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君が好き

アイドルの話でもしようず。

昨日は炭坑ガールズの地元イベント「大九州歌謡フェスティバル」に行ってきた。
会場の荒尾総合文化センター小ホールは、そのイベントのメインである歌謡曲を聴きに来たお客さんが集まっていた。
この日は熊本ではたくさんのイベントが行われていることもあり、先週のような熊本ドルヲタ荒尾に集合という感じではなく、歌謡曲を聴きに来られているお客さんに比べてアイドルヲタクは少なかった。
そんななか、いよいよステージには炭坑ガールズが登場。
炭坑ガールズには「盛り上げ隊」と「アイドル」という2パターンのパフォーマンスがあり、ファンの方たちはその日の衣装で見分けているようだ。
この日の衣装はセーラー服。
これはアイドルステージだ。
よーしキモヲタDDおじさん発動するぞ! とぼくのボルテージも上がったところで、意外な曲のイントロが流れる。
一曲目はなんと「ダイナミック琉球」だった。
イヤーサーサーの合いの手に、本格的な歌声、年少メンバーまで仕上がってるダンス、なにげに完成度の高いその曲をぼくは、「炭坑ガールズはこんなこともできるんだ」と驚きながら見つめていた。
そして二曲目に来たのが「ラララDance」。
スカートの衣装だったため、10周年ライブのツナギ衣装のときとは違い、激しいアクロバットはなかったものの、笑顔と元気、パワーを合言葉に、アイドルヲタクじゃない人にも伝わる楽しいパフォーマンスを行い、椅子に座っている一般の観客までも左右に揺らしていた。こういうヲタクじゃない人の多い現場では、このシンプルなダンスで会場に一体感を生むこの曲は強い。
もちろんそれは、楽しめる楽曲の良さやメンバーのパフォーマンス力があってこそ。それらを武器にしっかり演じる炭坑ガールズはさすがだった。
ぼくは、衣装がアイドルだったことでこの日「ラララDance」が見れるとは思っていなかったので、今週も「ラララDance」を見られてよかったと酔いしれていた。
タイテをぼくは把握してなかったので、「ラララDance」が終わると、もしかしたらこれで終わりかなあとも思ってたら、ステージではしょうこさんを中心にMCが始まった。どうも次の曲もありそうだった。
MCの途中で、ステージには、一度ハケて衣装の上に着物を着つけていたYUIさんが登場。何が起こるのかと見守っていると、なんとYUIさんが歌い、他のメンバーが踊る「お祭りマンボ」が始まった。
またもやこれもすげーぞと目を丸くし、ぼくはこれこそが「盛り上げ隊」なのだと気づいた。
つまり、炭坑ガールズのステージは主語が観客なのだ。
普通はアイドルステージの主語は「私たち」である。
「私たちの歌を聴いてください」
「私たちのダンスを見てください」
「私たちの努力の結果を見てください」
しかし、これはアイドルだから成り立っている。
アイドルには、ずば抜けた歌唱力を求められているわけでも、ずば抜けたダンスが求められているわけではない。
アイドルとはパーソナルを売りにしているものであり、
「推しが歌っているから聴きたい」
「推しのダンスを見たい」
「推しの努力を支えたい」
というのがアイドルヲタクのニーズなのである。
だけど、アイドルファンはそうだけど、一般の人相手にはそれが成り立たない。
「推しが歌っているから聴きたい」のではなく一般の人は「聴きたい唄を聴きたいのだ」。
そこを炭坑ガールズはよくわかっているのだろう。
だから、この日はあらかじめ熊本でたくさんのアイドルイベントが開催され、アイドルヲタクが少なく、客席は歌謡曲を聴きに来るお客さんが多いことが予想できていたからこそ、歌謡曲を聴きに来たお客さんでも飽きさせないセットリストを用意していたのだろう。
普通にそういうセットリストが組めることもすごいが、それが文化祭程度の付け焼き刃的なものではなく、しっかり踊れ、歌えているのもすごい。
そして実際、歌謡曲を聴きに来ていたお客さんを楽しませていた。
「私たちを見せたい」ではなく「観客を楽しませたい」。そこに力が注がれた結果、会場が楽しい空気に満たされていたのだ。
つまり会場を盛り上げたい、まさに「盛り上げ隊」なのである。
もちろん、それがお金を払ってでも見る価値のあるパフォーマンス力だから会場は盛り上がっているという実力的な裏付けもある。
味方であるアイドルファンを喜ばせるのではなく、一般の人まで楽しくさせる。炭坑ガールズ、すごいなとぼくは感心した。
そんな楽しい空気の中でラストの用意されていたのは現代風にアレンジされた「炭坑節」だった。
もともとこの炭坑節は明治時代の民謡「伊田場打選炭唄」が原曲で、その後炭鉱夫たちが歌ったゴットン節が発展して芸者さんたちが歌う座敷歌になり、戦後流行歌としてレコードに吹き込まれたものが爆発的に流行し、盆踊りの定番と化した曲である。そして面白いのは、民謡からゴットン節、座敷歌、そして流行歌とそれぞれにメロディーや歌詞が違う。だから大げさなことを言うならば、明治・大正・戦前・戦後と変わっていったように、この曲が令和の時代に変わるならば、この炭坑ガールズの「炭坑節」みたいに変わるのもいいなと考えていた。ドリフターズの「ズンドコ節」と氷川きよしの「ズンドコ節」がメロディーや歌詞が大きく違うように、日本の音楽にはそんな柔軟性があり、それを活かすのも面白いなと感じた。
まあ、それはともかく盆踊りでおなじみで、石炭や炭坑と言えば頭にイメージする人の多い「炭坑節」を、かつての炭坑の都・荒尾で踊る炭坑ガールズというシチュエーションは本当に炭坑ガールズが自分たちの武器をわかっていてそれをうまく使い、それが一般のお客さんにも通じているように感じた。これこそが先週感じた10年のグループの歴史の強みなのだろ。
そのように、昨日の炭坑ガールズには、普段アイドルヲタクが多数派を占める会場とは全く違う一面を見せていただいた。その引き出しの広さには舌を巻いたし、それらの活動の経験が今後も蓄積され、アイドル会場のステージもよくなっていくんだろうなとぼくは感じている。

アイドルステージ以外での炭坑ガールズをご覧になったことのない方は、盛り上げ隊の炭坑ガールズもぜひ見たほうがいいですよ。アイドル活動じゃないからこそ、アイドルを見直し、アイドルの良さが感じられます。
 

