田窪一世 独白ノート -19ページ目

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

 

小さいおじさんが見えるという不思議な現象のことを時々聞きますが、実は小さいおじさんが見えるのは偏頭痛の前触れだったということが最近の研究により明らかにされました。偏頭痛には前兆現象があるタイプとないタイプがあり、前兆現象があるタイプの人の中にピカピカする点が見えたり、変なものが見える人がいるというのです。

 

その中で自分の体や周囲の人が大きくなったり小さくなったりして見えるという人もいるようで、小さいおじさんというのは自分の周りの人が縮小して見える幻覚なのです。しかも現実の人だけではなくテレビとか写真に写っている人物が飛び出してきて小さい人間に見える場合もあるようです。

 

あの「不思議の国のアリス」を書いた作者ルイス・キャロルも実は偏頭痛持ちだったということがわかっています。物語の中で人が大きくなったり小さくなったり、ギザギザの道があったりするのも偏頭痛の症状なのです。また個人差はありますが、痛みが出るまでの五分から一時間の間に幻覚が見える場合があるというのです。

 

あと、前兆現象の中には人ではなく、光の点が見える人もいて、その点が広がったり集まったり、ギザギザに動いたりするというのです。それを患者に絵で描いてもらうと、まるでUFOの動きとそっくりだというのです。ひょっとしたらUFO体験というのも偏頭痛の幻覚なのかも知れません。

 

 

▶︎武蔵小杉

 

 

 

 

 

 

文久二年(1862)8月21日神奈川県生麦村。江戸から鹿児島へと帰還する島津久光の大名行列に不用意に近づいたイギリス人の一行に薩摩藩の警護役が迷わず切りつけました。結果、ひとりのイギリス人青年が死亡。これが予想外の大事件に発展します。

 

イギリス側は幕府と薩摩の双方に賠償を請求。犯人の処刑をも求める強硬姿勢に出ました。そのとき誤った情報が薩摩に伝わります。「イギリスは久光の首を差し出せと求めている」かくしてイギリスと薩摩の衝突は必至の状態となります。薩英戦争の開戦ででした。しかしイギリスとの火力の差は歴然。鹿児島城下は火の海となりました。その後横浜で薩英戦争の賠償交渉が行なわれます。このときイギリス代理公使ニールと相対したのが薩摩藩士

重野厚之丞でした。

 

イギリスとの難しい賠償交渉の席上、重野は独自の判断で誰もが驚く提案をします。「賠償金を支払うので、その代わりイギリスから軍艦を買い入れたい。さらには軍艦操縦法を学ぶため若者を留学させたい」なんと重野はイギリスとの交渉を賠償問題に終わらせず両国の通商交渉へ転換させたのです。思いもよらぬ提案にイギリス側は虚を突かれました。しかしゆくゆくは薩摩と通商を結ぶのが望みだったイギリスはこの提案を受け入れるのです。相手の本心を突いて事態を打開する。これが薩摩イズムである。

 

「目の前に主君の敵と親の敵が同時に現れたらどちらを成敗するか?」不測の事態に陥ったときいかに対処するか、そんな実践的な思考を養う伝統が薩摩にはあります。

 

模範解答▶︎行き当たったほうからやっつけていく。

 

なるほど、とても明快です。

 

 

▶︎大手町

 

 

 

 

 

 

中韓と日本とのズレはいつから始まったのか。

 

1995年、8月15日、戦後50周年にあたり、当時の首相村山富市が閣議決定のあとに談話を発表しました。日中韓の歴史認識のズレはこの村山談話から始まりました。「日本のかつての植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国に対し多大な損害と苦痛を与え、痛切な反省、心からのお詫び、犠牲者に深く哀悼を捧げる」という内容でした。

 

村山さんは戦時中陸軍軍曹でした。彼は自身の良心に従って反省とお詫びの歴史認識を社会党がリードする形で内外に発表しました。しかし国会ではこの談話の賛成は230名、反対は241名、村山さんは善意からかなり無理をして押しきったわけです。

 

ところがこの決定が中国と韓国から見ると謝りかたが中途半端だと批判がわき起こりこののち日本を糾弾する口実を与えてしまうことになるのです。

 

そしてこれを機に中国は反日教育に乗り出すことになり、韓国は従軍慰安婦にスポットを当てて日本を糾弾し始めるのです。つまり村山談話が中韓の恰好の的になってしまったのです。村山さんの美しい反省が却って歴史認識を混乱させるという皮肉な結果になってしまったのです。

 

 

▶︎鎌倉

 

 

 

 

 

 

