と痛みを感じない気づき

痛み止めを押したり座薬を入れてもらったりしたおかげだと思いました。


ですが、思わずくしゃみが出てしまった際に…

!!!」

声にならない痛みを感じました雷

しばらく悶絶する私…ドクロ



視界はこんな感じ↓

体を少し起こすのにも痛みが邪魔して、

なかなか起き上がることができません滝汗

ベッドの柵に手をかけてゆっくりゆっくり起き上がって、なんとかテレビを見れる体勢になることができました。(HPはすでにゼロドクロ)


その後は看護師の方が来てカテーテルを抜いてくれたり、(今回はすぐにおしっこが出ました)新しい病衣に着替えさせたりしてくれました。病衣は以前の下着スケスケ病衣(笑)ではなく、厚手の花柄とワインレッド柄にリニューアルされていましたキラキラ


そして出産後初ご飯。くず湯とだし汁、飲み物。


前回はマズイマズイと思っていましたが、なぜか今回は美味しく感じました。


そして午後には歩行訓練をすることに!!!

まず起き上がる段階からスタート。脂汗をかきながらなんとかベッドに座る姿勢にアセアセ

息を整えてひと休み不安


しばらく部屋を歩いた後、赤ちゃんに会いに行くことになりました。

部屋を出てすぐ、無意識に壁によろける私。

また息を整えてひと休み不安不安


看護師さんに支えられて、一歩一歩時間をかけて新生児ルームに辿り着きました。部屋からたった200メートルぐらいの距離なのに、歩くことが正直辛すぎました不安不安不安


でも赤ちゃんを抱っこさせてもらって、産んだことを改めて実感キラキラ

そして呼吸が安定してきたので、保育器に入らなくても大丈夫とのことキラキラ

正直保育器に入ったと聞いてから、気が気ではなかったので安心しました(´;ω;`)



その後は部屋移動。

端っこだからか他のスタンダードの部屋よりも若干広く感じました気づき


しばらくボーっとしていましたが、テレビでも見るかと思いテレビをつけようとしたら…

どのチャンネルも見れないゲッソリ

見れるのはテレ玉だけ(笑)

様子を見にきてくれた看護師さんにこのことを言ったら「それは大変!」と、ルームスタッフの方をすぐに呼んでくれましたアセアセ

最初はルームスタッフ1人で対処していたのが、なかなか直らず気付いたら5人に増えていた滝汗

最終的には見れるようになってありがたやキラキラ


夕食はお粥withおかず

その後はしばしば感じる痛みを我慢しながら、眠りにつきました。

前回の記事↓


いよいよ出産の日です!!

前日の0時以降から水を含めて絶食なので、

お腹が空いて空いてたまりませんでした豚


6時に起きてNSTと手術準備が終わってから、

9時15分まではひたすら暇\(^o^)/

テレビやスマホを観て時間を潰しましたが、この後の手術を考えてしまい心ここにあらず状態

あと〇時間で…あと〇分で…とカウントダウンしてしまう自分がいました滝汗

途中で夫も来てくれて、私は手術室へ!!!


まずは丸裸にされて背中を丸めて麻酔注入。

このときに左足が痺れる感覚が2回程あり、ちょっと不安になるアセアセ

しばらくすると麻酔が効いて、ついに手術開始。


前回は手術中に私の好きな曲(ミスチル)をかけてくれました。今回は特に聞かれず、ディズニーっぽい曲をBGMに、テキパキ動く先生方と助産師さんたちをぼんやり眺めていました。


