【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】           -126ページ目
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第2回_大原聰一郎_経営者の倫理観を問う

昨今企業の不祥事が後を絶えませんが、違法で利益が上げるのは論外としてもグレイゾーンであれば何をやっても構わない、あるいは経営者が何も知らなかった、部下が勝手にやったことと言って責任逃れをするような発言が見受けれるが本当に経営者はこれでよいのだろうか。


今こそ我々は先人の経営者達がどのような倫理観を持ち企業経営を行なってきたのかを知り歪んだ倫理観を正すべきではないかと思います。

例えば戦後の経営者はどうであったか、兵庫県芦屋市に六麓荘(ロクロクソウ)という、戦前関西の財界人が東洋一の住宅街を作るというコンセプトで山を切開いて作った住宅街があります。住宅といっても千坪程の規模のお城のような豪邸ばかりの家です。しかしこの豪邸に住んでいた財界人も、戦中、戦後は食料がなく食べるのに困ったそうです。


それでも彼らは闇には一切手を出さず庭でジャガイモを作り飢えを凌いでいたと聞きます。「国の決めたことには従わなければいけない」、このような気持ちを皆持っていたといいます。(ただし、当時の日本は闇市がなければ経済がもたなかったとのも事実ですので、闇市自体は必要なことではあったと思います。)


また、岡山県倉敷市で倉敷絹織として誕生した現クラレという会社があり当時、大原聰一郎(オオハラソウイチロウ)という人が社長をしておりました。

戦後GHQによる公職追放が経済界にも広げられていた時、公職追放には7段階あり、その一番下のG項というのが、「戦争協力者、軍国主義者及び極端な国家主義者」と規定されていました。大原は戦時中、軍需産業に携わる社長であったが、このG項に該当するとは誰も思っていませんでした。しかし、大原は「GHQによる戦争協力者の公職追放は、日本という国が誤謬を犯したことに対する裁きだと考える。私は日本の国家の要請に従って戦争に協力した。国家が誤謬を犯し裁かれようとする時、これに協力した個人として、その裁きから逃れようとは思わない」と自ら裁きを受けようとしたというエピソードがあります。結局この話は、当時の労働組合長が「では社長である貴方がいなくなったら貴方の指揮をまっている一万人の従業員はどうなるんですか」と説得され渋々止めたといいます。


この後、大原は世界初の新繊維「ビニロン」の開発に成功し日本繊維工業史の残る輝かしい業績を遺しますが、このビニロンの工業化には15億円の設備投資が必要でした。最初は額が大きすぎるためどこの銀行も融資をしてくれませんでした。しかし大原は当時日銀の総裁である一万田尚登(イチマンダヒサト)に掛け合い融資額を示し「一企業の利益のためにやるのではありません。日本の繊維業界のための大切な布石として始めるのです。そればかりでなく、戦争に負けて自信を失っている日本人の心を奮いたたせるためにも、純国産の合成繊維の工業化は何としても成功させなければならない。」このように一万田総裁に迫り、一万田総裁も断われば腹を切るに違いないと思える程の熱意に負けて、日本興行銀行をはじめ15の銀行の協調融資の音頭を取り、14億1千万円の融資を成立させました。翌年には一環工業でビニロンの創業式が盛大に挙行され、「ビニロン」の工業化が成功しました。


昔は大原のような一廉の人物と言われる経営者が大勢いました。責任は自分が取るし、私利私欲のために経営もしておりません。このことを現在の私たちは学ぶべきではないでしょうか。






文責 田宮 卓










第1回_盛田昭夫_数人で設立した会社が大企業まで成長する条件とは?

僅か数人で設立した会社が大企業まで成長する条件とは何でしょうか?



時流に乗った産業、業界、業種であること、あるいは収益をあげるしっかりしたビジネスモデルがあること、経営者にカリスマ性があること等、様々なことが考えられると思いますが、これだけは外せない条件は何かと聞かれれば、それはナンバー1とナンバー2が絶対的な信頼関係で結ばれていることではないかと思います。



私は以前ソニーの創業者、盛田昭夫の秘書を長年されていた方に盛田さんてどんな方でしたか? と尋ねたことがありました。「盛田さんは、自分がどんなに世界で有名になろうと、井深さん(ソニーのもう一人の創業者)の悪口を言う人がいたら身内だろうが、何だろうが絶対に許さない人だった」という言葉が返ってきました。



当時、井深、盛田不仲論といったようなことがマスコミで騒がれることがあったようですが、実際はそうではなく、お互いに絶対的な信頼関係があったことがこの言葉から伺い知ることが出来ました。



これはソニーだけではなく大企業にまで成長する経営者には必ず信頼出来るパートナーがいるはずです。



本田技研工業の創業者、本田宗一郎には100%信頼出来るパートナー藤沢武夫がいました。販売や財務等は全て藤沢に任せ、本田自身社長印を最後まで見なかったと言われています。



松下電器の創業者、松下幸之助には高橋荒太郎という名番頭がいました。



大企業まで成長する企業の経営者には必ず、絶対的に信頼出来るパートナー、右腕、左腕となる人達がいるはずです。



逆を言えば経営者だけが優秀という会社はある程度大きくなっても成長に限界があるのではないかと思います。



また、経営者に信頼出来るパートナーがいたとしても意見が対立している時は会社は成長しませんし、中ぐらいの結束ですと中ぐらいの企業にしかなりません。



私が考える数人で設立した会社が大企業まで成長する条件は、経営者に絶対的に信頼出来るパートナーがいて結束していることですね。こういう会社の株主になりたいですね。




文責 田宮 卓


 

 

























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