以前記事にしたことがありますが、「キュウ」と読む漢字を含む言葉で、「追求」と「追及」は日本語として別の言葉ですが、結構混同して使われているのをよく見かけます。私も昔はうっかり間違って使ったりしていました。また、「遡及」と「遡求」も同じく、日本語としては全く意味の異なる言葉です。それぞれ、用字用例辞典的にも使い分けて用います。
ところが、本日の表題の「探求」については、辞書を調べると、「探求」は「あるものを得ようとしてさがし求めること。さがし出して手に入れようとすること」、「探究」は「物事の意義・本質などをさぐって見きわめようとすること」と、やや意味の異なる別の言葉として記載されているのですが、(意味は全てデジタル大辞泉より)用字用例辞典的にはこちらはなぜか書き分けは必要ありません。
何だ単純でよかったじゃないかという話で、この表記は新訂になっても変わっていないんですが、最近ちょっと悩むことがあります。
というのが、来年度から高校の新しい科目として「探究」と名のついた科目――「古典探究」「地理探究」「日本史探究」「世界史探究」「理数探究」「理数探究基礎」「総合的な探究の時間」という七つの科目が始まるからです。
これに関連して、議会などで例えば「タンキュウ的な学習」という発言があったら「探求」の表記を使うべきだろうと思うのですが、教育の専門家が集まって「探究」の名のつく新科目について話し合っているようなときには、もちろん話し合っている方々の脳内では「探究」のほうが用いられているでしょうから、これを「探求」にしたら、一つのデータの中で科目名で用いる「探究」と「探求」が交ざった状態になり、受け取った側は「表記がぐちゃぐちゃになっている」と捉えるのではないかと考えてしまうわけです。
要は、議会事務局の方々はもちろん用字用例辞典を御存じで、そのルールに沿って記載するというのが表記の基本になっていると思うのですが、一般の会議の担当者の方は用字用例辞典に沿って記載するというのを認識していないというのがあるのではないかと。
よって、この「探究」に限らずの話ですが、私は一般の会議では、参考として送られてくる前回の議事録や、資料の表記を見て、議事録で用字用例辞典とは異なる表記をすることがあります。
もちろん全部が全部ではなく、「探究」同様その会議で何度も出てくるキーワード的な言葉のみで、事前に会社に相談したり、納品時にその旨報告したりはしますが、一般の会議ではただただがっちがちにルールに従うのではなく、ある程度お客様の読みやすさみたいなものを考えるのも必要ではないかと、個人的には考えています。
※あくまでも個人的な考えです。一応これで苦情が来たことはないので私はずっとこうやっていますが。あと、繰り返しますが、どれもこれもそうしているわけではありません。一般の会議で、何度も出てくる重要な幾つかの言葉のみ、ケース・バイ・ケースでそうしていることを申し添えておきます。