手術が始まってから20分弱。

泣き声が聞こえて赤ちゃん誕生キラキラキラキラキラキラ

最初に思ったことは「長女に似ている!」でした。

ひとまず赤ちゃんが無事産まれたことに安心泣


そして赤ちゃんが出てからの処置へ。

ここからが長く感じて「早く終わらないかな」と思っていると、途中で息がしづらくなってきて静かにパニックアセアセ

なんとなく顔を傾けると息ができている気がして、右へ左へ傾けることを繰り返しました。


このときに助産師さんたちが「順調だよ」「あともう少しで終わるよ」などと声をかけてくれたことが、とてもありがたかったです赤ちゃんぴえんキラキラ


手術が終わり部屋に運ばれていくワタシ↓

このときに赤ちゃんと私と夫の3ショットを撮ってもらえましたキラキラそっと私に乗せられた赤ちゃんが温かくて、産んだことを実感キラキラ


部屋に移動した後は、ずっとベッドの上。

前回の反省を活かしてタオル・汗拭きシート・スマホ(長い充電器付き)・メガネケース・テレビのリモコンは、すぐ取れる位置に配置OK

やっぱり寒気はしたので、真夏なのにまさかの電気毛布をかけてもらいましたアセアセ

体はボロボロでしたが、出産を終えたことでの達成感にあふれているからか気持ちは元気でした。


しかし産んでから2時間後…

部屋に入ってくる医師の方々。

話を聞くとどうやら「新生児一過性多呼吸」のため、赤ちゃんが保育器に入ったとのこと。


「帝王切開だと新生児一過性多呼吸になりやすいので心配しなくていいですよ」と言ってくださったものの、産後ハイから一気にずどーんと気持ちが落ちましたハートブレイク

さらに徐々に麻酔が切れて出てくる痛みハートブレイク


ただ、漠然と「私の赤ちゃんは大丈夫だ」という気持ちがあったので、わりと落ち着いて過ごすことができました。(しかし腹は痛いチーン)



第一子の出産が帝王切開だったため、

第二子も基本的に帝王切開と決まっていましたにっこり


「〇日に帝王切開で出産する」と決まっていることは、出産前後の計画が立てやすい!心の準備ができる!というメリットがあります。

出産の日にちは私の誕生日にしました!!

実は第一子は我が妹と同じ誕生日なのですキラキラ

今回は第二子が私と同じ誕生日…というのになんとなく運命を感じました。


THE計画大好き人間の私としては、早く産まれる可能性もあるけれど出産予定日が決まっていることは良かったですグッ

ただ、心の準備が……魂


人間は忘れるから良き!と思う私ですが、

帝王切開による出産前後の記憶はまあまあ残っていました滝汗

麻酔は効いてるとはいえ、自分のお腹を切られているときの何とも言えない感覚

出産後の寒気からの火照るような熱さ…

初めて起き上がるときのお腹の痛さ…

さらには、最悪死ぬかもしれないなんて縁起でもないことも考えてしまいましたハートブレイク



そんなこんなで出産前日入院。

不思議と気持ちは落ち着いていて、「よっしゃ、産んだるでー!」と前向きにキラキラ(切り替えが早いのが私の長所です)


到着した後は着替えてNSTしつつ夫とまったり。


16時30分に夫が帰り、17時過ぎには夕食。

しっかり完食キラキラ私には若干量が足りなかった←


いきなり陣痛きて出産が今日!にならないといいななんて思いつつ、ゆっくり過ごしましたニコニコ

シャワーはしばらく浴びることができないので、気持ち念入りにグッ

特にやることもないので早めに就寝。

いよいよ次の日は出産です!!!

8月某日第二子を出産しましたにっこり


数年ぶりに新生児を育て中なのですが、

お世話の細かいやり方も大変だったことも

わ・す・れ・て・い・る

まあ、それが人間のいいところだよネグッ


第一子同様、妊娠期を振り返ります!!!

第一子はこちら↓(すごい、3つに分けて書いてるびっくり)





妊娠初期ニコ

わりと早い段階で妊娠発覚気づき

この時期に友人と飲む機会が何回かあり、

不自然に感じさせない飲まない理由を考えた末…

「この後車の運転をする」で乗り切りましたOK


つわりは、常に口の中が気持ち悪いのと朝と夜に吐き気、ときどき嘔吐という前回と似た感じ。

妊娠4か月のときが一番ツラくて、

平日は死んだ顔でなんとか授業をする(体育が1番辛かった)→放課後は極力職員室で座りながら仕事→定時になったら即帰宅。というルーティン。

なぜか週1回の学校対抗大縄のときは、子どもたちよりも←気合いが入っているからか、気持ち悪くならなかった笑

平日で体力を使い切った結果、土日はほぼソファーで横になっていましたチーンチーン


前回と違うのは第一子がいること立ち上がる

夫と両親のフルサポートを得て、なんとかつわりの時期を乗り切りましたアセアセ


ちなみにご飯はまあまあ食べれていたので、体重があまり減らなかった滝汗良いことなんだけどね!



