東京ステーションギャラリーで開催されている『モランディ展』を観てきました。

私は、モランディの作品を好きです。

首の長い壜、ずんぐりとした壜、蓋が閉じられたままの水差し、円筒形のブリキ缶、円筒形の計り、球体の玩具、積み木様のブロック、ペルシア製の扁壺……

それらが、組み合わされ、小さな画面に寄せられ、並べられ、描かれています。
配色はごく限られ、灰色とくすんだ黄土色がメインです。

それだけを聞くと、なんとも寂しい雰囲気がします。
しかし、画面にあるのは、とても心地よい、賑やかな壜ひとつひとつの表情と声です。
何かとても懐かしい気にさせます。


見ていて、ああ、と思い至ったのは、
家族を写した、昔の古ぼけたスナップ写真です。
壜や缶の幾何学的に単純なフォルムに還元されたそれらには、
家族や親戚の集いに似た親密さがあります。

かしこまって整列して写った記念写真や、
教会か祭日にめかしこんで出かける途中、
井戸端でおしゃべりに興じる奥様方、
小さな動物をみつけた子供たちとそれを見守る親たち
幼稚園児の行進、動物園で珍しい大きな動物に驚く子供たち……

今にも会話が始まり、動き出しそうです。
少なくともかつては、それらが命ある時間を過ごしていたかのように。



オブジェクトがそうした擬人化を果たすのは構図と配置によります。
中心に対してわずかにずれ、壜と壜の距離が不均衡にひらき、
高さを揃えたりずらしたりすることで、
観る者はその空間をうめようとし、人間(生物)の非-均一的な舞台を作りだすのでしょう。

それは演劇的であり、同じ登場人物が現れるイタリア喜劇にも似て、
同じ壜たちが画面を変えて異なる場所と組み合わせで登場する。
その点で、非常にイタリア的な絵画です。
それから、そう人形遊びにも似ている。

懐かしさを感じる、というのはノスタルジックな色の中にある壜たちの家族写真であると同時に、
私たちが子供の頃に持ち前の人形や積み木や玩具をいろいろに組み合わせて、
町や家族をつくっていたことを思い出すからでもあるのでしょう。

モランディという人は、結婚もせず、しずかに寝室兼アトリエで、
棚に置いた壜を選び、窓際の机に並べ、また選び、並べ直し、
とっておきの壜の表情を読もうとしたのでしょう。

彼は銅版画の教授として教壇に立った収入のみを活計として、
作品を売るためには描かなかったと言います。

190センチの偉丈夫は、自分の大きさを恥じるように背を少し丸め、
壜に積もった埃に触れないように細心の注意を払い、
そっと木の机に置き、そこから壜の物体としての性質が消え、
抽象的な形と、透明な厚さをもつ表面の触感だけが残るまで、
ずっと見つめていたに違いありません。


最後に映像コーナーで、幼少の頃、父とモランディが友人同士で、その家を訪ねたことのある美術史家が、次のように語っていたのが忘れられません。

「私は子供心に不思議に思ったものでした。なぜ埃を落とさずに壜を動かせるのかと。」

実にすてきな言葉です。
モランディにとって、壜に積もる埃は、自分とともにした時間を表し、
人が年を経るごとに増えていく皺が、その人の人生を表すように、
壜に積もる埃は、壜の人生を表すのだと。

ある壜は数十年にわたってモランディのモデルを務めました。
それは見た目には同じでも、モランディには違ったはずです。
表面の触感は埃によって微妙に変化するのです。


生身の人間や、動き続けるものは忙しすぎて、捉えられないものがあり、
壜や缶の「形」と「表面」だけが何かの本質を示しうる、
画家にはそういう覚悟があったように思われます。

展示の9割は壜の静物でしたが、
終わりに少しだけ風景画と花を描いた小品がいくらか掛けられていました。
花の小品は、親しい友人に贈るために、ごく個人的に描かれたということです。
そのときの花は、主に造花が用いられたということです。

しずかな、それでいて賑やかな絵画です。

モランディの没後、記念館となったアトリエを写した写真には、
棚に並ぶ壜が埃を被って所狭しと並んでいました。

「ほら、お父さん、僕たちずいぶん良い埃の具合になりましたよ。描いてくださいよ、また窓のそばの机に僕達を並べて。ねえ、お父さん。」

そんな声が聞こえてくる気がしました。