「死生観を考える」勉強会(第5回) | 武狼太のブログ

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大学の通信教育過程で心理学を学んでおり、教科書やスクーリングから学んだことをメインに更新しています。忙しくて書けなかった、過去の科目についても遡って更新中です。

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●勉強会各回と資料内容●

第1回:【1】死生学について
           【2】なぜ死生学を学ぶのか
第2回:【3】死生観調査
第3回:【4】伝統文化と死生観 
第4回:【5】近代日本の死生観の流行 
第5回:【6】小中学生アンケート 「生と死について」
           【7】死ぬ瞬間
第7回:【8】生きる意味
              【9】死後の生
各回の数字を押すと対象ページに移動します

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■「死生観を考える」第5回
■日時: 2022/10/9(日) 20:00~22:30
■場所:オンライン
■参加者:4名
■内容:
 【6】小中学生アンケート 「生と死について」
 【7】死ぬ瞬間
■資料:死生観を考える.pdf
     *資料はのダウンロードコチラ




 【6】小中学生アンケート「生と死について」 

■児童生徒の「生と死」のイメージに関する意識調査 
▼長崎県で起きた凄惨な少年事件 
(1) 2003年7月「長崎男児誘拐殺人事件」
【概要】
 当時、中学1年の男子生徒が、家電量販店のゲームコーナーで遊んでいた男児を連れ回したあと、パーキングビルの屋上で男児を全裸にして殴る蹴る、性器をハサミで傷つける暴行を加えた。その直後、防犯カメラを見つけてパニックとなり、男児を屋上から突き落として殺害した事件。
【背景】
・加害児は小学3年の頃に友人に股間を蹴られて病院に行った経験があった
・異常性欲が顕著にみられる事件を20件以上引き起こしていた
・その他要因:アスペルガー症候群、中学進学による環境の変化、両親の不仲
・母親:近隣トラブル、癇癪、放任主義、加害児への毎月10万円の小遣い

(2) 2004年6月「佐世保小6女児同級生殺害事件」 
【概要】
 当時、小学6年の女子生徒が、学校で給食準備中の時間、同級生の被害女児を別の教室に呼び出し、片手で目を隠して背後から首をカッターナイフで切りつけ、その後も抵抗する被害女児を何度も切りつけて殺害した事件。
【背景】
・両者が所属した女子グループ内のコミュニティサイトや交換日記でのトラブルがあった
・小学5年時、友人への暴力で孤立してバスケットボールクラブを引退していた
・ミステリードラマ(カッターナイフでの殺人シーン)、バトルロワイヤルの同人小説の創作と発表

▼アンケート調査 
・実施:2004年11~12月
・目的:長崎県の児童生徒が「生と死」についてどのようなイメージや経験を有しているか、その傾向を把握するため
・対象:公立小学校の4年生と6年生、公立中学校の2年生の各1000人、計3000人程度
・調査内容(6項目)
 ①家族や親戚などで、赤ちゃんが生まれたときの喜びを感じたことがありますか
 ②家族や親戚など 身近な人が死んだときの悲しみを感じたことがありますか
 ③死んだ人が生き返ると思いますか
 ④動物が生まれるところを見たことがありますか
 ⑤死んだ動物が生き返ると思いますか
 ⑥人を傷つけたり、殺したりしたとき、どのような罰を受けるか、法律や制度について知っていますか
(※⑥は中学校2年生のみに質問)
・追跡調査(2項目)
 ①「死んだ人が生き返る」と答えた児童生徒の理由
 ②「死んだ動物が生き返る」と答えた児童生徒の理由

▼調査結果の考察 
(1) 死の認識について
・「身近な人が死んだときの悲しみを経験したことがない」・・・18.7%
・子ども達は、テレビや本など様々な情報を受けて死を認識している
・「命の誕生」や「死」に触れる機会が減少している
・子どもにとって、魂や輪廻転生などについて答えを出すのは難しい問題である
・自他ともに命はかけがえのないものとして、見つめ直す機会が必要
(2) 生の喜びや死の悲しみの経験について
・喜びや悲しみなど、他者の気持ちに共感することは、人の成長にかかせない
・学校教育では、飼育や栽培などの体験活動をより一層重視し、子ども達に命の尊さを語り、「生と
死」について共に考えることが求められる

▼教育資料としての活用 
・「死んだ動物や人が生き返ると思いますか」に関する資料やグラフを提示する
・感じること考えることを語り合うことで「命の重さ、尊さ」について考えを広げていく
(短学活等を想定15~30分)