妊娠中期ニコ

つわりの時期も休むことなく、最後まで担任することができて嬉しかったキラキラ年度が終わってから一緒に組んでいた方に「実は妊娠している」と打ち明けたら、「ぜんぜん気づきませんでした!おめでとうございます!」と言われて嬉しかったなあ爆笑


新年度は、担任外というありがたい配慮キラキラ

担任の立場からだと分からないことがたくさんあって、すごく勉強になりました。それと同時に担任を持つことの責任の重さを改めて感じました。

放課後は教員人生で最初で最後じゃないかというぐらい年休を取りまくって(40日の内半分くらい)、1人ドライブして気分転換車

産休に入るときは、昨年度担任していた子たちの現担任の方がメッセージを取りまとめた物をくださったり、休み時間に教室を開放して子どもたちとお話する時間を作ってくださったりと温かいサプライズがありましたえーんハート

最後退勤するときには同僚の方々が見送ってくださり、涙が溢れそうになるのを堪えました。駐車場に行ってからは号泣!私は、なんだかんだ学校が大好きだったんだと実感泣


第二子の性別はわりと早い段階で判明気づき

どっちがいい!というこだわりがないため、すんなり受け入れましたにっこり



妊娠後期ニコ

妊娠後期前半は、体が動くうちにやりたいことをやっておこう!という貪欲精神のもとに…

星美容院、病院系に行っておく

星家の大掃除、整理整頓

星家族で宮古島旅行に行く

星映画スラムダンクを観に行く

星ビュッフェ、スイーツのお店に行く

星かき氷を食べる

などなど、自分の体と相談しながらアクティブに行動しました気づき


このような妊婦生活を送っていると、

やはり体重はぐんぐん増えていくわけでして…豚

健診の度に毎回ベストを更新滝汗滝汗滝汗


せめてもの抵抗として、

丸レッド健診日に合わせて食事量を調整

丸レッド健診日は軽装で行く

ということをしていました真顔(これで1、2㎏は変わる)

挙げ句の果てには、少しでも体重を減らすべく、病院(家から約4キロ)まで歩いて行きました真顔(水分補給をガンガンしたせいか、まさかの体重増ガーン)


妊娠後期後半になると、体がとても重く感じて、少し歩いただけでもしんどかったアセアセ


今日は日航機墜落事故から38年です。


私がこの事故のことを知ったのは、おぼろげな記憶ですが小学生から中学生にかけてのことでした。


父の実家が高知県ということで小さい頃から飛行機に乗る機会があった私は、幼いながら「飛行機が怖い」という恐怖心がありました。

そのような思いがあったから、漠然と事故についての特集や番組が目に入り、事故について知るに至ったのではないかと思います。


事故自体は生まれる前の出来事なのですが、関連本・記事を読んだり、テレビの関連特集を観たりして事故についての理解を自分なりに深めてきました。

また、事故現場である御巣鷹山に登ったり、羽田にある安全啓発センターに足を運んだりもしました。

(安全啓発センターには、事故の概要について分かりやすくまとめられたパネルだけではなく、実際の機体や遺品、遺書が展示されています。)



特に私は、亡くなった方の悲劇及び無念さに思いを馳せます。520人それぞれの人生がありました。お盆という季節柄、家族連れ、子どもも多かったといいます。

墜落までの32分間の筆舌に尽くしがたい恐怖。

その中で家族に宛てて遺書を残した方々もいました。揺れる機体の中で、一体どのような想いで文字を書き綴ったのか…想像ができません。



生きていると日航機墜落事故だけではなく、

命について考えさせられる機会が多くあります。

その度にふと「自分は生かされている、精一杯生きなくてはならない」と強く思うのです。