【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】           -5ページ目

第351回【松下幸之助と鳥井信治郎(サントリー創業者)】

戦前から松下幸之助さん、江崎利一氏(グリコ創業者)、鳥井信治郎氏(サントリー創業者)、中山悦治氏(中山製鋼所創業者)らが集まり懇親を深めていた

 

 

この懇親会はみんな一文なしの状態で事業を始めているので「文なし会」と呼ばれた

 

 

ところが昭和29年に刊行された『中山悦治翁傳』を見たら

 

 

当初は太閤会(後に明朗会)と呼んでいたと書かれている 

 

 

たいてい、このような新事実は松下幸之助とは関係ない、「誰がこんな本を読むの」という本に書かれている

 

 

戦後に松下さんが生活費にも苦労した時に、お金を工面したのが江崎氏であり鳥井氏であった

 

 

そういった恩もあったからであろうか

 

 

昭和56年にサントリーでは鳥井氏が没して20回目の供養の年を迎えるにあたり鳥井信治郎の銅像をたてた

 

 

除幕式の案内状を生前に鳥井氏と懇意であった松下幸之助さんにも送った

 

 

鳥井氏は松下さんより15歳上。松下さんにとって兄貴分的存在であった

 

 

しかし松下さんは87歳。公の場に出席することはほとんどなくなり体調も崩していた

 

 

誰もが出席はかなわないと思っていたところ、サントリー本社に、「喜んで出席させていただきます」と返書が届いたという。社内が大騒ぎになった

 

 

しかし、当日体調が悪ければ欠席になるかもしれない

 

 

除幕式当日、松下幸之助さんが老体を鞭打ちあらわれた

 

 

そしてスピーチを行う。会場は水を打ったようにシーンとなった

 

 

「私が鳥井信治郎さんと初めてお逢いしたのは、今からちょうど、74年前の春のことでした。私は当時、和歌山から大阪、船場に出て、二つ目の店へ丁稚奉公に出ておりました・・・・」

 

 

スピーチの途中でサントリー2代目社長の佐治敬三氏はこらえきれず大粒の涙を流す

 

 

松下さんの恩義を忘れない出席とスピーチに会場じゅうが感動する

 

 

松下幸之助研究をして分かったことの一つが

 

 

松下さんは一度でも恩のあった人のことは絶対に忘れません

 

 

2倍、3倍、5倍にして恩を返していくのが松下さんです

 

 

 

※昭和29年発刊の中山悦治翁傳。松下幸之助の新事実はたいてい「こんな本、誰が読むの?」という本に書かれている

第350回【人情の機微が分かれば天下をとれる】

久しぶりに田中角栄についての著書『角栄の「遺言」「田中軍団」最後の秘書 朝賀昭』を読んだ

 

 

今から20年以上前になりますが思い出した話があります

 

 

ある会合で佐藤栄作元首相の秘書の経験をされたことのある60歳くらいの女性の経営者とお話をする機会がありました

 

 

佐藤栄作のことを色々と聞かせていただいた後、田中角栄元首相の思い出話をしてくれました

 

 

昭和40年頃の年の暮れ、都内のホテルで佐藤首相(当時)と田中角栄幹事長(当時)とが会談をした

 

 

会談が終わり、田中幹事長がホテルを出るので玄関までお見送りにいったところ、田中幹事長の車の窓があき、こちらに手招きをしている

 

 

なんだろうと思って近づいて行くと、田中幹事長が「年は越せるかい」と声をかけてきたと言う

 

 

「はい」と答えると「何か困ったことがあったらいつでも私に言ってきなさい」と言われたという

 

 

「それ以来、私はどんなに辛いことがあっても、この程度のことで田中先生にお願いしては申訳ない、これぐらいのことは自力で頑張ろう。そう思い歯を食い縛って今日まで頑張ってきました。今でも田中先生のこの一言が自分の支えとなっています」

 

 

と眼に涙を浮かべながら女性経営者は私に話してくれました

 

 

「年は越せるかい」

 

 

この一言は恵まれた環境で育った2世、3世の政治家にはなかなかいえない一言である

 

 

松下幸之助さんは松下政経塾で

 

 

「人情の機微を知っていたら、天下でも取れる。けれどもそれを知っている人は非常に少ない」

 

 

「人情の機微を知るということは、人生で一番大事なこと。事をなそうとする者の、要諦はそこにある」

 

 

実際に松下さんは

 

 

一言、ときには一つの動作が、社員に、また周囲の人に大きな感動を与え、やる気を起こさせてきました

 

 

田中角栄について金権政治という批判もあるが

 

 

人情の機微を知り、一言で相手を感動させるという点では松下幸之助さんと共通したものがあったと思います

 

 

どんなに知識があり政治学や経営学を学んでも「人情の機微」が分からなければ優れたリーダーにはなれません

 

 

 

※写真は自分の部屋にある田中角栄の本 

 

 

 

 

 

 

 

 

第349回【本・資料が1万点を突破】

私設松下幸之助資料館の松下幸之助関連の本・資料(電子資料含む)が3154点に

 

 

そして隣の経営者研究所の経営者、経営関連の本・資料(電子資料含)が7004点に

 

 

あわせると10158点になります

 

 

松下さんの経営哲学、人生哲学をお伝えして思うのは

 

 

「それは松下幸之助だからできたんでしょ」

「松下さんの時代はそれで良かった」

 

 

と考えられる方がおられることです

 

 

そこで私は松下幸之助さんと他に成功した経営者の共通点をお伝えするようにしています

 

 

天地自然の理にかなった松下さんの経営哲学は他に成功した経営者にもあてはまります

 

 

先日、イオン歴史館にいった時に館長さんに案内をしていただきました

 

 

イオンの前身の岡田屋時代から「下げにもうけよ、上げでもうけるな」という家訓があるという

 

 

松下幸之助さんも「景気よし、不景気さらによし」なんですよと言うと

 

 

「同じですね」と

 

 

稲盛和夫さんも京セラは景気のよい時は他社とあまり差がつかなかったが

 

 

不景気のときに業績を伸ばし他社と大きく差をつけたといいます

 

 

他にも館長さんから説明をお聞きし

 

 

松下幸之助さんと岡田卓也(イオングループ実質的創業者)さんの共通点が

 

 

多くあることが分かりました

 

 

キーワードだけあげると

 

 

「共存共栄」「人を大事にする」「公明正大」「企業は社会の公器」「常に変化する」

 

 

このことは他に成功した経営者にもあてはまります

 

 

経営者研究所には明治、大正、昭和、平成の経営者、経営に関する本・資料ばかりあります

 

 

100年以上存続している企業の創業者を調べると、共通点があり松下幸之助さんの経営哲学と合致します

 

 

このことは普遍性のある経営の原理原則となり令和の時代にも通用すると思います

 

 

そして何より松下さんや昔の経営者からしか学べないものがあります

 

 

それは人徳や人間力です

 

 

最近、松下幸之助研究は他に成功した経営者の情報も含めて行わなければならないことに気づきました

 

 

私設松下幸之助資料館と経営者研究所はセットであり両輪です

 

 

いつも記事を読んでいただき有難うございます

 

 

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※経営者研究所の本