中韓と日本とのズレはいつから始まったのか。
1995年、8月15日、戦後50周年にあたり、当時の首相村山富市が閣議決定のあとに談話を発表しました。日中韓の歴史認識のズレはこの村山談話から始まりました。「日本のかつての植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国に対し多大な損害と苦痛を与え、痛切な反省、心からのお詫び、犠牲者に深く哀悼を捧げる」という内容でした。
村山さんは戦時中陸軍軍曹でした。彼は自身の良心に従って反省とお詫びの歴史認識を社会党がリードする形で内外に発表しました。しかし国会ではこの談話の賛成は230名、反対は241名、村山さんは善意からかなり無理をして押しきったわけです。
ところがこの決定が中国と韓国から見ると謝りかたが中途半端だと批判がわき起こりこののち日本を糾弾する口実を与えてしまうことになるのです。
そしてこれを機に中国は反日教育に乗り出すことになり、韓国は従軍慰安婦にスポットを当てて日本を糾弾し始めるのです。つまり村山談話が中韓の恰好の的になってしまったのです。村山さんの美しい反省が却って歴史認識を混乱させるという皮肉な結果になってしまったのです。
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