▼その後 
・「佐世保小6女児同級生殺害事件」で2人の担任だった男性教諭
 2014年6月、担任する小学6年の男児生徒に「ゲームで負けたら窓から飛び降りて」と休み時間中に発言し、文書訓告の処分を受けた。当日は道徳の授業参観があり、その直前に保護者の前で発言していた。
・2014年7月、佐世保女子高生殺害事件
 高校1年の女児生徒が、自宅マンションに同級生の女児生徒を招き、後頭部を工具で殴り、首をリードで絞めるなどして殺害したあと、手首や頭を切断し腹部を切り開くなどした事件。
 2人の間にトラブルはなく、加害女児は「人を殺して解体してみたかった」などと供述した。前年には、就寝中の父親を金属バットで殺害しようとする殺人未遂事件を起こしていた。事件の3ヶ月後、加害女児の父親は首つり自殺をして亡くなった。 

■デス・エデュケーション 
*「死に備える生き方」について、学校教育や社会教育の中に取り組むべきという動き
・かつては、自宅で家族が高齢や病気で亡くなっていた
 →自然なかたちで死への備えを学べた
・今は、ほとんどの人が病院で亡くなっている
 →死に対して、どう対処していいか分からない
・教育のカリキュラムの中で、死を我が身の問題に引き寄せて考えさせるのは困難
 →今は、色々とやってみるほかない、そういう工夫が必要な時代
・クラスの中で親が亡くなる、旧友が亡くなったとき
 →遺された家族の悲しみや支援について皆で話し合うことは「生と死」の教育にも通ずるだろう

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 BreakTime 

①「死と生について」アンケートについて、小学生の頃のあなたならどのように答えたと思いますか
②今までに「デス・エデュケーション」のような教育を受けたことがありますか
③もし、「死ぬとどうなるのか」と小学生に尋ねられたら、どのように答えますか
・・・・・・

(①について)
・赤ちゃんが生まれたときの喜び:感じたことがない
・身近な人が死んだときの悲しみ:感じたことがない
・死んだ人が生き返るか:いいえ
・動物が生まれるところを見たこと:ない
・死んだ動物が生き返るか:いいえ

(②について)
 私は今までに受けたことはないです。小学校では道徳の授業がありましたが、倫理観や道徳観に繋がるような話を聞いたり、ビデオを観たりしたことはあったように思いますが、「死」をテーマにした話を聞くことはなかったように記憶しています。感想文を書くことはあっても、対話することはなく、内容はあまり記憶に残っていません。

(③について)
 死んだことがないから分からないことを、まず伝えると思います。そして、天国と地獄、輪廻転生、臨死体験談など、そういった色々な話があることを伝えると思います。本人が自分で考えることが重要だと考えますが、その子の真剣度や考え方の傾向に合わせて話をした方がよいようにも思います。
 私は「死」という言葉を急に聞かされたとき、相手が何かよくないことを考えているのではないか、と不安に駆られて冷静さを失い、その不安がおさまるまでほとんど一方的に話してしまった経験があります。相手が子どもの場合はさらに不安が高まる可能性があるので、私の中の「死」に対する不安や恐怖の感情を整理していないと、相手の話に心を傾けることは難しいかもしれません。なぜ「死」について気になったのか、私自身、子どもの頃に初めて考えたときのことを少し思い起しているのですが、「生」に対する漠然とした不安と結びついていたような気もしています。心に留め置いて、また掘り下げられればと考えています。



 【7】死ぬ瞬間 

■「死とその過程」セミナー 
・病院で開催するにあたり、病院スタッフには強い抵抗やあからさまな敵対意識があった
◎医師:皆反対した
 ⇒最終的に参加した医師は2人のみだった(外部の医師からの評価は高かった)
 ⇒「手の施しようがない人間を食いものにしている」と非難した
 ⇒「瀕死の人でも最後の最後まで、こちらが援助を受けることもあり、癒されることさえある」
 *無数の症例を突きつけられ、ようやく耳を傾けるようになるまで、10年程の歳月が流れた 
◎看護師:「あなたは若い患者に、あと2週間しか寿命がないなどと告げて嬉しいのか」と憤慨
 ⇒評価に無関係と知ると、内心の苦悩や気がかり、葛藤、防衛機制などを吐き出した
 *短期間のうちに、セミナーに対して、極めて協力的な助手となった
◎病院牧師:ロスが助けを求めると快く応じた
 ⇒持っていた末期患者のリストを提供してくれた
 ⇒末期患者に対する問題を抱えており、セミナーに参加しながら反省を深めた
◎患者:圧倒的に、好意的に、積極的に歓迎してくれた
 ⇒参加を拒否した患者は2%、死について語らなかったのは1人
 ⇒死を語ることをためらわない誰かと、話をする機会を多くの人が歓迎した
★末期患者への理不尽な応対
 「末期患者に時間を費やすことは無駄」 ←看護師の人員不足という現状
 ⇒セミナーは、末期患者が“平和と威厳”のうちに死ぬことを助ける方法でもあった

