若手政治家養成塾最終講義が終わりました
9月から仲間たちとともに続けてきた「若手政治家養成塾」ですが、28日、無事に最終講義を終えました。
最終回は選挙期間中の戦い方、そして、その直前の準備について、です。
白土春日部市議(塾長)が選挙や準備の関係について全体的に講義した後、私と行田市議の永沼氏が補足的にフォローしました。私は街宣活動のやり方について、そして、永沼氏は質疑応答でした。
正直なところ、私は選挙については、自分の選挙が直前の立候補だったために、自分の経験ではなく、他人の選挙のお手伝いから分かったことが中心になりました。
月1回の全体講義と班ごとの実践活動により、政策の考え方から地元自治体の分析、選挙の戦い方までを受講生には身につけていただくという今回の試みですが、結果は統一地方選後、そして、その後の各地の選挙後に出ます。
もちろん、全員当選が1つの目標ですが、私たちの思いはそこには止まりません。
地方議会に新しい風を吹き込むこと、そして、仲間たちが持続的に戦い抜くこと、最後には私たちの仲間が大きな本当の改革の波を引き起こしていること、これこそが私たちの思いの中核です。あらためて受講生には、当選はスタートでしかないということを強調したいと思います。
また、見守ってくださる皆さんには地元の新しい挑戦者を叱咤していただければとお願い申し上げます。
ちなみに、私は受講生に数字を見る目を身につけてください、と何回も申し上げました。なぜなら、数字について注目する人が政治の世界ではあまり多くないからです。また、数字の裏を読むための考え方もお伝えしたつもりです。
役所職員と対等以上に数字を議論できる、貴重な地方議員が何人も誕生すると思います。
書評『世代間最終戦争』(立木信)~「子が親より豊かになれない時代」を読み解く一冊
本書はひそかに隠されてきた世代間の利害関係を露にする、かなり過激な一冊です。
以下、内容をかいつまんで紹介します。
私が自著『自治体連続破綻の時代 』のイントロダクションで『世代間格差社会』という本の記録的ヒットがきっかけで世代間の大戦争が起きる、と書きましたが、今出ている本ではそれに比較的近いのが本書であると感じています。
ただし、若年層と高齢層との正面衝突での激しい議論を巻き起こすには至っていません。
世代間の利害対立について洗いざらいまとめて表立って議論する、というプロセスは日本の福祉や子育てを考えるためには必須なので、
「戦後、一貫した経済成長の中、今の70代は常に明日は今日より豊かになる、という時代をすごし、しかも自分たちが負担した保険料の7~8倍もの年金を得ている。
また、今後増え続ける年金受給者は現役世代と比較して圧倒的に数が多いため、その既得権を手放す可能性はほとんどない。
一方で、今の現役世代は団塊世代も含めて負担が需給を上回る。赤ん坊にいたっては、生まれた瞬間から1000万円以上、計算方式によっては数千万円もの負債を背負っている。
今後、団塊世代が引退すると、老年層は圧倒的な勢力となり、ますます強力な圧力を政治にかけ続ける。
少数派である若い世代は冷遇どころか虐待され続ける。
このような図式は10年以上前から世代会計の視点から指摘されてきた。
また、これは世界的な現象である。
国によって差はあるが世界の先進国で、増え続ける年金需給層の圧力が若年層にのしかかっている。
特に、ドイツでは東ドイツ併合による負の資産をきっかけに、世代間の利害対立が世代間戦争の様相となっている。ドイツの失業者は充実した失業保険があるからあえて働いて高い税を負担する気が希薄だ。また、ドイツではEUでも労働力の値段が高くドイツはEU経済のお荷物と成り下がった。これをドイツ病という。
また、アメリカではある経済学者コトリコフが世代会計の視点からアメリカにおけるツケの先送りについてれぽとを作成したが、あまりに暗い未来像が描かれていたためお蔵入りとなった。コトリコフはそのあたりの事情を『財政的幼児虐待』と名づけた。それでもアメリカでは人口が増え続けている。日本ではさしづめ『財政的幼児抹殺』と言うことができるだろう。
さて、日本の70代は豊かな人もそうでない人も等しく弱者としてさまざまな給付や控除をほぼ等しく受けている。低賃金で死ぬほどこき使われている派遣やフリーターとの待遇の違いは恐るべきものだ。
豊かな70代は自分たちの実の子どもではなく、政府が作り出した福祉というバーチャルの子どもたちを絞ることで豊かな生活を維持している。
若者は怒らなければならない。
ちなみに公務員はこの莫大な世代間の価値の移転に寄生する若年寄だ。
・・・・・・・・・・
今後の対策としてはいわゆる保護の対象としての老人をなるべく少なくする『少老化社会』を構築するしかない。・・・・・・・・・・」
私たち政治の世界の人間は、長期的な視点で、持続可能な社会システムを構築していく義務があります。しかし、選挙という洗礼があり、選挙ではどうしても多数派の意見が優先されます。
そういう中で、社会の持続可能性という視点で、将来世代の利益にも十分配慮した行政の運営を行うというのがあるべき政治家の姿です。
昨日のエントリーでは横浜市の中田市長の「行政の持続可能性」という言葉を紹介しました。