桑田佳祐の「ピースとハイライト」の歌詞の中に「教科書は現代史をやる前に時間切れ、そこが一番知りたいのに、なんでそうなっちゃうの」という一節があります。

 

日本の正義は何故通用しないのか。国会で共産党議員が安部首相に質問しました。「ポツダム宣言の内容をご存じですか?」これに対して安部さんは「読んではいませんが、反省によって今日の歩みがある」と巧みに応じました。

 

また香港フェニックステレビで鳩山由紀夫さんが「カイロ宣言を前提に尖閣諸島は中国側から見れば日本が盗んだと言われても仕方がない」と発言して物議を醸しました。どちらにしても日本の政治家は不勉強。実はカイロ宣言をちゃんと読めば尖閣は日本のものだということがはっきりわかるのです。

 

カイロ宣言は第二次世界大戦後に中国の蒋介石とアメリカのルーズベルト、そしてイギリスのチャーチルが集まって会議しました。このときに中国は中国東北部の四省、台湾、ほうこ島変換が条件でした。ここに尖閣は入っていないのです。鳩山さんが盗んだというのは全然当たっていないのです。現代史は世界史と日本史を分けずに、世界全体の歴史を学ぶべきです。

 

日本という国は世界から見ると謎の国です。何故太平洋戦争のような馬鹿な戦争を起こしたのか、敗戦から何故あのような驚異的な復興を成し遂げたのか、これらの謎を現代史を知ることで理解する。

 

 

▶︎鎌倉

 

 

 

 

 

 

厚生労働省がまとめた2017年の人口動態統計で戦後初めて10歳から14歳の死因が自殺が1位であることがわかりました。2017年の10歳から14歳の自殺者は100人で、この年代の23%でした。尚、去年の自殺対策白書によると、15歳から39歳までは2012年からすでに死因の1位が自殺でした。しかも男性よりも女性の方が多いという統計が出ています。

 

他国での死因は平均して自殺と事故はほぼ同数ですが、日本では事故の3倍が自殺なのです。先進国での女性の自殺者週は3%から6%ですが、ロシアがやや高くて7%ですが、日本はなんと12%です。

 

他にもこんなデータがあります。2017年に小学校、中学校、高校でどれだけの生徒が自殺したのかを調べたところ、まずその理由として、進路問題が1位。ほぼ同数で2位は両親の不和。いじめは意外に少なくてその3分の1です。つまり進路問題と家庭内問題が子供たちを追いつめているのです。

 

日本の両親は他国に比べた場合、愛よりも損得で結婚しているケースが多く、たとえば2014年の青少年研究所のデータで「親をとても尊敬している」と答える高校生の数は、アメリカ71%、中国60%、日本37%となっています。「親に反抗してはいけない」と答える高校生の数は、アメリカ82%、中国84%、日本15%です。「家族との生活に満足している」という項目では、米中ともに50%を越えていますが、日本では39%でしかありません。つまり日本の両親は損得で結びついている人が多いので、当然のことながら子供に尊敬されておらず、大切にも思われていないのです。

 

次に子供たちの自意識のデータというものがあります。「私は価値のある人間だ」と答えた日本の子供はたった8%でした。アメリカは57%、中国42%、韓国20%。と日本の子供は非常に少ないのです。「自分を肯定的に評価できる」と答えた子供は、アメリカで41%、中国38%、日本6%。

 

なぜこんなことになってしまったのでしょうか。つまり日本の親は子供に対して負け組勝ち組コミュニケーションをします。「夏休みちゃんと勉強しないと負け組になっちゃうわよ」しかし社会の勝ち組というのはどの国でもわずか5%程度しか存在しないのです。損得価値観で子供に接すれば子供の自己肯定感が低くなるのは当然の結果なのです。これが日本の美しい家族の実体です。

 

なぜ日本は女性と子供の自殺率が世界1位なのか、まず第一に女性の社会進出がまったく進んでいいないことがあります。社会での自己肯定間を女性が持つことは困難です。では家庭で自己肯定間を持つことが出来るかというと、家庭は愛の関係が他の国と比べて圧倒的に乏しく、したがって家庭での自己肯定感も難しい。低い自己肯定感は必ず不安を呼ぶので、それを埋め合わせるために神経症的な振る舞いに及びます。つまり自分の自己実現を子供に押しつけてしまうのです。しかし、勝ち組になれる可能性は低く、結局、子供に託した自己実現は失敗するのです。親の誤った目標設定にされられた子供は自分を評価することが出来ず、結果、日本は女性や子供の自殺率が世界一高い国となったのです。

 

TBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」宮台真司氏談より