昨日は、炭坑ガールズ10周年、前身のMJKから12年という記念のライブに行ってきた。

MJK

このグループとは、ぼくは残念な出会い方をした。
話は2013年頃にさかのぼる。当時ぼくは荒尾を飛び越えて、熊本のアイドルに通いだしていた。
その熊本のアイドルに元MJKの子がいた。そこでぼくは初めてMJKという名前を知った。ただ、そのあとに見たのがその子がMJKを脱退する日に書いたブログだったのだ。なんて悪い出会いなんだろう。
現在ならばある程度、アイドルが脱退や卒業する理由はオブラートに包むものである。運営から「この件につきまして(残った)メンバーに質問されることはご遠慮ください」とアナウンスされ、そのメンバーの名前を出すこともタブーになるのが普通だ。
そうやって永遠の嘘をついてもらうほうが、ヲタクも切り替えしやすくありがたいのだが、当時はそんなノウハウはなく、まだ中学生だったその子は「やり方と考え方が違ったから」辞めますと素直にブログに書いていた。
その子が言うにはMJKは「みんな平等であること」を大切にしているグループで、「競いあって個人のレベルを上げていく本格的なグループ」ではなく、「仲良しグループ」でやっていくのだろうとその子は感じたらしい。その子はそれだと続けられないということで、辞めたんだとぼくはそのブログを読んで解釈した。
2013年は、NHKの朝ドラで「あまちゃん」が放送され、アイドルブームが最高潮の時期だった。新潟のNegicco、仙台のDorothy Little Happyや福井のせのしすたぁ、愛媛のひめキュンフルーツ缶などいわゆるご当地アイドルが中央のアイドルシーンに登場し、九州でもLinQがオリコンチャートを賑わせていた。
ご当地アイドルでも中央のアイドルシーンで活躍できる。
そんな夢を持てる時代で、どんなご当地アイドルでも上を目指していた時代だったのだ。
そんな時代に「仲良しグループ」というのは、なんとなく「やる気がないのかな」と感じられる風潮だった。
2013年夏に九州のアイドルを紹介する雑誌「九州アイドルBOOK」が発売され、そこにもMJKが掲載されていた。そこでMJKのメンバーが「次の目標はサンパレス?」「ムリムリ(笑)」と話していた。それを見てぼくは、多分冗談で言っていたのかもしれないけど、MJKに対し「仲良しグループ」という偏見を持っていたこともあり、MJKには結局感心を持たなかった。
そのままMJKはいつのまにか炭坑ガールズと変わっていった。炭坑ガールズに関しては、同時期の佐賀乙女みゅーすたーもそうだったのだか、2015年以降、アイドルブームが一段落ついたところで、ジュニアアイドルのブームが起こった時期がある。そのブームに乗ってメンバーが低年齢化したようにぼくには見えた。ぼくは、いわゆる若い少女が努力やチャレンジをしてステージを見せるアイドルが好きなので、自然の才能が生み出すその年齢にしか出せない尊さを愛するジュニアアイドルはあまり興味がない。だからこの時期は炭坑ガールズという名前は知っているけど、ぐらいの状態だった。
ただ、コロナ前ぐらいに発表された「KURO★DAIYA」はいい曲だなと思った。だけど、やっぱりメンバーが若すぎた。いまでいうなら基山のFloraの「Jump」はぼくはすごく好きなんだけど、メンバーが若すぎてライブに行こうとはなかなかなれない。そんな感じだった。

ただし、佐賀乙女みゅーすたーは2021年に活動休止してしまったが、炭坑ガールズはずっと活動していた。
HKT48やそれこそMONECCO5もそうだったけど、活動期間が長くなれば若すぎるメンバーでも着実に歳を重ね、成長する。

2022年に始まった天海でのLIKE。
このイベントに炭坑ガールズはよく出演していた。2022年はチームKINGとチームQUEENがあり、KINGとQUEENで2ステージなんてこともあった。
ぼくはこの頃になって、着実に成長している炭坑ガールズを見て、ようやく「仲良しグループ」「ジュニアアイドル」という偏見がほぐれ、なかなかいいグループではないかと感じるようになっていた。
最初に感じたのが、バック転を連発する間奏。仲良しグループでぬるくやっててはできるはずのないそのパフォーマンスは、文字通り血のにじむような努力を感じさせ、偏見に満ちていたぼくの目を覚まさせてくれた。
アイドルメンバーさんも昔は小中学生が主力に見えたのに、グループの中心として歌にダンスにアクロバットにとこれでもかと見せつけるYUIさんも、大人びた歌声でファンを魅了するしょうこさんも高校生になって、グループを引っ張っていた。
中高生メンバーが活躍すると、その背中を見て一生懸命に頑張る小学生も愛しく見えてくるから不思議なものだ。身近な目標があることで、小学生メンバーがそのときしか出せないかわいさ以外のものも出そうと努力しているのが見えるからだろう。むしろその年齢層の幅もグループの引き出しの多さという武器にもいまはなっているように感じる。

Re:fiveと共演することも多く、いいグループだなあと感じていた。

今年になり、ようやくその炭坑ガールズの主催イベントに足を運ぶ機会が出てきた。
四月の荒尾シティーモールでのメンバー卒業イベントと、七月の万田坑での運動会、そして昨日の10周年イベントである。
どのイベントもメンバーの保護者の方がお手伝いをされていて、しかもその保護者の方のお子さまがわちゃわちゃしている雰囲気で、いわゆるアイドルイベントとはちょっと空気が違う。弟さんか妹さんなのか、メンバーさんが小さな子を抱いてる姿を目にすることもある。
初めて行ったとき、ぼくは「なんてアットホームな現場なんだ」と驚いた。
だけど、10周年イベントを拝見させていただいたからこそ感じられるのは、だから10年続いたんだよなということだった。

ぼくがMJKを知ってから11年、炭坑ガールズが結成されてから10年。
ご当地アイドルといわれたローカルアイドルの環境は大きく変わった。

一言でいえば都会の方向ばかりを向いても、都会のアイドルには勝てない。それよりも目の前の現実に向かい合い、地元で小さな成功を積み重ねることのほうが大事だということだ。絵に描いた餅は食べられない。それよりも目の前のピーナッツを食べたほうがいいということだ。

炭坑ガールズは「紅白歌合戦に出場する」という目標はあるそうだが、目標はあくまで目標。いつくるかわからない将来を見るのではなく、目の前の現実を素敵なものにする。それこそが大事なのだ。昨日イベントで改めてその「紅白出場」の目標をメンバーが言ったとき、フロアには笑いが起こり、代表さんが「笑ってましたけど一応本気の目標です」と言われたほどだったが、目の前にいるファンを喜ばせてこそ、その先のたくさんの人に届くグループになるきっかけになることを、代表さんもメンバーさんも知っていることが表情からは感じられた。
つまり、遠くにある目標ばかりを見るのではなく、近くにいるファンを楽しませることが第一で、その先に目標があるというスタイルなのだ。

そしてファンのほうも、十年前は中央がローカルアイドルに近く、またアイドルを推すことにも慣れていなかったから、グループが大きくなるのを見守る、一緒に夢を叶えるという姿勢の人も多かったが、ヲタクとしていくつも挫折を経験したこともあり、いまやその日1日を特別な日にしてほしくてアイドルに会いに行くようになっている。「あまちゃん」から11年が経ち、そこを大事にするアイドルがファンに愛される時代なのだ。

