【創業者、名経営者、政治家の秘話大公開】          
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第254回【大企業となった日本的経営の共通項】

松下幸之助さんは成功の秘訣を聞かれて、「雨が降ったら傘をさす」。当たり前のことを当たり前にやってきただけと、答えることがよくあったという。

 

当たり前のことには、顧客を騙さない、嘘をつかないということも当然含まれるが、松下さんは交渉も広告宣伝も、1を1以外に言ってはならない。真実以外は絶対に言わないのが松下さんの方針でした。

 

誇張もゆるさず、どこまでも誠実に商売をしていくのが松下さんです。

 

この「誠実」をモットーに成功した経営者は松下さんだけではありません。

 

長野の農家の家に生れた中村屋の創業者、相馬愛蔵は商家の家系ではなく商売の経験もありませんでした。

 

相馬は晩年、中村屋繁昌の秘訣や商売のコツを教えてくれと聞かれて

「特別なことは何もしていない。素人としての自分の創意で商人はかくあるべしと自ら信じるところを実行したまで」と答えている

 

同郷の長野の後輩にあたる岩波茂雄(岩波書店の創業者)も農家の出で商売には素人だった。岩波は教員を辞めて神田神保町で古本屋を開いたのが商売のスタートであったが、始める前に相馬夫妻に色々と教えを受けている

 

そんな岩波は後に相馬のことを

「私が畏敬する大先輩であり、敬服するのは商売気質に堕せず志業を大成したこと。氏の如く独立独歩自由誠実の大道を闊歩して所信を貫くことは至難である」と語っている。

 

二人の伝記を読むと相馬も岩波も商売に素人であったが、どこまでも誠実に、従来の商習慣にとらわれず、掛け引きなどもせずお客様本位の正道を貫いたことがわかります。

 

森永太一郎(森永製菓創業者)も「商売は正直でなければ栄えません」と言っています。

 

私は社史や伝記を読むことを趣味としますが、騙すようなやり方で大企業となり、今も残っている企業は1社も知りません。

第253回_一芸に秀でる

「下足番(げそくばん)を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」小林一三(阪急グループ創業者)

 

 

小林一三の一番好きな名言です。

 

 

私は議員の宿舎で守衛のアルバイトをしていて国会議員の秘書になった経験から、この言葉には真理が含まれていると思っております。

 

 

京セラの創業者、稲盛和夫さんも

 

「ひとつのことに打ち込んで、それを極めれば、人生の真理を見いだし、森羅万象(しんらばんしょう)を理解することすらできる」

と言います

 

 

世阿弥は「一芸は万芸に通づる」という言葉を残しました。 

 

 

昨今、働き方に色々な意味で多様性が求められますが、危険もはらんでいると思います。

 

誰でも出来ることはAIやロボットに取って代わられる危険があります。

 

多様性も大事ですが、自分の個性を活かす、自分にしか出来ないことを磨いていく。

 

こういうことはもっと大事ではないかと思います(^^♪

第252回_野中広務元官房長官との思い出

2018126日、野中広務元官房長官が死去した

 

訃報の知らせをニュースで知って野中元官房長官との「ささやかな思い出」が蘇ったのでそのことを書いてみた

 

野中さんといえば、内閣官房長官(第63代)、沖縄開発庁長官(第38代)、自由民主党幹事長などの要職を歴任した気骨ある政治家であったと思う

 

常に弱い者の味方で、都内に事務所や自宅も持たず、見返りを必ず求められるからという理由で、政治資金を集めるためのパーティも一度も開かなかった政治家である

 

選挙区の京都より、沖縄を隅々まで廻っていたと言われるほど、沖縄への寄り添う気持ちが強かった政治家でもある

 

そんな野中さんと毎週2回ほど、顔を合わせることがあった。野中さんが小渕内閣の時に官房長官をしていた時である

 

僕はその当時、東京の高輪の議員宿舎で青い制服を着て、守衛のアルバイトをしていた

 

受付に座っているだけの仕事なのだが、議員の宿舎には、政治家宛にお中元やお歳暮などが届く

 

届いた荷物を渡して受け取ったサインをもらうのも守衛の仕事であった。ちなみに、後に総理大臣になる小泉純一郎さんは高輪の宿舎で寝泊まりをしていたので、小泉さん宛ての荷物も届いた

 

小泉さんはお中元もお歳暮も一切受け取らないといわれたが、あれは本当である。小泉さん宛てに届いた荷物だけ、仕様が違っていて、荷物は本人に渡さず、全部着払いで、贈り主に返していたからだ

 

他の議員には荷物を渡すのだが、だいたいは受付に荷物を取りに来るのは、家族か秘書の人であった

 

ところが、当時、官房長官の野中さんは2000過ぎに宿舎に戻ってくるのだが、本人が受付に来てサインをする。その時に野中さんとは5cmほどの近さになる。もの凄いオーラを感じ、この時ばかりは緊張したことを覚えている

 

この守衛のアルバイトはシフトで週2回ほど入っていたので、毎週2回、野中さんと顔を合わせていたということだ

 

この守衛の仕事の面白いところは、何かしら用事を頼まれて、議員の部屋に入る機会があることである

 

部屋に入ると、僕は必ず書籍をチェックした。本棚を見ると、その人なりが分ると言われるが、僕はどの政治家がどういう本を読んでいるかを知れることが楽しみであった

 

だいたい、大きな本棚は1つか2つあり。政治や歴史の本が多く、経済を専門としている政治家は経済関係の本、社会保障の専門家は、医療や福祉の本が多かったと思う

 

当時、高輪の宿舎で寝泊まりしている議員では、野中官房長官が一番の大物であったので、どんな本を読んでいるか興味津々。僕は部屋に入る機会をうかがっていた

 

すると、その機会が来た。奥さんから、部屋の電球が切れたので替えてほしいと連絡あったので、「田宮、お前、行ってきてくれ」と職員の人から言われたのだ

 

僕は、ワクワクしながら野中さんの部屋に入った。野中さんといえば、一時は総理候補になり、陰の総理とも言われた政治家である。いったいどんな本を読んでいるのか

 

電球を替えてから、奥さんに怪しまれないように、そっと書籍を探した

 

すると何てことでしょう! 

 

予想外の結末!

 

本棚がない!

 

え、野中さんて、本、読まない人なの? 本読まなくても官房長官になれるのか?

 

拍子抜けしてしまったことを覚えている

 

まあ、本棚がないからといって、本を読まないとは限らないし、たまたま、その時、何か事情があって本棚がなかっただけかもしれない

 

いや、きっと選挙区の自宅には本棚があるのだろうと自分に言い聞かせたことを思い出す

 

すみません。大した落ちではありませが、「ささやかな思い出」なのでお許しいただきたい(笑)

 

ご冥福をお祈りいたします!

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