行政は持続できるシステムでなければ、世間の人々の安定的な幸せを担保できません。
本書に1つ、非常に意味深な記述がありました。民主主義は経済成長期にしかまともに機能しないシステムだというもの。逆に停滞期になると、既得権益者の既得権益を引き剥がすことができず破綻に向かうシステムだという趣旨のこと。
世代間の利害の対立は一般の人々の想像以上です。
現状を洗いざらい開示し、徹底的に、本音でぶつかり合う中で出口を探るのが唯一の処方箋であると私は思っています。
ただし、本書の議論はあくまで世代間の利害対立の入り口の議論に過ぎません。
著者の次回作が待たれます。
なお、本書を中高年が読むとかなりショックを受けるでしょう。ただ、現実を見つめるところから改革の議論は始まります。
これまでの「改革」議論は臭いものに蓋、の議論でした。
全ての世代でこの問題を話し合うための良い参考書だと思います。
「こどもにツケを回さない」を標榜する私としては、このような議論が沸騰することを期待しています。
市民に情報を出さない自治体は破綻する
以前も何回か話題にしましたが、私が本を書く際に、夕張市に取材を申し込み、拒否されました。(ある人には夕張市から、「この松本という市議は何者で何の目的で取材に来るのか」という問い合わせが行ったようです。)
その時、それでは情報公開コーナーなどで調べ物をして情報を得ようかと思い、問い合わせをしたのですが、市当局は「そんなものはない」という回答。
また、夕張市の市議会の議事録はネットに公開されておらず(普通、市なら市議会の議事録はネットで公開しているし、情報公開コーナーの充実に努めているはず。やっていない自治体は意識の低いダメ自治体と考えてよいし、改善すべき)、その他の情報もきわめて貧相でした。
私はやむなく、マスコミ情報と乏しい夕張市のウェブサイトから引っ張った情報から概要のみ説明しました。
現在、夕張市の財政再建に関して、厳しいサービスカットと料金値上げが話題になっています。
また、夕張市民の涙ながらの訴えには胸が詰まるものがあります。
一方で、なぜそうなってしまったか、市民は本当に何もできなかったのか、というところについてはマスコミはまったく話題にしません。
そこで、和光市民など、夕張市の人以外にも役立つ話であることから、少し私見を述べてみたいと思います。
市民は(法令の範囲内で)どこに住もうと自由であり、また、どのような人に行政の意思決定をさせるか、を投票によって表明する権利があります。
しかし、自治体の情報が十分にないと、住む場所が選べません。また、引越し先の自治体の情報が十分にないと安心して引っ越せません。
情報の十分な提供は、市民の住むところを選ぶ大切な権利を保証するものです。
ところが、それを積極的に行わない自治体がたくさんあります。
私の住む和光市も、私が口うるさく言うことでかなり情報を積極的に出すようになりましたが、そもそも情報の提供を積極的に行うことの大切さについては、意識されていませんでした。
夕張市はその典型でした。
逆に、夕張市の資金繰りや財務情報をしっかり示していればこのような粉飾による財政の破綻と自治体の突然死は防げました。
市民は何が出来たでしょう。
夕張市民は突然の出来事に呆然としています。
しかし、出来ることがあったのです。
それは、情報公開をする首長を選び、あるいはそれをやらせる議員を選ぶことだったのです。
主体的に自治体を監視し、必要に応じて介入する市民とその代表としての政治家がいれば、もっと早く、抜本的な改革が出来、あのような有無をも言わせぬコストカットは避けられました。
つまり、地元の自治体の財政などの健全性を担保するためには、積極的に情報を出す市役所をつくる必要があり、それを可能にする政治家を選ぶ必要があったのです。
こんな当たり前のことが、それでは全国で出来ているかというと、残念ながら違います。
今後、ここを読んでいただいている皆さんは是非、この点をしっかりと意識して政治家の選択を行っていただきたいと思います。
「そんな人候補者にいないよ~」という方がおられると思います。
一番ましな候補者にこの大切さを語りかけて説得してください。
それが出来なければ、あなたの街が夕張になります。
自治体が破綻すると、行政サービスの選択権は地元から奪われます。まさに、地方自治の死です。まず、破綻の前にら引き返せる仕組みを作ること、その第一歩は情報提供の徹底が出来る政治家選びなのです。
一方で、行政は基本的に情報を出すことを嫌います。なぜなら、権力は情報の大きさに左右されることを役人は熟知しているからです。そんな役人の性向と意識的に対決出来る政治家を選んでください。
「自宅に挨拶に来た」
「一緒にコーラスをやったことがある」
「酒を飲んだことがある」
「友人」
「商工会議所の仲間」
「いい人」
「イケメン」
「共同購入の仲間」
「美女」
「女性(あるいは男性)の代表」
「若いから」
「耳ざわりのいい公約をたくさん並べている」
などの理由だけで人を選ぶと後で痛い目にあいます。
政治家とは、税金の使い道の方向性と大元を決め、事後もチェックする大切な人間なのです。
大前提として、役所に情報公開させる人を選んでください!