炭坑ガールズはそのニーズに合わせたわけではなく、アイドル活動と共に荒尾を盛り上げる活動をしているうちに、そんないまのファンのニーズにマッチしてしまった。
なにせメンバーとファンの距離が近い。
たとえば、ぼくなんかはRe:fiveの予約で入っているんだけど、Re:fiveがステージに上がるとファンと一緒に見に来てくれたりしてうれしい。なにげに今年は、推しの生誕祭でガチ恋口上をかぶせてくれたメンバーさんもいた。
とにかく、ファンとも仲良く、他のアイドルとも仲良く、そしてなによりメンバー同士が仲がいい「仲良しグループ」なのだろう。
特にメンバーさん同士は、それぞれのメンバーたちが信頼と尊敬をしあってグルーヴを生み出しているのがステージを見れば感じる。
かつてはネガティブにとらえられていた「仲良しグループ」という言葉が、いまや最大の強みになっているのだ。それもファンが望んだから演じているのではなく、結果としていままでの10年間の活動の積み重ねでそれが最適解になっているから本物である。
そしてアイドルファンのニーズを満たすだけではなく、依然として、炭坑の歴史の伝承者として、地元を盛り上げる任務も抱えている。
そのために、保護者の方も惜しみ無く協力する。
それによってファンは最高のもてなしを受ける。
その素晴らしい好循環が炭坑ガールズの主催イベントでは感じられる。
これは10年という歳月の試行錯誤の中で培ったものだろう。
そしてその年月の積み重ねによって、10年経ってようやく、炭坑ガールズの地道な努力にファンのニーズが追い付いたと感じる。
アイドルを見に来るヲタクというのは正直な話、世間体もあって卑屈な気持ちもある。どちらかというと「アイドルを見させていただいてありがとう」という気分のほうが強く、運営さん自体も接客業という意識よりもクリエーターという意識のほうが強く、あくまでヲタクは芸術に触れさせてもらっている側という心理が強い。
そのようなヲタクたちに居心地の良さを与えるあたたかい現場というのは、ヲタクとしては本当にうれしいものである。
そしてこれからも、あたたかい現場を続け守ることは、それが当たり前のようで特殊なことであるから、いつか大きな成果につながる気がぼくはしている。
重ねていうが、炭坑ガールズは幅広い年齢層という武器と仲の良さという強みを持っている。大事におもてなしされたために、何かお返したいと思っているファンもいる。
そういえば、ライブ中に放映されていた動画で、NHKテレビに出演していたり、万田坑が世界遺産認定されたときにはくす玉の真下にいたりと、ぼくの知らないあいだにも、大きな実績を炭坑ガールズが残していることを10周年ライブで知った。
これからの10年も、ファンのために、そして地域のために、あたたかく活動することで、炭坑ガールズが栄光をつかむことを願っている。


8月末からそわそわしていた推しの東雲ういさんの生誕祭「ういたんさい2024」。
普段はRe:five界隈の万年二軍ヲタクとして、熱狂的な方が応援されている場所におどおどしながら混じらせてもらっている不肖・たきびだが、「推しの生誕」というこの日ばかりは、年に一回、声枯れるまで身体果てるまで張り切るイベントだ。
ただ、いざ9月になり、なぬきはなのさんのイラストに吉川りおさんデザインで発表されたフライヤーとタイムテーブルを見て、ぼくは一抹の不安を覚えた。


一言でいうと「Re:fiveの持ち時間短くね?」と感じたのだ。
タイテを見たぼくのイメージはまず、Re:fiveが15分やる。それからゲストが三組登場で、三組ともういちゃんの生誕を祝うMCをしてくれるのは楽しみだけど、そのあとのコラボステージでどれだけういちゃんが出演するのか? 最初に熊本県産カツカレーをやってそのときはういちゃんがいても、そのあとはドレスに着替えるため、ういちゃんは披露宴の花嫁のお色直しのように中座するかもしれない。そのあいだに、他のアイドルがういちゃんの話をしてくれるだろうが本人はいない。そして最後の25分間でドレスに着替えたういちゃんがソロを歌って、それからRe:fiveかもしくは全員で踊って終わり。そう考えるとういちゃんの出演時間は15分と25分の40分ぐらい。ライブ時間の半分にも満たない。年に一回のういちゃんが主役のステージにしては物足りない気がしたのだ。
たとえば、ゲストを呼ぶ生誕祭で他のグループなどでよくあるのは、ゲストは20分ぐらいの枠で歌って、最後に主役のいるグループがゲストよりも長い時間、たとえば40分ぐらいのステージをやるなんていうタイテがよくある。そういうのでいいのに、最初に出てきて、そのあとソロまでういちゃんお預けとかの展開になったら、ちょっとなあなんて考えていた。

とはいえ、ういたんさいである。
我らの推し、東雲ういさんの生誕祭である。
会場に着くなり目にしたのは、飾り付けられた「studio5」の看板と、予約特典の「しののめガチャ」の文字だった。

 

 


昨年は入場者全員にダジャレ付きのメッセージカードと入浴剤、お菓子をプレゼントしてくれたういちゃんだが、今年はそれがガチャ形式になっていた。ぼくはばっちりガルボをいただいた。ういちゃんからガルボをいただくなど、めちゃくちゃ珍しくてうれしかった。こういう事前告知のないサプライズが用意してあるだけで、ういたんさいがただの生誕祭でなく、まさにお祭りという気分になる。

そのお祭り気分のまま、ライブがスタート。
タイムテーブル通り、まずはRe:fiveが登場。衣装は三年連続のネクタイ衣装だったが、今年はスカートがチェッカー柄だった。
生誕祭のセットリストは主役のメンバーが決めるのがRe:fiveの伝統で、一曲目は「Ifの向こう側へ」だった。登場したメンバーがタオルを持っていたので、Overtureのときに「ダンデライオン」かなと思っていたため少々意外な選曲だったが、「どこまでも行こうよ♪」という歌声を耳にすると、まさにこれから二時間の夢の世界に連れてくれて行ってくれるように歌ってくれている感じで、ぼくにとって特別な日の特別なステージのオープニングにぴったりな曲だった。
二曲目は更に意外な新カバーだった。そういえば、いまやRe:fiveのライブでたまにやるカバー曲も、去年のういたんさいで初披露された曲がある。ヲタクの感覚からすると盛り上がりたいから、定番の曲をやって欲しい気持ちも正直ある。だけど、アイドルとして進化すること、チャレンジすることを忘れないために、ういちゃんは今年も自分の生誕祭という大事な場面で、新カバーを持ってきた。「だから東雲ういは推せるんだよ」と、初めて聴く曲でもともと万年二軍ヲタクなのでうまく沸けなかったぼくは、ニタニタしながらういちゃんを見ていた。
そして危惧していた通り、あっという間にRe:fiveは最後の曲になった。本当に「いま来たばっかり」の気分。最後の曲は東雲うい推しにとっては大事な曲で間奏でういちゃんにフォーカスが当たる「オトナと僕の。」だった。ういちゃんが主役の日だから、ういちゃんが主役のこの曲を聴けるのは最高。その気持ちは涙腺が緩むほど高まって、ヲタクもフルスロットル。曲のあと、柊わかばさんが「過去いちの盛り上がりだったんじゃない」と言われるほど、盛り上がった。
ういちゃんはそのMCで、その過去いち沸いたヲタクに対して「ありがとうございます」と礼を言ってくれた。こういうヲタクに対する気持ちを、ちゃんと伝えてくれるのも本当にうれしい。最強アイドルだなと感じてた。ただ、これでRe:fiveのステージは終了だった。

