ああ、もう5年が経ったのか、などと、
今朝からのニュースやSNSの知り合いの投稿で感慨を覚えました。

忘れていたわけでもなんでもないのですが、
東京でのほほんと暮らしているせいでしょうか、
遠い出来事になっていくように思われます。

しかし、もう一度、思い出しましょう。
思い出すのは、あのときから感じ続けている吐き気にも近い「気持ち悪さ」です。


あのとき私は、国立新美術館にいました。
「シュルレアリスム展」を観ていたところ、地下鉄が足元を通過するようなぶるぶると細かな揺れがしばらく続いた後、大波の中を航行するような気持ちの悪い長い横揺れがいつまでとなく続きました。

しかし、思い出深いのはマグリットの彫刻《レカミエ夫人》の燭台が、びよんびよんと左右に振れ、一人の係員がそれを触っていいものかどうか迷うように、万が一倒れてきたときのために手だけ伸ばしていたことです。
あれはあんなにしなやかにびよんびよんするんだ、他愛なく思い、
六本木から家まで歩いて帰りました。
異常事態のときの興奮で、妙にはしゃいで楽しかった記憶です。


それが変わったのは、次の日からでした。
スーパー、コンビニから食料品がすっからかんになり、
蝋燭もトイレットペーパーもみんななくなりました。
それはわからないでもない、子供がいる家庭であれば、
食べ物は確保しておきたいはずですから。
しかし、まずするべきは、賞味期限の長いもの、加熱調理をしなくても食べられる物は、
もっとも困っている場所に譲るべきではないか、ということです。
東京には食事をする場所はいくらもありますし、現に私はしばらく外食生活を満喫しました。

それなのに、多くの人が「がんばろう東北」というスローガンを掲げて、
みんなが何かした気になったのです。
テレビでも街の壁でも電車の中刷りでも、どこもかしこもこのスローガンが張られました。

「がんばろう」、誰が、何を、どのように?
何も具体的なものはない。
そして、「がんばる」ということの意味を全く考えていない。
「眼張る」か「我を張る」がことばの元の意味です。
いずれにしても「一カ所から動かない」というイメージを持ちます。
私の大嫌いな言葉です。
多様なものの見方ができなくなります。

そして、「がんばろう」というのは、柔らかな命令形です。
相手に対して強制を求めます。
柔らかな分、たちが悪い。


このときの発話者と相手は誰なのか。
「東北」に向かっての呼びかけです。
さすがに土地に命令するわけではないから、東北に住む人々でしょう。
それに命令を発する者が見えない、誰が彼らと一緒に何を「がんばる」のでしょう。


このスローガンから読み取れるのは、
相手に命令をしながら、自分は何かをした気になれる、意味のない便利な記号だということです。
ひどい言葉です。
まるでスポーツの応援メッセージではありませんか、
自分が動くわけではないのに、人に向かってがんばれというのと同じです。


この「がんばろう東北」が言葉の震源となり、
日本人の非常に愚かな面が断層となって現れ、
現在にまで続いているのだと思います。


相手に寄り添った気になれる言葉、「絆」もそうです。
私が絶対に使わない言葉です。
それは個としての人格を失わせかねません。
せめて「縁」くらいならよかったのでしょうが。


これらの言葉で日本人が一つになったという錯覚を起こしたことは、
ポジティヴな意味にもとれるでしょうが、
言葉一つで日本人が一方向に動いていき、多種多様な言葉を認めない傾向を生み出していきました。


その結果、近い将来、日本に何か外国からの脅威があった際には、瞬間的に戦争に向くでしょう。
安倍政権の憲法改正など、問題のうちに入りません。
その安倍を選んだことだって、その前の民主党圧勝の再現で、
「みんな」に加担して実現したことの幸福感に浸るためです。
戦争反対を唱えている人がたくさんいる、けれども、あっさりと翻ることは目に見えています。
つまり、政府でなく国民の側から戦争に向かう「雰囲気」が生まれたら、一気に傾斜していくでしょう。

私は、日本人はそこまで愚かでないと考えていました。
日本は戦争をすると思うか、と私はインタヴューされたことがあります。
そのとき、私は「しない」と答えました。
世界中の情報がすぐに手に入る現在と戦前では異なっている、
世論が戦争を許さないはずだ、と。

しかし、この震災で私の考えは変わりました。
いま、あれほど運動している、と言ったところで無意味です。
なぜなら、彼らのスローガンとする言葉に重みも深みもない、つまり様々な勉強と思考の結果として生まれた言葉ではないからです。
内容が空虚なまま、ある物事を判断する人たちの危険性は、
戦前から学びとれるはずです。


日本はそういう国になったのです。
いえ、もともとそういう国だったのですが、
戦後長くだらだらとそうした生き方が隠されてきたのです。
それが、震災で明らかになりました。

規模は小さいながら、芸能人に対するバッシングや、
事件に対するコメントの安直さはその延長上にありますし、
最近話題になっている「日本死ね」という言葉も同じです。

あれに共感できるなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
こういう汚い言葉を書いて平気な人と同じ幼稚園ないし保育園に、自分の子供を通わせたいと思うのでしょうか。
私に子供がいたら、絶対にお断りです。
分かりそうなものです、子供より自分が大事で、自分にとって不都合ができたら、すぐにでもクレームをつけることでしょう。

それがたまたま明るみになっただけです。
一番気の毒なのは、そんな悪口を言ってささくれ立った親をもつ子供です。
恐らく、今後、この言葉は子供に向けられるのではないか。
けれど、だれもそんなことは言いません、政府の愚かさだけを指摘します。


でも、このような視点を今の私たちの多くが失っているのです。
すぐに、政治のまずさに責任を負わせようとする。
もっとも、政治家も「どうかと思う」などというぼんやりした言葉を使っているだけで、薄鈍だと言えますが。
「何か」「何となく」「いかがなものか」「どうかと」、こんな言葉で曖昧な共感を誘う、
これもまた「がんばろう東北」の無意味さとほぼ同系列の言葉です。


つまり、曖昧にぼんやりさせて空虚な記号を作るか、
あるいはどぎつい直接的で、同様に奥行きのない空虚な記号を作るか、
日本の言葉は、日本の言葉の使い手は、このような悲惨な状況です。


福島が悲惨なんじゃない、復興支援の遅れていることが悲惨なんじゃない、
こんな言葉で動いてしまう、動かされてしまう日本人そのものが悲惨なのです。
震災の復興は時間はかかっても、どうにか生活を立て直すでしょう、
そうしないと生きていけないからです。

誤解のないように言っておくと、だからほっとけばいい、というのではありません。
行き、買い、経済の運転にわずかながらも力を貸すことがまずできることです。
寄付することでも、寄贈することでもなく、
その地のものを愛することを行為で示すことです。

しかし、ことばの余震は、これはいつまで続くのでしょう。
言葉はあって当たり前と思っているから、気付かないのです。
ちっとも当たり前ではありません。
言葉を使う、ということは「考える」ということです。
今の日本人が、どこまで物事を曖昧に、杓子定規に、付和雷同に考えているのか、
それがこれらの言葉に表れているのです。


これが私が震災のときに感じた「気持ち悪さ」の正体です。