今日は富士山パワーを求めてウロチョロしました~ (^-^)v

5:30頃


6:30頃




7:30頃



8:30頃




ところで、


聖徳太子絵伝の時に、富士山を描いた最古の絵画と紹介しました。

聖徳太子絵伝  延久本  平安時代  1069年
最古の富士山を描いた絵画



今日は、二番目に古いと言われる絵画のご紹介です。

それは、

伊勢物語絵巻 部分
久保惣美術館所蔵  1200年代後半


伊勢物語は平安初期には完成していて、末期には絵巻が描かれ始めたと言われてますが、現存する最古は鎌倉時代(13世紀後半)のこれ。

伊勢物語 第九段の「東下り」の絵巻で、描かれた富士山は、

こんなんです~♪

何とも個性的で、コメントのしようがありまへん (*^.^*)




せっかくなので、
伊勢物語の東下りも載せておきます(^-^)v



昔、ある男がいた。その男、自分は必要とされない者と思い、京ではなく、東国に住む国を探しに行った。友人数人と行ったが、道を知る者がいなく、迷いながら行った。

三河の国の八橋という場所に着いた。そこは、川が蜘蛛の足のようで、八つの橋が渡されているので八橋という。

その沢のほとりの木の陰で、飯を食べた。そこには かきつばた が美しく咲いていたので、それを見たある者が「かきつばたという五文字を句の上に置いて、旅の気持ちを歌にしよう。」と言うので、男が詠んだ。

(か) 唐衣(からころも)
(き) きつつなれにし
(つ) つましあれば
(ば) はるばるきぬる
(た) 旅をしぞ思う

(着馴れた唐衣のように慣れ親しんだ妻を京に残して来たので、はるばる旅して来てしまったと思うなぁ)

と詠んだので、みんな飯の上に涙を落としてふやけてしまった。

更に進み、駿河の国。宇津の山に着いて、この先の道はとても暗く細く、蔦・楓が茂り、心細く不安だなと考えていると、修行者に出会った。「なぜこんな道を行くのですか?」と聞くのを見ると、知った人だった。そこで京にいるあの方への手紙を書いて言伝てを頼んだ。


駿河なる
宇津の山べの
うつつにも
夢にも人に
あはぬなりけり

(駿河の宇津(うつ)の山で、山の名のように、うつつ(現実)でも会えないし夢でも会えないです)

五月末(今の6月末~7月頭)だというのに、富士山には白い雪が降っているんですよ。

時知らぬ
山は富士の嶺(ふじのね)いつとてか
鹿の子まだらに
雪の降るらむ

(富士山ってのは季節を知らないらしく、今をいつだと思ってるのか、子鹿の白いまだら模様のように雪が降っていますよ)

その山は京で例えるなら、比叡山を二十ばかり重ね上げた程の高さで、形は塩尻のようです。

富士山を見てる男たち↓

意思悪な僕は比叡山の20倍が何mか計算しましたよ(#^.^#)
848 x 20 = なんと17,000m!
富士山の4.5倍、あのエベレストの約2倍っすよ。
ナイナイ。あり得ない(×_×)


更に進み、武蔵の国と下総の国との間に、大変大きな川があり隅田川と言う。そのほとりで、思えば限りなく遠くに来たもんだなぁとさみしく感じていると、船頭が「早く舟に乗ってください。日が暮れてしまいますよ。」と言う。舟に乗って川を渡りだしたが、京に思う人のいる皆は侘しい気持ちになった。

そこに、くちばしと脚が赤い白い鳥が、水の上で魚を食べていた。京では見ない鳥なので、誰も知らない鳥。船頭に聞くと、「これは都鳥ですよ。」とのこと。都鳥と聞いて、

名にし負はば
いざ言問はむ
都鳥
わが思ふ人は
ありやなしやと

(名を都鳥というなら京の事を教えてくれ。私の思う人は元気でいますか?)

と詠んだら、皆、舟の上でこぞって泣いてしまった。


と言う話なんですが、

俺は必要ないから居なくなると言い出し、
一人で行きゃイイのに友達を巻き込み、
かきつばた見ながら泣き、
会えないよ~って手紙書き、
富士山見ながら比叡山を思い出し、
都鳥で大泣きし…。

夢でも会えないのくだりは、平安時代には、相手が自分の事を思っていると、自分が相手の夢を見ると言われてたそうです。だから、
あなたは私を思ってくれてないの!?
って話のようです。


えーっと、この男、ちょっとめんどくさいっすね(^_^;)

どんな事情が有って飛び出したのか分かりませんが、早く家に帰った方がイイんじゃないでしょうか?(笑)



おしまい