そのあとはゲストのステージが続いた。
なんだかんだういちゃんが見たいと思いながらも、炭坑ガールズも熊本FlavorもSunny Honeyもぼくは大好きだ。
そのグループが「ういちゃんおめでとう!」と言ってくれて、熊本のアイドル界隈でおなじみの曲をやってくれるのは普通に楽しい。
ただ、この時点では気づけなかったけど、密かにこの三組のステージでは、このあとのういたんさいを盛り上げる仕込みをしていた。

Sunny Honeyのステージが終わり、タイムテーブル的にはコラボステージの時間に入る。
そこに登場したのは生誕委員の作ったなぬきはなのさんイラストのTシャツにレザーのスカートに着替えた空豆かれんさん、ひとりだった。
例年通り、こういう場面の司会はプロ司会者の吉川りおさんが仕切るのだろうと思っていたぼくの予想が大きく裏切られた。そもそも、失礼を承知でいうと、わりとRe:fiveのステージを見ているぼくでも、物販交流会ではよくお話ししてくれるけど、ステージでMCをするかれんさんを見ることはあまりなかった。企画でも他のメンバーやアイドルさんにいじられることは多かったけど、自分からいじることはほとんどない印象だった。
そのかれんさんが「ういちゃんをみんなで呼びましょう」「声が小さいですよ」と、チケット完売で満員のフロアを煽る。かれんさんの新しい一面だった。Re:fiveの新しい引き出しが生まれた瞬間だった。
そして、かれんさんの先導で声をあげたヲタクの声に応えるように、主役のういちゃんが登場。なんと、ここですでにドレスに着替えていた。

ということはお色直しの時間はこれから必要ない。
もしかして、ういちゃん、コラボステージ全部に出るつもりなのか?
そう考えていたら、「かわいいでしょ」と言いながら、ういちゃんもかれんさんもSunny Honeyのメンバーが持つようなデコレーションされたうちわを持っていることに気づいた。
これはまさかと思うと、そのまさかの予想通り、うちわを持ったSunny Honeyのメンバーがステージに登場。
コラボってこういうことだったんだと目を丸くしていると、ギターのカッティングのイントロが流れ、Sunny Honeyに空豆かれんさんとういちゃんの5人で、前半のステージではSunny Honeyが歌わなかった「太陽的な僕の彼女」が披露されたのだ。Sunny Honeyとかれんさんが四人で脇を固めるように踊り、真ん中でういちゃんが主役になっている素敵な光景だった。終わったあと、「Sunny Honeyさんに大きな拍手をお願いします」とういちゃんは満員のフロアに向かって言った。そのういちゃんが見せたSunny Honeyへのリスペクトも気持ちよかった。
すごい仕掛けじゃないかとぼくは思った。
ういちゃんの生誕祭だから、多くの人はういちゃんを見に来ている。だけど、全員が全員ではない。ぼく自身もRe:fiveがゲストで呼ばれているからという理由で、他のアイドルグループの生誕祭を見に行くことはよくある。
それがこのコラボステージは、ういちゃんを見に来た人も、そしてほかのグループを見に来た人も楽しめる仕組みなのだ。しかも、しっかりゲストの持ち歌を踊れるういちゃんから、そのゲストへのリスペクトも感じられる。それぞれのゲストの曲を覚えなければいけないういちゃんは大変だっただろうが、おかげでういちゃんのファンも、他のグループのファンも楽しめるステージが繰り広げられているのだ。ういちゃんのその努力とアイデアに、「これぞ、東雲ういのアイドル力だ」と何度も頷いた。
Sunny Honeyとかれんさんがハケると、今度は白鳥ひなさんが登場。ういちゃんと軽く話すと、なんと白鳥ひなさんが進行をして、ういちゃんと熊本Flavorを呼び込んだ。これも珍しい場面で、Re:fiveの新たな一面だった。

