第2回_大原聰一郎_経営者の倫理観を問う | 【創業者、名経営者、政治家の秘話大公開】          
2007-06-26 22:24:26

第2回_大原聰一郎_経営者の倫理観を問う

テーマ:繊維

昨今企業の不祥事が後を絶えませんが、違法で利益が上げるのは論外としてもグレイゾーンであれば何をやっても構わない、あるいは経営者が何も知らなかった、部下が勝手にやったことと言って責任逃れをするような発言が見受けれるが本当に経営者はこれでよいのだろうか。


今こそ我々は先人の経営者達がどのような倫理観を持ち企業経営を行なってきたのかを知り歪んだ倫理観を正すべきではないかと思います。

例えば戦後の経営者はどうであったか、兵庫県芦屋市に六麓荘(ロクロクソウ)という、戦前関西の財界人が東洋一の住宅街を作るというコンセプトで山を切開いて作った住宅街があります。住宅といっても千坪程の規模のお城のような豪邸ばかりの家です。しかしこの豪邸に住んでいた財界人も、戦中、戦後は食料がなく食べるのに困ったそうです。


それでも彼らは闇には一切手を出さず庭でジャガイモを作り飢えを凌いでいたと聞きます。「国の決めたことには従わなければいけない」、このような気持ちを皆持っていたといいます。(ただし、当時の日本は闇市がなければ経済がもたなかったとのも事実ですので、闇市自体は必要なことではあったと思います。)


また、岡山県倉敷市で倉敷絹織として誕生した現クラレという会社があり当時、大原聰一郎(オオハラソウイチロウ)という人が社長をしておりました。

戦後GHQによる公職追放が経済界にも広げられていた時、公職追放には7段階あり、その一番下のG項というのが、「戦争協力者、軍国主義者及び極端な国家主義者」と規定されていました。大原は戦時中、軍需産業に携わる社長であったが、このG項に該当するとは誰も思っていませんでした。しかし、大原は「GHQによる戦争協力者の公職追放は、日本という国が誤謬を犯したことに対する裁きだと考える。私は日本の国家の要請に従って戦争に協力した。国家が誤謬を犯し裁かれようとする時、これに協力した個人として、その裁きから逃れようとは思わない」と自ら裁きを受けようとしたというエピソードがあります。結局この話は、当時の労働組合長が「では社長である貴方がいなくなったら貴方の指揮をまっている一万人の従業員はどうなるんですか」と説得され渋々止めたといいます。


この後、大原は世界初の新繊維「ビニロン」の開発に成功し日本繊維工業史の残る輝かしい業績を遺しますが、このビニロンの工業化には15億円の設備投資が必要でした。最初は額が大きすぎるためどこの銀行も融資をしてくれませんでした。しかし大原は当時日銀の総裁である一万田尚登(イチマンダヒサト)に掛け合い融資額を示し「一企業の利益のためにやるのではありません。日本の繊維業界のための大切な布石として始めるのです。そればかりでなく、戦争に負けて自信を失っている日本人の心を奮いたたせるためにも、純国産の合成繊維の工業化は何としても成功させなければならない。」このように一万田総裁に迫り、一万田総裁も断われば腹を切るに違いないと思える程の熱意に負けて、日本興行銀行をはじめ15の銀行の協調融資の音頭を取り、14億1千万円の融資を成立させました。翌年には一環工業でビニロンの創業式が盛大に挙行され、「ビニロン」の工業化が成功しました。


昔は大原のような一廉の人物と言われる経営者が大勢いました。責任は自分が取るし、私利私欲のために経営もしておりません。このことを現在の私たちは学ぶべきではないでしょうか。






文責 田宮 卓










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