全員協議会にて~保育園不足への対応など・・・
2007年度予算の説明会的な全員協議会が行われました。(25日)
来年度は幼保一元施設、地域センター・保育園複合施設を含む予算です。
和光市では膨大な待機児がつみあがっていますから、対応は必要ですが、新たな施設の建設は後世の負担に直結します。
個人的には将来は別の用途に転換することを見越した施設の建設、あるいはプレハブでの建設を、と思っています。
プレハブの場合、事業用定期借地権の利用が一番だと思います。
20年もしないうちに子どもは減ります。
土地や建物は持つリスクが多々あります。また、次世代の行政の方向性を拘束します。これは、一種の次世代に回るツケになりかねません。市の経営者はこのあたりを認識しなければならないでしょう。
横浜市視察~中田市長との会見
久々に横浜市の中田市長を囲む企画にお誘いいただいたので、参加してきました。
埼玉県議会議員の吉田よしのりさんらの設営です。
中田市長のお話を少人数でうかがうのは2年ぶりなのですが、久々にお目にかかっての感想は、数字としてあらわれつつある成果への自信に溢れた姿でした。
話のなかから話をかいつまんでご紹介します。
「横浜市の水道改革について、私が市長になったときには80億の累損があったが、今は累積の黒字が150億になった。
まず、水道の需要増は見込めない。人口が減り、節水の徹底で一戸当たりの水需要も減る。
となると、経営改革をして、内側のコストを低減するしかない。
今まで①3人でやっていたことは2人でやるというような工夫、そして、②営業所の統廃合(18ヶ所を9ヶ所へ)、③夜間料金収受の廃止(3.4億のコストをかけて3億の料金を収納していた)などを行い、徹底的な支出削減を行った。
②については市民向けに誤解を招くビラを撒かれて困った。つまり、統廃合で水道の事故への対応が遅れ、市民サービスが低下するというもの。そんなわけはない。(この種の妨害はいろいろな場面であった。『東京噂のチャンネル』)でもある改革が叩かれたが徹底的に抗議して撤回させた。
ここで生み出された財政的な余裕により、水道のメンテができ、水道の運営が持続可能になる。
交通局も改革した。
人口減と高齢化による移動人口減で営業収益は必ず下がる。よって水道と同じように支出を削減した。
今後、経済はいざなぎ景気のようには成長しない。そういう中で、どのみち改革(改革とはさまざまな経営改善の集合体だ)はせざるを得ない。
夕張も横浜も改革の必要性に本質的な差はない。
ただ、夕張は財政が破綻したから、政策の選択権が地元にない。問答無用だ。横浜は財政が破綻していないから、政策は自分たちで選択できる(うーん、まさに私の本と同じ主張・・・)。差はそれだけ。
また、敬老パスを一律無料から、所得階層による段階制(タダ、2500円、5000円、10000円)に変えた。そもそも敬老パスに83億円かかっていたのだから。
若い市長になると年寄りに冷たいというご批判もあったが、それを鵜呑みにしていると第二の夕張になる。
行政の持続可能性を守らなければならない。
私は横浜市長を3期で辞めるが、その間に成果を出して辞めたい。そこで成果を出せないと、その後の人生は生き恥をさらすことになる。(別に、評価をしてもらおうとしてやっているわけではないが、責任とはそういうものだ。)
これからの時代、新しい行政需要について、新しい課を作って対応するというのは無理。
となると、必要なのはコラボレーション。失敗してもいいから、全部実験という考えでチャレンジしている。
税は潤沢ではない。
全てを役所が直営でやるというのは無理だ。」
正直、この人と会うと、元気になります。やるべきことはすべてやる、という強い意思とともに、スピーディなテンポに圧倒されます。
前回、私は39歳の中田市長に圧倒されました。
今日、あらためて、やらねば、という強いエネルギーをもらった気がします。
ため息をつくのではなく、腰の重い和光市の行政に鞭をふるい続ける他に選択肢はない、というのが私の決意です。また、当たり前の思考回路の大切さ、つまり、私の「無い袖は触れない」理論の大切さを再認識させられました。無い袖を振り続けると、いずれ財政破綻で市民は塗炭の苦しみを味わうのです。余裕のある財政を市民サービスに振り向けろ、という主張は市民を欺く主張です。
和光市の行政の持続可能性も、今後の改革にかかっています。
しかし、我田引水ではないですが、私の本、『自治体連続破綻の時代』の主張は中田市長の話からも裏付けられました(笑
詳しくは水道会計のページをご覧ください。