ナチュラルにメンバーの成長の場を自分の生誕祭で提供する。このういちゃんの気配りが、グループの飛躍を考えていて心憎い。

熊本Flavorと白鳥さんが並ぶと、Sunny Honeyとかれんさんのかっこいい印象から一転、かわいい空気に満ち溢れる。その真ん中に、さっきまでかっこいいダンスをSunny Honeyとやっていたういちゃんが君臨しているのが、まさにういちゃんのアイドル性の高さを感じさせた。やる曲はFlavorの中でも特にかわいく、Junior flavor kumamotoの頃から歌われていた「シエスタ」。新衣装でこれまで以上にかわいさが強調されている熊本FlavorやRe:five NO.1のかわいいかわいいお姫様の白鳥さんを従えて、ドレス衣装も相まってふわふわしたかわいいういちゃんが輝いていた。「シエスタ」のかわいい煽り「みぎ、ひだり、くるくるぱっ」をういちゃんが言い、「もう一回」のところが「かわいすぎて昇天しそうだった」と熊本Flavorの最年少・聖ともかさんが言われるほどかわいかった。終わったあと、「ひなちゃんどうでした?」と話を振るういちゃんに、先輩の威厳とひなさんの成長を願う優しさを感じた。
熊本Flavorと白鳥さんのあとは、普段のライブでもRe:fiveのMCを支えている柊わかばさんが、「じゃんじゃじやーん」と登場。「わたしとひなちゃんの声援の差が大きすぎない?」とヲタクをいじる姿はさすがの貫禄。4月の荒尾シティーモールの炭坑ガールズのイベントで、「他のアイドルさんも一緒に踊りませんか?」と呼ばれたときに一番に走ってステージに向かったときのように、盟友・炭坑ガールズとともに「KURO★DAIYA」を披露。ここでようやくぼくは、そういえば炭坑ガールズも前半のライブでこの曲をやってなかった、このために取っていたんだと、このコラボステージへの各グループが協力した仕込みに気づけた。それこそがまさにみんなでういちゃんをお祝いしているようでうれしかった。
ういちゃんも真ん中で楽しそうに飛んでいたが、これもういちゃんの狙いだったんだろうけど、炭坑ガールズとコラボのときの柊わかばさんはやばい。めちゃくちゃ楽しそうに炭坑のメンバーと踊る姿が楽しすぎて、それに釣られて主役のういちゃんも喜ぶという不思議な展開になっていた。
それでも炭坑ガールズのリーダーYUIさんが、ハケるときにういちゃんに深々と頭を下げていた。ういちゃん本人やういちゃんのファンであるぼくたちだけでなく、コラボステージに協力したアイドルさんたちも楽しくて、その楽しさがこのYUIさんのういちゃんへの態度に現れている気がして、この空間はまさにみんなが幸せになれる空間で、その思いをYUIさんが具現化してくれたことがうれしかった。許されるならばフロアで沸いてるぼくらも「ありがとう」とういちゃんに、そして出演したゲストやRe:fiveのメンバーに頭を下げたいような気分だった。
出演ゲスト三組とういちゃん+ Re:fiveのコラボが終わった。タイムテーブルを見たときには期待よりも不安が大きかったコラボステージだが、その不安を越えた楽しさをういちゃんが提供してくれ、ういちゃんはもちろんゲストさんもこの場に来て、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれてありがとうと感謝の気持ちでいっぱいになっていた。誰もが得する素晴らしいステージだった。
ういちゃんがひとりでステージに残り、コラボの余韻で多幸感あふれるフロアに「でもまだ終わりじゃありません。まだまだ続きます」と言うと、事務所の先輩でRe:fiveのOGでもある吉川りおさんと一般人Kこと橘かえでさんが登場。これまでのRe:fiveの生誕祭といえば、吉川りおさんが進行してRe:fiveがそれについてくるという形だったのに、ういちゃんが進行して、なんと、吉川さんと橘さんもコラボで歌ってくれるという展開で進む。
一曲目はこれも新カバー曲。アイドル卒業した先輩二人に新しい曲を踊ってもらうという無茶ぶりも素晴らしいが、それにつきあい、「膝が痛い」と言いながらもやってくれる吉川さんも橘さんも素晴らしかった。
そして二曲目はMONECCO5時代からのおなじみのカバー曲で、イントロと同時に柊わかばさん、空豆かれんさんもステージに駆け付け、吉川りお+橘かえで+Re:fiveというたまらないコラボが誕生。MONECCO5時代からstudio5に通っている人にとっては、これだけでもチケット代の元が取れるほどの奇跡のコラボだったと思う。
そしてそのまま、生誕祭のクライマックスのソロステージに突入。
この時歌った曲は、以前Xでポストしていた、しかも前日にそのポストをういちゃんがわざわざリポストする用意周到な曲なので、ある意味予想通りだったが、それが安心感につながって、心行くまで楽しめた。
歌い終えセレモニーのあとは、満員のフロアに向かって「小さい子から年配の方、男性にも女性にも愛を与えられるアイドルになりたい。いままでたくさん愛をファンの方にもらったから、返していきたい」との言葉をういちゃんは語っていた。ロコドルだからそう感じられる場面も多いのだろうけど、本来愛は双方向のもの。そして与えた分だけ、返ってくるもの。それを言葉にしたところが、さすがういちゃんだった。
そのあとはRe:fiveとして「君とRESTART」、アンコールを挟んでのラストは「朝からカツカレー」。
「君とRESTART」をかっこよく決めて「やっぱりRe:fiveだよな」と感じていたら、「朝からカツカレー」は特に柊わかばさんが歌詞に「ういちゃん」を無理やり入れたりして、今日しかないプレミア感とハイテンションの沸き立つ気持ちをヲタクと同じ次元で演出してくれて「これもRe:fiveだよな」と思わせてくれる楽しさだった。
内容盛りだくさんの本当に楽しいライブだった。
そしてこの楽しいライブを実現するために、意外にも(失礼!)頑張り屋さんなういちゃんが、必死に考えてくれたんだと思うと、そのことに対し、YUIさんと同じように、ただただ感謝しかなかった。
それなのに、「しあわせだ」「楽しい」「みんなありがとう」とステージからういちゃんがファンに気持ちを伝えてくれるから、その幸せ度合いがさらに増した。誰も不幸にならない、ういちゃんの人への思いやりと努力家の一面を体感できる、本当に夢みたいな幸せな空間だった。まさにスーパーアイドル東雲ういの世界が惜しげもなく体感できた時間だった。
アイドルになるために生まれてきたような人だなとぼくはつくづく感じた。

常日頃、ぼくはういちゃんの魅力を「アイドル性の高さ」と考えているが、それがいわゆる昭和アイドルやAKB48まで続いたマスメディアが作り上げるアイドル像ではなく、それ以後の現代的なアイドル像なのだと思う。
「オトナと僕の。」の歌詞じゃないけど、メディアの作り上げるアイドルは「オトナの用意した答え」を演じるものだった。秋元康のような卓越したクリエイターが、ファンのニーズを読み取り、そのニーズに合ったものをアイドルに演じさせることでヒットを生んできた。
それが、たとえばBiSの「nerve」のダンスをメンバーが考えだしたあたりから、アイドルの意思が反映されるようになってきたと思う。地下ドルレベルではセルフプロデュースのアイドルも増えてきている。
そして、これはJ-POPの歴史から考えると当然の進化である。かつては作詞家の先生、作曲家の先生というプロが作った曲をプロの歌手が歌うという完全に「オトナの用意した答え」が良しとされていたのだが、現在は歌う人やバンドが自分で作詞作曲をする、一時期は「自作自演」と揶揄されていたシンガーソングライターが、現在のJ-POPシーンでは当たり前の時代になっている。もともと久留米の人気バンドだったチェッカーズは、80年代に上京したときにプロの作詞作曲家のアイドルみたいな曲を歌わさせられることに抵抗を覚えたが、ヒットを出せば自分たちの作った歌が歌えると耐え、90年代にはほぼ自分たちの曲ばかりを演るバンドになった。だが、いまのバンドはデビューから自分たちの作詞作曲の曲でデビューするのが普通である。そしてそのほうがリスナーも受け入れている。おっさんの汚い言い方をするならば「オトナの用意した答え」より、「未熟な若者のアイデア」のほうが魅力的なのだ。
考えてみれば当然の話である。
ビデオやCDがさらに進化して、いまやパソコン一台あれば、複製芸術がいつでも楽しめる時代。どんなに完成度が高くても、歴史上、以前に完成したものがあるものは、元祖のものを見れば十分で、そのものまねを新たに見る必要はない。
それよりも、これまで見たことのないもの、体験したことないものをファンが求めているのであり、それを生み出すのは知識で凝り固まっているオトナではなく、いつの時代も柔軟で怖いもの知らずな若者のアイデアなのである。まさに、時代を変えるのは常に青春で、老いた常識よりはるかに強いのだ。
そして、ういたんさい2024は、ういちゃんのお母さまが「東雲が練りに練ったアイデアが詰まっています」とおっしゃっていた通り、東雲ういという若いアイドルのアイデアがいかんなく発揮されたイベントだった。ういちゃんが、ひとりでも多くの人を楽しませようとした結果が、他のグループのファンでも楽しめるコラボになり、誰もが楽しめるイベントになったのだ。それを実現させるための努力は、特にういちゃんは大変だったと思う。でもそれをやり遂げた姿を見せてくれたことが、「オトナには思いつかない」、ういちゃんの「アイドル性の高さ」を再確認させてくれた。
このアイドル性の高さを武器に、16歳のういちゃんもきっとこれまで以上にぼくらを楽しませてくれるだろう。
 

東雲うい誕生日月間も残すところあと一週間ほどになった。
てなわけで、いつもの「たきびがライブ行きました。楽しかったです」「それはあなたの日記ですよね」ではなく、たまにはヲタク力を向上するブログでも書こうと思う。
なお、東雲うい生誕祭「ういたんさい」は9月29日天草で開催される。チケットはまだいくらか余裕があるみたいなので、迷われてる方は来たほうがいいと思う。

