ミニメイド社長の起業のブログ -56ページ目

機能的価値に加えて

ミニメイド の仕事で大切なのは、プロとしてお客様の期待を超えることです。
お客様は、事前期待を持っていますので、そこを超える必要があります。
機能的価値は、絶対条件です。

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この価値は、仕事の技術です。計画、動き、仕上がり、スピードがあることが求められます。
機能的価値については、この仕事をしている人は、当然教育も受けるし、経験も重ねていくことでクリアーできていきます。

お客様の期待を継続して満足していただくためには、機能的な価値だけでは限界があります。
ここにプラスアルファーの価値を加えることで、サービスのレベルが向上していきます。

ミニメイド では、機能的価値に加える新たな価値創造に向けて取り組みを始めています。
お客様視点に立って、加えるべき価値創造を続けていきます。


再投資

ミニメイド は、9月末で28期が終了します。
来期に向けて、ME(お客様作業担当者)に29期の経営方針の説明をしています。
全員が、同じ考えに基づいて仕事ができるようにして行く為に、この時間は大切な時間です。

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10月にも勉強会がありますので、繰り返し説明をしていきます。
労働集約型の仕事をしている会社としては、一人一人に会社の考えをいかに落とし込んでいくかが大切です。

加盟店の店長にも同じように、経営方針を落とし込みます。
これが、この時期にしなければならない仕事です。

新しくなった手帳を渡すだけでは、気持ちが通じませんので、フェイスTOフェイスが必要です。

29期も、パーソナルサービス業を目指した経営をして、お客様のお困りごとのお役に立てる企業として活動をしていきます。

国家試験になりました。

ハウスクリーニング技能士という国家試験が、昨日ありました。
昨日は、筆記試験です。この後10月に実技試験があります。

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ミニメイド
からは、15名が受験しました。
今回が初めての試験でしたので、どのような結果になるかわかりませんが、チャレンジしてくれたスタッフと加盟店の皆様に感謝しています。

私も、国家資格として「建築物環境衛生管理技術者」という資格を持っています。

今後、家事代行を営んでいく上で、各社に一名の資格者が常駐すると言うように、資格審査制度ができるといいなと思っています。
もう少し、参入壁を高くする必要を感じています。


こだわれなければ負ける

こだわるを辞書で引いてみると、「些細な点まで気を配る。思い入れする。」と出ています。
「材料一つにこだわったパン」とかです。

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土曜日に、ある有名レストランの社長とゴルフをご一緒しました。
ゴルフ終了後に、経営しているレストランに寄り、社長を囲んでの食事会となりました。
料理にも凄いこだわりがあって、食材はもちろん、牛の育て方からこだわっているようです。
そして、ワインやシャンパンやノンアルコール類にいたるまで、かなりのこだわりがありました。

私は、車の運転でしたので飲めませんでしたが、ワインと同じ製法で作ったブドウジュースを出してくれました。これが、香りが良く、甘みが抑えてあり、口当たりがすごく良くて、食事の邪魔にならないジュースです。

外装や内装にもこだわりがあって、オリジナルなものが多く、設計できる人がいないというくらい、独自カラーを強く持っていました。

社長の話では、氷山の一角みたいで、見えているところも大切ですが、もっと大切なのは見えないところでどれだけこだわっているか。
これが無ければ、味が出てこないと言っているのが印象に残りました。

ミニメイド のこだわりに磨きをかけて行こうと強く感じました。

旅路の意味

私は18歳の大学一年生の時に、中学の同級生が夏休みに7人集まり、友人宅で話をしているうちに、お金儲けをしたいという事で話がまとまり、ビルの清掃会社を始めることにしました。

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一年後に、資本金100万円でビル清掃会社を設立しました。
そして、大学に行きながら経営をしてきました。
卒業後も続ける者と、他社に就職、海外に行くというのと別れました。

私は、ビル清掃会社の社長時代に、ビルだけでなく家庭の掃除もやりたいと思い、31歳の時にアメリカのメイド会社を訪問して教えてもらいました。

私が関わった掃除の仕事という旅路も、42年の長い旅路です。
そして、何故に飽きずにこうして続けてこれているのか不思議です。
この旅路も、決して楽なことばかりではなく、上手くいかないことの方が多かったかもしれませんが、そこから学べたことで、進路を変えて進んでこれたことで、今思えばよかったと思えることがたくさんありますが、困難に直面している時には、そこから抜け出すことで精いっぱいでした。

18歳の時に話し合った友人との出会いが無ければ、今の私の形はありませんでした。