▼最初の教訓 
・インタビューに協力してくれる患者を探していた
・ある患者が腕を広げて歓迎してくれた
 ⇒話したくて話したくて、たまらないらしかった
・初めての機会を学生達と共有したいと考え、学生達と共に明日来ることを約束した
 ⇒翌日、患者の体力は弱り過ぎていて、会話できる状態ではなかった
 ⇒「努めて下さってありがとう」と囁き、1時間もしないうちに亡くなった
*末期患者が「どうぞおかけください」と言ったとき、明日では遅すぎるのだ
 
■死の受容のプロセス 
 ①否認 ②怒り ③取引 ④抑うつ ⑤受容
 *近親者を失った、あるいは失おうとしている人達も、同じ五つの段階を経過する
(1) 否 認 
 ・「否認」は不快な痛ましい事態に対する、健康的な対処方法 
 ⇒崩れようとする自らを立て直して、より緩やかな自己防衛法に移ることが出来る
 ⇒否認した患者が、後で「迫りくる死」について心穏やかに語れないとは限らない 
◎否認が最期まで維持されても、必ずしも不幸を増大するとは限らない
 ⇒否認を最後まで続けたのは、3人/約200人だった
▼2人の女性: 死ぬことについて、ごく短くしか語らなかった
    「死は、眠っているうちにやってくる不可避的な煩い」
    「死が苦痛を伴わずにくるように望む」と言い、否認態度へ戻った
▼1人の女性: クリスチャン・サイエンス派(※)の熱烈な信者
    ※投薬に頼らず、神への祈りが癒しを与えて病状を回復させるとし、死を認めていない
 ・死の少し前まで治療を拒んだ
 ・病院スタッフと話すことを恐れていた、末期ガンのことを話すかもしれないと
 ・体力が弱まるにつれ化粧が濃くなり、最期の数日は鏡を見ることを避けていた
        ⇒急速に衰えゆく容貌を化粧でカバーしようとしていた
 ・死の1時間前の言葉:「私、もうこれ以上、頑張れないように思います」
◎管理が難しく、コミュニケーションが取りにくい患者
 ⇒看護スタッフに生じる合理化:
       「患者は混乱していて、何も分かりはしませんよ」
       「患者はひどく異常な考えしか持っていませんよ」
 ⇒この患者を避けるとき、我々は何を失うのか? それは『信頼の感情』
 ⇒話せなくとも訪問を繰り返す
        少なくともここに1人、心配して訪問してくる人がいる、という感情が湧く

(2) 怒 り 
▼憤死した男性患者
・患者:事業家、人工肺をつけて寝たきり状態
・付き添い看護師:とにかく、患者をおとなしくさせておくことに努めた
◎患者が落ちないよう、看護師がベッドのレールを上げた
    ⇒激しい口論
    ⇒患者は、棺桶を連想するからレールを下げておいてくれ、と頼んでいた
*生きている確証を得たい、という気持ち
    ⇒患者の死期が迫っていることへの恐怖
*看護師自身の防衛機制:患者の運動不足と、死の恐怖感とを助長した

 ▼ロスのやり方 
 ・怒りをぶつけてきたら、正面から受け止める
 ・怒りの炎に油を注ぎ、怒りを外面化させ、思いのたけを吐露させてしまう
 ⇒目的:うっ積した感情を吐き出してもいい、という安心感を与えること
 ⇒憎悪は、次第に愛と理解に変わってゆく
 
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 BreakTime

①「無意識下では我々は全くの不死である」という言葉についてどう思いますか
②“理不尽な怒り”を受けたりぶつけたりしたとき、それをどうしたら受け入れられると思いますか
・・・・・・