このテーマを語る上で誤解のないように前置きすると、マキタスポーツは「すべてのJ‐POPはパクリである」などど述べているが、もちろんそんな単純な話ではない。
将棋の定石のように、長い歴史の中でベターと思われているやり方があるというだけの話だ。定石だけ覚えていてもプロの棋士にはなれない。かといって、定石を知らないプロの棋士はいない。定石を自分なりにアレンジして更に強くなるのがプロ棋士であり、基本としてまず定石がベースになるのである。
たとえば軽音楽の場合、一小節の長さは4分音符4つである。これを3/8とかにしていることはあまりない。この基本的な決まりごとが定石なのだ。
曲の構成にも定石はある。
アイドル楽曲の多くは、

イントロ(8小節か16小節)
Aメロ(8小節)
Bメロ(8小節)
サビ(16小節)
間奏(8小節)
Aメロ(8小節)
Bメロ(8小節)
サビ(16小節)
間奏(16小節)
落ちサビ(8小節)
サビ(16小節)
アウトロ(16小節)

と決まっていることが多い。
それが人間にとって心地よい構成だからであり、またミックスなどファンのリアクションもこの構成がいちばん反応がよいからであろう。
そのような将棋の定石のようなものがあり、その定石の中でクリエイトされているのが楽曲である。
だから、たとえばイントロが8小節でどの曲にも同じミックスが入るからといって、それが「パクリである」ということではない。
そこを履き違えず、作曲家さんへのリスペクトを抱いた上でこれからの文章を読み進めてほしい。
そして、その定石は知らないよりも知っていた方がアイドルヲタクライフが楽しくなることは間違いないので、知るのはいいことだと思う。

J‐POPの定石の中で、もっとも定番化しているのはサビのコード進行である。
これは日本のJ‐POPがテレビのコマーシャルと共に進化したという歴史背景があり、結果としてJ‐POPが印象的なサビのある曲=名曲というサビ至上主義になっているからである。最近ではタイパを意識して、間奏を飛ばすという若い人もいるらしいので、この傾向は更に強まるとぼくは考えている。
そしてそのサビの印象を強くするためには、定石に従ったコード進行を使った方がいい。それは何百年という音楽の歴史で、人々が培った心地よさがその定石にあるからだ。
また、慣れ親しんだコード進行は、たとえメロディが初見でもリスナーに安心感を与える。初めて聴くはずなのに、なぜか聴いたことあるような気がするという感覚があることで、その曲を好きになった経験はないだろうか? 人間には過去に好きになったものと似たものを好きになる傾向はある。これまでリスナーが聴いてきた音楽と雰囲気が似ている曲、つまりコード進行が似ていれば、それだけでリスナーを安心させる力があるのである。

そこで近年のJ‐POPでよく使われる4つのコード進行は、

王道進行
カノン進行
小室進行
丸サ進行

である。そしてこれらの進行はアイドル楽曲でもよく使われる。
だからヲタクが覚えていて損はない。

王道進行は ディグリーネームがⅣ-Ⅴ-Ⅲm-Ⅵm (4536)で進む進行だ。キーがCならばコード進行はF→G→Am→Emになる。日本人好みの起承転結があり、まさに王道の進行である。ユーミンの「卒業写真」、サザンオールスターズの「いとしのエリー」、モーニング娘。の「LOVEマシーン」、あいみょんの「君はロックを聴かない」、アニソンだと涼宮ハルヒの「God Knows」などで使われている、とにかくJ-POPの「王道」進行である。
この進行が「王道進行」と名付けられたのは2008年ごろという話だ。そして2010年ごろからのブームになったロコドルでは、まさにその名の通り「王道」なのでデビュー曲によく使われた。
古くはMONECCO5のインディーズデビュー曲「恋~気まぐれな夏~」にメジャーデビュー曲「キミを待ってる」、最近ではNYDSの「タテヨコミギナナメ」、POTIONの「スキスキスキス」がこの進行である。

 

王道進行参考動画

 


カノン進行はⅠ→Ⅴ→Ⅵm→Ⅲm→Ⅳ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ(1563 4145)が基本になる進行。キーがCならばC→G→Am→Em→F→C→F→G。
ただ、この進行は原曲がクラシックのカノンという世界中で使われているもののため、その派生も多い。たとえばビートルズの「Let it be」はⅠ→Ⅴ→Ⅵm→Ⅳ、C→G→Am→Fになるけどカノン進行に入れられることもあれば、これをLet it be進行、もしくはポップパンク進行と呼ぶ人もいる。ただ、個人的にはリスナーレベルでは、これもカノン進行としてとらえていいと思う。それ以外にも上昇クリシェ、下降クリシェ、ツーファイブなどいろんなパターンがあるが、とにかくカノン進行なのだ。その辺は詳しい人に聞いてください。
かつてJ-POPではカノン進行は一発屋の進行と呼ばれていた。インパクトの強い進行のため、この進行を使った曲はヒットするが、それ以上のインパクトを次に生み出すのが難しいからだ。
大人の階段のぼる♪ のH2Oの「思い出がいっぱい」、BOROの「大阪で生まれた女」、KANの「愛は勝つ」、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」、岡本真夜の「TOMORROW」など、この曲は知っているけどそのアーティストの他の曲がわからないという曲がカノン進行には多い。また、藤井フミヤの「TRUE LOVE」や河村隆一のように、バンドが解散してソロデビューするヴォーカリストが最初のヒットを狙うときにサビにカノン進行を使うことも多い。あまりにもインパクトが強いため、あまり多用は出来ない(河村隆一は多用しているけど)。ここでヒットを出したいときに効果的に使うことが多いというイメージの進行だった。
それが大きく変わったのが2019年のあいみょんの「マリーゴールド」である。2016年にデビューしたあいみょんは、2019年にこの曲のヒットで音楽チャート1位に躍り出るが、カノン進行というのはインパクトの強い諸刃の剣のような進行だから、一発のヒット曲は生まれるが、その後はヒットに恵まれないのがそれまでの定説だった。それをあいみょんはカノン進行以外でも、カノン進行でヒットしたアーティストが生き残れるのを、その後の活躍で証明したのである。これは大きな変化だった。
そのぐらい麻薬のような爆発力と危険性を持つカノン進行だが、そのぶんやはり良い曲がカノン進行には多い。そもそも、ここでヒットを出したいときに使われるコード進行なので、カノン進行が使われた楽曲はかなり力が入れられているケースも多い。
個人的にはMONECCO5の「なんてんまんてん」「ラクガキアクセル」「朝からカツカレー」をカノン三部作と呼んでいるが、アイドルが元気よく踊るのにぴったりな進行だと思う。

 

カノン進行参考動画

 


小室進行の小室とは小室哲哉のことである。六文銭の小室等ではない。
Ⅵm-Ⅳ-Ⅴ-Ⅰ(6451)、キーがCならばAm→F→G→Cとなり、マイナーコードから始まる珍しい進行で、小室哲哉が多用したため、こう呼ばれている。桑田佳祐もよく使っているが、日本以外ではあまり見られない進行である。
なぜこの進行が日本でしか流行らないかという理由の一説に、日本の学校のチャイムがこの進行だったからという説がある。学生時代、授業の終わりを待ちわびたあのわくわく感が、この進行で呼び戻されるから、日本人はこの進行が好きだというのだ。
というわけで学校のチャイムの話が出たから勘のいい方はおわかりだろうが、chem LiLyの「ハジメノBeat」はこの進行を使っている。
ちなみにMONECCO5では「キセキノサキヘ」「僕達の唄」などがこの進行である。あと「ダンデライオン」も。マニアックだけど熱狂的なファンが好きになる曲に多い。
で、ドルヲタ的にいえば、この進行は「サイレントマジョリティー」をはじめとする欅坂46が多用していたイメージが強い。乃木坂46はカノン進行が多かったのだが、欅坂46は小室進行だった。
それでわかるのは、いわゆるアイドルアイドルしたアイドルは王道進行やカノン進行の楽曲を得意にするのに対して、主流じゃないけど熱狂的なファンを生みやすいアイドルの楽曲によく使われている傾向にあると思う。90年代は小室進行=ヒット曲の代名詞だったのだが、この変化は面白い。
また王道進行やカノン進行でイメージをつくりながらもグループの奥行きを増やすためのアクセントとしても小室進行はよく使われている。SKE48の「パレオはエメラルド」やAKB48「会いたかった」も小室進行を印象的に使っている。
かつては時代を表す代表曲によく使われた進行だけど、現在では、正統派ではないけど独自の個性で熱狂的なファンを生むアイドルや、正統派アイドルでも新たな成長をするとき、また変化球的に曲を出すときに、小室進行がよく使われているとぼくは感じている。

小室進行参考動画

 


以上の王道進行、カノン進行、小室進行がいわゆるJ-POPの三大コード進行と呼ばれるものである。
この三つが定石であり、アイドル曲に使われているパターンも多い。たとえばAKB48グループのシングル曲106曲の内、カノン進行36曲、王道進行16曲、小室進行13曲と、半分以上の65曲でこの三大コード進行が使われている。

ところが最近のJ-POPではこの三大コード進行に並ぶコード進行が出てきた。
それが丸サ進行である。今やネットでは「丸サ進行使いすぎ問題」と言われるほど、2020年代を代表するコード進行である。
丸サ進行はⅣM7-Ⅲ7-Ⅵm-Ⅰ7(4361)、キーがCならFMaj7-E7-Am7-C7というコードだ。
洋楽では1980年に発売されたサックス奏者、グローヴァー・ワシントンjrの「クリスタルの恋人たち」が有名で、その「クリスタルの恋人たち」の原題「Just the Two of Us」にちなんでJust the Two of Us進行と呼ばれていて、80年代から90年代の洋楽ポップスの定番になっていた。
ただ、J-POPではそれら洋楽ポップスの影響を受けて、FLYING KIDSの「幸せであるように」や小沢健二 featuring スチャダラパーの「今夜はブギー・バック」などで使用され、ドリカムの「決戦は金曜日」という大ヒットもあったものの、洋楽の洗練されたテイストが強すぎたのか、一般化されるほどではなかった。日本でもヒットしたジャミロクワイの「Virtual Insanity」のように、日本人が歌うよりも洋楽として楽しむ進行のイメージが強かった。1999年に丸サ進行の名前の由来になる椎名林檎の「丸の内サディスティック」が収録されたアルバム「無罪モラトリアム」が発売される。シングルカットされた「ここでキスして」はⅠ-Ⅲ-Ⅵ-Ⅴのオーシャンゼリゼ進行なのだけど、この「丸の内サディスティック」がJust the Two of Us進行を使っていて、そのために15年後に丸サ進行と呼ばれる進行の原曲のように扱われることになるのだ。
なお「丸の内サディスティック」はシングルカットされていない。当時だと洗練されすぎて受け入れられなかったのだろう。この曲のセンスが一般的になるのには15年かかった。
1999年発売当時はアルバムの一曲に過ぎなかったこの曲が2010年ごろになると、やっと時代がセンスに追い付いて、ネットを中心にリバイバルヒットするのである。
そして、ネットで流れる「丸の内サディスティック」に影響を受けた人たちが、特にいわゆるパソコンで曲を作るDTM界隈を中心に、この丸サ進行を多用することになる。
YOASOBIの「夜に駆ける」(2019年)やAdoの「うっせぇわ」(2020年)のヒットでこの進行は定番になり、ブレイク前のあいみょんの2ndシングル「愛を伝えたいだとか」もこの進行を使っていたので2020年代になってリバイバルヒットした。
そしてこの波は確実にロコドルにも来ている。
Sunny Honeyの「Sunny days」は丸サ進行である。
アイドルのデビュー曲は基本、三大進行が多い。しかも、王道アイドルというキャッチコピーがあったからてっきり王道進行でデビューするかと思っていたら、丸サ進行だったのだ。

最初、PV見たとき、まるでグローヴァー・ワシントンjrがサックスで吹きそうな歌いだしのフレーズは鳥肌ものだった。うまく流行を取り入れているなと感じだ。

 

丸サ進行参考動画

 

「クリスタルの恋人たち」(Just the Two of Us)

 


もちろんすべての楽曲が紹介した4つのコード進行でできているというわけではないが、リスナーレベルでこの4つのコード進行をサビや場合によってはAメロやBメロで見つけることで、楽曲の魅力を再確認できる。
また、同じアイドルの楽曲で、発表された時期のタイミングでどのコード進行がサビに使われているかと考えると、なんとなくその時点での作り手側のアイドルへの捉え方も見えてくるようにぼくは考えている。
脱皮できない蛇は死ぬように、アイドルは生き続けるために進化をする。ダーウィンが言ったように、生き残るものは、強い者でもかしこい者でもなく、変化に対応できる者だからだ。その進化の過程で、どのようなコード進行の曲が用意されているのか、そこを考えるのは非常に楽しいとぼくは感じている。

最後に、そうやって東雲ういさんも進化を続けている。
ぜひ、16歳になる直前の東雲ういの生誕祭「ういたんさい」に集まりましょう。

 