(①について)
 小学生の頃は、この言葉通りに思い込んでいたと思います。「人はいつか死ぬ」という知識はあり、両親がいつか死ぬことを考えて恐怖を抱くこともありましたが、自分自身がいつか死ぬことをイメージしたことはなく、死ぬとしてもずっと先のことだと考えていました。
 「自分もいつか死ぬ」と心の底から理解したのは、1型糖尿病を患って昏睡状態を経験した13歳のときでした。その体調不良のときには死を意識しませんでしたが、数日経って病院のベッドの上で事の次第を振り返り、死んでいたのかもしれない、と考えたときでした。訳も分からぬままに、何の覚悟もないままに、死んでいたかもしれないと想像したときには、とても強い恐怖感を覚えました。5ヵ月近くの入院生活のなかで、それまでの自分自身を振り返り考えるうちに、死ではなく、人生に後悔することに対して恐怖を抱くようになりました。そして、この先に今を振り返って「あの時に死んでいればよかった」と思うような人生は歩みたくない、と強く考えるようになりました。今思えば、私の死生観の基礎は、この入院をキッカケに作られたように思います。
 数年前に祖母の介護をしていた頃、祖母が「昔、年老いた叔母の介護をしていたけれど、まさか自分がこうなるとは思ってもみなかった」と話していました。自身が老いることや死ぬことに向き合うことは、実はとても難しいことなのかもしれないと考えさせられました。あの入院生活は、自分にとって貴重な体験であったのだと改めて思いました。

(②について)
 理不尽な怒りを受けたことが度々ありますが、私は相手の感情にではなく、起きた事実に焦点を当てて話をするようにしてきました。話を整理していくうちに、大抵は怒りが弱まるか消えていくので、事実関係や問題点が見えてきて冷静さを取り戻せることが多いです。具体的には、怒りの炎を自身で煽るような想像、思い込み、偏見などを持っていることが多いので、他の現実的な可能性を提示したり予想したりします。対話できないほど怒りが激しい場合は、距離と時間を置くようにしていますが、倫理的な問題を感じさせる発言は遮って止めることもあります。
 私の父方も母方も怒りっぽい傾向が強く、私もその傾向を引き継いでおり、身近な体験と心理に関する学びを通じて、怒りに関する考察をしてきました。私が接してきた理不尽な怒りの背景には、強い恐怖や不安が感じられ、それは何らかのコンプレックス(強くて複雑な感情)と繋がっていて、それが刺激されると反射的に怒りが現れるのではないかと考えています。理不尽な怒りの中には、「私は悪くない」という強い思いを感じることが多く、私自身は「誰が悪いか」ではなく「何が悪いか」に焦点を当てることを心がけています。
 私自身が発した理不尽な怒りを思い起こすと、上記のような心理の奥に、罪悪感などの負の感情があるように感じます。その負の感情を遠ざけたい、振り払いたい、という強い思いが半ば無意識に瞬間的に怒りを起こすような感覚があります。そうした強い怒りの矛先は、表面的には他者に向けられていますが、内面的には本人自身に向けられており、そこに「良心の呵責」が関係しているようにも感じます。怒りの最中に話している内容が、まるで本人自身に言っているかのようにも聞こえてくるからです。
 自他の理不尽な怒りを受け入れるには、自分自身への「内省」が必要なのではないかと考えています。人間理解を深めることが出来れば、怒りが生じる要因やキッカケなどの表面的なものよりも、怒りの背景にある内面的なものに注意を向けられると思うからです。
ただ、私自身、理不尽な怒りを「受け流している」という感覚が強く、「受け入れる」という段階には達していないので、他にも何か必要なものがあるかもしれません。
 「アンガーマネジメント」に関する意見も交わされました。自分自身を「内省」して怒りの根本原因を探りつつ、コンプレックスなどを解消することを最終的なゴールとする流れのなかで、それを考えるための冷静さを与えるツールとなるのが「アンガーマネジメント」であると私は捉えています。


(コンプレックスについて)
 コンプレックスには、養育者から子どもにそのまま移行するものがあるのではないか、と私は考えています。幼い子どもが養育者の言動を真似るうちに、具体的な理由は分からないまま、その感情の奥にあるものが定着することがあるのではないかと考えています。私の怒りの奥で湧き起こるものについて、その理由や原因が不可解なものがあったのですが、それらを祖母の介護を通して、祖母や母親の中にも垣間見ることがあったからです。
 日本特有の「恥」の概念など、社会的な要因もあるのではないかとも思います。私自身の内省がそこまで深まっておらず、生前の時代背景など体験していないことへの理解は難しいので、ハッキリと見えているわけではないのですが、13歳から変化した死生観との間に矛盾を感じさせるものなので、その抑制や解消が出来るようにしていきたいと考えています。