#東雲うい誕生日月間

2015年3月15日のロアッソ熊本のホーム開幕戦は水前寺競技場だった。相手はザスパ草津。現・ツエーゲン金沢の島田慎太郎選手の2ゴールでリードするも、後半ザスパ草津のアクレイソンにゴールを決められて悔しい引き分けとなった試合だった。現・ロアッソ熊本キャプテンで当時二年目の上村周平選手がトップ下のリザーブとしてベンチに控え、この年サガン鳥栖から完全移籍した黒木晃平選手も途中出場している。
この試合の客席にアズインプロダクションのアイドルがいた。2015年4月11日に現・えがお健康スタジアム(当時はうまスタ)で開催される横浜FC戦のスタグル広場のイベントに、当時熊本で活躍している四つのアイドルグループが出演するイベントが予定されていたためだ。
その「視察」として、ホーム開幕戦にアズインプロダクションのアイドルが姿を見せていたのだ。
ぼくはこれを見て、立派だなあと思った記憶がある。
当時はロコドルブームの真っ只中。その頃、Jリーグとローカルアイドルは相性がいいのではないかと言われていた。
それはお互いのコンセプトが「地域密着だから」という単純な話だけではなく、共に「生観戦」というライブ感が一番の魅力だからだと考えられていた。
テレビで見るならば、そりゃあ欧州四大リーグや代表戦のほうが有名選手も出ているし、高いレベルでのプレーも見られる。でも、各地にJリーグがあるのは、そこではテレビでは味わえない、生観戦でしか得られない興奮があるからだ。それを楽しみにJリーグのサポーターは、地元のスタジアムに足を運ぶ。
ローカルアイドルは、その後ライブアイドルという言葉も生まれたほど、生でライブを地元で気軽に楽しめるのが一番の魅力だ。
そのため、このふたつは、ファンの感情移入も含め、ファン層が重なるのではないかと期待され、当時は各地でローカルアイドルをJリーグの会場に呼ぶイベントが試みられていた。
ただし、イベントに呼ばれるアイドルは、当たり前だがイベント当日しか会場に現れないことがほとんどだった。
もちろんライブステージを見せるために、仕事としてスタジアムに現れているから、それが普通のことである。
ただ、サッカーファンとしては試合を見てJリーグの興味を持っているアイドルのほうが受け入れやすいし、そのために事前にロアッソを応援しにスタジアムに足を運んで予習するアズインプロダクションのアイドルは、イベントに対しての意気込みが真摯で立派なものだなあと感じた。

それから九年が経過した。
Jリーグとローカルアイドルは相性がいいのではないかと言われていたが、ぼく個人の結論から言うと、相性はいいかもしれないがコアにのめりこむような人にとっては、ふたつも熱心に追いかけるのは身体も時間も財布も足りないと思っている。
シーズン中は二週間に一度はホームゲームのあるJリーグ、毎週のようにイベントをやっているローカルアイドル。
熱心にふたつとも通おうと考えれば、身体が足りない。
また、これがいちばんのローカルアイドル側のネックなのかもしれないが、ローカルアイドルは常時100人にも満たないような人数でファンが固まっているため、どうしてもコアなファン同士の内輪な空気ができやすい。ぼく自身もイベントに行ったら、来てる人が全員顔見知りということもある。そしてこれが一番いけないことなのだが、顔見知り同士でわいわい言っている当人たちは居心地がいいかもしれないが、その輪に入れない人たちには不必要な疎外感を感じている可能性がある。
「Xで気になったアイドルを見に行ったけど、コアなヲタクが物販机にたまっていて近寄れなかった」なんて話を聞くが、最悪のケースだ。
こういうことがどうしても日常的に起こっているため、たとえばスタジアムでアイドルを見て興味を持っても、なかなかライブには行けないし、仮にライブに行っても、不必要な疎外感を感じて二度と足を運ばないなんてことが起こっているという話をよく聞くのだ。

「スタジアムで知り合ったJリーグのサポーターにアイドルイベントに来てもらうのはかなり難しい」と以前、福岡のとある運営さんから聞いたこともある。
次第にローカルアイドル現場は、ファーストフード店やファミレスのように老若男女誰もが気軽に集まれる場所を目指しているものの、現実には常連客がクダを巻く居酒屋のようになっている。
残念なことである。
しかし、アイドル運営にとってはその顔見知りのヲタクこそ大事な常連客であり、またそのほうが大事な常連客にとっては居心地がいいのも否定できず、なかなかこれは内部から変えるには、運営にもファンにも難しいことだとぼくは感じていた。

そんななか、株式会社CapDo.JAPANが外部からスポンサーとしてイベントを支えることで、この閉塞的な空気に一石を投じることになるのではないかと期待させるイベントが昨日開催された。
「くまもとクリエイターミックスフェスティバル」と題されたイベントは主催アズインプロダクション、スポンサー・CapDo.JAPAN。
アイドルヲタクにはなじみがないかもしれないが、このCapDo.JAPANはロアッソ熊本のサポーターにはおなじみのスポンサーでアカデミーチームの胸スポなどでクラブを根底から支え、アウエーの試合ではPVも主催して熊本を盛り上げている企業である。しかも司会が去年までロアッソのスタジアムDJを務めていたスガッシュさん(アズインプロダクション所属)ということもあり、会場にはロアッソのユニフォームを着た方もいらっしゃってた。
スポンサーの森田社長は現状のローカルアイドルのアンヴィヴァレントはほとんどご存じないかもしれないが、森田社長のXのポストを拝見すると「ふらぁ~とお気軽にライブハウスにお越しください」「お一人でもファミリーでも楽しめるイベントです」と、誰でもウエルカムな感じで、その甲斐もあってか、会場はほぼ満席に埋まっていた。
熊本中のアイドルが歌い、熊本の誇る演歌歌手が歌い、ダンスあり、バンドありのまさにクリエイターミックスのイベントは非常に楽しかった。
アイドルヲタク的には、この日、いつもよりたくさんの人の前でステージをやったアイドルが、この日をきっかけにそれらの人を自分のイベントに呼べるかどうか。
この結果は今週末以降に出るだろう。
少なくとも、コアなヲタクだけが喜ぶアイドルが、たくさんの人に愛されるように羽ばたくためのきっかけを与えてくれた「くまもとクリエイターミックスフェスティバル」には感謝したい。

そして、今後の熊本のアイドルシーンの活性化を願う立場としては、外部のスポンサーがイニシアチブを取れるイベントだからこそ、いつものヲタクが内輪のノリで盛り上がるイベントではなく、あまりローカルアイドルを見る機会のない人でも気楽に足を運べ、「熊本にもこんな面白くかわいい女の子がいるんだ」と気づいてもらえるようなイベントになるといいなと願っている。

このイベントは、その可能性を秘めているように感じた。


初開催だったことでいろいろあったでしょうが、最後にちょっと思ったことをひとつだけ。
社長が「久々にライブハウスに来た」とライブハウスの臨場感を味わうことを目標にしていたイベントだったためアイドルの出演時には、いつものライブハウスの空気になっていましたが、やはりお気軽に楽しめるイベントにするには、ある程度、常連のアイドルヲタクが普段通り楽しむフロアと、それ以外のフロアは分けたほうがいいかなと感じました。もちろんそうやっていつも通り楽しむヲタクを否定はしませんが、Jリーグが全席ゴール裏だったら、誰もが観戦を楽しめるスタジアムとは言えないと思うんです。
具体的には、ファミリーや女性がゆっくり見られるように前方は椅子席を設けたほうがいいかなとは感じました。できれば、椅子席の撮影はスマホまでにしてカメラで撮影したい人とは席を分けるなどの工夫もあると、なおよいかなと感じました。
アイドルヲタクはそこにアイドルがいれば勝手に集まります。
できればこのイベントは、アイドルヲタク以外の人も楽しめる、アイドルが見られるイベントになったらと願っています。